Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

フランシス・レイのすべて

2007年07月19日 22時24分05秒 | サウンドトラック
 先月取り上げたフランシス・レイのベスト盤が海賊盤まがいの代物だったので、もっときちんとしたアルバムを....ということで購入してきた2枚組のベスト盤。一応、フランシス・レイ名義だし、オリジナル演奏でないものはそうクレジットされているから、てっきりサントラをメインにしたアルバムかと思ったら、ここ10年くらいにフランシス・レイ自身が制作したとおぼしき再録音もかなり含まれてるので、ちょっと拍子抜けしてしまった。「男と女」「さらば夏の日」は女声ボーカルとレイ自身のボーカルをフィーチャーしたものだし、「雨の訪問者」も女声ボーカルが聴こえてくる。また、「パリのめぐり逢い」ではデジタル・シンセと打ち込みのリズムが大きくフィーチャーされているといった具合だ(ちなみに仕上がりは悪くない)。もちろん、サントラを使用している曲も沢山あるのだが、これに加えて日本のスタジオ・オケで録音されたものも入っているため、名曲は一応網羅されてはいるものの、中途半端なチャンポン感はぬぐえない。

 とはいえ、ジュヌビエーブ・ビジョルドとジェームス・カーンが主演した舞台を西部に移した「続・男と女(`77)」や、本当の「続・男と女」である「男と女II(`86)」の音楽が聴けたのは収穫だった。前者は映画自体は大したことなかったが、当時僕はジュヌビエーブ・ビジョルドが大好きだったので、けっこう印象の残っている映画だったし、後者はまだ観ていないのだが、あの名作に後にどういう音楽をつけているのか、かねてから興味があったからだ。もっと実際聴いてみるとどちらも音楽的にはそれほどでもないが....。
 ちなみにフランシス・レイという作曲家は、70年代後半から音楽的にはフランスの伝統音楽へ先祖返りしているような傾向が強く、60年代のモダンで垢抜けた閃きにみちた音楽に比べると、音楽的な霊感がかなり後退しているのではないかと常々感じていたのだが、今回のような全活動を包含したベスト盤だと、かえってそれが明らかになっているようで、「やっぱりな」とちょっとがっかりしているところでもある。まぁ、こういう渋いフランシス・レイというのも、ひとつの趣がもしれないけれど....。
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カーメン・ランディ/セルフ・ポートレイト

2007年07月18日 21時50分19秒 | JAZZ
 カーメン・ランディを知ったのは、前にロルツ・アレキサンドリアのところにも書いた、80年代後半にCBSソニーがシリーズで出した「ブラン・ニュー・スタンダード・ボーカル from New York」の一枚だった。このシリーズは新旧ボーカリストが起用されていた訳だけれど、もちろんカーメンは「新」の方の引っ張り出されていたのだろうが、とにかく貫禄もテクニックもあり、新人離れしたシンガーという感じはしたものの、なにしろこのシリーズ私にはロルツ・アレキサンドリアとシーラ・ジョーダンのアルバムが良すぎたせいで、他はあまり好んで聴いたためしがなかった....というのが正直なところだ。このアルバムは94年に出たものだが、その間、日本ではほとんどアルバムは出ていなかったと思うので、もしかすると本邦再デビューといったところだったのかもしれない。ひょっとすると、このアルバム自体、JVCで作った和製洋楽ジャズかもしれないが....。

 ソニーから出たアルバムは、シリーズのコンセプトもあったのか、比較的小規模でシンプルなコンボをバックに、調度クラブ歌手みたいなノリ歌っていたが、本作はシダー・ウォルトンのピアノ、ジョン・クリイトンのベース(もしくはネイザン・イースト)、ラルフ・ベンランドのドラムスというピアノ・トリオをベースにけっこうバラエティに富んだ編成、そしてアレンジで作られていた、かなりゴージャスな仕上がりだ。なにしろ1曲目の「スプリング・キャン・リアリー・ハング・ユー・アップ・ザ・モースト」からして、実にムーディなストリングスが入っているし、3曲目の「マイ・フェイヴァリット・シングス」ではアニー・ワッツのブロウしまくるサックスがフィーチャー、7曲目のお馴染みのジョビンの名曲「トリステ」ではギル・エヴァンスっぽいウッドウィンドがフィーチャーされた、かなりハイブロウなボサノバ・アレンジが聴かれるといった具合で、ソニーで出たアルバムとは対照的なバラエティに富んだ仕上がりになっているのだ。

