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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

FF-XI <戦 L10>

2005年05月16日 21時20分50秒 | GAME
 5月12日に開始したFF-XIですが、昨日でようやくレベル10に到達しました。なんだかわからないけど、パーティー組んだり、どこかの誰かとコミュニケーションする前に、「とりあえずは単独行動(ソロ)で、レベル10だぁ」みたいにことを、強迫観念のように思いこみ、先の週末合計で20時間以上、経験値稼ぎに勤しんだという訳です。もう殺伐な殴り殴られの連続。

 それにしても、このゲームのレベル上げは苦行ですね。なにしろ、同じフィールドだとレベルが上がる度に、同じモンスターでも得られる経験値が減っていくので、レベル8あたりからは、経験値上げが大好きな私にしてから、かなりキツイものを感じました。おまけにモンスターと戦っていると、他のモンスターが乱入してきて(リンク)惨殺され、勝負には勝ったが毒をくらって自滅し、走っていると強いモンスターに追いかけられ、残り少ないHPを使い果たす....などなど、もう不条理なくらい死ぬんですね、もう10回は死んだかな(笑)。で、死ぬのはいいんだけど(よくない、よくない)、その度にペナルティで経験値が減っていくので、下手するとレベルが下るのはメゲました。
 先人のアドヴァイスによれば、こんなのはまだまだ序の口だそうな。「いやはや、凄い代物に手を付けてしまったものだ」と、現在、なんだか楽しくてワクワクするような、それでいて困ったような心境です。

 で、ふと気がついてみると、前述のとおり殺伐とした戦闘ばかりで、肝心のゲームのシステムの方はほとんどマスターしてなんですよね。モンスターにやられそうになったところを、助けてくれた相手にとっさに「ありがとう」もいえないんです、これが。「えっと、チャットでありがとうっていうには....?」ってマニュアルみたる間にその方はどっかにいってしまった(笑)。土曜日の日はとても親切な白さんに、戦い方をあれこれ教えてもらったんだけど、ターゲットを間違えたり、見失ったり、もう無惨なくらい使いこなせなかったんですけど、実に根気よく付き合ってもらって、逆にこっちは自己嫌悪を陥りましたね、マジで(笑)。
 ついでに、公務(ミッション)だの、私的引き受け事項(クエスト)もただのひとつもこなしてない状態なので、今夜からはしばらくは、ソロで出来るミッション&クエストをこなしていこうかと思います。 
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ロッシーニ序曲集/アバド&ヨーロッパ室内管

2005年05月15日 20時41分27秒 | クラシック(一般)
 しつこく続くロッシーニ序曲集(笑)。今回はアバドが89年にヨーロッパ室内管を振ったもので、5月1日に書いたロンドン響が70年代前半の録音でしたから、おおよそ20年ぶりの再録ということになります。ヨーロッパ室内管はアバドが育てたECユース・オーケストラが発展したオーケストラだそうでですから、いわば手兵なんでしょう。とても息のあった演奏を繰り広げています。おそらく、前回のロンドン響との演奏より良いのではないでしょうか。

 もっとも、基本的な表情やテンポなどは前回とほぼ同様です。シャープなリズムと清潔なフレージングで、非常にクリアでスポーティーに演奏されたロッシーニという印象はほとんどかわりません。ただ、今回はもう少し角がとれているというか、全体に自然な演奏になっているのが、前回とは違う点でしょう。
 なにしろ、前回の録音はロッシーニにしてはやや厳し過ぎというか、ストイック過ぎて、ロッシーニ的な愉悦感がどこかにいってしまったようなところがあって、「もう少し手綱を緩めてもいいんじゃないの?」など不遜にも思ったりした訳ですけど、今回はアバドの年齢を重ねたせいなのかどうか、節々の表情もいくらか和らぎ、緩急もごくごく自然な流れの中で表現されているのが良いですね。おそらく、こういうのを円熟というんでしょう。

 ちなみに録音は、前回のマルチ・マイク的なオンな録音からすると、こちらは弱音から最強後までのレンジも広くとり ホール・トーンをふんだんにとりいれた、ちょうど観客席のかなり前の方で聴くみたいな、自然な録音パターンになっています。この手の録音はここ十数年ですっかり一般化したというか、復活しましたけれど、前述のとおり、この演奏がとても自然に聴こえるのは、ひっょとして解釈とかオケの音色とかそういったところより、むしろ録音の仕方によるものが大はないか?という気もしないでもありません。この録音パターンで前回のロンドン響を録音したら、いったいどういう風に聴こえるのか....聴きながら、ふと考えてまいました(笑)。
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ジョン・ウィリアムス&ボストン・ポップス/スウィング・スウィング・スウィング

2005年05月15日 00時02分36秒 | JAZZ
 「スウィング・ガールズ」のサントラを聴いたら、今度はグレン・ミラーとかベニー・グッドマンとかの基本中の基本なビッグ・バンド・ジャズを聴いてみたくて、レコード棚をあれこれ探してみたのですが、どうも見つかりませんでした。どっちも2~3枚はあったハズなんですけど、この夜中に徹底検索する気にもならず(笑)、手近なところに探したところ、こんなのが出てきたので、ただ今、代替え品として聴いているところです。演奏はジョン・ウィリアムス指揮、ボストン・ポップス・オーケストラ、このコンビは1980年から95年頃までの間、様々な企画のポップス物を出している訳ですが、このアルバムは84年に出したビッグ・バンドの名曲ばかり集めたものです。

