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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

HDCD (High Definition Compatible Digital)

2007年07月03日 23時12分49秒 | PC+AUDIO
 ちょっと前に蘇慧倫のベスト盤のところにちらっと書いたのだけれど、SACDやDD-Audioが登場する前、これは主に日本で盛んだったように思うのだが、いろいろな会社で従来のCDフォーマットと互換性を保ちつつ音質を上げる手法が考え出された。有名なのはビクターのK2とソニーのSBMといったところだったが、アメリカから登場したHDCDはその決定版のような扱いで登場したように思う。このHDCDの方式は、本来、16ビットで音を収録するCDに、実質的に20ビットの情報を詰め込む技術で、K2やSBMとは違い、専用のデコーダーを内蔵したプレイヤーでないと、完全には音質的な恩恵は享受できないものの(普通に再生はできるが)、該当するプレイヤーで再生すれば、文字通り従来のCDの限界を超えた情報量の音を鳴らすことができるというのが「売り」だった。

 この規格、その後SACDやDVD-Audioという上位規格が登場したおかげで、すっかり影を潜めてしまったが、そもそも私がラックスのCDプレイヤー、D-7やD-10を何台か購入した動機にひとつには、確実にHDCDデコーダー内蔵という理由があったくらいだから、1990年代にはそれなりに広まったように思う。HDCDは写真のようなロゴが通常はジャケットに印刷されていたのだが、それがない通称「隠れHDCD」というのもけっこうあって、たまにロゴのないCDでも、プレイヤーのHDCDランプが点灯するとちょっとうれしくなったりしたものだ(誤動作というのもけっこうあったらしいが....)。
 さて、HDCDの音質なのだが、端的にいってグレード低いSACDのようなものだったと思う。この傾向はリファレンス・オーディオ・レーベルのアルバムなんかが特にそうだったのだけれど、繊細さが増し、残響が減衰して様がよく聴きとれ、全体に音が明るいといった特徴があったあったように思う。もちろんあれれほどクウォリティは高くなかったけれど、物理的にフォーマットが拡張されると、音がこんなにも余裕を持って鳴るものなのかとか感心したものである。

 ただ、HDCDが登場した頃、ロックとかジャズは期せずして、リマスタリング・ブームが始まっていて、リマスタリングによる整音効果が、あたかもHDCDのビット拡大の恩恵のように思われたていた節がなくもないような気がする。かくいう私も、そのあたりを勘違いして、単に音圧が上がっただけのリマスター盤を「HDCDはすげぇ」みたいに盛んにネットに書き込んでいたりもしたものだ(今では赤面の至りだが....)。
 ちなみにこのHDCDという技術、今ではマイクロソフトに吸収され、WindowsMediaPlayerの一機能として生きているようではある。最近ではHDCDデコーダー内蔵のCDプレイヤーというのはほとんどみかけないが、少なからず制作されたHDCDをきちんとしたフォーマットで再生するには、パソコンを使うという方法があるということなのか。
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アストラッド・ジルベルト/おいしい水

2007年07月03日 00時18分07秒 | Jobim+Bossa
実質的なアストラッドのデビュウ作。もちろん、これまで彼女は「アストラッド/ジルベルト」を始めとしたヒット作で、絶妙な刺身のつまとして登場していた訳だけれど、一本立ち作品としてはこの65年の作品が最初のものとなると思う。一昨年に「いそしぎ」をレビュウした時も書いたけれど、デビュウ作ということを意識したのだろう、この作品ではボサノバ最強のアイドルを確立すべく(?)、ジョビンのボサノバ・スタンダードをメインにしたアルバムになっている。このアルバムにはダンナのジョアンやスタン・ゲッツは参加していないが、御大ジョビンはかけつけているし、編曲はマーティ・ペイチだしと、強力な布陣となっていて(もっとも参加したバック・ミュージシャンはよくわからないのだが)、ヴァーブ(クリード・テイラー)の意気込みもわかろうというものである。

 さて、このアルバム、次の「いそしぎ」が渋い夜っぽいムードで統一していたのと比べると、こちらは全体に「降り注ぐ夏の陽光」みたいなムードで統一されていると思う。編曲がウェストコーストのマーティ・ペイチというのもその意味ではうってつけの人選だが、ここではジョビンのセンスというのも大きかったと思う。ややマーティ・ペイチにしては泥臭いブラジル風味がジョビンのブラジル時代の感触をおもい思い起こさせたりもするからだ。ともあれ、ここでのアストラッド・ジルベルトは例の柔らかく、そこはかとなく物憂げなボーカルを既に披露していて実に魅力だ。1曲目から9曲目までは、問答無用のスタンダードだし、どれも素敵だが、特に好きなのはやはり「ジンジ」である。この曲は作品自体、ジョビンでも特にひいき目の曲だが、アストラッドのおっとりしたスローな感じに実にあっていて最高にチャーミングだと思う。あえていえば、このアルバム、編曲がオガーマン、いや百歩譲ってドン・セベスキーだった、もうほとんど100点のアルバムになっていたと思うのだが、それは高望みというものだろうか。
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