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日本沈没

2005年12月21日 00時00分12秒 | Books
  「日本沈没」を再読した。もう何度目だろうか、多分4回目か5回目くらいになると思う。年をとってくるとやたらと回顧的な想いが強くなってくるせいか、年の瀬も近い昨今、先週末の会社帰りに某中古書店で見つけたのを機会に購入してきて、大晦日までゆっくり読もうなどと考えていたのだか、案の定、読み始めたら一気にひきこまれ、あしげく移動時間などみつけては読みまくり、月曜日には一通り読み負えてしまった。今は印象に残ったところをあちこち読み返しているところだ。

 この小説は僕は一番最初に読んだ「おとなの小説」だったと思う。当時、「日本沈没」というのは大ベストセラーで、10歳上の愚兄が読んでいたものを拝借して読んだのだと思う。小説などロクの読んだこともなかった私が、何故これに限って読む気になったのか、今では覚えていないけれど、多分、単なるベストセラーという枠を超えて社会現象的なまでに話題になっていたということに加え、正月に公開される映画版「日本沈没」を観に行くとかいう、そういう理由もあったと思う。つまり読んだのは32年前の年末だったのだ。

 作品は主人公である小野寺が夏の東京、八重洲口で暑さにうだりながらちょっとした地震に遭遇するところから始まる。物語はそこから田所博士というもうひとりの主人公を絡めて日本海溝の探査に始まり、日本が沈没する予兆を掴んだあたりから、市井の人を捉えたミクロの部分と政治やその他の大局的な視点にたったマクロな部分をテンポ良く切り返しながら、前半には関西、東京大地震を、後半には文字通り日本が沈没のプロセスを配し、一大破局に向かってあれよあれよと言う間に進んでいくが。そのリアルさは今読んでも恐ろしいくらいのがある。膨大な情報を縦横に駆使し、絵空事を迫真のドラマにしてしまうのは小松左京のストリーテーラーぶりはやはりさすがだ。

 ちなみに、今回読んでいておもしろかったのは、1970年代とおぼしき政治状況が今と全く変わっていなこと。野党とのやりとり、大企業との関わり、報道対策など、この部分だけ切り取って読んだら、現代にでも通用してしまいそうなほど、当時から政治というのは閉塞的かつ状況追認的なもので、結局の日本の政治というのは、30年前もからなんにも変わっていない、ひょっとすると明治の頃からそうなんじゃないかと妙に感心してしまったりもした。

 ところでこの小説、続編を執筆中といい続けて、もう何年になるだろうか?。当然テーマは「離散した日本民族がどうなってしまうのか?」ということになのだめうが、スケールとしては本編の比ではないだろうし、書けば書くほど状況などに時代的誤差でてしまっていることも考えられる。近年の写真をみると往時に比べずいぶんと痩せてしまって、今更30年前にかかえた続編に期待するのも酷ではないかとも思ったりもする。いずれにしても小松左京氏の健勝を祈りたい。

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