透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「開智学校物語」

2013-11-12 | D 新聞を読んで

 今朝(12日)のタウン情報の「開智学校物語」を興味深く読んだ。いままで知らなかったことが紹介されていたから。

 

開智学校については、例えば建築史家・藤森照信さんが『日本の近代建築(上)』岩波新書で明治4年に筑摩県に赴任した永山盛輝が教育熱心で教育環境の充実に尽くし、警察力を使って未就学児を学校に通わせることまでして日本一の就学率を達成したということや、どこにも負けない小学校の建設を決めて棟梁として立石清重を指名したなどを紹介している。更に指名を受けた立石は明治8年、はるばる東京まで徒歩で出かけて西洋館の観察を行なったことも書いている。

藤森さんは同書の「開智学校のできるまで」(110~115頁)で、立石清重の長男が東京医学校に進学していたことについて触れている。タウン情報の記事は建築史家・村松貞次郎さんが季刊誌「帖面」に寄せた文章を取り上げ、開智学校の外観が東京医学校(東大医学部の前身)の新校舎によく似ているという指摘を紹介している。

タウン情報の記事によると立石清重の自慢の息子は卒業直前、18歳で亡くなったという。 開智学校の着工が明治8年の4月、息子が亡くなったのがその年の9月。このようなことは全く知らなかった。立石は傷心に耐え、悲しみを忘れるように仕事に打ち込んだということを村松さんが「帖面」に書いているということも記事にある。

「開智学校物語」か・・・。近々開智学校に行ってみよう。いままでとは全く違って見えるだろう。