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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ブラームス ピアノ協奏曲第1番/アラウ,ハイティンク&ACO

2006年03月09日 20時11分26秒 | ブラームス
 クラウディオ・アラウという人もあまり聴いたことがない人ですが、年齢的にはゼルキンやルビンシュタイン、あとホロビッツあたりと共通する古(いにしえ)の世代です。私がクラシックに耽溺していた80年代というと、これらの人はほとんど老境に達してレコーディングなども一線から退きつつあった時期にあたりますが、アラウはきっと衰えがなかったんでしょう。幅広いレパートリーを精力的に録音して、新作が目白押しの現役バリバリな活躍をしていました。この演奏はそんな彼が1969年にハイティンクの指揮するアムスと組んで録音した演奏

 さて、この演奏、レーベルがフィリップスでオケがアムス、録音が69年ということでオケの音色や感触は案の定、先にとりあげたブレンデルとイッセルシュテットの演奏に酷似しています。楚々と鳴り響くエレガントなサウンドはいかにもアムステルダム・コンセルトヘボウの音、ただ、響きがよりふっくらとして、全体に流れるように感じるのは、指揮がハイティンクなせいかもしれません。ともあれ、この落ち着いた響きはいかにも私のイメージするブラームスにぴったりで、聴いてきて心地よいことこの上ないという感じです。
 アラウのピアノですが、オケに寄り添うようピアノを演奏していたブレンデルと比べると、アラウはそれはかなりピアニスティックな響きが濃厚です。良い意味で時代がかったグランドスタイルみたいなものを感じさせるといったらいいか。第1楽章の展開部に入るところで登場するフレーズを、豊かな低音を伴いつつも、カキーンという音色ととも豪快に響き渡らせるあたりはその好例。とにかくこの人、そもそもテンポ自体もかなり遅いですが、ロック風にいうとやや「後ノリ」なリズムでもって、ピアノを弾いているところに特徴がありそうで(その意味ではホロヴィッツとは対照的)、そのあたりからいかにもドイツ流の巨匠というスケール感を感じさせるようです。

 そんな訳で、この演奏これまで聴いたものの中では珍しくピアノが主導し、ひっぱっているという感じですかね。これまでだとブレンデルのはオケ主導、レビンシュタインとレヒナーがほどよく調和、逆に両者がせめぎ合って闘争的な演奏をしているという点ではゼルキンという感じでしたから(あくまでも私が受けた印象なので、人によっては全く逆の印象の場合もあろうかと思います)、この曲を「ピアノ付の交響曲」として聴きたい私としては、ちょいと異色な感じがしないでもないです。まぁ、一聴した印象なので、聴き込んでいくとがらりとかわる可能性もあますが....。 
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艾敬(アイ・ジン)/我的一九九七

2006年03月09日 17時34分37秒 | 台湾のあれこれ
 艾敬(アイ・ジン)は90年代の後半にデビュウした中国のシンガー・ソング・ライターです。日本ではソニーがかなり強力にプッシュして売り出されたので覚えている人も多いと思います。なにしろけっこうな美人さんだったし、音楽的にも過剰な情報量を排したフォーク風なものでしたから、中国産エキゾシズムみたいなものも絡めて、ある種隙間産業をソニーは狙っていたのかもしれません。当時の私はエイジアン・ポップスに興味を感じ初めていた時期で、アジア各国のポップスに手をのばしているところでしたから、彼女の作品ももちろんほどなくそのターゲットに入ってきたという訳なんですね。

 このデビュウ作では「我的一九九七」というやや政治的主張も織り込んだフォーク風な作品をメインに、アコスティック・フォーク、あるいはフォーク・ロック風な作品を集めています。艾敬のヴォーカルは意志の強さとちょいと儚げなところが微妙に入り交じった不思議な存在感はなかなかのものでしたし、商業的配慮とは無縁な地点で音楽が作り上げられたことがよく分かる辛口な曲調なものもとても新鮮で、「おぉ、こりゃ大物になるな」と私は四作目まで追いかけてみましたが、正直いってこの一作目が一番印象深く、以降は同じ視点、同じ感情、同じ語り口の繰り返しになってしまい、結局の大輪の華として成長しなかったという感じがしないでもないです。っていうか、個人的にはいつかモノになると思って、一生懸命女の子を追いかけていたけれど、あんまり愛想がないのでしまいに、こっちが飽きてしまったというところかもしれません。ちょっと孤高すぎたというか....。

 ともあれ、彼女の作品って、88年の4作目を最後に日本ではもう発売されなくなってしまい、ほぼ完全に忘れ去られているようですが、ネットで調べてみたところ、現在でも元気に活動を続けているようです。あれから8年、彼女はどんな音楽をやっているんでしょうかね?。それにしても、彼女のデビュウって台中感情がバラ色だった1990年代だったから可能だったのかもしれません。対日vs対中感情がなにかと取りざたされる昨今では、音楽と政治は無関係などというは易しだけど、こうした中国人アーティストの親日的感情を前提としたような内容は、現在ではアーティストそのものがしたがらないだろうし、やったとしても日本人には釈然としないものを感じるんじゃないのかな。
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