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ドボルザーク交響曲第9番「新世界」/フリッチャイ&BPO

2005年12月31日 18時44分19秒 | クラシック(一般)
 という訳でフリッチャイの「新世界」の話。フリッチャイはハンガリー出身の指揮者で、彼が活躍した50年代後半から60年代にかけては、将来をかなり嘱望された中堅指揮者だったが、63年に49歳という若さで他界したため、一種の「夭折伝説」みたいなものがまとわりつく人でもある。幸いにグラムフォンにステレオも含めいくつかの録音が残っているが、病魔に冒された晩年を称して「音楽はもちろん、容姿までフルトヴェングラーみたいだった」みたいにいう人すらあって、晩年の録音は気宇壮大なスケールで繰り広げる主情的というかロマン派的演奏の極致みたいなものが多い。彼は「新世界」をグラムフォンに2種類残しているが、ステレオ録音の方はこの晩年の演奏にあたる。

 さて、数ある「新世界」で私がもっとも愛好するのが、実はフリッチャイとベルリン・フィルによるこのステレオ録音なのである。私は毎年、年末になると昨日取り上げたいくつかの演奏をあれこれと聴くことが多いが、実はその都度、この演奏が懐かしくなってしまい、結局はこれ戻ってきてしまうという、まさにエバー・グリーン的な演奏でもあるのだ。

 演奏の特徴は前述のそれがあてはまる、とつてもなく巨大なスケールでうねるように進む演奏であり、音楽的なたたずまいはまさにフルトヴェングラー的といっても過言ではないものだ。悠々迫らざるテンポで進む第1楽章はことに歌謡的な第二主題の遅さに起因するのか、その濃厚な歌い回しは異様なほどだが、ここぞという時の金管の咆哮はホットだし、終始緊張感が持続しているあたり極めて説得力がある。
 第2楽章も同様に遅く、あまりにも有名な例の旋律をこれ以上ないくらいじっくりと歌い込み、トラディショナルというよりむしろ聖歌のように荘厳に演奏しているし、中間部では旋律の背後で聴こえる弦のトレモロが、まるで交響詩の如きドラマを性を感じさせるのもまた印象的だ。

 フリッチャイがハンガリーの指揮者であることを感じさせるのがこの第3楽章か、やはりテンポは遅いがその鋭角的で、容赦なくたたきつけるようなシャープなリズムは、やはり明らかに大戦後のハンガリーから続出した指揮者に共通するのもの。この演奏はある面極めてフルトヴェングラー的ではあるが、こうしたモダンな側面が共存しているから、けっして古めかしくならないのだ。
 第4楽章は、全楽章中もっとも巨大なスケールで演奏された、まさにしく全楽章中の白眉ともいえる演奏となっている。第二主題あたりが徐々に熱気をはらみ、後半ではコーダに向かって、居並ぶ大木をなぎ倒して進んでいくような骨太な推進力には聴いていて思わず胸が熱くなるほどだ。

 という訳で、今年もやはり「新世界」の締めはこの演奏だった訳だが、一応モノラル盤の方について少しだけ書いておくと。スケール感や濃厚な歌という点ではステレオ盤に大分劣るが、インテンなリズムをベースに、熱気をはらんだ一気呵成に演奏という点では、やはりフリッチャイとしかいいようがないものを感じさせる....といったところだろうか。

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1 コメント

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お邪魔します (mozart1889)
2006-01-22 04:20:22
おはようございます。お邪魔します。

mozart1889と申します。



フリッチャイの「新世界」、うねるような浪漫的な演奏で、しかもベルリン・フィルの重厚な音が聴けるので大好きです。カラヤン以前のベルリン・フィルの、ドイツ的な響きが素晴らしいですね。

フリッチャイの演奏を沢山聴いているわけではないんですが、この「新世界」とチャイコフスキーの「悲愴」は素晴らしい演奏だと思います。

TBさせていただきます。

よろしくお願いします。
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