 曲は「オバス・ワン」に始まり「ビギン・ビギン」、「タキシード・ジャンクション」「シング・シング・シング」「ムーンライト・セレナーデ」「真珠の首飾り」等どれもお馴染みのものばかり、これを大編成のオーケストラで演奏している訳ですが、なにしろストリングスは入ってますし、ブラスセクションも大所帯という訳で、とにかくシンフォニックで瀟洒な響きに溢れた演奏といえましょう。グレン・ミラーみたいな濃厚なノリや演奏を期待すると、時にクラシックのオケらしい律儀さが気にならないこともないですが、コンサート・ホールで聴くビッグ・バンドというコンセプトで楽しむのなら、これはこれで気分上々です。

 あと、ジョン・ウィリアムスはもともとヘンリー・マンシーニの編曲のアシスタントとしてジャズ・スコア的な作品に数多く関わっていましたし、「ジョーズ」と「スター・ウォーズ」でブレイクするまでは、「おしゃれ泥棒」や「ファミリー・プロット」といったジャジーな味付けをした都会調のスコアなんかもやってましたから、こういう音楽にはいわばオハコなのかもしれず、そのせいかどうか、オーケストラだからといって、あまりケバケバしく轟々と鳴らしたりせず、あくまでも軽快さを基調においた都会的に洗練された音楽になっているのは、彼のセンスがものをいっているせいかもしれませんね。

PS: ちなみに、そもそもタイトル曲である「スウィング・スウィング・スウィング」は映画「1941」のためにウィリアムス自身が作った「シング・シング・シング」へのオマージュみたいな作品です。

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スウィング・ガールズ(サントラ)

2005年05月14日 22時49分47秒 | サウンドトラック
 先日、DVDで観てすっかりお気に入りになった「スウィング・ガールズ」のですが、今日はサントラ盤を聴いてみました。このサントラ、劇中で使用されたスウィング・ガールズの演奏ももちろん含まれていますが、映画のBGMとして使われた文字通りのサントラも収録されています。サントラの方はミッキー吉野が作曲している訳ですが、およそビッグ・バンド・ジャズとはほとんど無縁な、これ以上ないくらいに淡く、さりげないアコスーティック・サウンドなのが印象的です。この映画、舞台が東北、主人公たちはあか抜けない高校一年ということで、こういう音楽になったんでしょうが、ちょっとアメリカのロード・ムービーを思い出させるところもあったりして、従来の日本映画にない雰囲気があります。

 曲としては、アコギによるノスタルジックな「Falling in Blue」「That's what it is !」と、ロード・ムービーっぽい「Stay away from me」が良かったですかね。あっそうそう、「Reminding Sorrows」も短いけどキレイな曲です。
 スウィング・ガールズの演奏では、「故郷の空」がSE入れで映画の感動を甦らせてくれます。続く「メイク・ハー・マイン」では、スウィングというより、ジャズ・ロック風なリズムですが、パンクなタイコがいいです。後半のステージ場面は「ムーンライト・セレナーデ 」~「メキシカン・フライヤ」~「シング・シング・シング」と映画通り収録されます。おそらくこのサントラを買う人はここがお目当てだと思いますが、音だけ聴いてもけっこう楽しめます。
 いや、ひょっとしたら音だけだと興ざめになっちゃうんじゃないかと思ってたんですが、演奏が巧いとか、そういうレベルで議論する代物でもないでしょうが、とにかくみんなリズム感がいいので、様になってます。カッコいい!。

 ついでに、エンドタイトルで使われたルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」もしっかり収録されてます。契約の関係で収録できず....なのが多い中、あえて金をかけて、きちんと入れたのは英断というべきでしょう。それにしても、女子高生がビッグ・バンドに挑戦した音楽映画で、BGMがロード・ムービー風、エンド・タイトルがルイ・アームストロングという、この映画に込められたランダムな情報量はけっこうなものがありますね。それを楽しく自然に受け取ることができるってのが、今時な日本人の感性なんでしょうが....。

PS:ボーナス・トラックには、向上のあんちゃん達が切々と歌った、あの「号泣してもいいですか」が入ってます(笑)。
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XTC / BBC Radio 1 Live In Concert

2005年05月14日 00時06分36秒 | ROCK-POP
 XTCは70年代終盤頃パンク/ニューウェイブの一角を担うバンドとしてデビュウ、他のニュー・ウェイブ・バンドから一頭地を抜けたシャープでエキセントリックなサウンドを持ちつつ、次第に知能犯的ポップ・センスを持つバンドに変貌、現在ではリーダーのアンディ・パートリッジの趣味性に全面に出した、ロック職人工房みたいな形で活動している訳ですが、この作品はそんな彼らが1980年に行ったイギリス国営放送用のパフォーマンスを収めたライブです。

