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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ブラームス ピアノ曲全集 第1巻/オピッツ

2006年01月27日 21時52分44秒 | ブラームス
 ゲルバルト・オピッツによるブラームスのピアノ独奏曲全集(5枚組)からの1枚。当時、既にCD普及期に入っていたとはいえ、ブラームスのピアノ曲ともなれば、単発CDでちらほらしかない状況下でしたから、オイロディスクがドイツ出身の新鋭を強力にプッシュして作られた全集ということで、「これでブラームスのピアノ曲ついては終わり」くらいの意気込みで、大枚はたいて購入したような記憶あります。
 ところが実際聴いてみると、これがあまり満足できなかったんですね。なにしろブラームスのピアノ曲といえば、これしかない時期がけっこう長いこと続いたので、必要に応じて聴くことは多かったですが、全体にタッチが軽く、ブラームスらしい低音が充実した響きが感じられなかったし、フレージングもクリーン過ぎても、ドイツ的な鬱蒼とした感じが希薄だったところも個人的にはマイナスでした。まぁ、こちらが重厚でがっしりしたブラームスを期待しすぎたところもあったにはあったと思いますが....。

 さて、その全集から久しぶりに「ヘンデル主題による変奏曲とフーガ」を聴いてみました。カッチェンのところに書いたとおり、この曲に関してはゼルキンの演奏で慣れ親しんだため、オピッツの演奏は軽過ぎという印象が強かったですが、今回聴いたところ「おっ、なかなか良いではないか」と印象を新たにしました。
 なにしろこの曲については、ビレットがシューマンみたいに弾いた、いわば行書体な演奏ばかりを聴いていましたので、オピッツの演奏はかなり重厚な演奏に聴こえたということが大きいかもしれませんが、悠々迫らぬテンポで、各変奏をある意味カラフルなくらいにきっちりと表現していること、また、軽く感じた左手の動きも、今風なスポーティーな感覚なのは間違いないにしても、ブラームスに相応しい力感のようなものも兼ね備えていたあったことなども発見でした。
 ついでに、楷書体の演奏といえば先日聴いたカッチェンの演奏は、もっと重厚でまさしく楷書体という感じですが、何回か聴いてみたところ、ちょいとぶっきらぼうなところを感じないでもないようになったので、そのあたりを考えると、コレけっこういいバランスの演奏だったのかなぁ....などと考え直しているところでもあります。
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ハイドン 交響曲第12番「噴水」/フィッシャー&AHハイドンPO

2006年01月27日 00時54分47秒 | ハイドン
 第12番は全3楽章からなるオールド・パターンです。この時期のハイドンの交響曲の創作年代は番号と必ずしも一致しないようですが、この作品はどうやらエステルハージ家の副楽長だった頃の作品らしく、順番でいえば第9番の頃に作られたようです。スケール的にはやや小ぶりではありますが、楽章間のメリハリも充分だし、各楽章もほどよく練られているという感じであり、全体に練達の腕で仕上げられた、職人的作品という感じです。

 しずしずと始まる第1楽章は、テーマが次第に動きの速い流動感の形に膨らんでいくあたりがまずは印象的。展開部が短調で始まるあたりは一瞬オヤという感じですが、その後の主題操作はいかにもハイドンらしい淀みない流れの一気に進んでいきます。非常にははればれとした活気のある音楽といえましょう。
 第2楽章はバロックでいうシチリアーノ風な陰影ある音楽で、歌物風な雰囲気も濃厚で、両端楽章を併せたのとほぼ同時間(約9分)をかけて入念歌い、かつじっくりと展開されていきます。オペラチックな緩徐楽章を全体の中心に据えるというのは、第7,8,9番あたりと共通するものですが、エステルハージ家にいた頃というのはこういうパターンを愛好していたのかもしれません。
 3つの楽章の中で一番短い第3楽章は、例によって屈託のない明るさと飛び跳ねるようなダイナミズムが横溢した典型的な最終楽章ですが、この楽章の場合、時折、短調で思わぬ方向に展開していくあたりが、他と違ってユニークな点かもしれません。

 最後にニックネームですがもこれは第1楽章の第一主題の後半、動きの速い流動感溢れる音型が、個人的には噴水の動きを彷彿とさせたもので、素直に「噴水」と名付けました。ちょっと気取って「エステルハージ家の噴水」とかでもよかったですが、あすこに噴水があったか、私にはよくよからなかったんだもんで。
コメント (1)
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