こちらは「白アユ」。1999年発表の第2作目のアルバムで、オリジナル・アルバムである1枚目にプラスして、リミックス集であるディスクが一枚ついたボリューム感たっぷりの仕上がりである。しかもこれの他にもシングルはもちろんのこと、昨日取り上げた「黒アユ」や「ayu-mi-x」なんてのも出していた訳だから、まさに怒濤のリリース攻勢であった。最近の倖田來未なんて、おそらくこの時にエイベックスが得た成功体験で、「あの夢よ再び」って感じでセールスを展開してるんだろうから、この時の浜崎を知っている人からすれば、どう展開するか既に見えているところがあって、ちょいと予定調和的な感があるのではないか。
さて、アルバム本体だが、なんといっても前半部分の「向かうところ敵なし」といった風情の疾走感が圧倒的だ。唐突にハードコア・テクノ風サウンドで始まる「イントロダクション」。これにカットインして始まる2曲の「Fly high」ではユーロビート的な軽薄さとハード・コア・テクノの重厚さをごちゃませにしたコアなスピード感。3曲目の「Trauma」ではディスコ風なリズム、4曲目の「And Then」ではドイツっぽいミリタリー調のテクノ・リズムにフォーク・ロア風な曲調をまぶしたエクセントリックさ、5曲目の「immature」歌謡曲的旋律のとそれぞれフィーチャーしつつ続き、ダメ押し的なキャッチーなシングル路線の「Boys & Girls」を登場させた後、バラード風な「TO BE」と「End roll」で締めくくるという、約30分間に渡る流れは、そのなんでもあり的なごちゃまぜ感と今的な猥雑なポップ性、そして浜崎流の「いたみ」を随所に滲ませた歌詞とボーカルがあいまって、良きにつけ悪しきにつけ、リスナーをほとんど無条件に圧倒するような迫力がある(これに匹敵する「向かうところ敵なし」的疾走感といったら、森高千里の「古今東西」の前半部分くらいしかないのではないか?)。
ちなみにアルバムの後半は名曲「appears」に代表されるように比較的重厚で、いってしまえばアーティスティックな曲が並んでいて、こちらもなかなかの充実度なのだが、やはり前半部分の疾走感には負けるのではないか。
いずれにせよ、この後の浜崎はこのアルバムの前半で見せたような疾走感を超えるような音楽はつくっていないし、音楽的にはこのアルバムの後半で聴かれるような楽曲をメインにしていくことになるし、今のようなドスの効いた声でなく、まだ娘々した声でもって、なにげにリアルな日常性を感じさせた頃の浜崎のひとつのマイルストーンとしても、ひとつの貴重な記録である。
さて、アルバム本体だが、なんといっても前半部分の「向かうところ敵なし」といった風情の疾走感が圧倒的だ。唐突にハードコア・テクノ風サウンドで始まる「イントロダクション」。これにカットインして始まる2曲の「Fly high」ではユーロビート的な軽薄さとハード・コア・テクノの重厚さをごちゃませにしたコアなスピード感。3曲目の「Trauma」ではディスコ風なリズム、4曲目の「And Then」ではドイツっぽいミリタリー調のテクノ・リズムにフォーク・ロア風な曲調をまぶしたエクセントリックさ、5曲目の「immature」歌謡曲的旋律のとそれぞれフィーチャーしつつ続き、ダメ押し的なキャッチーなシングル路線の「Boys & Girls」を登場させた後、バラード風な「TO BE」と「End roll」で締めくくるという、約30分間に渡る流れは、そのなんでもあり的なごちゃまぜ感と今的な猥雑なポップ性、そして浜崎流の「いたみ」を随所に滲ませた歌詞とボーカルがあいまって、良きにつけ悪しきにつけ、リスナーをほとんど無条件に圧倒するような迫力がある(これに匹敵する「向かうところ敵なし」的疾走感といったら、森高千里の「古今東西」の前半部分くらいしかないのではないか?)。
ちなみにアルバムの後半は名曲「appears」に代表されるように比較的重厚で、いってしまえばアーティスティックな曲が並んでいて、こちらもなかなかの充実度なのだが、やはり前半部分の疾走感には負けるのではないか。
いずれにせよ、この後の浜崎はこのアルバムの前半で見せたような疾走感を超えるような音楽はつくっていないし、音楽的にはこのアルバムの後半で聴かれるような楽曲をメインにしていくことになるし、今のようなドスの効いた声でなく、まだ娘々した声でもって、なにげにリアルな日常性を感じさせた頃の浜崎のひとつのマイルストーンとしても、ひとつの貴重な記録である。