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■ 三島由紀夫の(などと書く必要もないだろうが)『金閣寺』(新潮文庫1960年9月15日発行、1970年2月15日20刷)を読み終えた。下掲の拙ブログの過去ログを見ると、この小説を高校生の時に細かな活字の文庫で読み、後年、大きな活字になった文庫で読んだことがわかる。そして今回また細かな活字の文庫で読んだ。
この小説を初めて読んだのは高校生の時。新潮文庫(昭和44年18刷、定価120円)だった。2008年7月2日(*1)の記事に**小さな活字で組まれていて今読むのはきついです。**と書いている。
上の記事を書いてまもなく、大きな活字で組まれた新潮文庫を買い求めていて、7月21日の記事に次のように書いている。**『金閣寺』新潮文庫を読み始めました。昔読んだ文庫本は活字が小さくて、老化が始まっている眼ではつらく、版が改まって大きな活字になった最近の文庫本を買い求めました。**
リーディンググラス(老眼鏡とも言う)を使うようになった今、小さな活字が全く苦にならなくなった。それに小さな活字で読む方が小説を「読んでいる感」が高まる。それで、今回ずいぶん古い本をネットで買い求めた。
しばらく前に読んだ『金閣を焼かなければならぬ 林 養賢と三島由紀夫』内海 健(河出文庫2024年)のカバー裏面には『金閣寺』について、三島由紀夫の青春の総決算となる最高傑作と書かれている。また、ぼくが今回読んだ文庫の解説文に、中村光夫氏は**『金閣寺』が三島氏の青春の決算であり、また戦後というひとつの時代の記念碑であることはたしかですが(後略)**(265頁)と書いている。
共に『金閣寺』は三島由紀夫の青春を括る作品で、最高傑作だという評価。ぼくも三島由紀夫の作品をひとつだけ挙げるとすれば、『金閣寺』(過去ログ)。
精神科医が『金閣寺』の主人公の溝口の精神分析をするくらい、三島由紀夫はこの作品で溝口の心の動きを描いている。このことを知って、今回は読んだ。
最後の一文。**別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ㇳ仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。**(257頁 *2)
なぜ溝口は生きようと思ったのか・・・。金閣寺と心中するつもりで、小刀と睡眠薬のカルモチン100錠入りの瓶を所持していたのではなかったのか。
**私はたしかに生きるために金閣を焼こうとしているのだが、私のしていることは死の準備に似ていた。自殺を決意した童貞の男が、その前に廓へ行くように、私も廓へ行くのである。**(217頁)
注意深く読み進めれば、この一文に気がつく。溝口は金閣寺と決別して生きようとしていた。
金閣寺との決別とは、実は有為子との決別ではないか、と思い至った。そう、有為子と決別して生きようという溝口。これはなんとも俗な解釈だが・・・。
*1 金閣寺が焼失したのは昭和25年(1950年)7月2日未明。
*2 最新版は文字が大きいためにページ数が多くなっている。また、解説文は恩田 陸が書いている。