 彼女のボーカルは、とにかく正統派としかいいようがないジャズ・ボーカルで、豊かで弾力のある声、安定したピッチを持ち、ジャズ的な崩し方も堂に入ったもので、とにかく新人~中堅とは思えない風格があり、安心して聴いていられるのがいい。また、数曲収められたオリジナル作品ではフュージョンやブラコン風なエッセンスも取り入れるなど、今への配慮も抜かりないあたりは、新世代らしい芸達者ぶりだ。ついでにかけば、この人時折見せるフィルセットも美しく、この隠し味的な魅力になっている。
 という訳で、久しぶりに聴いたらけっこう拾い物的な魅力があったアルバムであった。個人的にはゴージャズなストリングをバックに歌った作品に魅力を感じる(ラストはストリングスをバックにお約束?の「ウーラウンド・ミッドナイト」だ)、コンテンポラリーなアレンジで仕上げた曲もなかなかだ。Walkmanにでもいれて、繰り返し聴いてみようかな。
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シューマン 交響曲第2番/インバル&フランクフルト放送響

2007年07月17日 23時45分10秒 | クラシック(一般)
 インバルの一連のシューマンには、楽章内の各部に細かくインディックスが打ってある。CDのインディックスという機能は、最近ではほとんど顧みられることのないものになって、ほとんど使われることもないのだが、ここでは第1主題、第2主題、展開部....ときちんナンバリングされているので、それを注意しながら聴いていくと曲の構造が分かってとてもおもしろい。特にこのシューマンの第2番のような、渋い曲の場合、こういうのが助けとなって、案外曲が身近なものになったりもするのである。このところこの曲はWalkmanに入れたものを一日に数回は聴くくらい、自分では常連の作品になっているのだが、正直いって、第1楽章と第4楽章については、これらの楽章が何を語っているのか、さっぱりわからなかった。ところがこうして聴いてみると、けっこう頭に入る。要するににベートーベンだったのである。

 第1楽章はベートーベンの奇数番の第1楽章あたりと共通するような非常に精力的かつ壮麗な、ある種男性美を追究したような音楽で、第4楽章は文字通りベートーベン的な勝利の凱旋的な炸裂する音楽になっているのだが、第1楽章の場合、ブラームスの2番の冒頭と似たような牧歌的、田園的な序奏部が、第4楽章では主部が駆け抜けるように終わった後に第3楽章を回想するように静まり、ここから長大なコーダがくっついているあたりの、そもそも曲のポイントを解りずらくしてしまっているのである。とりあえず、そこまで分かってしまえば、この曲はベートーベンの第3番とか第7番あたりと、ほぼ近親関係にある作品だということが分かってくるという訳だ。もっとも、そういう枠に収まりきらずに、前述のような要素を取り入れてしまうところが、ロマン派のシューマンたる所以なのだろうが....。

 という訳で、このアルバムのインディックスのおかげて、シューマンの第2番もなにやら随分身近なものに感じられるようになった気がするが、肝心のインバルの指揮振りはというと、やや慎重でもっさりしているところが気にならなくない。この曲を仮にベートーベン流儀の交響曲と解釈する、ちとインバルの演奏はブラームス的、ロマン派特有の逡巡するようなところも全面に出し過ぎているように感じるのである....。まぁ、その線でいえば、ムーティとフィルハーモニアのコンビはまさにベートーベン的に演奏していて、なかなか小気味よいものがあるのだが。
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シューマン 交響曲全集/マリナー&アカデミー室内管弦楽団

2007年07月16日 16時20分02秒 | クラシック(一般)
 マリナーとアカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(ASMIF)によるシューマン交響曲全集。マリナーは古楽派というか音楽学者みたいなタイプの指揮者だったように思うけれど、70年代後半から80年代くらいはデッカで後期ロマン派やオペラに至るまでレパートリーを拡大して、人気指揮者のひとりだったように思う。ところが、ナイトの称号を得たり、シュトゥットガルト放送響の音楽監督になった80年代中盤あたりから、メジャー・レーベルではすっかり名前をみなくなってしまった。このアルバムは古巣のアカデミー室内管を振っての全集ではあるけれど(確かシュトゥットガルトともシューマンは録音していたようなDATのテープで売りだされたのを覚えている)、西ドイツのマイナー・レーベルの制作で、それをブリリアントがライセンス発売しているものだから、ことレコードという分野では既に一線から遠のいてしまっているのだろう。

 さて、このシューマン全集だけれど、先ほど1番から4番まで一気に聴いたところだ。マリナーといえば、前述の通り学究派からメジャー指揮者に転身した人みたいなイメージが私にはあったので、もう少しキレ味の鋭い、小気味良い演奏なのかとも予想していたのだけれど、全体としては、ハメを外さずほどよく抑制の効いた、オーソドックスで端正な演奏という感じであった。どちらといえば英国人らしさが出た印象といえようか。あと、各パートをくっきりと描写して、シューマン特有なモヤモヤしたオーケストレーションをかなりクリアで見通しよいものにしている点は、多分、マリナーらしさなのだろう、そうしたクリアさを生かして、どの曲も、緩徐楽章のクリーンな美しさ、スケルツォ楽章のシェイプしたリズムの躍動感などはなかなかのものなので、思わず聴き惚れてしまうところも随所にあるのだが、反面、どの曲も第1とか第4あたりの早い楽章が、ややテンポが遅いというかもっさりとした印象があって、曲の緩急という点ではいささか不満を感じさせるのが難点といえば難点かもしれない。

