透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

秋篠寺の伎芸天 その2

2013-11-18 | A あれこれ

秋 古都の旅18

 奈良時代に創建された秋篠寺には金堂、講堂、東西両塔などがあったそうだ。平安時代に講堂を残して焼失、江戸時代以降、いまの佇まいになったという。

本堂に向かって左側面の出入口からほの暗い堂内に入った。壇上の一番手前に伎芸天が安置されていた。

伎芸天にやっと会えた・・・。

顔を少し左に向け、わずかに傾けている。そのもの憂げな表情は僕の好み。天衣をまとう腰を少し右に寄せて立つたおやかな姿はあのミロのビーナスに比して劣らないだろう。堀辰雄はこの天女を東洋のミューズと評したという。

リーフレットにこの天女について**頭部乾漆天平時代、体部寄木鎌倉時代、極彩色立像。**と簡潔に記す一文がある。天平時代につくられたが、災禍のために破損した胴体を鎌倉時代に仏師が木彫で補った仏像。そう、伎芸天は天平と鎌倉の仏師の合作なのだ。仏師の美的感性に拍手!!

遠近、左右 いろんな位置に立って美女(と敢えて書く)を見つめた。視線を返されたような気がした。僅かに開いた口からどんな声でどんなことばを発するのだろう・・・。

諸々のみ佛の中の伎芸天
何のえにしぞわれを見たまふ            川田 順




 


秋篠寺の伎芸天 その1

2013-11-18 | A あれこれ

秋 古都の旅17

 秋 古都の旅は1から17まであります。

伎芸天に会いたいとブログに書いたのは2009年5月のことだった。あれから4年半、ようやく念願がかなった。

法隆寺を後にしてJR線で奈良駅まで戻った。旧奈良駅舎については詳しくないので調べてみると、1908年(明治41年)の竣工だと分かった。瓦葺きの方形の屋根で、頂部に相輪があり、その上には水煙もある。高架化工事に伴って、 2004年(平成16年)5月に曳家により約18メートル移動したそうだ。今も観光案内所として現役。



旧奈良駅

案内マップを見ると奈良駅から秋篠寺まではだいぶ距離がありそうだ。近鉄奈良線で大和西大寺駅まで行くことにして新大宮駅まで歩いた(16日の歩数は約21,000歩、2日間の合計が約44,700歩。仮に歩幅を0.5メートルとすると、距離は22キロメートルにもなる)。

大和西大寺からはタクシーで秋篠寺へ。



タクシーを降りてこの東門から境内へ。



それ程広くはない境内だが、美しい庭園を鑑賞しながら本堂へ導くように動線が工夫されている。







本堂(旧講堂)

シンプルでバランスのよい本堂。奈良時代の創建で、焼失後鎌倉時代に大修理を受けたと寺のリーフレットにある。

ようやく伎芸天に会える・・・。

続く・・・


 


445 法隆寺参道脇の火の見櫓

2013-11-18 | A 火の見櫓っておもしろい

秋 古都の旅16

 
445





 法隆寺の参道脇に立つこの塔に気がつき、帰路、立ち寄ってみた。蔵をモチーフにしたデザインの斑鳩町法隆寺消防センター・斑鳩町消防団第二分団詰所に合わせて、屋根は瓦葺きだ。

半鐘は無かったが(今では珍しいことではなくなった)、消火ホースの乾燥塔として使われていることやサイレン、スピーカーが設置されていることから、火の見櫓の後継と見た。

瓦葺きの屋根の火の見櫓だってもちろんあり得るわけだが、実際に見たのは初めて。


 


444 あっ 火の見櫓!

2013-11-18 | A 火の見櫓っておもしろい

秋 古都の旅15

 
444 斑鳩町(JR法隆寺駅の近く)撮影日131116











 京都駅からJR線で法隆寺まで出かけた。駅から法隆寺までは1.5kmくらいだと思う。このくらいの距離なら歩くところだが、少しお疲れモードで駅前から法隆寺行きのバスに乗った。

しばらくして火の見櫓が目に入ってきた。想定外な出来事に途中下車しようかとも思ったが、帰りに立ち寄ろうと思い直した。 ラッキーだった。バスのコースは少し遠回りしているから、徒歩では見つけることができなかったと思う。

法隆寺からの帰路は歩き。まわり道をしたが火の見櫓に到着することができた。火の見櫓の隣の分団詰所に「斑鳩町消防団第三分団車庫」という看板が掲げてあった。そうだった、ここは斑鳩町だった。

「所変わればデザイン変わる」 普段目にしている火の見櫓とはだいぶ姿形が違う・・・。背の低い簡易な送電鉄塔のような雰囲気ではないか。屋根がないし、ブレースはごつい。でも、詰所に寄り添う微笑ましい姿はこの辺りの火の見櫓と変わらない。


 


法隆寺2

2013-11-18 | A あれこれ

秋 古都の旅14






裳階の大和葺き屋根 上面を山形にしている。なるほどな形。

卍崩し組子と人字形割束



雲斗雲肘木(くもとくもひじき)。 先端のつっかい棒は江戸時代に設置されたとか。はじめは柱だけだったが後年それじゃ寂しいと龍を巻き付けたのだそうだ。

ここにつっかえ棒がなくてもバランスしていたとは感覚的にはピンと来ない。江戸時代まで問題なかったのだろうか・・・。




東回廊 繰り返しの美学!



回廊の軽やかな格子越しに見る紅葉 この格子についても和辻哲郎が『古寺巡礼』に書いていた。




経蔵



大講堂正面



綱封蔵(こうふうぞう)



高床の大きな蔵。中間の3間が吹き放しという構成。デザインがモダン、惹かれる・・・。



東大門





夢殿


特別展だったのだろうか、大宝蔵院で国宝の百済観音とやはり国宝、あの玉虫厨子を見ることができた。

仏像というと、どちらかというとずんぐりタイプが多いという印象だが、百済観音は実にスレンダー。こちらの気持ちに同調してもらえるような慈悲深い雰囲気が漂っていた。


法隆寺1

2013-11-18 | A あれこれ

秋 古都の旅13

16日(土) 朝7時過ぎの電車で奈良に向かう。JR法隆寺駅からバスで法隆寺へ。



南大門



南大門からの眺め 中門と五重塔 離散的な人の配置がおもしろいと思って撮った。なるほど確かに中門の真ん中に柱があるとひとり納得。



中門から正面の大講堂を望む。



この方向から見るのが一番美しい。

『古寺巡礼』岩波文庫に和辻哲郎は五重塔をいろんな位置から鑑賞していることを書いている。左側手前に金堂、五重塔の東面を見る。この塔の逓減率を知りたいが手元にあるはずの資料が出てこない・・・。

追記:『五重塔入門』藤森照信、前橋重二/新潮社にこの塔について**ぜんたいとしてシンプル、かつ力強く、大きな逓減率(五重の総柱間は初重の50%)がかもしだす安定感とあいまって、盤石の構えといった印象**(29頁)という記述があった。



金堂越しに見る五重塔 金堂と五重塔のデザインに共通する要素が多いので、姿は違うけれど統一感というか、一体感がある。



裳階の板屋根を受ける挿肘木の先に三斗をのせて出桁を受けている。軽やかなような、先端が重すぎるような・・・、印象が定まらない。繰り返しの美学な構成。





相輪 九輪と水煙、てっぺんの宝珠。 先端のデザインに注目。