そういえば今日で学生さんたち1学期も終了だ。先ほど赴いた八街でも終業式を終えたとおぼしき男女が開放感に溢れた表情?で、通りを闊歩していたけれど、千葉にとんぼがえりして、お昼近くパルコの前あたりを歩いていた時、ふと自分が高校3年生の時の1学期末のことをふと思い出した。私が高校生だった頃は、終業式は7月24日と決まっていたから、厳密にいえばもう2,3日後になるのかもしれない。それはたまたま終業式が土曜日で(今調べてみたら7月23日だった)、私と友達数人で、終業式が終わった後、わざわざ電車にのって千葉のパルコまできたのだった。なぜかというと、パルコに渋谷陽一氏が来るからなのである、当時、NHK-FMのロック系の番組で絶大な人気があった音楽評論だったから、その渋谷陽一氏の生DJを見に来たという訳だったのだ。
今となっては、彼がどんな何を話して、またなんの曲をかけたのか、もはやほとんどが忘却の彼方ではあるけれど、確かフリートウッド・マックの当時出たばかりの新作「噂」から「ドリームス」をかけたような気がする。その頃の私はイギリスの暗くて重厚なロックばかりをマニアックに聴いている暗い学生だった訳だけれど、とういう風の吹き回しか、その頃フリートウッド・マックに突如入れ込み始めた時期に当たっていて、会場で聴けた「ドリームス」はなんだかとてもさわやかで新鮮に聴こえたような記憶だけが残っているのだ。当時、どうして私の好みが突如フリートウッド・マックに急旋回したのか、よくわからないのだけれど、理屈っぽく考えると、パンクとかニュー・ウェイブあたりが勃興して、私が好きだって往年の大グループたちの音楽が急速に色褪せ始めた時期だったからということもあるだろうし、当時はソフト&メロウとか呼ばれてブームになっていたこの種の口当たりが良い音楽に敏感に反応したということなのかもしれない。あっ、あと単純にスティービー・ニックスが素敵だったということあるな(笑)。
ともあれ、その夏は「噂」、そして後追いで購入した「ファンタスティック・マック」を私は聴きまくったのだった。当時のフリードウッド・マックはご存じの通り3人のフロントを擁した最強のメンツだったし、音楽的にもまさに最盛期といえる時期で、この「噂」など確か3000万枚とか売れたような気がする。前述のとおり音楽は非エレクトリック系ともいえるシンプルなサウンドをベースしているサウンドw@、こんな当たり前な音がどうして新鮮なのか?と不思議に思えるとほど新鮮で、私は一夏通して「目から鱗」の状態が続いたのであった(「ユー・メイク・ミー・ラヴィング・ファン」のカッコ良さ、「ソング・バード」のメロディックさ、なんて好きだったな)。いや、おそらく当時は世界中にそういう人がいたのではないたろうか?。30年前の夏のことである。
今となっては、彼がどんな何を話して、またなんの曲をかけたのか、もはやほとんどが忘却の彼方ではあるけれど、確かフリートウッド・マックの当時出たばかりの新作「噂」から「ドリームス」をかけたような気がする。その頃の私はイギリスの暗くて重厚なロックばかりをマニアックに聴いている暗い学生だった訳だけれど、とういう風の吹き回しか、その頃フリートウッド・マックに突如入れ込み始めた時期に当たっていて、会場で聴けた「ドリームス」はなんだかとてもさわやかで新鮮に聴こえたような記憶だけが残っているのだ。当時、どうして私の好みが突如フリートウッド・マックに急旋回したのか、よくわからないのだけれど、理屈っぽく考えると、パンクとかニュー・ウェイブあたりが勃興して、私が好きだって往年の大グループたちの音楽が急速に色褪せ始めた時期だったからということもあるだろうし、当時はソフト&メロウとか呼ばれてブームになっていたこの種の口当たりが良い音楽に敏感に反応したということなのかもしれない。あっ、あと単純にスティービー・ニックスが素敵だったということあるな(笑)。
ともあれ、その夏は「噂」、そして後追いで購入した「ファンタスティック・マック」を私は聴きまくったのだった。当時のフリードウッド・マックはご存じの通り3人のフロントを擁した最強のメンツだったし、音楽的にもまさに最盛期といえる時期で、この「噂」など確か3000万枚とか売れたような気がする。前述のとおり音楽は非エレクトリック系ともいえるシンプルなサウンドをベースしているサウンドw@、こんな当たり前な音がどうして新鮮なのか?と不思議に思えるとほど新鮮で、私は一夏通して「目から鱗」の状態が続いたのであった(「ユー・メイク・ミー・ラヴィング・ファン」のカッコ良さ、「ソング・バード」のメロディックさ、なんて好きだったな)。いや、おそらく当時は世界中にそういう人がいたのではないたろうか?。30年前の夏のことである。