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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ジョン・ピザレリ/ミーツ・ザ・ビートルズ

2005年05月06日 19時12分14秒 | JAZZ
 ジョン・ピザレリは弾いて歌えるジャズ・ギタリストということで、最近でも快調に活動を続けていますが、このアルバム1988年のビートルズ集です。この人、レギュラーはピアノ・トリオ、それもギター、ピアノ、ベースという、ナット・キング・コールばり古いタイプのトリオで活動しているようで、ここでは様々な編成をとってはいるものの、基本的にはこのトリオをベースに録音されているようです。編曲はなんとドン・セベスキー!。彼はオガーマンやネルソンあたりと並んで60年代のヴァーブやCTIでイージー・リスニング・ジャズの編曲で、健筆をふるってきた人ですが、この人の参加が光ってます。なにしろ表ジャケの下部には誇らしげに、Arranged And Counduct by Don Sebeskyとクレジットされているくらいですから....。

 さて、内容ですが、選曲はメジャーなものから渋目のものまで多彩。アレンジもけっこう多彩で、聴く前は全編スウィング・ジャズ的なものに染まっているのかとも思っていたのですが、さすがにドン・セベスキーのクレジットは伊達じゃないというか、セベスキーならではの曲もけっこう入っていたのはうれしい驚きでした
 まず、ジョン・ピザレリらしいスウィング・ジャズ的なものとしては、レギュラー・トリオのみによる演奏による「夢の人」、あとはドラムやビッグ・バンドを加えての「キャント・バイ・ミー・ラヴ」「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」あたりがいかにもそれ的なアレンジです。あっ、あと「エリナー・リグビー」もそういった路線ですがインストゥルメンタルです。

 また、セベスキー編曲によるオーケストラが帯同としたゴージャズ路線としては、「ヒア・カムズ・ザ・サン」,「アンド・アイ・ラヴ・ハー」,「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」,「フォー・ノー・ワン」の4曲が極めつけですかね。まさに懐かしのCTIかヴァーブのアルバムでも聴いているような感じがします。ヴァーブといえば、思わずニヤリとしたのが「ゲット・バック」。ウェス・モンゴメリーの名作「ムービン・ウェス」を思わせるビッグ・バンド・アレンジにのって、リズムを刻むギターまでウェス・モンゴメリー風なのは笑ってしまいましたが。
 あと、アルバム中では異色だと思いますが。アコギだけをバックにしっとり謳う「悲しみをぶっとばせ」もなかなか味わい深いものがありました。

 全般的に手垢のついた名曲ほど、サビから歌ってみたり、表情やテンポを大きくかえてみたりとあれやこれやと手を加えているようですが、ともあれ旋律の加工だけに依存していないアレンジは、まさしくジャズのもので、ナット・キング・コールが歌ってるみたいな「キャント・バイ・ミー・ラヴ」、ボサ・ノバ調の「ヒア・カムズ・ザ・サン」、ゴージャス極まりない「フォー・ノー・ワン」などを、オリジナルと様変わりさせて聴かすあたり、ジャズの妙味が味わえたようでとても楽しかったです。
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渡辺香津美/Mo' Bop II (SACD)

2005年05月06日 17時59分00秒 | JAZZ-Fusion
  渡辺香津美のニュー・エレクトリック・トリオ第2作です。ジャズの場合、こうしたスーパー・グループ的な組み合わせというのは、大体1作目は非常に斬新かつ新鮮だが、2作目以降は洗練やまとまりは出てきても、マンネリズムに陥ることが多いのは周知の事実。今回の作品の場合、例えば、かつての「スパイス・オブ・ライフ」とその続編に比べれば、格闘技的なスリルと緊張感のようなものは依然として健在ですから、まぁ、あれほどの落差はありませんけど、インパクトという点では、やはりちと落ちるというのが正直なところです。ただ、例の不気味なくらいヘビーな重量感のようなものは、1作目以上かもしれませんし、完成度は当たり前のように高めてますから、どっちをとるかは、まぁ、人それぞれだとは思いますが....。

 で、今回の作品いきなり「クレオパトラの夢」から始まるの意表をついてます。この曲、もちろんバド・パウエルの作ったジャズ・スタンダードな訳ですが、これをメカニカルなファンクで料理しているあたり、最初からこのトリオのヴァーサタイルさ全開という感じで楽しいです。
 3曲目「Mystic Sand」は4ビートを複雑なキメが交錯しつつ、徐々にトリオ全体がテンションを上げていくという、いかにも渡辺香津美が仕掛けそうな曲でスリリングさではアルバム随一ですかね。5曲目は隙間だらけで、時に弛緩しそうになるすれすれなところで緊張感を誘う、調度「MOBO」をコンセプト再現したような音。「MOBO」といえば、アルバム・ラストは「遠州つばめ返し」の再演で、これは前作の「ROBO」並に強烈なテンションを楽しませます。
 あと、6曲目「Cry Me A River」はお馴染みの大スタンダードで、こっちは同じスタンダートでも「クレオパトラの夢」のような仕掛けはなく、ストレートにこの大バラードを情感深く歌い上げてるあたり、しばらく続いたアコスティック路線の成果なんでしょうね。

