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マーラー 交響曲第7番「夜の歌」/バーンスタイン&NYP

2006年03月19日 01時05分19秒 | マーラー+新ウィーン
 マーラー中期3部作の掉尾を飾る作品です。曲の構成は古典的4楽章制だった6番から再び5番と同じ5楽章制に戻っていて、ある意味典型的なマーラーの交響曲ともいえる構成に加え、中間部には「夜の歌」という標題の元となったセレナード風な楽章がふたつ入り、なおかつ特徴的なスケルツォ楽章が第3楽章に入るなど、音楽的な目玉も少なくないハズなのですが、何故だかこの曲先行する5,6番ほど人気がないんですね。個人的にも5,6番に比べると聴く頻度はかなり少ないです。

 一体何故だろうかと考えてみると、結局、この曲の場合、両端楽章が問題なのではないかと思ったりするんですね。まず、第1楽章ですが、全体としては第6番の第1楽章の続編のような出来なのですが、どうも、暗と明、躁と鬱が妙に混濁しているというか、感情面がはっきりしないというか、第5番でいえば調度第3楽章みたいな感じで、暗から明への境となるような感じなところがあって、それが途中なら分かるけど、いきなりこれで始まるもんで、どうもすっきりしない感じがするような気がします。
 そして夜の歌~スケルツォ~夜の歌と続く中間楽章群が来る訳ですが、これはいずれも夜的な気分に支配された楽章ですから、やはり感情的にはすっきりしないまま続きます。もっとも、これは楽章の配置や音楽の性格からいってもこうなるのは理解できるのですが....。そして締めくくりとなる第5楽章では、突如雰囲気が変わりまるでワーグナーの「マイスタージンガー」の前奏曲みたいな、景気いい楽章が現れて歓喜の洪水みたいなムードの中で全曲が終わってしまうということになります。これでリスナーは「えっ、なんでこうなっちゃう訳?」みたいな気分になるんですね。
 つまりこの曲の場合、解決されるべき、苦悩とか命題だとかが、冒頭にきっちりと提示されておらず、もやもやとした感情のままあれこれ付き合わされた挙げ句、こちらには何も分からないまま、ラストでは全てが解決済みみたいな強引なエンディングになってしまったおかげて、どうも「よく分かんねぇな」みたいな、座りの悪いイメージになっていると思うんです。こんな風に感じるのは僕だけでしょうか?。

 そんな訳で、この曲をあまり聴かない理由を自分なりに分析してみましたが、そうはいうものの、この曲の中間部の3つの楽章はとても魅力的です。この曲の場合、やはりこれを聴きたいがために、ディスクを取り出してくるという感じですよね。ちなみに本日聴いたのはバーンスタインとニューヨーク・フィルの65年の演奏で、今回、初めて聴いたものですが、両端と中間楽章をきっちりと性格分けして演奏することが多いこの曲を、割と感情をゆらぎをメインに演奏してみたという感じで、その意味では第1楽章と第5楽章の断絶感は少ない気がしました。ひとつの見識ではあります。

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