先ほどHMVに何種類か頼んでおいたブラームスのピアノ協奏曲のCDが届きました。先日、なにげなくゼルキンとセルの演奏を聴き始めたところ、すっかり虜となってしまったこの曲ですが、こうなるといろいろな演奏を聴きたくなってしまい、先日、職場の近くのショップで何枚か購入してきたものに、追い打ちをかけるように数枚注文してあったのがこれという訳です。とりあえず、現在聴いているはアラウがジュリーニ指揮のフィルハーモニアと組んだこのディスクですが、60年(62年?)の録音とクレジットされてますから、先日のハイティンク指揮のACOと組んだ演奏に遡ること10年近いものということになります。
一聴して思うのは、ジュリーニが歌いまくっているなということです。彼らしいレガート満載だし、第1楽章の第2主題に後半の旋律だとか、随所に現れる木管の歌わせ方と、ぼやっと聴いると2番の方を聴いているような気になってくるほど。したがってブラームス的な下から上へ積み上げたような構築美というよりは、なさそうで意外にある(笑)ブラームスの旋律美みたいなものを強調した、ある意味流れ重視の演奏といえそうです。それに絡むアラウは先のハイティンクとの演奏とほぼ同様なピアニスティックな演奏を繰り広げていますが、ジュリーニはハイティンクのようにアラウに寄り添ったりせず、流動的で明るいオケのサウンドをマイペースで作っていますから、結果的に両者の資質の違いがおもしろい対照を生んでいます。バックのオケが歌謡的なセンスが強いせいで、アラウのドイツ魂みたいなものがより鮮明に浮かび上がったとでもいうか。
いずれにしても、こういう異質なキャラクターの協演というのは、協奏曲を聴く楽しみのひとつでもありますが、その意味でこの演奏、それほど闘争的なテンションがある訳ではありませんけど、はなかなかおもしろいかったです。ついでに書けば、割と異質なキャラの協演でありながら、単なる顔合わせの妙に終わらず、聴いていて「あぁ、ブラームスを聴いているなぁ」と思わせてくれる点で、やはり優れてブラームス的な演奏には違いないと思います。
ちなみに録音ですが、いかにもこの時期のEMIらしい細部の見通しがいい明晰なもので、アラウもフィルハーモニアの音も非常にクリーンに捉えられています。ただ、ステレオ初期のEMIの録音というのは、大抵音がオン気味で、分析的な音に拘るあまり、いささか潤いに欠けるとか、ふっくらとした量感に欠けるものが多いのもまた事実なので(カラヤンが振ったブラームスなどその好例)、ブラームスみたいな音楽の場合どうかなと思いましたが、このディスクはリマスタリングが効いているのか、いかにもステレオ初期の音ではありますが、それなりに手応えある音質なのは安心しました。
一聴して思うのは、ジュリーニが歌いまくっているなということです。彼らしいレガート満載だし、第1楽章の第2主題に後半の旋律だとか、随所に現れる木管の歌わせ方と、ぼやっと聴いると2番の方を聴いているような気になってくるほど。したがってブラームス的な下から上へ積み上げたような構築美というよりは、なさそうで意外にある(笑)ブラームスの旋律美みたいなものを強調した、ある意味流れ重視の演奏といえそうです。それに絡むアラウは先のハイティンクとの演奏とほぼ同様なピアニスティックな演奏を繰り広げていますが、ジュリーニはハイティンクのようにアラウに寄り添ったりせず、流動的で明るいオケのサウンドをマイペースで作っていますから、結果的に両者の資質の違いがおもしろい対照を生んでいます。バックのオケが歌謡的なセンスが強いせいで、アラウのドイツ魂みたいなものがより鮮明に浮かび上がったとでもいうか。
いずれにしても、こういう異質なキャラクターの協演というのは、協奏曲を聴く楽しみのひとつでもありますが、その意味でこの演奏、それほど闘争的なテンションがある訳ではありませんけど、はなかなかおもしろいかったです。ついでに書けば、割と異質なキャラの協演でありながら、単なる顔合わせの妙に終わらず、聴いていて「あぁ、ブラームスを聴いているなぁ」と思わせてくれる点で、やはり優れてブラームス的な演奏には違いないと思います。
ちなみに録音ですが、いかにもこの時期のEMIらしい細部の見通しがいい明晰なもので、アラウもフィルハーモニアの音も非常にクリーンに捉えられています。ただ、ステレオ初期のEMIの録音というのは、大抵音がオン気味で、分析的な音に拘るあまり、いささか潤いに欠けるとか、ふっくらとした量感に欠けるものが多いのもまた事実なので(カラヤンが振ったブラームスなどその好例)、ブラームスみたいな音楽の場合どうかなと思いましたが、このディスクはリマスタリングが効いているのか、いかにもステレオ初期の音ではありますが、それなりに手応えある音質なのは安心しました。