550 安曇野市豊科真々部にて 撮影日150620
■ この火の見櫓は前稿で取り上げた火の見櫓のすぐ近くに立っている。やはりFさんに案内してもらった。全く知らなかったが、2基の火の見櫓が立っているこの道路(千国街道のひとつ西側の道路)は武田信玄が整備した、棒道と呼ばれる軍事用道路だという。
この火の見櫓にも屋根が無い。柱が1本の火の見柱や2本の火の見梯子に屋根が無いのはごく一般的で不思議でもないが、柱が3本、4本の火の見櫓には屋根があるのが一般的な姿。
前稿の火の見櫓と同様に屋根が無いが、こちらには見張り台というか半鐘を叩くための足場がある。半鐘は櫓から外に持ち出した腕木に吊り下げてある。
火の見櫓ではあまり見かけない割枠式ターンバックルが使われている。
なぜこのような状態なのか・・・。製作途中で発注者の意向で仕様が変更されて、踊り場から上が取りやめになった? まさかそんなことはないだろう・・・。2基に共通の事情があるような気がする。
ちなみに下の写真は金沢の火の見櫓だが、老朽化したために後年上部を撤去したためにこのような姿になったという。
金沢市内の浅野川大橋のたもとに立つ火の見櫓(登録有形文化財) 写真提供:同僚のT君
1924年(大正13年)に建てられた火の見櫓で、当時の総高は23mほどだったという。1971年(昭和46年)に老朽化のため櫓の上部を切断、撤去した。現在の高さは約11.6m(ネット検索で得た情報による)。