 という訳で、シューマンの交響曲を、ムーティがべートーベン、インバルがブラームス寄りに解釈していたとすると、このマリナーはそのアポロ的な平明さやなだらかな起伏といった点、さしずめシューベルトの線でシューマンを解釈しているといえるかもしれない。
 録音はけっこう優秀。オーケストラがやや遠くに位置し、ホールトーンをたっぷり入れた今時の録音だが、ディテールも非常にくっきりしているので、マルチマイク録音好きの私にもそれほど不満はない....どころか、大満足の音質である。
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AME STRONG SA / Combat des Sens

2007年07月16日 12時24分15秒 | ROCK-POP
1996年のフランス・ヴァージンからリリースされた作品。Ame Strongというグループ?詳細は当時からわからないのだけれど、ジャケ写真やクレジットを見る限りフランス出身の男女のデュオで、もちろん女性の方がボーカルで、男性の方はおそらく打ち込みとアレンジなどを手がけていると思われる。音楽的にはフランス産のジャージーなソウルといったといったところだが、こういう路線の大先輩にあたるアンテナ(懐かしい!)などと比べると、いかにも「ソウルIIソウル以降の音」という感じで、ぶっといシンセ・ベースとチープな打ち込みドラムからなるリズムをベースに、アナログ・シンセやエレピがイナタく鳴っているのが、90年代を感じさせる。これにアンニュイな仏語の女声ボーカルがけだるくのっかるという訳で、当時、好き者の間けっこう受けていたように記憶している。確か当時、このアルバムはタワー・レコードの一角で大々的にディスプレイされていて、私もそれを見つけて購入してきたように思う。

 という訳で、なにしろオシャレだし、そういう音楽にありがちなセンスが良さみたいなものもそこはかとなくあり、購入直後はけっこう聴いたような記憶があるのだけれど、どうもこれだという個性や曲がなく、2,3年で忘れてしまっていた。私は例のフランス的にオシャレ感覚だとかセンスというものに、どうも実体のない空虚さを感じてしまう人間なので(笑)、このアルバムのように「汎フランス的なセンスだけで音楽を料理している音楽」だと、そもそもそうしたセンスがあまり好きでない以上、畢竟、繰り返して聴く気にならなかったというところだと思う。
 もちろん、こういう音楽が例えばクラブみたいなところでアンビエントとして流している分には、良い効果を発揮するだろうし、現に今これを流していて、書きながら聴いている分にはとても心地良いんだけと、正直、聴き終わったあと、どの曲が良かったとか、あのサウンドがカッコ良かったとか、ほとんど印象に残らないんだよね。まっ、アンビエントとかテクノとか同じで、ある種、機能性に徹した音楽ということなんだろうけど....。
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DIMITRI TIOMKIN / Lost Horizon

2007年07月15日 23時27分52秒 | サウンドトラック
 ディミトリ・ティオムキンはいうまでもなく黄金時代のハリウッドの巨匠のひとりだが、個人的には「白昼の決闘」「アラモ」といった「名作西部劇の音楽を書いた人」というイメージがあるせいか、どうもこれまであまり縁がなかったのだが、さっき調べてみたら、もちろんのそうしたものだけではなくて、そもそも映画の中のバレー音楽を作ってデビューして、直後にキャプラ組んで名を上げている訳だし、有名な「ナバロンの要塞」、いわずもがなのヒッチコックとのコラポレーションと結構多彩なキャリアがある人ということが分かった。私がティオムキンを知ったのはもちろんヒッチコックのサントラ関連でだが、「疑惑の影」「見知らぬ乗客」「私は告白する」「ダイヤルMを廻せ!」といった作品の音楽は、「ややダークで重厚なサウンドだな」というくらいでほとんど印象の残らなかったのである。

 さて、このアルバムは私が持っている数少ないティオムキンのアルバムのひとつだ。収録曲は、23分にも及ぶ「失われた地平線」の組曲をメインに、「ナバロンの要塞」や「友情ある説得」など計5作品、全10曲となっている。今回久々に聴いて感じたことは、やはりこの人ロシアの人だな....という印象である。彼はそもそもリムスキー=コルサコフの孫弟子としてロシアに学び、ピアニストとしてはホロヴィッツと兄弟弟子となるなどかなりクラシックの方向では俊英だったようだから、その音楽にはリムスキー・コルサコフ的なまばゆいオーケストレーション、ボロディンのようなエキゾチックな民族風味、スクリャービン的な陶酔感、原始主義的な荒々しさなどなどが随所に感じられるのである。組曲として収録された「失はれた地平線」では、合唱団がフィーチャーされエキゾチックなダイナミズムを醸し出しているけれど、これが妙に「だったん人の踊りと合唱」風だったりするからおもしろい。
 まぁ、このいかにも重厚なサウンドに、いわば上物としていかにもアメリカ的で素朴で人懐っこい旋律だとかジャズ的センス、あとオペレッタ経由の甘美な雰囲気やコルンゴールド的な金管などなどが鏤められていて、こうした職人的な器用さと強力が音楽的自我が妙に共存しているところが、ティオムキンのハリウッド的センスなんだろうと思う。