 1980年といえば、XTCがニューウェイブ・バンドだった頃の調度最終期にあたりますが、ご存じのとおり彼はその後、ライブ活動を一切停止してしまいますから、両方の意味でとても貴重な記録といえます。イギリス国営放送は60年代から、メジャー、マイナーを問わず、ロック・バンドのこうしたライブ・パフォーマンスを記録してきた訳ですが、ここ10年くらいこうした音源が次々とCD化されていることからも分かるとおり、こうした記録はもはや英国の国宝的な価値があるものといってもいいでしょう。ブリティッシュ・ロック・ファンはBBCに感謝しなければなりません。

 さて、このアルバムですが前述のとおり、1980年のライブで、タジオ録音のアルバムだと第4作「ブラック・シー」に前後する時期ということになろうかと思います。曲目もほとんどが「ブラック・シー」と前作「ドラム&ワイアーズ」から曲で構成されていますが、とにかくここでの演奏は圧倒的です。ニュー・ウェイブ的にソリッドなところと、XTC流のポップ・センスがほど良く具合にバランスしているのは、この時期ならではといえますが、2本のギターの張りつめたテンション、リズム・セクションの前へ前へとせり出していくかの如き推進力などは、「ブラック・シー」や「ドラム&ワイアーズ」に収録されたオリジナル演奏を、ほとんど聴き返す気を失わせるくらいです。

 実は私、1979年に日本青年館だったか、彼らの初来日を体験できた者なのですが、記憶をたどってみると、あの時は、こんなイキが良く、すっきりとシャープにまとまった演奏ではなく、もう少し、ゴツゴツした、とっ散らかったようなものだったような気がします。まぁ、その一事で全てを判断するのは危険でしょうが、おそらくブィープ・パープルの「ライブ・イン・ジャパン」と同じよう、ディスクで聴けるようなテンションを保っていたのは、XTCといえどもごく短期間だったんじゃないでしょうか。そう考えると、このパフォーマンスの収録というのは千載一遇だったのかもしれませんね。

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ベートーベン/エグモント序曲

2005年05月13日 00時06分08秒 | クラシック(一般)
 4月28日に書いた「ベートーベンの序曲」を書いて以来、ジンマンの序曲全集も到着したことだし、目下、あれこれつまみぐい的に聴いている訳ですが、いろいろある中で特に印象に残っているのが、「エグモント序曲」。作品84ですから、そんなに番号が近い訳ではありませんが、ベートーベンのモットーである?「暗から明へ」の代表作である交響曲第5番「運命」をムードにかなり近いというか、早い話、あれを8分に凝縮したような趣すらあって、分かりやすいし、いかにもベートーベン聴いている充実感があるので楽しめます。

 曲は重厚で悲劇的な響きを持った全合奏がまずなんといっも印象的で、雷鳴なりしきる中、悲運の境遇の主人公が家族を仇敵かなにかに殺され「おぉ、神よ!」とかなんとかいいそうな場面に合いそうなムードで(笑)、この深刻さには引き込まれます。続く本編は低回気味な第1主題はともかくとして、第2主題はまるで「運命」冒頭楽章のヴァリエーションですし、徐々に闘争的になってくる展開部~主題再現部もそれ風。コーダで聴ける勝利の凱旋みたいなムードも当然「運命」最終楽章とイメージが重なる訳ですね。そういえば、途中弦楽器のリズミックなモチーフに木管が応答風につながるところがあるんですが、これは第9番「合唱」の第一楽章にも似たような部分が出てきますよね。

 さて、演奏はカラヤンがベルリンを振った60年代後半のものと、小澤がボストンとともにテラークに入れた80年代初頭の演奏、そして前述のジンマンの3種類を聴きましたが、さすがにこういう交響詩風なドラマを感じさせる曲だとカラヤンは巧緻ですね。冒頭の悲劇的なところのドラマチックさは小澤やジンマンとはひとけた違う重みがあり、良くも悪しくもドイツ的な深刻さに満ち満ちた演奏ですね。小澤のはとてもさっぱりした演奏で、カラヤンが冒頭の悲劇的ムードとコーダの凱旋に重点を置いているとすると、小澤は本編のソナタ形式の部分に力点を置いているという感じでしょうか。対するジンマンは各楽器の輪郭や音型がくっきりクリア過ぎて、ベートーベンらしい鬱蒼とした感じがあまりない、なんかハイパーなコンピュータ・グラフィックで再現された絵画みたいな印象でした。

 という訳で、今夜改めて聴いた限り、一番良かったのはカラヤンですかね。
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始動! Fainal Fantasy XI !!

2005年05月12日 00時04分55秒 | GAME
 先日の長時間インストールで出鼻をくじかれたFF-XIですが、本日、職場の同僚からマニュアル本借り受けることが出来たことに加え、出張先からストレートに帰宅できるという幸運に恵まれたため、週末を待たずに本日デビュウしました。

 で、本日は最初の作業は自分の分身のルックスや職業決め。まぁ、それ自体はとても楽しいんだけど、どうもみんなカッコ良すぎるんだよなぁ。「えぇ、これがオレ、照れるよなぁ」みたいな感じ(笑)。いっそのことユウナに似てる人間の女を選んで、こいつに愛情そそぐかとか思って決めかかったんだけど、なんかMMOというゲームの特性からして、後で著しく疲れそうなんで止めて、結局、ヒゲの戦士にてバストゥークに降り立った次第。