 という訳で、前作の「ROBO」みたいな、圧倒的スピード感でぶっち切るような曲が、オーラスの「遠州つばめ返し」まで出てこないため、アルバム全体の印象としては、疾走感のようなものはちと控え目、そのあたりがちょいと残念でした。あと、前作に比べると全般的にジャズ的なオーソドックスさに回帰しているような印象もあり、まぁ、そのあたりでこのアルバム、多少落ち着いた雰囲気を醸成しているのかもしれません。
 ちなみに今回もSACDで、音質的にはほぼ前作を踏襲している感じですが、低音の量感が大分アップして、前作にも増して重量感ある音になっているという感じです。低音がきちんと再生できるシステムでこれを鳴らすと、このアルバムのヘビーさは、確かにただごとではありません。 
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ティエリー・ラング/プライベート・ガーデン

2005年05月06日 00時07分37秒 | JAZZ-Piano Trio
 2月に取り上げた、「ビトウィーン・ア・スマイル・アンド・ティアーズ」に続く93年の作品です。基本的には前作と同様な路線、つまりキース・ジャレット的な透明感や叙情をベースに作られた、いかにもヨーロッパナイズされた端正で静謐なジャズという感じですが、前作から2年間という時の流れがきっとそうさせたんでしょう。独特な透明感にせよ、ジャズ的なプレイにせよ、前作に比べより深みを増した表現になっているのは、注目していいでしょう。

 収録曲では1曲目の「A Star To My Father」や2曲目の「Nunzi」、あと6曲目のタイトル曲などは、ラングならではの既視感を誘うような音楽で、相変わらずうっとりとさせられるほどの素晴らしさですが、今回はそれにも増して、3曲目の「星影のステラ」がいいです。
 おそらくスタンダーズの同名アルバムでの名演にインスパイアされて取り上げたものと思われ、思索的なムードから徐々にテーマを明らかにしていく冒頭部分や、テーマの後、テンポを上げトリオ・ミュージックに雪崩れ込んでいき徐々に熱っぽくなっていくあたりに濃厚な影響を感じさせますが、それでいて彼特有の「淡さ」のようなものが、きちんとオーソドックスなジャズの中に聴こえてくるのがいいんですよね。
 コルトレーンの4曲目の「Giant Steps」では、最後にテーマを演奏してあっけなさみたいなものもカッコいいですし、7曲目の「I Hear A Rhapsody」も「星影のステラ」と同様な意味でもいい感じ。

 それにしても、全く個人的な好みではあるんでしょうけど、ジャズではこの人の音楽くらいしっくり来る音楽もないです。肌に馴染むというか、ジャズという音楽へ対峙の仕方が他人とは思えないというか....とにかく、無性に好きだなぁ、この人の音楽。
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ハイドン交響曲第94,96,104番/テイト&ECO

2005年05月05日 17時34分46秒 | ハイドン
 先ほど、ハイドンの交響曲第94番「オックスフォード」について書いたところ、ネット仲間であるくれるぼさんから「あなたの好みからして、ハイドンの交響曲なら52,53,60,90番がお薦め」旨のアドバイスを頂いたんですが、残念ながらそのどれも自宅にない状況なので、渇をいやすべく(笑)、現在、自宅にあったジェフリー・テイト指揮イギリス室内管による、交響曲第94番「驚愕」,第96番「奇蹟」,第104番「ロンドン」の演奏を聴いてます。このアルバム、もう10年前くらいに購入したものですが、ほとんど初めて聴くみたいなもんなので、けっこう新鮮でした。

 ジェフリー・テイトって、確かモーツァルトで有名になった人だと思いますけど、どっちかというとこの演奏もその線だと思います。落ち着いてはいるが、鈍重でない。また、軽快だが、キレがあるというほどではないという、いわば中庸の美徳を全開にしているような感じです。オケのイギリス室内管はバレンボイムの頃から弦が魅力的でしたが、ここでもそうで、さやさやとした弦の響きがとても魅力的です。ベートーベンを予告するような威容を誇る第104番「ロンドン」など、モーツァルトのような柔らかさでもって演奏されているのは、おもしろいです。まぁ、そういう理由で、さっきのバーンスタインの演奏より、こっちの方が朝のBGM向きですかね。いや、もちろん曲は違いますが....。

 そんな訳で、このところヘビー・ローテーションで聴いていたロッシーニ、ベートーベンに続き、ハイドンまでその仲間入りしそうです。ハイドンはあれこれ悩むのが面倒くさいので、さっき交響曲全集をタワーで購入しちゃいました。ついでにジェフリー・テイトの演奏もおもしろそうなので、モーツァルトの交響曲全集もついふらふらと....。そんな購入したところで、休みもそろそろ終わりだし、いつ聴くんでしょうねぇ(笑)。
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ベートーベン序曲全集/ジンマン&TOZ

2005年05月05日 13時18分20秒 | クラシック(一般)
 先週の「ベートーベンの序曲」のところで、「「レオノーレ序曲第1番」の入っているアルバムを注文した」旨を書きましたが、先日届きました。デビッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハーレ・オーケストラによるARTE NOVAから出た2枚組です。タイトルで全集と謳ってるくらいですから、序曲の類は多分これで全部なんでしょう。ともあれ、これで心安らかにベートーベンの序曲を堪能できます(笑)。

