黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

変わり者は治らない

2012年04月22日 20時04分19秒 | Weblog
4月22日分。

 毎度。ふと本屋に行ってみたら、コミックス版『ヨルムンガンド』の最新刊で、最終刊にあたる11巻目が置いてあることに気がつきました。慌ててレジに持っていきましたとも。幽霊です。つい昨日辺りに、ヨルムンのアニメだわーいと喜んでいたかと思ったら、原作の方はそのすぐ翌日に最終刊を見つけることになろうとは……。何となく、面白いタイミングですね。ずっと追いかけてきた作品なので、無事に走りきってくれたなーという満足感と、もう終わりかと残念な気持ちがない交ぜになりますね。
 最後までちゃんと追い切った作品というのは、案外なかなか無いもので。途中で刊行が止まってしまう作品も多いし、私自身の方が「もういいやー」と止めてしまう作品も多数。そして、現在進行形で追い続けている作品も多数。今追い続けている作品の内、どこまでが無事に走りきってくれるのか、私が最後まで追い続けられるのか、楽しみです。うん、でもヨルムンは、本当に走りきってくれて良かった。

 あ、完全にどーでもいいコトなのですが。gooのブログって、記事ごとに「キーワード」を自動的に幾つか抽出して、記事の末尾に出すようになってたんですね。個々の記事をタイトル指定して読む場合だけ表示されるようで、普段そも自分の記事の読み返しはしないし、する場合でもブログトップから読んでしまうので、全然気がついてませんでした。昨日の記事だと、昭和記念公園、ヨルムンガンド、グーグルマップとか辺りがキーワード抽出されていたようです。ふーん。
 このキーワードって、何に使うんでしょうねぇ。例えば、グーグル検索したりするときに、検索キーワードに対応する記事ほど上位にきやすいとか、そういう用途かな? もしくは、いわゆる「注目キーワード」のチョイスに使われているのかしらん。まあ、私自身はあまりそういうところを気にせず、自分の好き勝手にここを書いているので、割かしどーでもいいのですけれども。そんなのあったんだー、程度の関心事項でした。
 余談ですが、うちのブログって、単語検索などの際に該当していると、いくらかは上位に表示されやすいみたいです。多分、投稿記事数だけは多いからでしょう。単一ブログで投稿記事数2,000オーバーですから、まあそうなるか。話題も扱う単語も大体偏っているので、一つの記事で引っかかる単語は、他の複数の記事でも引っかかっているでしょうし。中身も体裁も未整理状態なので、かなり読みにくいでしょうけどねー。

 で、ようやっとタイトルの件。休みは時間があるので、記事が長くなりますね……。
 子供時代のことはいまいち覚えていませんが、今現在において、私は割と変わり者であるという自覚を強く持っています。世間様一般からはある程度離れた立ち位置と興味関心事項を持ち、そちらへ合わせるつもりがほとんど無く、むしろ自分の価値は変わり者であることにこそある、という意識があるくらい。ただ、そこまで「開き直る」のには、随分と時間がかかったものですけれども。
 完全に何から何まで「平均値」通りという人間がいたら、それはそれで凄まじい変わり者ではあるのでしょう。人間、誰しもどっかしら変であるのは確かで、誰一人として「同一」な人間というのはいません。一卵性双生児であっても、全く一切合切が同じであるわけではない。そこまでふまえた上でなお、私はそれなりに変人の部類である、という自覚があり、そうあるべしという意識があります。
 ……と言うよりも、基本的に、他人に合わせるということがあまり出来ない性分なのでしょう。天上天下唯我独尊、自分勝手自己中心、自己愛過多、他人がどうあろうが知ったこっちゃぁない、つまりはそういう類の輩であるということです。取り繕ってせめても良く言えばユニーク、悪く言えば自分さえよければ他はどーでもいいという人間ですね。それを自覚して、自分はそういう人間だと受け入れるまでには、まあそれなりの葛藤なりがありましたとも。誰しも認めたくないものです、自分がそういう人間なんだということは。
 まだ子供のままなのだとも言えますし、そして本人にはそれを改めるつもりが無い。これっぽっちも無い。このことを、正当化は特にしません。ろくな死に方はせんだろうなーと思いはしますが、今更治るとも思っていない。だからこそ、「開き直る」という表現を上で使っています。

 他人と同じものを、無理に好きになる必要は無い。他人と同じものを好きにならなきゃいけない理由を、無理に考える必要なんて無い。んなものを考えるよりは、自分の好きなもののことを妄想でもしてる方がマシ。
 私には、嫌いなものがたくさんあります。受け入れたくないものが、たくさんあります。自分の好きなものばかりで、自分の周りを固めてしまいたい。見たくない、聞きたくない、触りたくないものがたくさんあります。でも、今はもう、それで良いと思っているのです。嫌なら嫌で、そうと分かっていればこちらから近寄らないようにする方法は、いくらでもあると気がついたから。たまにだけ我慢すれば、やり過ごせると分かったから。
 私には、気に入っているものがほんの少しずつあります。何か、受け入れられるもの、興味を持てるものが他に無いかと、ちょっとずつ毎月探しに行っています。気に入るか、気に入らないか。気が向くか、向かないか。私の好きなものは、全てが他の人に受け入れられるものでもないでしょう。でも、自分が好きなら、別にそれでいいじゃないの。他人にとやかく言わせない。少なくとも、他人に危害が及ばない限りにおいては。
 私は、私。どれだけ自分が最低野郎でも、どれだけ自分が偏っていようとも、んなこたぁどーでもいい。自分の生まれてきた意味とか、どーでもいい。私は、私。今の私が、私です。きっと、十年も経てば今の私とは違う、そのときの私がいるでしょう。そのときの私が、まだ私でいられるように願っています。……大差ない気もするけどね、十年経っても。

 ではでは。ひゅう、どろん。