 それにしても、それまでやっていたゲームとは恐ろしく異なるインターフェイスに一瞬途方にくれますね。まず違和感ありまくりだったのは、矢印キーで移動できない点と相手をターゲットするという概念(っていうほど大げさなもんでもないですが)。とにかく、今までやっていたゲームのやり方に慣れきっていたもんで、ついついこれまでの流儀で相手の正面やドアの前に立ったら、○キー押しちゃうんだな、これが(笑)。
 ついでに操作するパラメータがけっこう沢山あって、特定の情報を観ようとすると、階層を降りていく必要があったり、ページめくったりしなちゃいけないことが多々あってこれもけっこうな違和感。あれこれいじっていくと。パラメーターのテーブルだけで画面が埋りまくるんだもんなぁ。
 とはいえ、こういうのは直ぐ覚えるものだし、それを縦横に使いこなしていく快感みたいなもの味わうプロセスとしては、それはそれでゲーム特有の楽しい苦行になると個人的には納得。

 とりあえず街では、門番からパシリみたいな情けない最初のミッションを貰って、鉱山まで赴いたものの、地図がないと話にならないので、街に戻って買おうとしたら、金が足りなくて購入できず、一瞬、茫然自失。
 その時ちょうど良く、ワールドパスをくれたネット仲間の方が、さっそく私のことみつけてくれたらしく、会いにきてくれたのはうれしかったんですが、「おいおい、キーボードがねぇじゃねぇか」と、あせってUSBキーボードを別室にとりいったりした挙げ句、用意したはいいが、「そういゃぁ、チャットってどうやるんだ」と思いっきりジタバタしたりて、まぁ、ゲームの最初としては申し分ないスタートって感じ(あのぉ....)。

 あっ、そういえば今気がついたんですけど、3時間もやったのに、結局モンスターとは1回も戦わなかったです。とりあえず、週末はザコ相手に最低数回悶死はしようかと思ってます。

 PS:会いに来てくれた○○さん、たどたどしいチャットですいませんでした。そういえば、チャットって、Nifty以来、数年ぶりにやったような気がするなぁ(笑)。
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JOHN MCLAUGHLIN / Promise

2005年05月11日 00時11分24秒 | JAZZ-Fusion
 1989年に発表されたジョン・マクラフリンの大傑作です。この作品、80年代以降のマクラフリンが行ってきた活動の総決算であると同時に、その後の活動をも予見させた極上の「マクラフリン幕の内弁当」ともいえる内容ですが、とにかく豪華なゲスト陣と音楽の充実度という点で、これに前後する諸々の作品が、ほとんど霞んでしまうほどの作品です。こういうアルバムの場合、代表的な曲をレビュウする方が、内容が伝わると思いますので少しだけ。

 注目されるのはまずなんといっても1曲目の「ジュンゴ」のジェフ・ベックとの共演。いくら相手がロックの分野といえども、御大ジェフ・ベックを呼んできたのは、大物の共演が日常茶飯事のジャズといえどもさすがに絶句です。しかも前半ではベックに華を持たせつつ、途中からしっかりソロの主導権を握るあたりは知能犯的な狡さを感じさせますし、ラストの転調部分以降で見せる「おとなのギター・バトル」は、「おぉ、ジャズだなぁ~」と思うことしきり。

 お次は6曲目の「ジャズ・ジャングル」。マイケル・ブレッカー、ジム・ベアード、ジェームス・ジュネス、デニス・チェンバース、ドン・アライアスを擁した14分にも渡るNYフュージョン風な作品で、音の方はおおよそこのメンツから想像した音がそのまま出てくるという感じでなのですが、それにしてもこのテンションの高さは尋常ではありません。特にデニス・チェンバースのテンションがレッド・ゾーンに入って来たとおぼしき6分以降のバンド全体が取り憑かれたように進んでいく怒濤の勢いは、筆舌に尽くしがたい凄まじさものがあります。げっ、凄ぇ!。ついでにこのメンツのブレッカーがデビッド・サンボーンにスウィッチした10曲目「新人類」も、テンションという点では多少落ちますが、ほぼ同等の出来。

 後、なんでFOしちまうんだよ~と曲が短いのか欠点ですが、8曲目の「イングリッシュ・ジャム」は、前述の「ジャズ・ジャングル」の英国版ともいえるスティング(おいおい、ここで出てきますか!)+ヴィニー・カリウタからなるギター・トリオで演奏されたアブストラト色満載のアグレッシブなジャムで、これは個人的なお気に入り。それにしても、なんで2分でFOしちまうんだ!。

 そんな訳で、この他にもお懐かしやシャクティ、そしてスパー・ギター・トリオの再現、ジョーイ・デフランコとの共演等々語るべき内容はまだまだあれど、このくらいにしときましょう。個人的には「これを聴かずに死ねるか」の1枚です。
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私の愛機 [5]  Luxman DU-80 (UDP)

2005年05月10日 21時52分41秒 | PC+AUDIO
 SACDプレイヤーで一番最初に購入したのは、マランツSA-14でした。2001年初頭の頃だったと思います。本当はソニーのSCD-555ESが欲しかったんですけど、軒並み売り切れ状態でした。しばらく待てばよかったのかもしれないですが、なんか、その時は「もうこれ以上待ち切れん」とか思ったんでしょうね。妥協案として購入したのです。しかし、こういうものは慌てて買うもんじゃありません。自宅に帰って聴いてみたマランツは音は、私にとってアグレッシブそのもの。SACDの音....云々に前に、とにかくあの音のせり出し方になじめませんでした。半年くらい使ったものの、ラックスからDU-7が出たのを機会にそれと差額交換してしまったのです。