 演奏はチャーネズ・ゲルハルトとナショナル・フィルで70年中盤の録音である。このコンビは当時、コルンゴールドを筆頭に黄金時代の作品群を次々にハイファイ録音して(余談だが、後年このコンビよる新作映画のスコア盤は大抵オリジナルより断然音がいいということで評判だった)、かなりのヒットを記録。結果的にジョン・ウィリアムスが「スター・ウォーズ」でもって、往年のハリウッド・サウンドを復活させる、その伏線として役割を果たしたことでも有名だが、このアルバムもそのコンビニよる一連のシリーズの一枚という訳である。
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DEEP PURPLE/Concerto for Group & Orchestra

2007年07月14日 15時01分15秒 | ROCK-POP
 ディープ・パープルこのところ、黄金時代の諸作に続いて、最初期のアルバム群もボーナストラック満載の構成でリマスターしているが、これもその一枚。このアルバムの評価が地獄のように低い日本ではそうでもないだろうが、音楽的陣容としてはディープ・パープル史上で初期から中期にかけての橋渡しのような作品、かつまたロイヤル・アルバート・ホールにおけるオーケストラとロックバンドの共演というエポック・メイキングなコンサートの実況録音盤であり、本来であれば記録面そして音楽面から極めて貴重なものとなるはずであった。ところが、これは従来のアナログ盤やCDも含めていえることなのだが、大編成+ライブという悪条件を考慮した上でも、聴こえてくるのはあまりひどい音質の演奏であったから、これはまさに待望のアイテムであった。

 構成はバンドだけパフォーマンスで、「ハッシュ」「リング・ザット・ネック」「チャイルド・イン・タイム」を収めた第1部、そしてロイヤル・フィルとの競演による「グループとオーケストラのための協奏曲」及びアンコールが収録された第2部がそれぞれのディスクに分けられた2枚組となっている。オリジナル盤は第2部のみを収録したものだったが、CDになってからは「リング・ザット・ネック」と「チャイルド・イン・タイム」がボーナストラックとして収録され、今回は「ハッシュ」とアンコール(「協奏曲第3楽章の後半」)を加え、いよいよあの伝説的コンサートが全容が明らかになったというところだろう。なにしろメンバーのリニューアルにより、

 さて、気になる音質であるが、どうやらこれはリマスターではなく、マルチマスターからのリミックスを施したらしく、目を見張るような音質向上が図られている。まずなんといっても驚くのはオーケストラのバランス。オリジナルはロック・バンドの後方にモノラルのオケがべったりとくっついてもやもやと鳴っていたという感じだったが、今回はそのあたりが一新し、左側にヴァイオリン群、右側にヴィオラとチェロというオーソドックスなオケの配置が明瞭に聴き取れ、なおかつホールの残響もふんだんに取り入れた立体的なものに変貌しているのである(残響についてはデジタル・リバーブで付加された可能性が高い)。もちろん、近年敢行された再録音に比べればレンジはナロウだし、鮮度という点でももどかしいが、それでも旧盤に比べれば雲泥の差である。ついでにいえば肝心のバンド側の演奏も非常にソリッドで腰の強い低重心の音質に様変わりしており、立体的なオケの音響とあいまって、全体としては従来の腰高の音調にものからきわめて安定度の高いものに変わっているといえよう。

 従来私はオリジナルの演奏について、まともに聴くには音質とオケの演奏に不備が多すぎて問題があるという立場をとってきたのだが、こうしたリニューアルした音質で聴くとオリジナルの演奏もなかなかどうして素晴らしい。音質がリニューアルしたからといって金管のとちりやアンサンブルの乱れがなくなるワケではないが、響きが充実しただけでも全体の印象というか聴き映えが違うは意外な程だ。付け加えれば、1970年、バンド自体がリニューアルし、心機一転バンド内のパワーが沸騰しそうなくらいに、盛り上がっていた時期のパフォーマンスなだけに、バンド自体のテンションの最高潮である。第1楽章のバンド演奏による主題の再提示の部分など、おそらく彼らの残した最高のパフォーマンスのひとつなのではあるまいか。

