透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「岩波茂雄」読了

2013-11-03 | A 読書日記




**しかし、岩波の命は幾ばくもなかった。四月二〇日、彼は熱海の別荘で倒れた。右半身は動かなくなり、会話もできなかった。そして、二五日の夜、静かに息を引き取った。
遺骨は北鎌倉東慶寺の西田幾多郎の墓地の隣に埋葬された。
六四年八ヵ月の生涯だった。**(236頁)

明治14年(1881年)、長野県諏訪郡中洲村に生まれた岩波茂雄は昭和21年(1946年)にこうしてその生涯を閉じたのだった。言論統制に屈することなく、信念を貫き通した岩波の懸命な生き様を知り、感銘を受けた。

著者の中島岳志氏は「おわりに」に次のように決意の述べている。

**岩波によって構築され、死守された知的アリーナを、我々は守り発展させていかなければならない。その時、時代に阿ることなく懸命に生きた岩波の歩みを振り返ることは、意義ある作業だろう。
岩波だったら、今、いかなる本を出そうとするか―。
その問の先に、これからの先鋭的な学問と批評があるように思われる。私は死者となった岩波茂雄を傍に感じながら歩みたい。**(240頁 文中のアンダーラインは引用者による)

本書で明日(4日)予定されている中島氏の講演会の予習ができた。


 


49 カラフル

2013-11-03 | C 名刺 今日の1枚

 

49

「朝日村文化祭」にカフェシュトラッセがコーヒースタンドを出店すると知って出かけてきました。そこで娘の同級生のMちゃんと今年の春先に知り合いになったHさん、カラフルな女性が談笑していたのです。なんとなくその輪に入る雰囲気に・・・。

初対面のカラフルな女性と名刺を交換しました。というわけで、プライベート名刺49枚目はテキスタイル作家(という紹介でいいのかな)の鶴田希望(のぞみ)さんに。 

彼女は群馬県出身、朝日村に越して来る前のおよそ2年間、屋久島で作家活動をしていたとのことでした。私は学生時代に屋久島の宮之浦岳から永田岳を縦走したことがあります。ワンゲルの同好会に入っていて登ったのです。その時は東京駅から西鹿児島駅まで急行(名前は忘れました)に1日以上乗り続け、そこから屋久島まで船で行きましたが、確か4時間くらいかかりました。そんなことを話しました。

屋久島で活動していた希望さんがなぜ朝日村に? 安曇野に移住しようと考えていたそうですが、人づてに朝日村のカフェシュトラッセのことを聞き、訪ねてきたのだとか。あとは、マスターの朝日はいいところだよの勧誘トークで決定! めでたしめでたし。

ブログタイトルに「透明タペストリー」などと付けているくらいですから、テキスタイルにも興味があるのです。いつか希望さんの作品を観る機会があれば・・・。