 で、次のDU-7ですが、こちらは一聴して馴染むものがありました。私がイメージするSACDの音に近かったとかいろいろな理屈はつけられますが、要はラックスの音が好きなんでしょうね。この機種は2年ほど愛聴させていただきましたから、特に大きな不満ものがあった訳ではありませんが、かつてのD-10のラックスの音を体験したものとしては、ある種の豊穣さみたいなものが、DU-7には欠けているかな?と考えないでもなかったのもまた事実。去年の暮にDU-80が出た時、その欠落感を埋める機種はこれだ!とばかりに、あぶく銭があったことをいいことに購入したのです。昨年の暮のことでした。

 初めて聴いた時は、「おぉ、これだ」と思いました。前述のとおり、私はDU-7に特段不満があった訳ではないのですが、DU-80を聴いてしまうと、DU-7でさえSACDという新フォーマットにやや足をすくわれ、デジタル、デジタルした音だったことを感じさせたほどです。
 とにかく、緻密で情報量満載、かといって、あまり分析的にならず音楽が素直に楽しめるというDUシリーズ譲りの特徴は生かしつつも、20kgの筐体からくる重量感ある低音を加味し、全体に音を有機的に処理しているあたり、不遜にも「やっとラックスもいい感じ掴んだな」となどと思ったものです。もちろん、D-10あたりのアナログ的な温度感のようなものを基準にすれば、当然、時代の流れを感じさせる音ではあるのですが、それにしたって、ボリューム上げてもうるさくない、滑らかでシルキー、かつリッチな音はやはりラックスそのものです。

 ということで、私のプレイヤーはCDはD-10、SACDやDVD-AはDU-80というラインナップに落ち着いてます。おそらく当分の間、このコンビが変動することはないでしょう。

◆ Luxman DU-80の紹介ページ ◆
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周(チョウ・ワイ)/精選

2005年05月09日 23時51分53秒 | 台湾のあれこれ
 名前からわかる通り、周(チョウ・ワイ)は台湾の女性シンガーです。最近は台湾ポップスにもすっかり疎くなってきまして、取り上げるのは数年前のものばかりですが、これも5年前、つまり1999年の作品。多分、デビュウ作です。ちょいと前に取り上げた楊乃文とか、未だ取り上げてませんけど、同じ頃デビュウした莫文蔚なんかは、同じ台湾ポップスでもニュー・ウェイブ的な存在でしたが、この人は正統派台湾ポップスの大型新人って感じで、このアルバムも一般的にイメージされる台湾のポップスの美点が、とても良い形で網羅された傑作です。

 繰り返しになりますが、90年代中盤頃までの台湾ポップスとは、アメリカンAORと日本的なニューミュージックの折衷した音楽をベースにして、そこに情緒溢れるメロディーと大陸的な感覚がブラスしたようなバラード主体の音楽だったと思います。 特にその旋律は、他のアジア諸国のそれとは違い、バタ臭さや日本人から見た異国情緒のようなものがほとんどなく、日本人にも極めて親しみやすい、素朴で深いヴァイブレーションのようなものが溢れていて、ひょっとすると台湾人は日本人より日本人受けするメロディーをつくる天才なのではないかと思えるくらい、素晴らしい曲によく出会いますが、このアルバムに展開されるのは、まさにそうした音楽なのです。

 例えば1曲目などはそれを象徴している曲といえるかもしれません。ほのかなノスタルジーと淡い情緒を感じさせる滑り出しから、切なさを感じさせるコーラスに流れるように進み、サビの部分ではドラマチックに盛り上がる....というメロディーのツボを突きまくったものになってますし、デイブ・グルーシンの映画音楽あたりの影響受けたようなピアノに、日本のニュー・ミュージック的なストリングスのとりあわせも実にしっくり合っていて、まさに台湾的なサウンドになっているのです。
 もちろん、それを歌う周のクリームみたいな甘くて、ちょい舌足らずなヴォーカルはチャーミングですし、ちょっと素朴ではあるが、心の底から誠実さそうな感情表現は、ヴォーカリストとしてリスナーを惹きつけずにはおかない魅力があります。

 私が最後に台湾に行ったのは、2000年の暮れ頃でしたけど、調度これに続く2作目のアルバムが出たばかりで、街のいたるところでポスターが貼られ、TVでは新曲が盛んにオン・エアされたりして、かなりブレイクしてました。その前年に訪台した際に、なんだかよくわからないまま、彼女のデビュー作を購入し、「こりゃ、傑作だ」とばかりに1年近く愛聴してきた私は、「やっぱ、この人ブレイクしたんだな」と、なんだかうれしいような、誇らしいような気分になったものでした。
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始動! Fainal Fantasy XI !! ....のはずだったが

