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透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

原村の火の見梯子

2024-05-11 | g 火の見櫓観察記


1511 諏訪郡原村 火の見梯子 2024.05.11

 八ヶ岳美術館で行われる講演会を聴くために久しぶりに同館へ出かけた。八ヶ岳美術館と講演会については稿を改めて書きたい。美術館へ向かう途中でこの火の見梯子と出会った。控え柱はない。簡素な火の見だが、吊り下げられている半鐘は立派。表面は凝った意匠が施されている。




背の低い火の見梯子で、半鐘に刻まれた文字を見ることができた。


「大正四乙卯年 スワ原村柏木 下組 秋葉講中」 大正四年は1915年、今から109年前に鋳造された半鐘だ。


撞き座のすぐ上の文字は「東京市 梅田製」と読める。明治時代に中央線は開通していたから、東京でつくられた半鐘を鉄道で運ぶことができたのだろう。この頃、松本でも半鐘が鋳造されていて、松本市内の火の見櫓に吊り下げられていたことが確認できているが、諏訪地域では使われていなかったのだろうか・・・。


 

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「死に急ぐ鯨たち」を読む

2024-05-10 | g 読書日記



 安部公房の『死に急ぐ鯨たち』(新潮文庫1991年)を読んだ。

評論集だがインタビューも収録されていて、本書の過半を占めている。インタビュアーの質問に答える形で『方舟さくら丸』などの自作について語ってもいて、興味深い。

①**『終りし道の標べに』のときには、小説の意識はほとんどなかったから。**(101,2頁)
②**『けものたちは故郷をめざす』は、はっきり小説ですね。舞台は似てますけど・・・・・**(102頁)
③**『けものたちは故郷をめざす』が圧倒的におもしろいというか、理解できますね。**(102頁) 

①は安部公房の答え。ここを読んで、ああ、やはりそうだったんだと思った。ぼくには『終りし道の標べに』は難しくてよく理解できなかった。
②と③はインタビュアーの栗坪良樹さん(日本近代文学研究者の)のコメント・感想というか質問。これには同感。『けものたちは故郷をめざす』は小説だと思ったし、私なりに理解できた。

**結果的に芝居をお書きになるのは、小説だけでは自己表現が出来なくなったということですか。**(101頁)という栗坪さんの問いに安部公房は次のように答えている。
**そういうわけじゃないんだ。最初に芝居を書いたのは、『制服』。どこか雑誌から短編を頼まれたんだよ。(中略)気負いこんで書きはじめたんだが、なぜか全然書けないんだ。「弱ったな。書けないな。どうしたらいいだろう」悩んだよ。(中略)そしていよいよ締め切りの前の晩、「ひょっとしたらこれ、会話だけならいけるんじゃないか」そのままはずみで書いてしまった。そしたら結果的に芝居の形をとっていたわけだ。**(101頁)

ぼくも最近ある雑誌に全て会話形式で火の見櫓の半鐘について原稿を書いたので(*1)、栗坪さんの質問に対する安部公房の答えを読んで、驚いた。そう、ぼくも会話だけなら書きやすいだろうと思って、書いた。

この評論集には、様々なテーマに関する安部公房の考え方が分かる論考が納められている。解説で養老猛司氏は**作家安部公房の思考を知るために、興味深く、重要な書物である。**と書いている。本書は残念ながら絶版。


*1 発行予定がいつ頃なのか、承知していない。発行されたら紹介したい。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫22冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印は絶版と思われる作品)

今年中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。5月10日現在9冊読了。残りは13冊。今年3月に出た『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』(新潮文庫)を加えたとして14冊。5月から12月まで、8カ月。2冊/月で読了できる。 5月は既に2冊読んで、ノルマクリア。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月


 

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松本市島立の火の見櫓

2024-05-09 | g 火の見櫓観察記


(再)松本市島立 3柱〇3型ショート3角脚 2024.05.07

 この火の見櫓は既に2011年と2021年に見ているから今回が3回目。見張り台の高さはおよそ7.2m、屋根のてっぺんの高さはおよそ10m。櫓は逓減しておらず、不安定な印象。この高さにしては見張り台のつくりが簡素だ。梯子の両側の支柱を見張り台の手すりまで伸ばしてあるので、昇降しやすいだろう。




