そんな訳で、アバドとロンドン・シンフォニーによるロッシーニ序曲集です。結論からいうと、先日のトスカニーニの演奏があまりにも素晴らしかったので、アバドのはちょい霞んでしまったかな?というところですかね。
これが録音された70年代前半の頃のアバドといえば、イタリアから現れた若手ナンバー・ワン指揮者みたいな感じで、これもその当時から人気の高い、いわば定評ある演奏だった訳ですけど、なんとなく期待したトスカニーニを現代にリファインしたような演奏というより、カラヤンの美麗な演奏を筋肉質にして、いくらか室内楽っぽくコンパクトかつ旋律線をくっきり浮き上がらせた....みたいな印象で、とにかくトスカニーニのような熱狂はなく、むしろ禁欲的といえるような演奏ですね。
まぁ、もともとアバドって人は若いに似合わず、華美なものを嫌い、音楽はストイック、シャープなリズムで音楽の核心にずばり切り込むみたいなタイプだったハズですから、こういう演奏はむしろアバドらしいのかもしれませんが、もうちょっと遊んでいるかとも思ってたもんで、「やっぱ、この人、こういう曲でも生真面目なんだよなぁ」って感じですかね。
ただ、まぁ、こういう風にビシバシとリズムがくっきりした演奏は、ロッシーニ的な愉悦感とは別かもしれのせんが、ある種の快感はあります。句読点をきっちりとりつつ、ロッシーニ・クレッシェンドの細部を克明に描写したデジタル的な表現で、ずんずん盛り上げていくあたり、これまで聴いた3種の中ではやっぱ一番モダンな感じがします。例えていうなら、これまで聴いていた演奏が、電車か列車みたいなもんだったとすると、アバドのはいきなり新幹線に乗り換えたみたいな、同じ鉄道でも感覚的にも気持ち良さが違うみたいな感じがするんですよね。(とはいっても、これ35年くらい前の演奏ですから、最近の演奏聴いたら、新幹線どころじゃなくて、リニア・モーターカーに乗ったみたいな感じでもするんだろうか-笑)
最後に録音。この時期のアバドはボストンとやったチャイコなんかもそうでしたけど、マルチ・マイク録音の極致みたいなものが多くて、これもまるでオーケストラのど真ん中で、特に弦楽器群を至近距離で聴いているような感覚あります。
「自然な録音=ホールトーンまるごと」みたいな観点からすると、人工的な音には違いありませんけど、これはこれでハイファイ録音のひとつの形ではあると思います。まぁ、私はこの手の直接音主体の録音が一世を風靡している時期にオーディオに目覚めた人なので、こういう音の方がしっくりくるということも否定できませんが。
これが録音された70年代前半の頃のアバドといえば、イタリアから現れた若手ナンバー・ワン指揮者みたいな感じで、これもその当時から人気の高い、いわば定評ある演奏だった訳ですけど、なんとなく期待したトスカニーニを現代にリファインしたような演奏というより、カラヤンの美麗な演奏を筋肉質にして、いくらか室内楽っぽくコンパクトかつ旋律線をくっきり浮き上がらせた....みたいな印象で、とにかくトスカニーニのような熱狂はなく、むしろ禁欲的といえるような演奏ですね。
まぁ、もともとアバドって人は若いに似合わず、華美なものを嫌い、音楽はストイック、シャープなリズムで音楽の核心にずばり切り込むみたいなタイプだったハズですから、こういう演奏はむしろアバドらしいのかもしれませんが、もうちょっと遊んでいるかとも思ってたもんで、「やっぱ、この人、こういう曲でも生真面目なんだよなぁ」って感じですかね。
ただ、まぁ、こういう風にビシバシとリズムがくっきりした演奏は、ロッシーニ的な愉悦感とは別かもしれのせんが、ある種の快感はあります。句読点をきっちりとりつつ、ロッシーニ・クレッシェンドの細部を克明に描写したデジタル的な表現で、ずんずん盛り上げていくあたり、これまで聴いた3種の中ではやっぱ一番モダンな感じがします。例えていうなら、これまで聴いていた演奏が、電車か列車みたいなもんだったとすると、アバドのはいきなり新幹線に乗り換えたみたいな、同じ鉄道でも感覚的にも気持ち良さが違うみたいな感じがするんですよね。(とはいっても、これ35年くらい前の演奏ですから、最近の演奏聴いたら、新幹線どころじゃなくて、リニア・モーターカーに乗ったみたいな感じでもするんだろうか-笑)
最後に録音。この時期のアバドはボストンとやったチャイコなんかもそうでしたけど、マルチ・マイク録音の極致みたいなものが多くて、これもまるでオーケストラのど真ん中で、特に弦楽器群を至近距離で聴いているような感覚あります。
「自然な録音=ホールトーンまるごと」みたいな観点からすると、人工的な音には違いありませんけど、これはこれでハイファイ録音のひとつの形ではあると思います。まぁ、私はこの手の直接音主体の録音が一世を風靡している時期にオーディオに目覚めた人なので、こういう音の方がしっくりくるということも否定できませんが。