ついでに度々引き合いに出しているビレットのヘンデル・ヴァリエーションを改めて聴いてみました。「シューマンみたいに弾いた、いわば行書体な演奏」とか「変奏曲というより長大な幻想曲のような感じで」といった形容をしてきた訳ですが、ようするに性格変奏というテクニカルな面より、曲からにじみ出る文学性みたいなものを捉えた演奏という感じなんですね。ちょうどシューマンの「交響的練習曲」のオーソドックスな演奏みたいなもんで、本来は非常に技巧的で音楽主義的曲なんだけど、そういう枠に収まり切らないロマン派的な部分をいやなうなくクローズ・アップせざる負えないみたいな演奏といったらいいか。
したがって、聴いていると小さなマテリアルの集積というよりは、有機的な流れをもったひとつの作品という感じがしてくるのは、解釈としてはひとつの見識だろうなぁとは思います。おまけにビレットのタッチは非常にさらさらとして、流麗さが際だったものなので、そういう印象を倍加しています。この女流ピアニストはブラームスピアノ作品全集を目論んでいるようですが、中~後期の作品群はこの線でそれなりの味わいを醸し出しそうですが、初期のピアノ・ソナタとかスケルツォといった絵に描いたように重厚な作品となると、このシューマンとかショパンなんかが似合いそうな女流が一体どう弾ききるのかけっこう興味あるところでもありますが....。
ちなみにこのCDですが、どうも曲の区切りを間違えているらしく、2曲目に入っているこの曲を直接アクセスすると、曲頭が欠けてしまいます。さっきリッピングしたところ案の定、1曲目のシューマン・バリエーションの最後のところに欠けた曲等が誤って収録されていたので、きちんと頭出しできるように編集して、ついでにちょいばかり低音をブーストしみたら、あ~ら不思議、俄然ブラームスらしい重厚な音色になってしまって、この演奏の印象も大分見違えました。
したがって、聴いていると小さなマテリアルの集積というよりは、有機的な流れをもったひとつの作品という感じがしてくるのは、解釈としてはひとつの見識だろうなぁとは思います。おまけにビレットのタッチは非常にさらさらとして、流麗さが際だったものなので、そういう印象を倍加しています。この女流ピアニストはブラームスピアノ作品全集を目論んでいるようですが、中~後期の作品群はこの線でそれなりの味わいを醸し出しそうですが、初期のピアノ・ソナタとかスケルツォといった絵に描いたように重厚な作品となると、このシューマンとかショパンなんかが似合いそうな女流が一体どう弾ききるのかけっこう興味あるところでもありますが....。
ちなみにこのCDですが、どうも曲の区切りを間違えているらしく、2曲目に入っているこの曲を直接アクセスすると、曲頭が欠けてしまいます。さっきリッピングしたところ案の定、1曲目のシューマン・バリエーションの最後のところに欠けた曲等が誤って収録されていたので、きちんと頭出しできるように編集して、ついでにちょいばかり低音をブーストしみたら、あ~ら不思議、俄然ブラームスらしい重厚な音色になってしまって、この演奏の印象も大分見違えました。
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