 ちなみにこのアルバム、値段は2,000円でとても安いのです(輸入盤ならもっと安いでしょう)。ARTE NOVAというレーベルはメジャーのBMGがやっているNAXOSみたいなデジタル新録による廉価盤専門のレーベルですが、このレーベルでベートーベン全集とか、R.シュトラウス集とかを大事業を果敢に敢行しているのがこのコンビで、評判もとても良いらしいです。ちなみにジンマンはボルティモア響と組んでテラークにもガンガン録音してますから、きっと昨今の人気指揮者のひとりなんでしょうね(昔からフィリップスで名前は見かけてましたけど)。

 曲は「プロメテウスの創造物」からスタート。演奏の違いを指摘できるほどこの曲には馴染んでいませんが、和音を叩きつける様な序奏からして、句読点をはっきりと表現した鋭いリズムが印象的です。本編の部分もかなりテンポが早いので、これまで聴いていた大昔の指揮者とオケによる演奏より、モダンな印象を受けます。
 さて、問題?の「レオノーレ序曲第1番」ですが、一聴した印象としては序奏部はちんたらしてるし、本編もイマイチ不発気味で、こりゃ、ボツにするわなぁって感じ(笑)。

 この他に初めて聴く曲としては、「命名祝日」、「シュテファン王」、「献堂式」の3曲がありました。どれも作品番号からすると後期の作品のようですが、「命名祝日」は第7番みたいなリズミカルさが印象的。「シュテファン王」は民族風な序奏がおもしろいですが、本編いつもの英雄風なベートーベン節って感じです。ただ、全体としては多少ギクシャクした感じもあります。「献堂式」は10分を超える大作で、いかにも晴れの式典の入場に向きそうな序奏部、壮麗でスケールの大きな本編と祝典的な雰囲気にあふれていますが、ベートーベンらしい闘争心のようなものは希薄に感じました。

 最後に音質ですが、基本的にはホール・トーン重視なタイプで、NAXOSと比べると、ドイツ・オーストラア風にしっかりとした低音が底辺を支えているのが印象的。したがってベートーベンにはおあつらえ向きの音となってます。あと、ティパニあたもクリアに収録されますから、それなりにHiFiかな。 
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ハイドン交響曲第92番「オックスフォード」他/バーンスタイン&VPO

2005年05月05日 11時39分16秒 | ハイドン
 GWということもあり、このところ「休日の朝に聴くクラシック」みたいなネタばかりのような気もしますが、本日はハイドンをひっぱり出してきました。ハイドンの曲を私は沢山は知りませんが、通称「オックスフォード」と呼ばれる交響曲第92番は大好きな曲です。全体は他のハイドン作品と同様、緻密でありながら、表向きは淀みなく流れていくという、例の調子ではあるのですが、この曲だと随所に短調の部分が織り込まれているのがいいです。ふと時が止まって、17世紀のドイツ・オーストラの田園風景に連れていかれるみたいな感じになるんですね。

 演奏は、バーンスタインとウィーン・フィルが84年に録音したアルバムを聴きました。この演奏、確かにオケの音色は極上なのですが、ちょっとテンポが遅く、表情が濃厚なせいで、まるベートーベンを聴いているみたいになっちゃうのが気にかかります。もう少し軽快でスマートな演奏で聴きたいってのが、さっき聴いた印象ですかね。昔はレコードでこの曲の演奏を、サヴァリッシュ、マリナー、セルといろいろ聴き比べできたのですが、CD時代に入って古典派をずっとほったらかしにしていたツケなんでしょう。どれも既に手許ないのがツラいです。ネットでCDを検索してみましたが、あまり出てきません。「オックスフォード」....否、ハイドン自身が、今じゃ、あんまり人気ないのかもしれません。

 ところで、ハイドンの作品に限らず、いわゆる古典派の作品群というのは、ロマン派どっぷりな私には、あまり得意な分野じゃないんですよね。とにかく曲数がやたらと多く、識別困難に陥ること多数、よってメゲる....みたいなことにいつもなっちゃう。まぁ、古典派の音楽ってのは、基本的には「BGMとしてひたすら心地よく、完成度の高いのが良い音楽」みたいな認識に立って音楽を作っていたハズですから、私みたいに純文学でも読むつもりで聴こうってのが、そもそも間違いなんじゃないかとも思ったりもするんですけど....。

 とりあえず、今回久々に心地よくハイドン聴けたことだし、せっかくの機会だから、ロンドン・セットとかパリ・セットでも、改めて挑戦してみようかなぁ。今回はくれぐれもBGMと割り切って....(笑)。
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ココ・リー/ジャスト・ノー・アザー・ウェイ

2005年05月04日 01時25分09秒 | 台湾のあれこれ
 ココ・リー(李[王文])は香港生まれのサンフランシスコ育ち、台湾で発見され売り出されたボーカリストです。90年代後半には既に台湾では、MTVかかりまくりの大スターでしたが、このアルバムはワールドワイドで勝負をかけるべく、米国スタッフによる演奏、プロデュースで作り上げた、99年発売の全曲英語によるアルバム(このジャケの構図、どっかで見たことあるような-笑)。