2005年05月09日 00時12分10秒 | GAME
 大規模MMOなるものをやってみたいとは、前から考えてました。だけど、なんか敷居が高い感じがして尻込みをしていたのですが、ドラクエも終わり、先日職場で何故かMMOの話題で盛り上がったこともあって、「ほんじゃ、そろそろGWに入ることだし、次はFF11にすっかぁ」とか思ったりした訳ですが、結局はGWは音楽三昧に終わりかけた夕方頃、ふと思い立って、「せめてインストールくらいは終わらせとこうか」と、作業を始めたはいいが、実はこれが未だ終わらないんですよ。

 それにしても、このインストール作業はなんなんでしょうねぇ。私、この手の作業はもしろ好きな部類ですが、もはや辟易しかけてます。いや、作業事態は難しくないないんですが、どうにもプロセスが多過ぎ、所要時間が長過ぎるんですね。
 まず最初にプレイオンラインとかいうプレステ上の基本ソフトみたいなものをインストールして、これに数十分。その後、ユーザー登録みたいなお決まりの作業が延々とあって、再起動すると今度はアップデート、これに一時間近くかかるんですね。
 次にFF11本体のインストール、これも数十分かかって、これでやっと終わったかと思うと、まだまだ終わらない(笑)。本体ごと再起動して、ゲームのところから、FF11を選んで起動させようとすると、「これは起動出来ない」旨の表示が出て、「そっか、プレイオンラインの方から起動すりゃ、いいんだな」とか思って、そっちから起動しようとすると、今度は「コンテンツを購入しろ」と来るんです。「はいはい、わかりました。買います。毎月千何百円払いましょう」とばかりにそいつを済ませ、やっとオープニングと思いきや、お次はどうやらFF11本体のアップデート作業が始まったらしい、あれから2時間、現在も黙々とダウンロードしてます。あぁ。

 これをハタから見ると、こういうつっこみがはいるかも。
 ・ 「拡張データもついてない古いパッケージを買って来た自分が悪い」→はい、よく確認せずパッケージを購入した私が悪うございました。
 ・ 「セキュリティはしっかりやらねばいけません、その手間を省こうとすると後で痛い目に遭います」→はいはい、セキュティは大切です、職場でもそんなことをいってます。
 ・ 「光回線ならもっと早いハズ」→はい、はい、はい、どうせうちはCATV回線の貧乏人でございます。さいです。プロダクション・サイドに一切責任はございません。

.....だけどなぁ。これプレステ2ですぜ。リッチなグラボを装備したパソコンなんかじゃないのよ。簡便さがメリットのゲーム機、プレステだってーの。なのにもう半日もインストール作業してるってのは、なんだかなぁ....と思ったりする、私って、やっぱわがままなユーザーなんでしょうか。

 そんな訳で、せっかく貰ったワールドパスも、本日は使えそうもありません。その方がアドヴァイスしてくれたように、サーバーにログインするのは、もうすぐ始まるキャンペーンが始まってからの方がよさそうかも。せめてオープニング画面くらい見たかったんだけどなぁ(涙)。
 
 FF11始動せず!!!。
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ロッシーニ序曲集/オルフェウス室内管弦楽団

2005年05月08日 17時04分47秒 | クラシック(一般)
 まだまだ続くロッシーニ序曲集(笑)。今回は先日中古で購入したオルフェウス室内管弦楽団によるアルバムを聴いてみました。オルフェウスCOは二十数名のちいさなオケで、指揮者を置かずに実現した、その精緻なアンサンブルが、デビュウ当時大いに話題となったものですが、その時のアルパムがこれという訳です。なるほど、たまげる程にきれいに整ったアンサンブルです。まさに一糸乱れぬという形容詞がこのくらい相応しいオケもないという感じで、聴いていてとにかく爽快、ここまで来るとスポーツ的快感という感じもしないでもないですが、とても楽しめたことは間違いありません。

 オルフェウスCOというと私は、数年前にシェーンベルクの室内交響曲を演奏したアルバムを購入しことがありますが、なにしろあの曲は精緻な演奏が揃っていることもあり、一聴してとてもモダンで柔軟な演奏だなとは思いましたが、このアルバム程には驚きは感じませんでした。やはり、「セビリアの理髪師」みたいな耳タコ状態の曲だと、私みたいな素人でもオケの特徴が、いやおうなく伝わってくるというところなんでしょう。
 とにかく、オケの人数が少ない上、弦などまるでMIDIでシンクロしてるんじゃないかと思うくらい(笑)、細部まできっちり揃ってますから、各声部が非常にくっきり聴こえます。また、リズムはシャープでアクセントもとても鋭く、演奏かなりドライでモダンな印象ですが、この手の演奏にありがちな厳しさばかりが目立ったり、機械的な演奏というパターンに陥っていないのは、このオケが旋律をあっけらかんとするほど良く歌い、どこからくるか分かりませんが演奏のそこかしこからオプティミズムのようなものを発散しているからでしょう。

 あと、このアルバム選曲もユニークで、「どろうぼうかささぎ」や「ウィリアム・テル」といった有名曲がいくつか落ちているかわりに、他の序曲集ではお目にかかれない珍しい曲が4曲ほど入ってのす。これがまたけっこう聴き物で、どれもロッシーニらしさたっぷりつまった曲だったので、けっこう拾い物の感がありました。
 具体的にいえば、「タンク・レディ」は「セビリア」を小型化したような作品で、中間部のずんずん盛り上がるロッシーニ・クレッシェンドが聴き物。「幸福な錯覚」は本編の振幅の激しいダイナミズムが特徴。「結婚手形」はどちらかといえば古典派風の平安さとプロポーションを持った作品。比較的大規模な「イタリアのトルコ人」は長目の序奏から次第に盛り上がっていく作品で、推測ですけどこれを入れた替わりに「どろぼうかささぎ」は選曲から落ちたんじゃないでしょうか。

