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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ブラームス ピアノ協奏曲第1番/アラウ,ジュリーニ&PO

2006年03月19日 15時49分01秒 | ブラームス
 先ほどHMVに何種類か頼んでおいたブラームスのピアノ協奏曲のCDが届きました。先日、なにげなくゼルキンとセルの演奏を聴き始めたところ、すっかり虜となってしまったこの曲ですが、こうなるといろいろな演奏を聴きたくなってしまい、先日、職場の近くのショップで何枚か購入してきたものに、追い打ちをかけるように数枚注文してあったのがこれという訳です。とりあえず、現在聴いているはアラウがジュリーニ指揮のフィルハーモニアと組んだこのディスクですが、60年(62年?)の録音とクレジットされてますから、先日のハイティンク指揮のACOと組んだ演奏に遡ること10年近いものということになります。

 一聴して思うのは、ジュリーニが歌いまくっているなということです。彼らしいレガート満載だし、第1楽章の第2主題に後半の旋律だとか、随所に現れる木管の歌わせ方と、ぼやっと聴いると2番の方を聴いているような気になってくるほど。したがってブラームス的な下から上へ積み上げたような構築美というよりは、なさそうで意外にある(笑)ブラームスの旋律美みたいなものを強調した、ある意味流れ重視の演奏といえそうです。それに絡むアラウは先のハイティンクとの演奏とほぼ同様なピアニスティックな演奏を繰り広げていますが、ジュリーニはハイティンクのようにアラウに寄り添ったりせず、流動的で明るいオケのサウンドをマイペースで作っていますから、結果的に両者の資質の違いがおもしろい対照を生んでいます。バックのオケが歌謡的なセンスが強いせいで、アラウのドイツ魂みたいなものがより鮮明に浮かび上がったとでもいうか。
 いずれにしても、こういう異質なキャラクターの協演というのは、協奏曲を聴く楽しみのひとつでもありますが、その意味でこの演奏、それほど闘争的なテンションがある訳ではありませんけど、はなかなかおもしろいかったです。ついでに書けば、割と異質なキャラの協演でありながら、単なる顔合わせの妙に終わらず、聴いていて「あぁ、ブラームスを聴いているなぁ」と思わせてくれる点で、やはり優れてブラームス的な演奏には違いないと思います。

 ちなみに録音ですが、いかにもこの時期のEMIらしい細部の見通しがいい明晰なもので、アラウもフィルハーモニアの音も非常にクリーンに捉えられています。ただ、ステレオ初期のEMIの録音というのは、大抵音がオン気味で、分析的な音に拘るあまり、いささか潤いに欠けるとか、ふっくらとした量感に欠けるものが多いのもまた事実なので(カラヤンが振ったブラームスなどその好例)、ブラームスみたいな音楽の場合どうかなと思いましたが、このディスクはリマスタリングが効いているのか、いかにもステレオ初期の音ではありますが、それなりに手応えある音質なのは安心しました。  
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ハイドン 交響曲第14番「車輪」/フィッシャー&AHハイドンPO

2006年03月19日 13時12分12秒 | ハイドン
 こちらも4楽章制、すべての楽章が3~4分で、全体にテンポが早くスピーディーというか、小気味良いリズムを持った楽章ばかりが集まっているせいか、先の13番の重厚さとは対照的な印象があります。また、ソロの出番なども割と少な目で、全体としてはやや小ぶりな感はあるものの、その分均整のとれたバランスでもって、きっちり構成されたタイトな曲といったところでしょうか。

 第一楽章は序奏なしにいきなり主題が始まり、実に快活なムードに満ちています。この楽章で印象的なのは主題の伴奏として鳴っている低弦のリズムで、なにかギコギミいうような、ぐるぐると回るような音型で、ちょっと聴くとロック・ビートみたいな感じに聴こえないこともありません(ベースのフレーズみたいな)。なもので、この特徴的なリズムから、この曲の標題は「車輪」と名付けてさせてもらいました。