 仕上がりとしては、もはや完全な米国産モダンR&Bです。何しろ彼女はサンフランシスコ育ちで英語が母国語ですから、北京語で歌うより、むしろこっちの方が自然で生き生きしてますし、曲調もサウンドもアメリカ流に抜けきった感じで、聴いた感覚としては台湾ポップスの痕跡はほとんどなし。どっかのFMでもかかっていても、馴染みまくりそうな音楽。
 ただ、ココ・リーって、歌い方はほぼ完璧にコテコテなR&B唄法ではあるんですけど、声質そのものは脂っこさがないというか、割とクリーンなタイプなんですね。そのあたりが、黒人や白人が歌うR&Bとは違った、さらさらした感覚があって、黒人音楽のコテコテ感が得意じゃない、私みたいな人間が聴いても、やたら気持ちよく快適なのかなぁ、と勝手に想像したりしてます。

 ちなみに、ココ・リーって人、このアルバム以降も北京語や広東語のアルバムはけっこう出しているようですが、本作と同様なワールドワイド路線なアルバムってのは、その後出してるんでしょうかね。今、ネット調べてみたんですけど、よくわからなかった。あまり売れなかったのかな。そうに違いない。ここまでやって売れないなんて、やっぱ米国の音楽市場はキビシイんですねぇ~。


PS:余計なことですけど、わが宇多田ヒカルの「Exodus」を聴いた時、どうせワールドワイド狙うならせめてこアルバムくらいは、ブッチ切った内容にして欲しかったと思ったな。
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坂本龍一 スネーク・アイズ (Soundtrack)

2005年05月04日 00時34分56秒 | サウンドトラック
 映画というものは、昔はほとんど名画座に通い詰める....ってなノリで、およそ映画と名のつくものならシリアス作品でも、ミュージカルでも、はたまたポルノでもなんでも観たという感じだが、現在ではもうほとんどヒデオでしかみなくなってしまった。これももちろんビデオで観た作品。主演は売れっ子ニコラス・ケイジ、監督は私の大好きな技巧派ブライアン・デ・パルマ、音楽が坂本龍一(ハリウッド・デビュウとなる)というおもしろい組みあわせでもって、制作されたスリラー作品である。

 ストーリーはアメリカのとあるスポーツ・アリーナでボクシングのタイトル・マッチが行われ、それを視察しにきていた国務長官が何者かに射殺される。アリーナは閉鎖され、ひょんなことからそれに遭遇した悪徳刑事(ニコラス・ケイジ)が、事件にかかわったことから、そこに潜む陰謀が徐々に明らかになる....というものだ。
いかにもブライアン・デ・パルマ好きそうなトリッキーな設定だが、映画そのものも久々にデパルマらしい技巧の冴えが存分に楽しめるものとなっている。なにしろ、冒頭の15分近いワン・カット撮影が凄い。主人公のニコラス・ケイジが2階らしいTVスタジオ風なところから、部屋を出て廊下で数人と会話し、その後チンピラを追ってエスカレータで1階へ降り、そいつをとっちめて金をせしめるると、エスカレーターを降りてきたチャンピォンに歓声を送り、そのまま会場へ入り、旧友と再会、あれこれ話して、やがてイスに座って試合開始、その後、観客の不穏な動き、謎の女の登場、そして銃声と、ストーリーの序盤を一気にワン・カットで収めている。それはまさに目がくらむような映像体験であり、ハリウッドの映画作品としては、異例なほど実験的な表現ともなっている。まさに久々にデパルマらしいタッチを堪能させもらったという感じである。

 その後、ストーリーはどんどん意外な方向へと進んでいき、観客はほとんど事件に翻弄され続けることになる訳だが、中盤になると事件の真相はあっけないくらい明かになってしまう。このあたりはヒッチコックの「めまい」の故知に学んだのだろう。ともかく映画の眼目は「意外な真相にあらず」というところなのだ。事件を追う主人公はまったく別の地点から真相に到達するが、その時点で、あの冒頭においてワンカットで収められたシーンが、今度はまったく違う視点から再度語られることになり、後半は黒澤の「羅生門」よろしく、まさに映像による謎解きいった格好になっているのだ。つまり、観客はあの時見せられた映像がまったく違った意味合いを持っていたことに気がつくという趣向なのだが、これもまたデパルマらしいとしかいいようがないものだ。他にもスローモーション、分割画面などなどデパルマらしい趣向が作品中に横溢しており、ファンならめっぽう楽しめる受け合いである。