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2003年に書いたものですが、何故か書きかけのまま放置してありました。ちょっと前にこのアルバム(99年のLSOとの共演盤も一緒に)をWalkmanに入れて、出張先に赴く電車の中とかで、けっこう聴きまくっていたので、書きかけの部分を補完してのっけてみました。
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シューマン 交響曲第1番「春」/インバル&フランクフルト放送響

2007年07月13日 00時11分04秒 | クラシック(一般)
 ムーティのシューマン交響曲全集と一緒に購入してきたもの。デンオンでのインバルはマーラーを手始めに、ベルリオーズ、ラベル、ブラームス、あとショスタコーヴィチなどをシリーズ化して固め打ちのように録音していたけれど、これもそうしたシリーズひとつだったと思う。この全集はシューマンの交響曲をディスクに1曲づつ収め、各ディスクのフィルアップに、なんと新ウィーン楽派のオーケストラ曲が入っているというのが凄い。なんだかセンスがいいんだか、悪いんだか、よくわからない構成である。なんでもブラームスもこの構成でやっているようだから、きっと新ウィーン楽曲を完全にロマン派のフレームの中に収めてしまうという試みが包含されているのかもしれない。まぁ、それもひとつの見識ではある(デンオンというレーベルでは新ウィーンという企画がokにならなかった故の措置かもしれないが)。

 インバルという人は演奏は、オーソドックスでスタイリッシュなところと、バーンスタインの弟子筋だからなのか、表情にけっこう濃淡をくっきりつけたり、テンポをかなり揺らしていたりする主情的なところが、妙な具合に入り交じっているようなものが多いと思うのだけれど、このシューマンもまさにそういう演奏である。全体としては、マーラーやブルックナーと同様、正確なリズムに裏打ちされた、クリーンで清潔なフレージング、精度が高くクリアな響きがするオーケストラ・サウンド、ドラマチックな場面でもあまり粘らずさらりと流すように演奏する軽快さ...,といった今時な演奏をではあるのだが、、例えば第1楽章の再現部後半などにみられるように、加速と減速の対照がかなりくっきりさせ、演奏の振幅を大きくといったりするような部分も随所に顔を出すのである。この人が指揮した演奏の評価をみると、どうってことないとか、なにがいいのかさっぱりわからないみたいなものがある一方、情熱的だとかホットだとかいうものも多いのだが、おそらくこうした演奏だからなのだろうと思う。つまり聴き方によって、レヴァインのようなスタイリッシュな印象を受けたり、ねちっこいバレンポイムのように聴こえたりする演奏なのだ。

 録音はデンオン・レーベルだから、ワンポイント的なホールトーンをたっぶり取り入れつつ、ディテールの緻密さもおろそかにせず、しかも全体としてはあっさりとした仕上がりになっている。ただし、有名なマーラーの録音などに比べると、もう少し音象が近く、押しやコシがあるように感じた。ある意味でテルデックでのブルックナーに近い感触もある音質だなように感じもした。
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サマー・ナーブス/坂本龍一&カクトウギセッション

2007年07月12日 22時58分21秒 | JAZZ-Fusion
 坂本龍一の音楽は時にワールド・ミュージックにかなりクロスするせいか、個人的には「夏向きの音楽」が多いと思う....というか、ポピュラー・フィールドでの作品の大半はそのままサマー・ミュージックになってしまう音楽だと思う。代表的なところでは「未来派野郎」「ハートビート」「スウィート・リヴェンジ」などがそうだ。この「サマー・ナーブス」もそういう作品のひとつである。もっともこの作品の場合、ジャケの柄にもないポップさ、通俗味からして、どうもソニーがお膳立てした、当時流行のポップ・フュージョンの企画物っぽい作品という色彩も濃厚だから、全面的に坂本の意向が反映したアルバムというより、歌謡曲のアレンジみたい「お仕事」だったのかもしれないという可能性はあるのだが(当時、松任谷、井上、細野といった面々がこういうアルバム沢山だしていた)。

 さて、ちなみにこのアルバムだが、個人的に全体を通して聴くということはほとんどなくて、もっぱら夏に聴くのは最後の2曲「スウィート・イリュージョン」「ニューロニアン・ネットワーク」だけである。まず前者だが、このアルバムを代表するフュージョン・ナンバーである。というか、このアルバムでフュージョン作品といったら、実はこの曲くらいしかなく、後はレゲエだったり、ファンクだったりする訳で、その分、この曲はゲストに渡辺香津美を呼んで、ホットでスムース、清涼感とゴリゴリした感覚がごっちゃになったまさにKylyn的なフュージョンなっていてアルバムでも最大の聴き物だと思う。後者はトロピカルなアンビエントといいたいような作品で、個人的にはアルバムで一番好きな曲となっている。シーケンサーと高橋が刻む単調なリズムにのって、脱色したリチャード・ティーみたいなエレピとスペイシーなサウンドが快適だし、全般にかなりYMOに近づきもするが、ぎりぎりでフュージョンの枠に留まっているあたりのバランスも悪くない。また、終盤近くでリズム・チェンジするあたりはこの曲ハイライトともいえる心地よさがある。
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BlogOut @千葉県中

