ディミトリ・ティオムキンはいうまでもなく黄金時代のハリウッドの巨匠のひとりだが、個人的には「白昼の決闘」「アラモ」といった「名作西部劇の音楽を書いた人」というイメージがあるせいか、どうもこれまであまり縁がなかったのだが、さっき調べてみたら、もちろんのそうしたものだけではなくて、そもそも映画の中のバレー音楽を作ってデビューして、直後にキャプラ組んで名を上げている訳だし、有名な「ナバロンの要塞」、いわずもがなのヒッチコックとのコラポレーションと結構多彩なキャリアがある人ということが分かった。私がティオムキンを知ったのはもちろんヒッチコックのサントラ関連でだが、「疑惑の影」「見知らぬ乗客」「私は告白する」「ダイヤルMを廻せ!」といった作品の音楽は、「ややダークで重厚なサウンドだな」というくらいでほとんど印象の残らなかったのである。
さて、このアルバムは私が持っている数少ないティオムキンのアルバムのひとつだ。収録曲は、23分にも及ぶ「失われた地平線」の組曲をメインに、「ナバロンの要塞」や「友情ある説得」など計5作品、全10曲となっている。今回久々に聴いて感じたことは、やはりこの人ロシアの人だな....という印象である。彼はそもそもリムスキー=コルサコフの孫弟子としてロシアに学び、ピアニストとしてはホロヴィッツと兄弟弟子となるなどかなりクラシックの方向では俊英だったようだから、その音楽にはリムスキー・コルサコフ的なまばゆいオーケストレーション、ボロディンのようなエキゾチックな民族風味、スクリャービン的な陶酔感、原始主義的な荒々しさなどなどが随所に感じられるのである。組曲として収録された「失はれた地平線」では、合唱団がフィーチャーされエキゾチックなダイナミズムを醸し出しているけれど、これが妙に「だったん人の踊りと合唱」風だったりするからおもしろい。
まぁ、このいかにも重厚なサウンドに、いわば上物としていかにもアメリカ的で素朴で人懐っこい旋律だとかジャズ的センス、あとオペレッタ経由の甘美な雰囲気やコルンゴールド的な金管などなどが鏤められていて、こうした職人的な器用さと強力が音楽的自我が妙に共存しているところが、ティオムキンのハリウッド的センスなんだろうと思う。
演奏はチャーネズ・ゲルハルトとナショナル・フィルで70年中盤の録音である。このコンビは当時、コルンゴールドを筆頭に黄金時代の作品群を次々にハイファイ録音して(余談だが、後年このコンビよる新作映画のスコア盤は大抵オリジナルより断然音がいいということで評判だった)、かなりのヒットを記録。結果的にジョン・ウィリアムスが「スター・ウォーズ」でもって、往年のハリウッド・サウンドを復活させる、その伏線として役割を果たしたことでも有名だが、このアルバムもそのコンビニよる一連のシリーズの一枚という訳である。
さて、このアルバムは私が持っている数少ないティオムキンのアルバムのひとつだ。収録曲は、23分にも及ぶ「失われた地平線」の組曲をメインに、「ナバロンの要塞」や「友情ある説得」など計5作品、全10曲となっている。今回久々に聴いて感じたことは、やはりこの人ロシアの人だな....という印象である。彼はそもそもリムスキー=コルサコフの孫弟子としてロシアに学び、ピアニストとしてはホロヴィッツと兄弟弟子となるなどかなりクラシックの方向では俊英だったようだから、その音楽にはリムスキー・コルサコフ的なまばゆいオーケストレーション、ボロディンのようなエキゾチックな民族風味、スクリャービン的な陶酔感、原始主義的な荒々しさなどなどが随所に感じられるのである。組曲として収録された「失はれた地平線」では、合唱団がフィーチャーされエキゾチックなダイナミズムを醸し出しているけれど、これが妙に「だったん人の踊りと合唱」風だったりするからおもしろい。
まぁ、このいかにも重厚なサウンドに、いわば上物としていかにもアメリカ的で素朴で人懐っこい旋律だとかジャズ的センス、あとオペレッタ経由の甘美な雰囲気やコルンゴールド的な金管などなどが鏤められていて、こうした職人的な器用さと強力が音楽的自我が妙に共存しているところが、ティオムキンのハリウッド的センスなんだろうと思う。
演奏はチャーネズ・ゲルハルトとナショナル・フィルで70年中盤の録音である。このコンビは当時、コルンゴールドを筆頭に黄金時代の作品群を次々にハイファイ録音して(余談だが、後年このコンビよる新作映画のスコア盤は大抵オリジナルより断然音がいいということで評判だった)、かなりのヒットを記録。結果的にジョン・ウィリアムスが「スター・ウォーズ」でもって、往年のハリウッド・サウンドを復活させる、その伏線として役割を果たしたことでも有名だが、このアルバムもそのコンビニよる一連のシリーズの一枚という訳である。