 第2楽章はアンダンテで、緩徐楽章というにはちょいと早めな感じで、ここでも後年の「時計」を思わせるような、ちょっと立ったリズムが出てくるあたりがおもしろいところ(もっとも「時計」の秒針より大分遅いですが)。第3楽章メヌエットはやはりかなり早目で、ちょっと陰りあるオーボエがフィーチャーされたトリオもかなりリズミックに進んでいくので、流れとして一貫性がある分、メヌエット~トリオの対照感は割と希薄かも。

 第4楽章は6/8拍子というちょいと込み入ったようなリズムで作られているのが、おもしろいところです。このあたりでどうしても思い出してしまうのが、ベートーベンの7番ということになります。あの曲はリズムを重視した楽章ばかりで構成されたことで有名な傑作ですが、調性も同じイ長調であることだし、ある意味ではこの14番はベートベンの7番のルーツといえないこともないかなと思ったりしましたが、どうでしょうか....?。もっとも7番の最終楽章は2/4拍子ですが。
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マーラー 交響曲第7番「夜の歌」/バーンスタイン&NYP

2006年03月19日 01時05分19秒 | マーラー+新ウィーン
 マーラー中期3部作の掉尾を飾る作品です。曲の構成は古典的4楽章制だった6番から再び5番と同じ5楽章制に戻っていて、ある意味典型的なマーラーの交響曲ともいえる構成に加え、中間部には「夜の歌」という標題の元となったセレナード風な楽章がふたつ入り、なおかつ特徴的なスケルツォ楽章が第3楽章に入るなど、音楽的な目玉も少なくないハズなのですが、何故だかこの曲先行する5,6番ほど人気がないんですね。個人的にも5,6番に比べると聴く頻度はかなり少ないです。

 一体何故だろうかと考えてみると、結局、この曲の場合、両端楽章が問題なのではないかと思ったりするんですね。まず、第1楽章ですが、全体としては第6番の第1楽章の続編のような出来なのですが、どうも、暗と明、躁と鬱が妙に混濁しているというか、感情面がはっきりしないというか、第5番でいえば調度第3楽章みたいな感じで、暗から明への境となるような感じなところがあって、それが途中なら分かるけど、いきなりこれで始まるもんで、どうもすっきりしない感じがするような気がします。
 そして夜の歌~スケルツォ~夜の歌と続く中間楽章群が来る訳ですが、これはいずれも夜的な気分に支配された楽章ですから、やはり感情的にはすっきりしないまま続きます。もっとも、これは楽章の配置や音楽の性格からいってもこうなるのは理解できるのですが....。そして締めくくりとなる第5楽章では、突如雰囲気が変わりまるでワーグナーの「マイスタージンガー」の前奏曲みたいな、景気いい楽章が現れて歓喜の洪水みたいなムードの中で全曲が終わってしまうということになります。これでリスナーは「えっ、なんでこうなっちゃう訳?」みたいな気分になるんですね。
 つまりこの曲の場合、解決されるべき、苦悩とか命題だとかが、冒頭にきっちりと提示されておらず、もやもやとした感情のままあれこれ付き合わされた挙げ句、こちらには何も分からないまま、ラストでは全てが解決済みみたいな強引なエンディングになってしまったおかげて、どうも「よく分かんねぇな」みたいな、座りの悪いイメージになっていると思うんです。こんな風に感じるのは僕だけでしょうか?。

 そんな訳で、この曲をあまり聴かない理由を自分なりに分析してみましたが、そうはいうものの、この曲の中間部の3つの楽章はとても魅力的です。この曲の場合、やはりこれを聴きたいがために、ディスクを取り出してくるという感じですよね。ちなみに本日聴いたのはバーンスタインとニューヨーク・フィルの65年の演奏で、今回、初めて聴いたものですが、両端と中間楽章をきっちりと性格分けして演奏することが多いこの曲を、割と感情をゆらぎをメインに演奏してみたという感じで、その意味では第1楽章と第5楽章の断絶感は少ない気がしました。ひとつの見識ではあります。
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