前回、2021年にはまだ脚のタイプ分けをしておらず、**柱材と横架材とを斜材で繋ぎ、補強している。**と書いているだけ。その後、タイプ分けして、それぞれ名前を付けた。この脚はショート3角、判断に迷う要素は何もない。仮に黄色の線のようになっていればロング3角。見張り台も簡素だが、脚部も簡素なつくりだ。加工精度が良くないなどと書かず、手作り感ありと書こう。


 

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「カンガルー・ノート」を読む

2024-05-07 | g 読書日記


 安部公房の『カンガルー・ノート』(新潮文庫1995年)を読み終えた。1993年に68歳で急逝した安部公房の最後の長編小説。1991年11月に新潮社から刊行されている。

男がある朝目覚めると、カイワレ大根が脛に生えていた。診断を受けるために訪れた医院で麻酔薬を注射され、気がついた時、点滴のチューブ、排尿カテーテルを付けられた男はがっちりベッドに固定されていた・・・。そのベッドは**無段階に屈折する電動背凭れ、停電しても十六時間は持つ充電器、枕元のパネルには無線式の警報装置、いざとなれば自動的に酸素吸入器が作動するという至れり尽くせりの設備で・・・・・(後略)**(27頁)という高度な機能を備えていた。

男が伏せるベッドは街中を自走していく。工事現場からレッカー車で移動させられ、坑道口に投げ捨てられる。ベッドは坑道を走り続ける。坑道の終点からベッドは地下の運河のフェリーへ乗船する。

この小説は安部公房が病床にあった時に見た夢を繋ぎわせて仕立て上げたのではないか。どんな病状だったのか分からないがあるいは死を強く意識していたのかもしれない。死に向かう旅のようだ。三途の川、賽の河原・・・。でも終わらない旅。一体どこに向かうのだろう。

ベッドが行きついたのは薄暗い廃駅のホームだった。**とつぜん警笛が響きわたり、ホームに二両編成の電車がすべりこんできた。**(205頁)
電車と衝突したベッド、スクラップ化。**ここがぼくの終点になってしまうのだろうか。これまでは危機に瀕するたびに、ひとつの夢から別の夢へ、一気に移動するバイパス役を勤めてくれていたのに・・・・・**(206頁)

安部公房も死の恐怖に脅えていたのだなと、小説最後の一節(敢えて引用しない)を読んで思った。でも、それを小説に仕立て上げてしまった安部公房は最期まで作家であった。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫22冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印は絶版と思われる作品)

今年中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。5月7日現在8冊読了。残りは14冊。今年3月に出た『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』(新潮文庫)を加えたとして15冊。5月から12月まで、8カ月。2冊/月で読了できる。 


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月


 

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あ、 火の見柱!

2024-05-04 | g 火の見櫓観察記

420
1510 塩尻市広丘郷原 火の見柱 2024.05.04

 所用で塩尻まで出かけた。偶々通った道路沿いに火の見梯子が立っていた。目立たないから見過ごしても仕方ないが、気がついた。


角型鋼管の柱に腕木を付けて、その先端のフックに半鐘を吊り下げている。プリミティブな火の見櫓。これで火の見櫓としての機能を満たしている。櫓の中間に踊り場があるような大型の火の見櫓と、このような簡易は火の見柱。一体、この違いは何に因るのだろう・・・。ただ単に立地条件が違う、ということではないように思うが。

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ひのみやぐらとこいのぼり

2024-05-02 | g 火の見櫓のある風景を撮る〇


ひのみやぐらとこいのぼり 
なかなかあいしょうがいい

松本市寿豊丘 2024.05.02


 

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ブックレビュー 2024.04

2024-05-02 | g ブックレビュー〇


 5月、緑豊かな季節の到来。4月の読了本は8冊。このうち、安部公房が3冊。

『13歳からの地政学 カイゾクとの地球儀航海』田中孝幸(東洋経済新聞社2022年発行)
「なぜ領土を求めつづけるのか」「中国が南シナ海を欲しがる理由」「なぜアフリカにはお金がないのか」など、問われれば答えに窮するような問題について、著者が考える答えが平易な文章で明快に書かれている。著者は難しい問いに易しく分かりやすく答えるという、難しいことを本書でやっている。小説仕立てにしたのはグッドアイデア。

『源氏愛憎 源氏物語論アンソロジー』編・解説  田村 隆(角川ソフィア文庫2023年発行)
とんでもなくインモラルな小説だという評も、小説の白眉だという評もある源氏物語。いろんな評があるということも名作であることの証左か。