2007年07月11日 21時38分37秒 | others
 相変わらず千葉県内のあちこちを飛び回っている。梅雨時なのが幸いしてか、灼熱地獄のような炎天下を汗を拭き拭きトボトボあるくような苦行にならないのはまだマシだが、それにしても毎日、それも一日に二カ所、三カ所しかも、ポイントごとにエリアが離れていたりするとけっこうしんどい。仕事は「講演みたいなもの」ということにしておくが、私は人前でしゃべるのが好きな方なので、こういうのは割と苦にならない方だと思っていたものの、さすが一ヶ月近く、ほぼ連日となると、話は違ってくる。
 ちなみに7月になって訪れたエリアは、思い出せるだけでも、印西市、鴨川市、東金市、市原、酒々井町、白井市、市川市、山武市、佐倉市、習志野市、千葉市などだ。私は千葉県生まれの千葉県育ちだが、さすがに北総鉄道だの、京成電鉄、あと東葉高速とかが交錯するエリアで、電車を乗り継いでいくと、そのうち今自分は千葉県のどの方向に向かっているか、わからなくなったりして、ヘラヘラ笑ってしまうことがある。
 ともあれ、この連続行脚もあと二週間だ、がんばろう。ちなみに写真は成東駅の階段でみかけたもので、ゼロ番線というのがちょっと珍しいかもしれないので撮ってみたものだ。いや、ゼロ番線自体は、日本でそれほど珍しくない存在なんだろけど、「へぇ、千葉県にもあるものなのねぇ」と妙に感心してしまったったもんでケータイでバシャリとやった次第。
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シューマン 交響曲第2番/ムーティ&ニュー・フィルハーモニアO

2007年07月10日 21時23分56秒 | クラシック(一般)
 昨日取り上げたムーティ&フィルハーモニアによるシューマンの交響曲全集から、こちらは第2番の演奏で、1番より一年早い77年の録音である。調べてみると、ムーティはフィルハーモニアの首席にクレンペラーの死後すぐ、つまり73年に就任して、79年には音楽監督にまでなっているから、このシューマン全集など両者の関係が最も良かった頃だったと思われる。昨日も書いたけれど、まさに昇り調子にある者特有の天馬空を行くような勢いやフレッシュさは、単にムーティが若かったせいばかりではなく、このコンビ自体の蜜月時代ということもあったのだろう。ともあれ、この演奏も昨日の第1番同様、シューマンの交響曲をベートーベン的な推進力や覇気でもって解釈したもので、多分、人によってはここまで直線的に演奏してしまっては、シューマン的なロマン、あるいはダークさのようなものが雲散霧消....みたいに思うこともあると思うが、個人的な印象としてはなかなかのものだと思う。

 第1楽章は途中度々登場する第二主題の清涼感が個人的には好きな部分なのだが、こういう部分ではムーティの歌いぶりはなかなかエレガントでけっこう聴き惚れるものがある。ちなみに展開部でのドラマチックさはまさにベートーベンの流儀て押しきっているという感じだが、ある種の爽快感があって、あまり的はずれな感じがないのはさすがだ。第2楽章はメンデルゾーン的な軽快さの表現もぬかりはないし、第3楽章のいくらか暗い叙情はバロック的な厳かさを全面に出しているという感じだ。また、第4楽章もベートーベン的なところを全面に出して、かなり豪快、荒れ場では十分に荒れ、壮麗にしめくくっている。
 あと、付け加えるとこのアルバムは録音がけっこういい。アナログ末期の録音で、全体にやや線は細いところはあるものの、EMI特有のナチュラルなレンジ感や精細なホールトーンなど、実にゆったりとした音調が心地よいものとなっていて、「えっ、フィルハーモニアってこんなに美音のオケだったけか」と思ってしまう(シノーポリのマーラーだとあんなにザラついたサウンドなのに....)。
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シューマン 交響曲第1番「春」/ムーティ&ニュー・フィルハーモニアO

2007年07月09日 22時21分24秒 | クラシック(一般)
 本日、出張帰りにショップで購入してきたアルバムである。私がムーティのアルバムで最初に聴いたのは、確かフィラデルフィアとの「ローマ三部作」だったと思うけど、このアルバムは更に遡って、彼がデビューしたての頃、つまり70年代終盤の頃に作った全集である。このアルバムが当時どういう評価を得ていたのか、私は全く覚えていないけれど、おそらくフィラデルフィアの常任就任への伏線としての、昇り調子だったフィルハーモニア時代ということもあり、きっと高い評価を得ていたに違いない。デビュー直後のムーティは、その直線的でフレッシュな勢いと豊麗な歌い回しでもって、トスカニーニの再来みたいな評価を得ていたはずだけれど、このアルバムもまさにそういう演奏になっている。もっとも、未だ1番を聴いただけだが....。

