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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

スクエアプッシャー/ハード・ノーマル・ダディ

2006年03月20日 23時58分31秒 | ROCK-POP
 1997年に発表されたスクエアプッシャー(トム・ジェンキンソン)のセカンド・アルバム。確か日本ではこれがデビュウ作だったと思う。初めて聴いた時は、いろいろな意味で仰天した。70年代初頭のファンキーなジャズ・ロックをベースにしたテクノというのは、「ほう、そうきますか」的にアイデア賞なものだったし、それをほとんど人間業とは思えない執拗な打ち込み・サウンドでもって表現した点も凄かった。が、それにも増してここで聴けた強烈なスピード感には圧倒された。70年代後半に現れたテクノという音楽もここに至って、ほとんど極北に到達したんじゃないかと思ったほどだ。

 それは1曲目の「クーパーズ・ワールド」という曲に非常に分かり易い形で凝縮されている。この曲は60年代後半のブルーノートで乱発したジャズ・ロック系の音に「ビッチズ・ブリュウ」を足してような70年代初頭のCTIサウンドがベースである。もっと明け透けにいえば、すばりこの曲の元ネタはラロ・シフリンの「燃えよドラゴンのテーマ」だろう。ここではそれを超高速なテクノ・サウンドとして表現しているのである。しかも、その超高速の原動力が何かといえば、16分や32分音符のシーケンス・パターンでも、立ったデジタル・サウンドでもなく、ビリー・コブハムあたりをシミュレーションしたと思われる打ち込みドラムなのがなんとも凄いところだ。
 ビリー・コブハムといえば、その手数の多いドラミングで歴史的にも名を残す人だと思うが、この曲では彼のドラミングを打ち込みでもってかなり緻密に再現している。まぁ、それ自体、かなり凄いことには違いないことだろうが、肝心なのは「再現したのは手数だけで、グループ感はキカイのまま」という点だ。このくらい打ち込みを出来る人なら、ある程度グルーブ感は、ヴェロシティだのなんだのをいじくれば、もう少し生っぽい音にも出来たハズなのだが、あえてそれには一切頓着せず(しているのかもしれないが)、無味乾燥なキカイのグルーブ感でビリー・コブハムの怒濤の手数を再現し、それをアブストラクトなテクノ的音響とぶつかたところが、あの独特なスピード感を生んだのだと思う。

 そんな訳で、このアルバムも発売されてもう10年近く経つのだが、全く古びないどころか、今なおトンがった音であり続けていると思う。それはおそらくこれを更新するような音楽がその後現れていないからだ。一過性のキワモノかと思っていたが存外芸術品だったのかもしれない。ちなみにこのアルバム以降の彼らは、次だか、その次だかのアルバム「Music Is Rotted One Note」で、妙に生音指向になってしまい、こうしたスピード感が薄れてしまったので、僕はそれ以来スクウェアプッシャーはすっかりごぶさたなんだけど、なんでも近年はこういう路線に回帰しているようなので、また聴いてみようかなと思っているところだ。
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箱だらけ(マイルス編)

2006年03月20日 00時17分29秒 | JAZZ
ボックス・セットといえばクラシックをがんがん買い込んでいる話しはしばらく前に書いたけど、ジャズの方でたまっているのがマイルスの各種箱。一昨日にようやくひとつめの「セブンステップ」を開封して、「Seven Steps to Heaven」に相当する部分を聴いたんだけど、その他に「The Complete Live At The Plugged Nickel 1965」や「MILES DAVIS QUINTET 1965-68」もある。マイルス・デイヴィスの音源については彼の死後、案の定といった感じでCBSが続々と体系的発売を開始したんだけど、これにはついていくだけでけっこうたいへんだ。とりあえず、今は黄金時代のクインテットあたりを起点として、それ以降を追いかけていこうと、この数ヶ月3つほど購入したけれど、この後も 「The Complete In a Silent Way Sessions」、「Complete Bitches Brew Sessions 1969-1970」、「The Complete Jack Johnson Sessions」、「The Cellar Door Sessions 1970」とかも控えているし、コルトレーン在籍時代やギル・エヴァンスとのコラボなんかの箱もある訳だ。仮にこれだけのものを買ったとして、一体、いつ聴けばいいのだろうか(笑)。

 それにしても、私の場合、60年代マイルスのレギュラー・アルバムについては、それなりに聴いているから、まぁ、ボックスセットも「オリジナルに対する元ネタ」的に楽しむことは、かろうじて、ほんとうにかろうじてできるような気がするのだけれど、心配なのはこういう箱物を最初に買ってしまった人達のこと。いったいどうやって楽しむのだろうかと他人事ながら心配してしまう。ジャズの方って再発に当たって曲目をスタジオ・セッション時の時系列に並べて再発したりすることがよくあるでしょ。あれって、同じの曲のテイク1からテイク5までずらりと並んでいたりするひとあるんだけど、ああいうのをそのまま聴いて楽しめる人って、一体どれほどいるんだろうか?といつも思ってしまうんだよね。
 僕はビートルズの「サージャント・ペパース」とかあまたの70年代ロックのアルバムを青少年の頃に聴いて育った人間なので、アルバムというのは曲順やジャケの意匠も含めてトータルでひとつの作品であると思っていんで、定評あるアルバムの曲順を替えるなどということにはどうも納得できないんだよなぁ。もっともジャズの場合、全てのパフォーマンスをライブ的な記録として聴くというスタンスもあるとは思うし、そもそも音楽の聴き方など十人十色だろうから、何をどう聴いても自由には違いないのだけれど。

 話しが脇道に逸れた。いずれにせよ、先日「Seven Steps to Heaven」に相当する部分を聴いたところなので、こいつを少々聴き込んだらいくつかのアウトテイクを聴いてみようと思っている。そしたら後はラクだ。基本的にライブばかりだし、そう沢山は未発トラックもなさそうなのでさらっと楽しめそう。このボックスでやはり楽しみなのは、「マイ・ファニー・バレンタイン」と「フォ・アント・モア」という2つのディスクに分かれたライブを当日の曲順でそのまま楽しめるディスク4と5あたりかなぁ。前に書いたことと矛盾するかもしれないけれど、これだけは元のステージがどんな構成だったのか、かれこれ四半世紀もいつかは聴いてみたいと思っていたのでこれは楽しみだ。その後が「プラウド・ニッケル」、そして「ESP」にはじまるスタジオ録音の諸作を収めたものが控えている。うーん、先は長い(笑)。
コメント (3)
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