『けものたちは故郷をめざす』安部公房(新潮文庫1970年発行)
前衛的な作風で知られる安部公房。「え、これ安部公房?」、こんな感想を抱く。リアルな描写でイメージが立ち上がりやすく、読みやすい小説。

『カーブの向う・ユープケッチャ』安部公房(新潮文庫1988年発行)
密度の高い作品集。『カーブの向う』は『燃えつきた地図』の、『ユープケッチャ』は『方舟さくら丸』のそれぞれ原型となった作品。絶版は残念。

『カワセミ都市トーキョー  「幻の鳥」はなぜ高級住宅街で暮らすのか』柳瀬博一(平凡社新書2024年発行)
**人間、意識していないものは、目の前にいてもまったく見えない。**(94頁)注意深く観察すれば、いろんなことが見えてくる。

『終りし道の標べに』安部公房(新潮文庫1975年発行)
難解。絶版。

『国道16号線   「日本」を創った道』柳瀬博一(新潮文庫2023年発行)
なぜ国道16号線エリアに太古からの人びとの様々な営みが積み重なっているのか・・・。この謎を解く鍵、それは「小流域地形」。おもしろくて、文庫化されたのも納得。

『生物から見た世界』ユクスキュル/クリサート(岩波文庫2005年発行)
「環世界」という言葉を知った。すべての生物はそれぞれ備わっている感覚器官によって世界を認識している。感覚器官の有無、器官の能力が違えば認識する世界も違う。人もそれぞれ違う環世界を生きている。


 

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「生物から見た世界」を読む

2024-05-01 | g 読書日記

360
■ 『生物から見た世界』ユクスキュル/クリサート(岩波文庫)を読んだ。原著は1934年に発行されているようだ。本書の奥付に2005年6月16日第1刷発行、2023年12月25日第34刷発行と記されている。名著は読み継がれる。

『生物から見た世界』は先月(4月)読んだ『カワセミ都市トーキョー』で知った。著者の柳瀬博一さんは『生物から見た世界』を参考文献として取り上げ、次のように書いている。**さらに人間の場合、生き物としての「環世界」だけじゃなく、自身の経験に基づく、ごく個人的な「環世界」の中でも暮らしている。この環世界はユクスキュルが定義した「感覚器で知覚できる世界」とは、ちょっと違う。個々人が後天的に獲得した言語と知識と経験に好みがつくり出す大脳皮質がつくった「文化的な環世界」である。**(265頁)

「環世界」のことは知らなかった。それで『生物から見た世界』を読んでみようと思った。で、この本も東京駅前の丸善で買い求めていた(2024.04.20)。

生物にはそれぞれ固有の世界がある。人、然り。

この本を読んでいて、『モンシロチョウ キャベツ畑の動物行動学』小原嘉明(中公新書2003年)を思い出した。(*1)


ヒトにはモンシロチョウの雄と雌の翅の色は同じに見えるが、モンシロチョウは全く違う色に見えているという。なぜ? ヒトとモンシロチョウとでは可視範囲が違っていて、モンシロチョウはヒトには見ることができない紫外線域も見ることができる。雌と雄で翅の紫外線の反射率が違っているので、全く違う色に見える。これは雌と雄で鱗粉の構造が違うことによるらしいが、メカニズムはまだ明らかにはなっていないという。

そうか、ヒトとモンシロチョウとは環世界が違うということなんだ。このことに気がついて、『生物から見た世界』に俄然興味が湧いた。岩波文庫に収録されている古典的名著は表現が難しく、読みづらいという先入観が私にはあるが、この本はそうでもなく、理解を助ける挿絵が何枚も載っていることもあり、昨日(4月30日)一気読みした。

**ミミズは葉を形に応じて適切にあつかうが、それは葉の形に従っているのではなく味に従っているのである。**(75頁)ミミズの知覚世界では物体の形は知覚標識とはなっていない、ということか。ミミズには形態知覚がない・・・。

どんな生物でも同じ空間、同じ時間を生きている。これは幻想に過ぎず、空間も違うし、時間も違う。このことを示す事例がいくつか挙げられている。『カワセミ都市トーキョー』から引用した柳瀬さんの文章に書かれているが、人もごく個人的な環世界があり、そこで暮らしている。ぼくは星座の知識がないので、視覚的標識とはなり得ず、見えない・・・。

この本との出会いに感謝したい。


*1 初読年は分からないが、おそらく2003,4年だろう。2011年、2014年に再読している。この本は大変興味深い内容が分かりやすく書かれている。おすすめの1冊。

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