 さて、坂本の音楽だが、デパルマという人はかなり音楽にもウルサイ人のようで、この作品で坂本が起用されたのはおそらく「ラストエンペラー」等のベルトリッチ作品での貢献度に注目してのことだろう。ピノ・ドナジオの明るく壮麗な旋律を好んで使用するデパルマ作品には、坂本の作る旋律はやや暗い印象もなくはないが、全体に弦を主体にした沈痛で不穏な音楽でもって進んでいくあたり、映画の趣におおいに貢献しているといってよかろう。
 メイン・タイトルは、「西洋人が期待する東洋の映画音楽家坂本龍一」のイメージに答えるべく、いつものペースで押し切っている感じだが、パニックの場面の音楽では、坂本の粘着質であるがタイナミックなサウンドが、デパルマ風の容赦ない描写と見事一致しており、作品を見事に盛り上げている。それにしても、坂本は弦のアレンジがうまい。この作品ではどうやらバルトークあたりを元ネタにしているようだが、ニコラス・ケイジ扮する主人公の行き交う倦怠感と正義感の狭間のようなものが、弦の微妙な動きでもってよく表現されており、けだしサウンド・トラック中の聴き物となっている。(1999年9月21日)


※ 昔。映画評として書いたものをちょっとたけ改訂しました。その後、坂本はデパルマと組んでいませんが、やはり坂本の翳りある旋律は、派手好きなデパルマの好みは合わなかったんでしょうね。
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MADS VINDING TRIO/Six Hands Three Minds One Heart

2005年05月04日 00時07分53秒 | JAZZ-Piano Trio
 ベースの名手、マッズ・ヴィンディングがリーダーとなったトリオ作品です。2000年頃、新譜で購入したはずですが、何故だかほったらかしにしてあったので、GWでくつろいでこともあり、久々に取り出してきました。記憶では、「スタンダーズをやや細身にしたようなトリオだな」くらいの印象だったのですが、このところヨーロッパのいろいろなピアノ・トリオを聴いているところでもあり、多少こちらの感覚も変化してきているのか、改めて聴いて見ると、思わずこんなに充実した演奏だったけか!と、現在、おのれの不明さを恥じているところです(笑)。

 ピアノはカーステン・ダールという若手で、この世代特有のキース・ジャレット風な透明感と奔放なインプロ・センスをベースにしているようですが、とにかくよく歌い、もうスポーティーといっていいくらい快適にスウィングするあたりは、かなり有能さを伺わせますし、ヴィンディングとリエルが作り出す変幻自在のリズムを縦横に乗り切っているどころか、時にその上をいくようなテクニカルさを披露するなど、看過できない若手という感じでしょうか。

 演奏曲としては、1曲目の「I Hear A Rhapsody」から快調そのもの。ちょっとフリーっぽいテーマの変形から始まり、ちらりとテーマを演奏した後、すぐさまインプロビゼーションに雪崩れ込んでいく訳ですが、三人三様のかなり自由度の高い、一歩間違えるとバラバラになる寸前で、からくもバランスをとりつつ、音楽をスリリングに進行させていくあたりは、スタンダーズにかなりに似ています。次第にアウトしてピアノはキースそっくり!。
 意表をついてフリー時代のチック・コリアみたいなプレイでスタートさせるお馴染みマイルスの「オール・ブルース」、そして思索的なインプロをはさんで、エヴァンスの「ブルーン・イン・グリーン」でしめる、まるで「カインド・オブ・ブルー組曲」みたいな構成の中盤も聴き応えあるし、後半の「枯葉」の次第にテンションの上げ、上り詰めるようにホットに展開されるトリオ演奏も素晴らしいものがあります。

 という訳で、このアルバム、ヨーロッパ産のピアノ・トリオのアルバムではなかなか傑作なのではないかと思っているのですが、このトリオの他の作品はないのかと探してみたら、カーステン・ダールのかわりに、なんとエンリコ・ピエラヌンツイが入った作品があるではないですか。そういえば、カーステン・ダールのピアノって、ピエラヌンツィと共通するところがかなり大ですよね....って、今になって気がつきました。再度、おのれの不明さを恥じているところです。あぁ(笑)。
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渡辺香津美/Mo' Bop (SACD)

2005年05月03日 16時22分07秒 | JAZZ-Fusion
 レゾナンス・ヴォックス以降の渡辺香津美の作品って、どうもコレっていうのがなくて、頻発するアコスティック物、企画物には、まぁ、アーティスト側にはいろいろな言い分があるとは思うんですが、少々食傷していたキライがないでもなかったというのが正直なところ。なので、オールスターによるライブ盤「ワン・フォー・オール」あたりをきっかけに、この作品が登場したのは実に溜飲ものでした。

 さて、このアルバム、リチャード・ボナとオラシオ・エルネグロ・エルナンデスを擁したトリオによって収録された訳ですけど、スパイス・オブ・ライフやレゾナンス・ヴォックスあたりのソリッドでハードコアな渡辺香津美が復活してます。音楽はまさに充電期間で溜まりに溜まったパワーを一気に解放しているかの如き様相を呈していて、多くの演奏は極めてハイテンション、曲展開は壮絶そのもの。

 これが一番出ているが、2曲目の「Dada」と3曲目の「Robo」であたりですかね。とにかく渡辺は演奏しているミュージシャンが思わず奮起、発奮してしまうような仕掛けを満載した曲をつくるのがうまくて、前者ではコードによるテーマと高速な16ビートの組み合わせにエルナンデスが手数を全開してますし、後者でハードエッジなリフを持ったテーマと先行する渡辺のぐにょぐにょギターに、煽られてボナが見事にのせられてます(笑)。うーん、凄ぇ!。

