■ 信濃毎日新聞朝刊の文化欄に「しなの歴史再見」というコラムが連載されている。昨日(18日)のコラムは磨製石庖丁を紹介する内容だった。
写真のような石庖丁のイラストが小学校だったか、中学校だったか忘れたが教科書に載っていたと思う。新聞のコラムによると磨製石庖丁は東アジアに分布していて、稲作とともに日本列島に伝わったという。であれば、各地に復元されている竪穴住居の屋根の萱を「刈る」ような道具は縄文時代にあったのだろうか・・・。
2200年前、弥生時代中期にこのような道具、刃の中央部がえぐれるような道具が使われていたのなら、縄文時代には茅を刈るような切れ味鋭い道具は無かったと考えるのがごく自然だと思うのだが。縄文時代の竪穴住居の茅葺き屋根もこのような石庖丁を使って復元を試みれば、ほとんど不可能、ありえな~いということが分かるだろうに・・・。過去ログ