シューマンの交響曲は、20代の中盤頃歴代のクラシックをクロノジカルに聴いていくプロセスで、とてもよく聴いた。演奏はフィリップスのグロリア・シリーズで、確かコンヴィチュニーがライプツィッヒ・ゲヴァントハウスを振った60年代前半のものだったように思う。シューマンの交響曲はたった4曲しかないが、ベートーベンのような勇壮さ、シューベルトの歌謡性、メンデルゾーンの人懐っこい軽さのような、決め手となるような個性が私には感じられず、どれもやたらと渋い作品という印象を受けた。だからという訳でもないだろうが、その分、なんとかこれらの曲を物にしてやろうと、ムキになって反復して聴いたというところもきっとあった思う。だが、今になって思えば、これらの曲は何度聴いても、物にすることができなかったように思う。
いや、私はこれらの曲を好みではないとか、つまらない曲だと思ったことはなく、「もう少し、あとちょっと聴けば、この曲は好きになれる」と思いつつ、結局、物にできなかったという感じなのである。CD時代に入っても、シューマンの交響曲はなかなか購入することがなかったのは、結局、こうした「物にできなかった」記憶があったからかもしれない。数年前、「そういえばシューマンの交響曲はまだCDでもってなかったな、とりあえずナクソスでいいや」と購入し、一度か二度聴いただけで放置したままであったことが、それを物語っている。今回、実に久々にシューマンの交響曲の第2番を聴いてみたが、動機そのもはほんの気紛れである。ついでに書けばどうして1番ではなくて、2番からかといえば、それは多分これが一番記憶に残っていなそうな曲だったからだ。
で、久々に聴いたこの曲だが、悪くない....どころかけっこういい。こういう形容をしては身も蓋もないのだが、調度、ベートーベンとブラームスの中間に位置する交響曲という感じである。第1楽章の序奏部などブラームスの2番のようだし、主部ではベートーベンやシューベルトを思わせる感触があり、まさに前期ロマン派の煮えくらない感じがよく出ていると感じた。ちなみに私が今回「良いな」と感じたところは、ロマン派的なドラマチックなところではなく、第1楽章や第3楽章の随所に聴かれるドイツ~ウィーンの田園風景のような、ちょっと弛緩したような茫洋とした場面である。こういう部分は気分が乗らないと退屈きわまりなく感じでしまうのだが、金曜の夜ということでリラックスした気分なのが幸いしたのかもしれないが、実に耳に心地よく響いてきた。第2楽章はちょっとメンデルゾーンを思わせる幻想的なスケルツォでこれはよく覚えていた。第4楽章はベートーベン風な楽章で逆にほとんど覚えていなかったな。
いや、私はこれらの曲を好みではないとか、つまらない曲だと思ったことはなく、「もう少し、あとちょっと聴けば、この曲は好きになれる」と思いつつ、結局、物にできなかったという感じなのである。CD時代に入っても、シューマンの交響曲はなかなか購入することがなかったのは、結局、こうした「物にできなかった」記憶があったからかもしれない。数年前、「そういえばシューマンの交響曲はまだCDでもってなかったな、とりあえずナクソスでいいや」と購入し、一度か二度聴いただけで放置したままであったことが、それを物語っている。今回、実に久々にシューマンの交響曲の第2番を聴いてみたが、動機そのもはほんの気紛れである。ついでに書けばどうして1番ではなくて、2番からかといえば、それは多分これが一番記憶に残っていなそうな曲だったからだ。
で、久々に聴いたこの曲だが、悪くない....どころかけっこういい。こういう形容をしては身も蓋もないのだが、調度、ベートーベンとブラームスの中間に位置する交響曲という感じである。第1楽章の序奏部などブラームスの2番のようだし、主部ではベートーベンやシューベルトを思わせる感触があり、まさに前期ロマン派の煮えくらない感じがよく出ていると感じた。ちなみに私が今回「良いな」と感じたところは、ロマン派的なドラマチックなところではなく、第1楽章や第3楽章の随所に聴かれるドイツ~ウィーンの田園風景のような、ちょっと弛緩したような茫洋とした場面である。こういう部分は気分が乗らないと退屈きわまりなく感じでしまうのだが、金曜の夜ということでリラックスした気分なのが幸いしたのかもしれないが、実に耳に心地よく響いてきた。第2楽章はちょっとメンデルゾーンを思わせる幻想的なスケルツォでこれはよく覚えていた。第4楽章はベートーベン風な楽章で逆にほとんど覚えていなかったな。