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シューマン 交響曲第4番/インバル&フランクフルト放送響

2007年07月28日 22時32分05秒 | クラシック(一般)
 シューマンの第4番は、彼の交響曲の中では昔からけっこう好きだった曲である。全編に渡って暗い叙情に横溢していて、なにやら「悲劇的」と名付けたいようなムードは私の好みだったという点もさることながら、全4楽章連続して演奏され、各楽章(相当するパート?)間の主題的な関連も密接であることから、その後、リストを筆頭に様々な形で展開されることになる、多楽章の要素を一楽章に間に統合化する試みの、いわば草分けということで、歴史的な興味もあったのである。もっとも、その統合化ぶりは、例えばリストのピアノ協奏曲のような明快さ、統一感はなくて、ここでは単に交響曲の4つの楽章をメドレーして繋げてみました....みたいなところがなくもなく、せいぜいベートーベンの「運命」の後半くらいのレベルではあるから、「けっこう好きだった」とはいっても、ブラームスのように慣れ親しんだという感じではないのだが....。

 さて、この第4番も現在いろいろな演奏を聴いている最中だが、今夜はインバルとフランクフルトのディスクの封を切ってみた。これまで聴いた演奏だと、マリナーが整然とした均整美、ムーティーがストレートな推進力、バーンスタインのエキセントリックなほどに巨大な振幅といったところに特徴があったとすると、インバルは前述の3種の中では一番バーンスタインに近いような気がした。やや粘着質なリズムと表情、主情的にテンポを揺らしてハイライトを力業で演出するあたりは、-前回も書いたが-さすがにバーンスタインの弟子筋という気がする。もっとも、インバルとフランクフルトの演奏は、バーンスタインとウィーンのそれに比べると、「今時なクリーンでなめらかな演奏を追求」している側面もあり(デンオンの絹ごし調の音質というのもあるのかもしれないが....)、そのあたりのバランスがどうもこのコンビの演奏に、いまひとつ煮えくらないような印象を与えてる所以かもしれない。なりふりかまわずいくのか、それとも小綺麗にいくのか、どっちつかずとでもいったらいいか。まぁ、こういう行き方は同時に収録された、新ウィーン楽派の演奏なんかだと、その粘着質なところが、けっこうマッチしているように思えたりもしたのだが。
コメント
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