 他の曲だと5曲目「Backdrop」のNYの変態フュージョンみたいな、とっ散らかった感じだとか、80年代に回帰したような8曲目「Neo」も良い感じ。回帰といえばオーラスのは「Tricorn」には、最後の方にちらっと「Unicorn」が登場しますが、このメンツで全部やってくれとか思うのは私だけでしょうか。
 ちなみに、こうした曲に混ざって収録された「Ring of Life」「Momo」といったバラード系の曲は、こうしたハイテンションな楽曲目白押しの中で聴くと、絶妙なリラクゼーションを発揮してくれて、とてもいい感じでした(なにしろここ数年、こういうのが冒頭から一時間も続くアルバムばっかりでしたからね-笑)。

 なお、本作品はSACDとCDのハイブリッド盤として出ましたので、当然私はSACD層を聴いた訳ですが、こういうハードな作品でも高域がキレイに伸びているせいか、突き刺さしてくるような切り込み感だとか、鋭角的なキレみたいなものがあまりなく、むしろアコースティックな音に聴こえてしまうのは、SACD故なんでしょうね。まぁ、中には、それ故にこの音つまんないという人もいるかもしれませんけど。

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ロッシーニ弦楽のためのソナタ 他/イタリア合奏団

2005年05月03日 14時21分53秒 | クラシック(一般)
 このところ序曲集をしこたま買い込んだ勢いのついでに購入してきたアルバムです。「弦楽のためのソナタ(全6曲)」は、ロッシーニが12才の頃に書いた作品らしく、昔からいろいろな人が演奏してレコード化、CD化されてましたので、作品の存在は知ってましたけど、恥ずかしながら、さきほど初めて聴きました。今朝みたいな、天気の良い、休みの朝に聴くにはぴったりの作品ですね。一聴して気に入りました。

 で、この6曲、基本的には喜遊曲風というか、愉悦感あふれるもので、モーツァルトとかハイドンの時期に共通した、耳障りの良い、すーすー流れるBGM風な訳ですけど、もうしっかりロッシーニという刻印が張り付いているのが凄いというか、にわかに12才頃の作品とは信じがたいものがものがあります。
 「このガキ、どこからこんな汲めども尽きぬ楽想が湧いてきやがるんだ」的な神童風な音楽ってのは、モーツァルトの初期の作品がまさにそれですけど、他にはメンデルスゾーンの八重奏曲なんかもその部類だと思います。この「弦楽のためのソナタ」は、さすがにそれと同等とまでいかないけど、かなり迫るものがあるんじゃないですかね。とにかく、豊富な楽想を天衣無縫かつ無造作に繰り出しつつ、出来上がった音楽がなにげに完璧なブロポーションを保っているあたり、まさしく天才のなせる技です。

 全6曲の中では、第1番と第3番の第1楽章が後年の序曲群のブロトタイプみたいな仕上がりで、ロッシーニ・クレッシェンド的な進行がちらほらするあたり思わずにんまりできます。第5番第3楽章はユーモラスな表情がいかにもロッシーニ、第6番第1楽章は流れるように楽想を繰り出す、まさにモーツァルト的な神がかり音楽で、短調になるあたりもモーツァルト風。ちなみには第3楽章は「ウィリアム・テル序曲」風なロッシーニ・クレッシェンドが出てきて、拍手喝采ってな感じ。
 余白に収録されたドニゼッティの弦楽四重奏曲(弦楽合奏版)ももちろん初めて聴く曲ですが、こちらの勉強不足があるのだとしても、ロッシーニに比べるとやっぱ個性がスタイルに埋没しちゃっているかな....って印象。BGMとして聴くには気持ち良い音楽なんですけど。

 録音は87年。日本人スタッフが録音したものらしく、楽器に近接したかなり克明な音という印象ですが、録音した宮殿がたぶんかなり天井の高いんでしょう。光沢のある弦楽器の鮮明な音とリッチな残響のブレンドがされて、けっこう私好みの音質でした。 
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ドラゴンクエストV/天空の花嫁 (conclusion)

2005年05月02日 23時51分20秒 | GAME
 1ヶ月近く、のんびりやってましたが、さきほどようやく終わりました。それにしても波瀾万丈。オヤジは殺され、奴隷にされる。そこからやっと脱出して、嫁選んで結婚したと思ったら、今度は嫁もろとも石像にされ、自分はなんかとか甦ったものの、今度は嫁さん探しな出かけるってな具合に、数あるドラクエの中でも一番山あり谷ありの充実したストーリー展開だったんじゃないですかねぇ、これ。

 前回も書きましたけど、このゲーム、主人公と組むチームの面々がいろいろ変わっていくのが、おもしろかったです。序盤では猫とビアンカ、中盤ではヘンリーとモンスター、後半が息子と娘。んで、オーラスでは家族4人ってな感じで、得意技別でモンスター育てたり、息子、娘を強力に養成したりと、割とストーリーそっちのけでやってるところ多々ありました(笑)。ただ、嫁さんのビアンカの出番が少なかったかなぁ。結婚して子供できたらあっという間に石像にされて、オーラス近くまで復活しないし、やっと復活しても、既に他の家族とのレベルの差が開き過ぎちゃって、あんまし使い物にならないという....(涙)。いや、だって物語のラストは家族で勝利したいですからね。仕方ないので、ためこんだ有り金はほとんどビアンカ様用の武器&防具につぎ込み、お宝装備品も多数彼女の手にさせた結果、ラストのビアンカは愛娘を差し置いて、金ぴか状態というなんとも瀟洒なブランド&ブロンド美人状態でしたが。