 という訳で、この1番はとてもフレッシュな演奏である。テンポは全体に早く、若さ故の勢いのようなものが全編にみなぎっているという印象である。第1楽章の序奏部もぐすぐすせず第1主題に向けて一気に走り抜けるという感じだし、主題が登場してからも一瀉千里とばかりに進んでいく。前回も書いたとおり、シューマンの交響曲はある意味渋く、響きがモヤモヤしているので、こんな風にいささか強引にベートーベン寄りな直線的流れを演出してしまうは、音楽的に正解かどうかという点ではいろいろな意見はあるだろうけれど、ひとつのやり方ではあると思う。ともあれ、その若武者然として颯爽としている演奏は、いかにもこの時期のムーティらしいところだと思う。第2楽章はややその直線性が裏目に出て、この楽章のコクというかロマン性のようなものがちと後退しているように思わないでもないが、旋律は十分に歌っているし、弦を主体としたサウンドの美しさもあり、とりあえず不満はない。

 第3楽章は遅目のテンポでかなりじっくりと演奏している。いや、本当はそれほど遅くはないのかもしれないが、かなり入念にスケルツォを歌い込んでいるため、そう聴こえるのかもしれない。一方トリオはかなりくっきりとスケルツォとは対照させていて、全体にかなりメリハリがある演奏になっていると思う。最終楽章は前回のラハバリとBRTフィルの演奏ではブラームス的なものを感じたが、ムーティーの演奏ではやはりベートーベン的な覇気を感じさせる。また、金管などもかなりテンションが高く、盛大に鳴り響いており、時にブルックナーあたりを思わせるものすら感じさせたりもする。要するにシューマンの交響曲というのは、そういう風にも解釈しうるヴァーサタイルさがあるというか、いろいろな意味で過渡期の作品だったんだろうと思ったりもした....。

....などと、こんな風に演奏を聴き比べをしていくと、やがて次から次へ演奏を買い込んではめになる。事実、これと一緒にインバルの全集も買い込んできたし、ネットでいくつかの演奏も既に注文済だ。これって危険信号か、まぁ、シューマンの交響曲を今度こそ好きになれそうだから、良しとするか(笑)。
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潘越雲(パン・ユエユン)/情字這條路

2007年07月09日 00時52分28秒 | 台湾のあれこれ
 パン・ユエユンは台湾ポップスのパイオニアです。私は台湾ポップスの情報を体系的にもっている人ではないので、ひっょとすると間違いがあるかもしれませんが、パン・ユエユン、特にこの作品はその後台湾のミュージックに面々とつながる、ウェストコーストAOR、日本のニューミュージックあたりのモダさシンクロした、大陸的な大らかさを感じさせるサウンド、情緒連綿たる旋律、既視感を誘うような懐かしいムードなどなどをミックスした、いわゆる台湾ポップスの走りということになるようです。また、このアルバムはそれまでの暗黙了解だった演歌は台湾語、ポップス系は北京語というパターンを破って、台湾語で歌ったポップスということでも、台湾の音楽シーンではマイルストーンであったようです。まぁ、今聴くとまだまだ十分に演歌の残滓を感じさせる音楽ではありますが、おそらく88年当時としては、かなり斬新なものであったんでしょう。

 さて、このアルバム、とにかくパン・ユエユンの深いヴァィブレーションを感じさせる歌声に魅了されます。彼女の声は音域はクラシックでいったらアルト系で、女性としてはやや低目のものですが、角張ってはいないものの、芯の強さを感じさせ、情念的でも叫ぶ訳ではないが十分に情感を感じさせるという、とてもシックで気品のあるものです。曲はどれも懐かしさを誘うよい、人なつっこい心の琴線に触れてくるようなもので、どれも秀逸という他はありません。プロデュースはその後ロック・レーベルで数々のスターをバック・アップすることになるジョナサン・リーで、彼の初期のお仕事としても貴重な記録でしょう。後半はかなり日本のニューミュージック的なアレンジに接近した音楽になるのは彼のセンスなんでしょうね。好きな曲は、なんといっても、外国人が喜びそうな中華風味をモダンかつエキゾチックに展開した5曲目、聴いていて陶酔しちゃいます。まぁ、このアルバムはどの曲もなかなかですが。
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WARREN BERNHARDT / Heat of the Moment

