透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

カフェ・シュトラッセ 水平

2008-08-31 | A あれこれ



■ 秋のフォトアルバム 080831

田んぼって水を張るんですから水平なんですよね。
ンなこと、あたり前じゃんと突っ込まれそうです。
今までそんなことを意識したことなかったんです。

カフェ・シュトラッセの横長の窓から田んぼを見て、
そうか田んぼって水平なんだ、って思ったんです。


日本浮世絵博物館 正方形

2008-08-31 | A あれこれ


日本浮世絵博物館 篠原一男 松本市島立南側外観

 コンクリート打ち放しとガラスの組み合わせによるシンプルでグラフィックな南側外観。正方形が横に3つ並んでいる。正方形は1辺が7.2メートルだろうと合板型枠の枚数で判断。真ん中の正方形の左下の暗くなっているところが入口、その向こう側にガラスとコンクリートの直角2等辺3角形。コンクリート面の面積を求めよ、と中学の数学の問題になりそうな外観。



東側外観

東側も南側と同じ正方形が3つ横に並んでいる。手前はガラスの正方形でフレームの割付は合板型枠と同じ大きさのたぶん0.9m×1.8m、奥はコンクリートの正方形。

篠原さんの初期の住宅作品に「白の家」や「から傘の家」があるが、これらの作品の平面も正方形、シンプルな形で構成されている。篠原さんは正方形が好きだったのかも知れない。作品集でも手元にあればたぶん理由も分かると思うのだが・・・。


 


今和次郎の「民家 見聞野帖」を取り出して

2008-08-31 | A 読書日記


■ 考現学、生活学の今 和次郎(こん わじろう)。今は北海道から九州、さらに朝鮮半島まで各地を訪ね歩いて生活空間としての民家を観察して膨大なスケッチとメモを残した。大正から昭和初期にかけてのことだ。それらの多くを収録した『民家 見聞野帖』柏書房を久しぶりに取り出して眺めた。

やはり民家観察は、いや対象がなんであれスケッチが大切だと改めて思った。きちんと対象を詳細に観察してスケッチして初めて気がつくことが少なくないことは私も経験している。上の写真に納めたのは東京檜原村数馬の民家、1923年のスケッチだ。



私が檜原村を訪れたのは1978年のことだった。その頃は東京で生活していたが休日によく郊外に出かけていた。少しまとまった休みには遠出もした。北は北海道や東北、南は四国、九州にも出かけた。だが、民家と出会っても全景写真を撮るのみ。詳細な観察をすることなどほとんどしなかった。

あの頃もっと系統的に細部まできちんと観察して記録に残してたら、今頃有効な資料となっただろうに・・・。

人生を航海に喩えることがあるがその航海にはなんと後悔の多いことか。後悔なんてしても意味ないのに・・・。そういえば「愛とは決して後悔しないこと」とかいう映画のコピーがあったっけ。そうポジティブに!ポジティブに!
あれ、民家の観察記録の話じゃなかったのか。

ブックレビュー 0808

2008-08-31 | A ブックレビュー


今月の帯3本

 今日で8月も終わり。北京オリンピックにくぎ付けな日々であったから、今月読んだ本は新潮文庫3冊のみ。

夏目漱石の『こころ』期間限定スペシャルカバー、シンプルでモダンなカバーデザインに惹かれて購入、読了。

先生が手紙で告白した孤独な内面、ミステリーに欠かせない心理描写として白眉であった。そう、今回はミステリー小説として読んだのだった。

梯久美子の『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』戦争の愚を読み継ぐ責務あり。

『東京奇譚集』久しぶりの村上春樹。カフェで読んでいたディッケンズの「荒涼館」を隣りの席の女性も読んでいた・・・。

**偶然の一致というのは、ひょっとして実はとてもありふれた現象なんじゃないだろうかって。つまりそういう類のものごとは僕らのまわりで、しょっちゅう日常的に起こっているんです。でもその大半は僕らの目にとまることなく、そのまま見過されてしまいます。まるで真っ昼間に打ち上げられた花火のように、かすかに音はするんだけれど、空を見上げても何も見えません。*

私が『こころ』を読み始めたときMも『こころ』を持って東京から帰ってきた。偶然同じ小説を読み始めていたのだった。