 あと、モンスターとのエンカウント率、相変わらず高いですね。それがドラクエだといわれれば、確かにそうなんだろうけど、なんか頭使うダンジョンほどエンカウント率が高いような気がするのは、私がアホなせいでしょうか。「あれ、ここどっちに進むんだけっけ?」なんて、ちょっと進むのを躊躇して足踏みしていると、ほとんど例外なく次々と出てきて、それが一段落した頃にはダンジョン内で自分のポイントを見失ってるみたいな、ほとんど笑えない場面も度々でした(やっぱ、自分がアホなせいか-笑)。
 とはいえ、今回はモンスターが妙にリアルに可愛く動いてくれたんで、以前のような苦行の如き消化試合も、今回はけっこう楽しいものがあったのもまた事実。やはりグラフィックの進化は偉大です。

 という訳で、全体としてはかなり満足度高かったです。個人的には少年時代、ビアンカと一緒に夜のレヌール城を冒険するところが、童心の頃のわくわく感みたいな気分が味わえて良かったですが(だから、嫁はビアンカにしました。金髪だからではない-笑)、子供達との冒険も楽しかったです。実は未だ隠しダンジョン、名産品集め、ギャンブル等はほとんど放置してある状態なんですが、もう満腹。未だ「ドラゴンクエストVIII/空と海と大地と呪われし姫君」も控えてることだし、このままスルーかな。
 さて、次のゲームは何をやろう?。そろそろMMOにも手を染めたいってな希望もあったりするんですど、購入済みのソフトもけっこうあるしなぁ。迷うところであります。
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PETER ZAK TRIO

2005年05月02日 00時25分31秒 | JAZZ-Piano Trio
 ピーター・ザックって全く知らない人なのですが、ドラムスがアル・フォスターってことで購入してきました。この人、大昔マイルス・バンドでは確か8ビートやってたはずですが、今じゃモダン4ビートの巨匠みたいになっちゃいましたよね。シンバルやブラシ類で刻むリズムのシャープさ、タイトさにかけては、今のジャズ界でも随一で、例の「揺れないグルーブ感」というか、ジャストなノリでたたき出すリズムが気持ち良くて、彼の名前が入ったビアノ・トリオを見かけると、とりあえず購入してしまいます。もちろんこれもそんな一枚です。

 で、このアルバムですが、やはり期待を裏切りません。1曲目からシンバル・ワークからもう「これだよ、コレ」みたいな感じで快調そのものでしたし、2~4曲目のブラシもこれまたアル・フォスター以外の何者でもない句読点の取り方で、これまたうれしくなりました。それにしても、この人のリズムってなんでこんなに快適なんでしょうね。オーラスの曲では、リズム的モチーフをテーマに、曲が進行させていくちょいモダンな感じの作品なんですが、これなどアル・フォスターあっての曲といえないこともなく、1曲目と並んで、ほとんどアル・フォスターが主役みたいなものかもしれません。

 などと、またまたタイコ屋さんばかりをクローズ・アップしてしまったので、最後に、このアルバムの主役、ピーター・ザックについて少々書いておきますと、非常にオーソドックスなプレイをする人だと印象です。ベースになっているのはハービー・ハンコックとマッコイ・タイナーだと思いますが、レッド・ガーランドやウィントン・ケリーっぽいパップ的なオーソドキシーもあって、まぁ、今時の人らしく....などいってしまうとミもフタもない訳ですけど(笑)、とにかく豊富なボキャブラリーと音楽的素養でもって、縦横にジャズ的プレイを開陳しているといった感じでしょうか。また、6割方の曲はオリジナルなんですが、妙に気張って小難しい曲を作ったりせず、オーソドックスな曲調で勝負しているのも好感がもてるところです。あと、こういうこと書くと怒られるかもしれませんが、チャーラップにはセンスの良さで負けるけど、ヘイゼルタインになら対抗できるかも....ってレベルですね、この人(笑)。

 ちなみに、録音も上々です。ブルー・ノート流の押しが強い音ではありませんが、割と全域に渡ってクリアでフラットな音質で録れているようであり、シンバル類の明晰さなど実に気持ち良いものがあります。 
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ロッシーニ序曲集/アバド&LSO

2005年05月01日 14時27分43秒 | クラシック(一般)
 そんな訳で、アバドとロンドン・シンフォニーによるロッシーニ序曲集です。結論からいうと、先日のトスカニーニの演奏があまりにも素晴らしかったので、アバドのはちょい霞んでしまったかな?というところですかね。
 これが録音された70年代前半の頃のアバドといえば、イタリアから現れた若手ナンバー・ワン指揮者みたいな感じで、これもその当時から人気の高い、いわば定評ある演奏だった訳ですけど、なんとなく期待したトスカニーニを現代にリファインしたような演奏というより、カラヤンの美麗な演奏を筋肉質にして、いくらか室内楽っぽくコンパクトかつ旋律線をくっきり浮き上がらせた....みたいな印象で、とにかくトスカニーニのような熱狂はなく、むしろ禁欲的といえるような演奏ですね。

