マーラーの交響曲で一番最初に聴いたのが第5番で、その時の演奏がこのバーンスタインとニュー・ヨーク・フィルによるものでした。クラシックの名曲を指揮者やオーケストラを替えていろいろ聴き比べするのはとても楽しいことですが、やはり一番最初に聴いた時の演奏というのは、まずはその曲自体を知ること、そしてそれと平行して演奏を楽しむ訳ですから、やはり2番目以降の演奏とは別格になることが多いです。なので、一番最初の印象があまり強く、それ以降に出会った演奏がどうもしっくりこないということはままあることなのですが、それとは反対に自分がしっくりと来る演奏がどんどん更新されてしまうこともあります。このバーンスタインが振った5番はさしずめ後者の典型といったところでしょうか。
この5番はまずバーンスタインを聴き、次にテンシュテット&LPO、カラヤン&BPO、マゼール&VPO、ショルティ&CSO等々、実にいろいろな演奏を聴きましたが、結局、アダージェットの美しさでカラヤン、第1,2楽章のダイナミックさでショルティ、第3楽章のウィーン風味でマゼール、全体の文学性みたいなところでテンシュテットといった具合にいろいろとイメージが更新されたおかけで、バーンスタインの演奏はほとんど忘れてしまったのです。夏頃書いたように第3番なんかはかなり強い印象が残っていましたが、こちらは後続の演奏にほとんどそのイメージを塗り替えられてしまったというところなんでしょう。覚えているのアダージェットで椅子のきしむ音とか同じくアダージェットのラストのところでオケの誰か咳していたとか、そういうつまんないらないことばっかり(笑)。
そんな訳で、夏頃に購入したバーンスタインの旧マーラー全集から、とりたてて理由もないですが、久々に第5番を聴いてみました。現在聴くと、さすがにオケがとっちらかっている感じで、これ以降の精度の高い演奏に比べるとやや見劣りしちゃいますね。また、この曲の場合、大きく3部に分けた交響曲のように演奏するか、主人公が冥府から天上界へ解脱するストーリーを持った一種の交響詩のように演奏するか、かなりはっきりと分かれていると思うのですが、この演奏はその意味でちょいととどっちつかずかなというところもあります。この時期のバーンスタインならもうちょっと後者の方向でドラマチックにやっていたのかなとも思いましたが....。
ちなみにアダージェットところでオケの誰かの咳ですが、ほとんど聞こえないくらいの音に押さえ込まれていました。高域をリダクションしたんですかね。そういえばアナログ盤はかなりハイ上がりだったですが、マスターにはどっちの音が近いのだろう?。
この5番はまずバーンスタインを聴き、次にテンシュテット&LPO、カラヤン&BPO、マゼール&VPO、ショルティ&CSO等々、実にいろいろな演奏を聴きましたが、結局、アダージェットの美しさでカラヤン、第1,2楽章のダイナミックさでショルティ、第3楽章のウィーン風味でマゼール、全体の文学性みたいなところでテンシュテットといった具合にいろいろとイメージが更新されたおかけで、バーンスタインの演奏はほとんど忘れてしまったのです。夏頃書いたように第3番なんかはかなり強い印象が残っていましたが、こちらは後続の演奏にほとんどそのイメージを塗り替えられてしまったというところなんでしょう。覚えているのアダージェットで椅子のきしむ音とか同じくアダージェットのラストのところでオケの誰か咳していたとか、そういうつまんないらないことばっかり(笑)。
そんな訳で、夏頃に購入したバーンスタインの旧マーラー全集から、とりたてて理由もないですが、久々に第5番を聴いてみました。現在聴くと、さすがにオケがとっちらかっている感じで、これ以降の精度の高い演奏に比べるとやや見劣りしちゃいますね。また、この曲の場合、大きく3部に分けた交響曲のように演奏するか、主人公が冥府から天上界へ解脱するストーリーを持った一種の交響詩のように演奏するか、かなりはっきりと分かれていると思うのですが、この演奏はその意味でちょいととどっちつかずかなというところもあります。この時期のバーンスタインならもうちょっと後者の方向でドラマチックにやっていたのかなとも思いましたが....。
ちなみにアダージェットところでオケの誰かの咳ですが、ほとんど聞こえないくらいの音に押さえ込まれていました。高域をリダクションしたんですかね。そういえばアナログ盤はかなりハイ上がりだったですが、マスターにはどっちの音が近いのだろう?。