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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ブラームス ピアノ名曲集/カッチェン

2006年01月24日 22時00分07秒 | ブラームス
 ここ数日、良く聴いているのがブラームスの「ヘンデル主題による変奏曲とフーガ」というピアノ曲。ブラームスはベートーベンと並ぶ変奏曲の名手ですが、これは彼がつくったいくつかの変奏曲でも「ハイドン主題による変奏曲とフーガ」と並ぶ傑作です。ちなみに「ハイドン」の方はご存じのとおり管弦楽作品ですから、ピアノ曲という分野となれば、まずはこれが筆頭に来るべき変奏曲といってもいのではないでしょうか。

 もともと変奏曲というのは、比較的単純が主題を様々な技巧を凝らして変奏を積み上げていくという非常に律儀かつ学究的なジャンルだった訳ですが、ブラームスの頃になるとその方法がけっこう自由になっていったらしく、従来の手法を拡大した主題から大きく離れた変奏も含めるようになったようです。このようなものは性格変奏曲とよばれ、最終的にはエルガーの「エニグマ変奏曲」だとかラフマニノフの「パガニーニ・ラブソディー」あるいはレーガーの諸作品のような形になる訳ですけど、この「ヘンデル主題による変奏曲とフーガ」あたりだと、まだまだ従来の変奏曲らしいロココ風な軽快でサロン的な技巧趣味みたいなものも色濃くあって、そのあたりバランスがなかなか絶妙なんですね。まぁ、古典派的なリラクゼーションとロマン派趣味のバランスといっていいと思いますが....。

 ただ、この曲の場合、やはり難曲なのか、満足できる演奏にはなかなか出会えないというのも正直なところでした。私がこの曲を知ったのはルドルフ・ゼルキンの晩年の演奏でしたけど、長いことCD化されずにいて、古くはワルター・クリーン、オピッツ、ビレットなどいろいろな演奏を聴いてみたものの、どれも帯に短し襷に長しという、どうもこれだっていう演奏がなかったんですね(最近、ようやくゼルキンの演奏を入手しましたが、怖くて聴いてないです-笑)。今夜聴いたのは、ジュリアス・カッチェンの演奏。彼はアメリカ出身のピアニストではありますが、60年代にデッカでブラームスのピアノ関連の曲の全集を作ったりしていますから、おそらく「ブラームス弾き」だったんでしょう。私も名前は昔から知っていましたが、恥ずかしながら演奏を聴くのは今回が初めてでした。

 聴いたイメージとしては、堅牢かつシャープな演奏という感じでした。このところ聴いていたビレットの演奏は、この曲を変奏曲というより長大な幻想曲のような感じで割とさらりと弾き流しているという感じで、個人的にはどうもそのあたりが不満だった訳ですが、こちらは早いパッセージが頻出する早い変奏ではテクニカルなフレーズを無骨に決め、ファンタジックな楽想は思い切って歌う....という具合に個々の変奏の描き分けが実に的確で、この作品の性格変奏曲の側面を十全に表現しているといったところでしょうか。とりあえず、今、ルドルフ・ゼルキンの演奏を聴いてどう感じるかは、どうもわからないところありますが、ともあれこれ以外では、これまでで一番しっくりと来た演奏かもしれません。
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ブラームス 51の練習曲/ビレット

2006年01月24日 00時22分33秒 | ブラームス
 今やナクソスの名物ともなった他ではめったにレコーディングされない珍曲のCD化ですが、これもそののひとつといっていいでしょう。イディル・ビレット女史によるブラームスのビアノ作品全集の一貫らしく、本アルバムは第9巻となっていますが、70分に渡って収録されているのはタイトル通り、ブラームスが作ったピアノの練習曲なのですね。まさかこんな曲があったとは!。

 それにしてもこの練習曲集、作品番号もないことからもわかるように、例えばショパンとかリストのそれとはほとんど意味合いが違う、おそらく純粋に運指トレーニング用に作られたものだったと思われます。つまりハノンとかああいった音楽性ではなくて、もっぱら機能性を重視したものと同じような曲だった訳ですが、聴いてみるとけっこう随所にブラームスの香りがするんですね。例えば10番以降の数曲は初期のスケルツォなんかと共通する乾いた諧謔味があるし、20番以降は名曲「ヘンデル主題による変奏曲とフーガ」の運動性を思い出させたり、さらには50番台後半などやはり初期の幻想曲風でもあったりもします。ついでに全般に低い音域が充実している重厚な音はもいかにもブラームス風です(ビレット女史はどうもそのあたりが得意じゃないようですが)。

 という訳で、聴いているとなんだか、ヒゲはやした気むずかしそうなブラームスが誰にもみられないように自宅でピアノを黙々と練習しているのをのぞき見している(聴いている)ような、妙に後ろめたいような、それでいてわくわくするみたいな気持ちにさせる作品です。いや、何度も聴くような作品ではもちろんありませんが....。 それにしても、「51の練習曲」なのにどうして88曲なんだろう?。
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