 まぁ、もともとアバドって人は若いに似合わず、華美なものを嫌い、音楽はストイック、シャープなリズムで音楽の核心にずばり切り込むみたいなタイプだったハズですから、こういう演奏はむしろアバドらしいのかもしれませんが、もうちょっと遊んでいるかとも思ってたもんで、「やっぱ、この人、こういう曲でも生真面目なんだよなぁ」って感じですかね。
 ただ、まぁ、こういう風にビシバシとリズムがくっきりした演奏は、ロッシーニ的な愉悦感とは別かもしれのせんが、ある種の快感はあります。句読点をきっちりとりつつ、ロッシーニ・クレッシェンドの細部を克明に描写したデジタル的な表現で、ずんずん盛り上げていくあたり、これまで聴いた3種の中ではやっぱ一番モダンな感じがします。例えていうなら、これまで聴いていた演奏が、電車か列車みたいなもんだったとすると、アバドのはいきなり新幹線に乗り換えたみたいな、同じ鉄道でも感覚的にも気持ち良さが違うみたいな感じがするんですよね。(とはいっても、これ35年くらい前の演奏ですから、最近の演奏聴いたら、新幹線どころじゃなくて、リニア・モーターカーに乗ったみたいな感じでもするんだろうか-笑)

 最後に録音。この時期のアバドはボストンとやったチャイコなんかもそうでしたけど、マルチ・マイク録音の極致みたいなものが多くて、これもまるでオーケストラのど真ん中で、特に弦楽器群を至近距離で聴いているような感覚あります。
 「自然な録音=ホールトーンまるごと」みたいな観点からすると、人工的な音には違いありませんけど、これはこれでハイファイ録音のひとつの形ではあると思います。まぁ、私はこの手の直接音主体の録音が一世を風靡している時期にオーディオに目覚めた人なので、こういう音の方がしっくりくるということも否定できませんが。 
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ブラッド・スウェット&ティアーズ/血と汗と涙 (SACD)

2005年05月01日 13時55分39秒 | ROCK-POP
 ブラッド・スウェット&ティアーズ(BST)は、シカゴと並んで70年代初頭くらいの頃、「バンドの中に管楽器をやるメンツがいる」という理由で、ブラス・ロックなどと形容され、当時勃興していたニュー・ロックの旗頭的存在として一世を風靡しました。シカゴと違って彼らは、あっという間にシーンから消えていきましたが、69年に出した「血と汗と涙」というアルバムだけは、昔からロックのヴィンテージ・アルバムとして非常に高い評価を受けているものです。

 このアルバム、両端にサティの有名なジムノベティを配したトータル・アルバムとして体裁。既成曲をアレンジでリニューアルしていく手法、演奏テクニック、ロック的なダイナミックさ等々、様々な要素が非常に高いレベルで音楽に結実した完成度を誇るアルバム....というのは周知の事実ですが、現在このアルバムの音楽聴いて感じるのは、そういうテクニカルな面よりは、むしろ「このバンド昔から大人だったんだねぇ」って、割とミもフタない印象(笑)。

 例えば、「神よ祝福を」とか「ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ヴェリー・ハッピー」なんて、今聴くとスティーリー・ダンに先駆けること数年という、ほどよくジャズのテイストを取り入れた極上のAORですし、当時大ヒットしたロック的な「スピニング・ホイール」「モア・アンド・モア」にしてから、豪快ではあるが、若気の至り的ロックとは対局にある、けっこう大人のロックなんですよね。
 こういうセンスって、今から思えば当時バンド居た2人のアレンジャーのものだったんでしょうが、普通ならそのままCTIやヴァーブ・レーベルのような音楽になってしまうところを、とにもかくにもロックにできたのは、やはりデビッド・クレイトン・トーマスのヴォーカルが、極めてロック的スピリットに溢れていたからなんでしょうね。職人的に完璧なアレンジとソウルフルなロック野郎のヴォーカルが出会った時、なんともいえない音楽マジックが発動したってところですかね。

 さて、今回、この名作をSACDで聴きました。前述のとおりAORとして聴けそうなくらい完成度が高く、情報量満載な音楽ですから、SACDのようなメディアがよく似合います。アナログ盤や従来のCDではややナロウ気味な音質でしたが、リマスタリングが巧くいったのか、音の立体感や抜けは従来に比べてかなり向上しているという印象です。具体的にはベースの音程が良くわかり、手数の隠れて従来聴きとりにくかったバスドラムも存在感が伝わってきますし、左右のチャンネルくっきり振り分けられたライド・シンバルやピアノやオルガンの粒立ちもくっきりしていて、鮮度感のようなものが感じるあたり、その最たるものでしょう。

 こうなると、ほぼこのアルバムに準じた完成度を持つ「3」、少々渋いが味わい深い「4」、もちろんアル・クーパー在籍時のファーストも、ぜひぜひSACD化願いもんですが、たぶん無理だろうなぁ(笑)。
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