 あと、音質ですが、小さめのホールのステージにかなり近い席で聴いてるような録音パターンで、残響や低音も含め、かなりタイトな録音です。また、これまで聴いた序曲集の中では録音が一番新しいため、そのクリアさ、低域のコシといったあたりは群を抜いてます。
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ELTON JOHN / Live In Australia

2005年05月08日 11時55分08秒 | ROCK-POP
 1970年代頃、ロックの映像情報が圧倒的に欠乏していたの日本のロック・ファンがその渇望を癒すべく、貪るように観ていたのが、NHKが不定期にやっていた「ヤング・ミュージック・ショー」という番組。ストーンズの「ハイド・パーク」に、クリームの「ラスト・コンサート」、「スーパー・セッション」などなど、この番組には本当にお世話になりました。そんな「ヤング・ミュージック・ショー」で忘れられないプログラムのひとつが、73年に放映されたエルトン・ジョンのオーケストラ帯同ライブ。

 当時のエルトン・ジョンって、「クロコダイル・ロック」なんかをヒットさせ、シンガー・ソング・ライターっていうイメージじゃなく、むしろグラム・ロック的にギンギラギンなシンガーってな感じでしたから、こういう格調高いライブでもって、改めてエルトン・ジョンのイメージが更新されたというか、矯正されたのでした(実はそのどっちもエルトンの実像ではあることは周知の通り)。いずれにしても、この番組を録ったテープを私は毎日毎日飽きずに聴いて、その後、名作「エルトン・ジョン」を購入して、その次に....という経緯をたどってますから、当時ラジオで盛んにオン・エアされていたシングル・ヒットを除けば、この「ヤング・ミュージック・ショー」の音が、私の本格的エルトン・ジョン初体験だったという訳です。

 ところがこの映像、その後観たこともないし、音源がCD化されたという話も聞いたこともありません。もう一回あれを観たい、いや聴きたい....。思えば、そんな渇望をもう20年くらい抱き続けている訳ですが(笑)、87年にそれを半分くらい満足させてくれるかもしれないアルバムが発売されました。それがこの「Live In Australia」というライブ盤なのです。
 このアルバム、録音は85年と新しいものの、72年頃のオーケストラ帯同コンサートを再現したツアーを収録したライブ盤ということで、大いなる期待のもとに購入した訳ですが、結果は無惨でした。なにしろ、エルトンのボーカルが潰れてかすれ気味で、高域がほとんど出ていないという非常に苦しいコンディションだったんです。曲は72年頃のものばかり、デジタル録音でオーケストラの音はとてもブリリアントと、お膳立てはすべて揃っていたハズで、オーラス前に「布教本部を焼き落とせ」でもって、大いに盛り上がるあたり、あの時と全く同じ趣向だっただけに、なんとも残念でした。(あっ、そうそう、その後「ヒア・アンド・ゼア」の拡大版も出たましたけど、あれのディスク1にオケが入っていたら、かなり近い線だったんですがね~)。

 という訳で、この「Live In Australia」からですらもう十数年経つのに、私は未だに「ヤング・ミュージック・ショー」の映像と音に再会できていません。近年の「ワン・ナイト・オンリー」など聴くと、仮に今あれと同じことをやっても、「Live In Australia」以上に声は出ないことは必至ですから、おそらく再現というのはありえないでしょう。となると、オリジナルが発掘されるまでは、この作品で我慢するしかないのでしょうか。なんか最近では、ヤング・ミュージック・ショーと「Live In Australia」が記憶が浸食し合っているようで、「あれ、ヤング・ミュージック・ショーのオープニングは「ユア・ソング」だったっけ、それとも「60歳の時」?」みたいにごちゃごちゃになってきてます(笑)。こうなったらブートに手を出しちまおうかなぁ、いや、いかん、いかん....などと煩悶しながら、今日も私は「Live In Australia」を聴くのであります。

 ※ 個人的メモ:ヤング・ミュージック・ショー/エルトン・ジョン
   収 録:72/02/05、ロイヤルアルバートホール / 放映日:73/10/28、74/03/23
   曲 目:Your Song/Take Me To the Pilot/Sixty Years On/Tiny Dancer/The King Must Die/Indian Sunset/Border Song/Madman Across the Water/Burn Down The Mission/Goodbye
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DEEP PURPLE / Machine Head (DVD Audio)

2005年05月07日 14時51分41秒 | ROCK-POP
 ディープ・パープルはロジャー・グローバーを中心に旧作のリマスター(リミックスを含む)が順次進行中ですが、その副産物?としてしばらく前に「マシーン・ヘッド」がマルチ・チャンネル化され、DVD-Audioとして発売されてます。これまで2chのパートしか聴いたことがなかったので、今日は5.1chのパートを聴いてみました。

