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シューマン 交響曲第2番/インバル&フランクフルト放送響

2007年07月17日 23時45分10秒 | クラシック(一般)
 インバルの一連のシューマンには、楽章内の各部に細かくインディックスが打ってある。CDのインディックスという機能は、最近ではほとんど顧みられることのないものになって、ほとんど使われることもないのだが、ここでは第1主題、第2主題、展開部....ときちんナンバリングされているので、それを注意しながら聴いていくと曲の構造が分かってとてもおもしろい。特にこのシューマンの第2番のような、渋い曲の場合、こういうのが助けとなって、案外曲が身近なものになったりもするのである。このところこの曲はWalkmanに入れたものを一日に数回は聴くくらい、自分では常連の作品になっているのだが、正直いって、第1楽章と第4楽章については、これらの楽章が何を語っているのか、さっぱりわからなかった。ところがこうして聴いてみると、けっこう頭に入る。要するににベートーベンだったのである。

 第1楽章はベートーベンの奇数番の第1楽章あたりと共通するような非常に精力的かつ壮麗な、ある種男性美を追究したような音楽で、第4楽章は文字通りベートーベン的な勝利の凱旋的な炸裂する音楽になっているのだが、第1楽章の場合、ブラームスの2番の冒頭と似たような牧歌的、田園的な序奏部が、第4楽章では主部が駆け抜けるように終わった後に第3楽章を回想するように静まり、ここから長大なコーダがくっついているあたりの、そもそも曲のポイントを解りずらくしてしまっているのである。とりあえず、そこまで分かってしまえば、この曲はベートーベンの第3番とか第7番あたりと、ほぼ近親関係にある作品だということが分かってくるという訳だ。もっとも、そういう枠に収まりきらずに、前述のような要素を取り入れてしまうところが、ロマン派のシューマンたる所以なのだろうが....。

 という訳で、このアルバムのインディックスのおかげて、シューマンの第2番もなにやら随分身近なものに感じられるようになった気がするが、肝心のインバルの指揮振りはというと、やや慎重でもっさりしているところが気にならなくない。この曲を仮にベートーベン流儀の交響曲と解釈する、ちとインバルの演奏はブラームス的、ロマン派特有の逡巡するようなところも全面に出し過ぎているように感じるのである....。まぁ、その線でいえば、ムーティとフィルハーモニアのコンビはまさにベートーベン的に演奏していて、なかなか小気味よいものがあるのだが。

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