2007年07月08日 22時47分02秒 | JAZZ-Piano Trio
 ウォーレン・バーンハートはフュージョンとオーソドックス4ビートの二股をかけるピアニストだ。最近はあまり聞かないが、確か80年代にニューヨーク系のフュージョン・シーンではトップに君臨するキーボード奏者のひとりとして、けっこうな作品に顔をだしていて、その後、90年代になるとビル・エヴァンス系のピアニストとして、オーソドックスなピアノ・トリオ作品を出しはじめるようになっていったように思う。確か93年のスティーリー・ダンの日本公演ではキーボードを弾いていたはずだ。このアルバムは89年にアメリカのハイファイ・レーベルDMPから発表されたピアノ・トリオ作品で(DMPでは3作目になるらしい)、夏が来ると良く聴きたくなる作品だ。何故に夏になると聴きたくなるかといえば、別段このアルバムが全面的にボサノバをやっている訳でも、サマー・フュージョンのピアノ・トリオ版的な音楽をやっているからでもなく、アルバムの2曲目「Bodas de Sangue」が何故かとても夏向きの作品で、個人的に大好きな曲だからである。

 先ほどこのアルバムについて、ピアノ・トリオ作品と書いたけれど、この「Bodas de Sangue」は実はピアノ・トリオではなく、ギターとパーカスを加えた5人編成で収録されている。曲はさざ波のようなモチーフをピアノとアコギのユニゾンで奏で、それを繰り返しつつ、しっとりした情感を漂わせたスローなサンバに発展していくというものだ。トロピカルな中に妙に静謐で厳かなムードを湛えたテーマは素晴らしいし、ギター~ピアノと進むソロのスウィング感も気持ち良く、なにやら、賑わっていた夏の海岸が夕暮れを向かえて人がまばらになっていくような夏の定番ともいえる光景を思い出させるのもいい。個人的には至福の7分間ともいえる曲なのである。
 ちなみにこのアルバム、この曲の他にもギターとパーカスを加えた夏向きな「Pali Lookout 」という曲が入っているのだけれど、こちらも悪くはないものの、ちょっとギターのデミーコの色が強すぎでまるでドルフィンズみたい音楽になってしまっていて、まぁ、それなり、とても「Bodas de Sangue」のようなぐっと引きつけるようなものはないのが残念である。

 あと、ピアノ・トリオによる作品は、基本的には極めてオーソドックスな4ビート・スタイルだが、フュージョン出身なだけあって、全編に渡ってスポーティーな感覚があり、良い意味で現代性を感じさせて、とても聴きやすく、しかも勘所をおさえた充実した演奏となっている。1曲目の「Love Walked In」や9曲目「Ni en Broma?」などなど快調そのものだし、アースキンのドラム相変わらず良い。ただし、良く言われるようにこの音楽がビル・エヴァンス的かといわれると、ビル・エヴァンスの曲なども沢山やっているものの、個人的にはどうも違う気がする。ビル・エヴァンス的というには耽美より、スポーティーな明るさというものが、この人の場合強すぎるような気がするからだ。ともあれ、このアルバムを通して聴くのは実に久しぶりだが、2曲目はもちろん、意外にもアルバム全体を楽しくきけたので、Walkmanにでもいれてみようかと思っているところである。
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FFXI < バスミッションRank10達成、メリポ@白&赤魔道士 352exp>

2007年07月08日 02時04分40秒 | GAME
 前回、バストゥーク・ミッションが久々にひとつ上がってランク7になったことを書きましたが、その面々で毎週土曜にミッションを継続、毎回、ひとつつづランク・アップして先ほどようやく....というか、あっけなくランク10に到達しました。これまでパーティーを組むとランク10がずらりと揃っていたりすると、妙に肩身が狭い思いをしたり、自分がそこに行くのは遙か彼方だよなぁと思っていましたが、ミッションの戦闘そのものはLv70位を上限に想定してあるものらしく、Lv75が揃って力でごり押しすれば、けっこう簡単に勝ててしまうものなので、プロマシアの時のような何度やっても勝てず、プレッシャーで胃が痛くなるようなこともなく、楽しくできました。

 あと、やったことといえば、06/24にこれまでとりそこねていた最後のふたつのジョブである青魔道士とからくり士をとり、それをLv8、Lv11まで上げたくらいかな。メリポはここ一ヶ月くらいだと白と赤で3,4回ずつ参加して22ポイント獲得(そういえば6/30の午前中に参加したパーティーは、自己最高の250チェーン、終わってみたら7ポイントも稼いでしまっていたという、凄いものでした)、メリポ・カンストまであと1,2ポイントという状況です。
 ついでに書くと、私はジラート・ミッションを全く進めていないので、今度は自分が主催者となり、来週から空に行けるくらいまで進めようと思ってます。現在メンバーは5人ですが、これらお手伝いさんが何人か来てくれれば、戦力的にはほとんど楽勝なのではないと楽観しています(迷子キングの私がリーダするのが不安ではありますが-笑)。はて、どうなることやら。


06/23 Rank07_完成品のイメージ & それぞれの行方
06/30 Rank08_流砂の鎖 & その記憶を紡ぐ者
07/07 Rank09_最後の幻想 & 双刃の邂逅
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