 一聴して感じるのは「こりゃもう、別物じゃねぇか」ですかね。「ハイウェイ・スター」のオルガン・ソロの前半でぐるぐる回るのは当たり前。ともかくその異様なほどの分離の良さは、自分がティー・エイジャーの頃聴いていたパープルの「マシン・ヘッド」のあの音じゃありません(笑)。どうやらオーバーダビングされたギターやオルガン、バック・ヴォーカル等を積極的にリアに割り振っているらしく、重ねた音が他のチャンネルに行った分、メインの音がぐっとリアリティを増したといったところなんでしょうが、なにしろこの三次元的に音が再配列された「マシン・ヘッド」は、良くも悪しくも違和感ありまくり!。

 例をあげれば、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」ではギターのリフは、左チャンネル、途中からユニゾンするオルガンはサブ扱いなのか右後方、歌が始まると右チャンネルみたいな配列だし、「スペース・トラッキン」の中間部ではタンバリンが左後方に出てきたりします。ついでに、アルバムを通してヴォーカル、スネア、ベースはセンター・スピーカーはぴたりど真ん中に定位、特にベースは左右からは全く聴こえずセンターのみということで、左右のチャンネルの音からベースが抜けた分、やけに風通しがよくなってます。ついでにライドやハイハット類が前方と後方の真ん中、つまり頭の真横あたりで定位して鳴っているのも、立体感に拍車かけてます。

 そんな訳で、これはこれでアリだとは思うし、まぁ、おもしろいのも確かなんですけど、マルチ・チャンネル・ソースって、まだまだ過渡期なんだろうな、と思うのもまた事実。クラシックみたいに、ホールの音を丸ごと録るってのには適しているのかもしれないけど、マルチトラックで音を重ねまくったソースってのは、リミックスする人の嗜好、センスでどうにでも変えられますからね。とにかく、沢山の人に聴いてもらって、マルチ・チャンネルの音のコンセンサスが出来上がるのを待つか、とんでもない傑作が出てきて流れを決めるしない....とも思ったりしてますが、どうでしょうか?....ってーか、そもそもマルチチャンネルが定着するかという問題も、現段階では依然として不透明ですけど(笑)

PS: ちなみに2chの方ですが、CDのリマスター盤より繊細な音です。押しやコシの強さはCDの方がしっくりきますが、イアン・ペイスのシンバルの粒立ちなど、さすがCDにはないHiFi感があります。
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スウィング・ガールズ

2005年05月07日 00時18分17秒 | MOVIE
 めちゃくちゃ楽しい青春&音楽映画でした。私みたいな音楽好きじゃなくとも、おもしろいこと請け合いですね。ことこの映画に関しては、いろいろな場所で話題に出、ネタも何も語り尽くされているような感もあるのですが、せっかくDVD観たので、映画中、ぐっときたところを2,3書いておきたいと思います。

 ひとつめが、関口香織役の本仮屋ユイカが信号のところで、ふと立ち止まり信号のクリック音みたいな旋律から、ジャズのオフビートを会得というか体感するところから、ミュージカルみたな繋ぎのシーンを経て、スーパーの前では演奏では、別人の如くメキメキと上達、それを聴いたリタイアした仲間が戻ってきて演奏加わるまでの流れ。ちょっと調子良すぎるかもしれませんが、音楽を学んで、好きになって、上達して、バンドの結束が出来て....という音楽的お約束が、短い時間に、まさに映画的としかいいようがない巧みな表現で描かれていて、なんか観ているこっちまで、音楽巧くなったような気がして、ほんと高揚しまくりました。

 もうひとつが、いよいよステージに立っていざ演奏という時に、やっぱり本仮屋ユイカが音叉を鳴らして全員がチューニング始める場面。ここもいいです。勢いにまかせ、勇み足で演奏始めそうなところを、チューニングの場面をあえていれたことで、さぁ、演奏が始まるというという厳かさみたいなものを表現したと同時に、スウィング・ガールズ達も音楽家として成長していることを感じさせるんですよね。些細な場面かもしれませんが、ぐっと来ました。

 続くステージ・シーンですが、全てのドラマはここめがけて流れてきた訳ですから、「ムーンライト・セレナーデ」のテーマが流れた瞬間、得もいわれぬ達成感と感動につつまれて、涙腺もゆるみっぱなし。しかし、ほんとうにスブの素人の出演者達が、ほんの数ヶ月でこんなに出来ちゃうもんなんだな、と感心しましたね。特にドラムのコ、巧いとか下手とかいう以前に、けっこうタメの効いたノリが音楽的で良かったです。このタイコのおかげでステージの音楽が生き生きしてたと思います。やっぱタイコは重要です(笑)。

 あと、主演の4人はマジ系の上野樹里[陽]-本仮屋ユイカ[陰)、ギャグ系の貫地谷しほり[陽]-豊島由佳梨[陰]の2ペアが絶妙な配置で、会話も筋運びも実に映画的なおもしろさ溢れてました。また、この4人がどれもいかにも今時な女子高生を演じつつも、みんなさわやかなので、すんなり感情移入できたのも良かっです。みんな可愛かったし(ベースの水田芙美子も捨てがたいが-笑)。

 PS:似たような映画でも「青春デンデケ」は高校3年、こっちは1年だから、まだまだ青春が始まったばっかり、陰りがなくて底抜けに明るいですよね~。
コメント (4)
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