兎に角、菅首相の記者答弁にはおかしな点が際立っている。オリンピックを中止する気はないかとの問いに対して、人流が減っている、オリンピックの中止はない。ところが報道機関が発表した人の集まりは主体となる大きな多数の駅で1割ぐらいまたはそれ以上の増加があった。今日28日の感染者数は過去最高であった。東京では1377人であった。3隣県も過去最高数であった。首相はどこを見て人流が減ったと言えるのか。今の状況は首相の言う安全安心なのであろうか。医療現場は既に崩壊している。入院を待つ自宅などでの待機感染者は3千人を超えている。さらに今後感染した人は入院できない。重症化して死ぬ人が続出するだろう。ヨーロッパやアメリカがそうであったように死者の火葬場が満員になって遺体安置に困る事態になる。これは悲惨である。
対策は感染者数を減らすしかない。政府は家でオリンピックをテレビを見て籠っていてくれという。だが、太鼓が鳴って笛が鳴って五輪、五輪と騒ぎ立てるのを見て家に籠るだろうか。聖火リレーに見物者が群がっている様子を報道していた。これをどう見るのか。
さて、五輪を途中で中止できるだろうかという、別の観点がある。それは選手たちの気持である。連日のように日本人のメダル獲得のニュースが華々しい。もし中途で中止したら今後の競技予定の選手は何と思うか。悔しいと思うだろう。なぜ自分たちだけが競技できないのかと。不公平ではないかと。これは難しい問題である。だから一層オリンピックを途中中止できないのである。いったん開催してしまったものを中止するのは至難の業だ。それができるのは想像を絶する感染の爆発と悲惨であろう。だヵらこそ世論の8割はオリンピックの開催に不安を覚え中止か延期を表明していたではないか。