秋淋し
日月ともに
ひとつゆゑ
生駒大祐
今朝20日の信濃毎日新聞の一面、けさの一句にこの俳句が載っていた。
**(前略)冬の覚悟が決まる前の心細さが秋の淋しさの根底にはある。それゆえ、太陽も月も常日頃親しく見慣れたものまで、さみしさの極まりのように映るのだ。「ひとつ」とは、最小の単位であり、それは代えがきかない数、なくなればゼロになってしまうもの。(後略)** 上掲の句について俳人の土肥あき子さんが解説している。
月がふたつだったら、月見うどんには玉子をふたつおとすことになるのかな、などと考えてしまう。太陽がふたつ、「2001年宇宙の旅」の作者のアーサー・C・クラークの作品に太陽がふたつあるSF作品(*)があったような気がするなあ、などと思う私は俳句からは遠い・・・。
追記 *「2010年宇宙の旅」 無数のモノリスの影響で木星が太陽と化す。