■ 『女流 林芙美子と有吉佐和子』関川夏央(集英社2006年 図書館本)の後編、「有吉佐和子的人生」を午後カフェで読んだ(3月22日)。
ぼくが有吉佐和子のことで覚えているのは、フジテレビの昼の帯番組「笑っていいとも!」に出演した時のこと。通常、友だちの輪で呼ばれたゲストの出演時間は10分か15分くらいだったかと思うが、有吉佐和子は、ほぼ番組の時間めいっぱい出演し続けたこと。この時のタモリの苦笑いも記憶に残っている。
この「番組ジャック」のことが、本書にも取り上げられていた。有吉佐和子から次のゲストに指名された橋本 治は、この一件について、次のように書いているとのこと。**有吉佐和子の「乱心」でも「テレビジャック」でもない、打合せどおり一時間全部を有吉佐和子のトークだけで埋めることになっていたのだ、と橋本 治はのちに書いている。**(214頁)
このようなエピソードを引くと、本書は俗っぽい内容か、と思われそうだが、そうではなく、優れた人物評伝だ。
本書には次のような橋本 治の有吉評が紹介されている。**小説家として女として、バカにされまいと思って異様に頑張ってきた人であった。**(219頁)
**彼女ほど女が働くことの重要さを、実人生でも作品世界でも強調した人はいなかった(後略)。**(219頁)
関川さんは、「有吉佐和子的人生」の最後で、有吉佐和子を次のように評している。
**有吉佐和子は、近代文学的第一人称をになうことが、おそらく生理としてできなかった。つまり「私の内面」をえがけず、えがこうともしなかった。
吾妻徳穂であれ、自分の祖母と母であれ、華岡青洲の母と妻であれ、また他のどんな女性であれ、自分以外の、しかし自分とどこか似た人を主人公に据えたとき、彼女の持ち味である「物語」は強靭な骨格をともなって成長することができた。**(220頁)
なるほど。『華岡青洲の妻』に有吉佐和子の自信に満ちた力強さ、書きっぷりの凄さを感じたが、その理由(わけ)が分かった。
関川さんは、あとがきで前編の林芙美子と後編の有吉佐和子について、**才能があって過剰なまでに個性的、そして生命力にあふれすぎた「女流」(後略)**と書いている。これが総括的な評。
さて、次はまだ明かせない目論見のために『名古屋テレビ塔クロニクル』と『名古屋テレビ塔クロニクル2』(人間社)を続けて読むか、それとも、太平洋戦争関連本の『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』山本智之(新潮選書)を読むか、どっちにしようかな・・・。