黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

月末調整と数学ガール

2008年11月30日 15時02分26秒 | Weblog
11月30日分。

 毎度。昨日のスーツ購入に加えて、どうせ、今月はもう貯蓄へはほとんど考えなくても良いだろうってことで、普段なら優先順位のやや低い程度の物を諸々買い集めてきました。幽霊です。買い物の中身なんて地味ですよ? ドライヤーとか、魔法瓶とか、薬用ハンドクリームとか。ドライヤーはそもそもそんな高等な物が部屋にあった試しが無かったわけですが、マイナスイオンなんてついてない安物で済ませて買ってきました。魔法瓶は現品処分の特価品。貧乏性はいつものことです。
 この時期、かなり手ががさがさになって若干痛くなることがあるので、この中ではハンドクリームが一番優先順位が高かったりする。キスミーの薬用ハンドクリームを選んでますが、コレ、昔実家に置いてあったんだよなーと。昔使っていた頃と変わらずものっそい薬臭いですが、だがそれが良い。その次が魔法瓶でしょうか。電気ポットを置いてないので、お茶でも飲もうとすると一回一回お湯を沸かす必要があったもので……。平日は一回沸かして一回飲むだけですが、休みは回数が増えやすいし。ガスの無駄なので、魔法瓶に入れて保温したれってことです。早速、今お湯を沸かしてお茶を準備しているところ。
 結局、諸々買って九千円くらい。洗濯とアイロンかけも終わったし、今月末としてやることはお終いかな? 後はのんびり、買ってきたポテチのミニサイズと、ちっさいクッキーでもかじりながらお茶をすするとします。どこぞの楽園の素敵な巫女さんみたいだな。

 さてはて、昨日書かずに今日に回した、『数学ガール』のこと。原作はハードカバーで確か出ていたと思いますが、私が買ったのはコミックス版。ハードカバーは基本的にまず買わないという偏屈主義を持っているのと、コミックスの方がさくっと読みやすいからという理由もあって、原作は買っていないわけです。似たような理由で、前は森博嗣の『黒猫の三角』のコミックス版を買ったなぁ。あれは文庫出てるけど。
 その辺はともかくとして。さーっと読んでみて思うのは、別に特殊なことをやっているお話ではないんだよな、ということ。中身には確かに数式、数学がたくさん出てくるのですが、原作にはもうそのまんま、数式の意味が分からなかったら物語だけ追って大丈夫、と書いてあるんだとか。実際、コミックス版でも、数式の意味が分からなくても読めるようになってます。私自身、数学、数式の類はもの凄く大嫌いですし。大事なのは数式そのものではなくて、数式なり数学という表現形式を取った上で、何を伝えようとしているのかという方だってことですね。
 上巻時点で、多分下巻もあまり変わるところはないと思いますが、数学+ラブコメという売り文句はピッタリそのまま、それ以上でもそれ以下でもない作品というのが感想です。悪くないよ? 絵の好みは、まあ人によるのかな。作画担当の方の既刊が、白泉社ジェッツコミックスのようなので、少女漫画か女性向け漫画の方面の人なのかな。画風もそんな感じです。目に星がきらきらーっと映り込んでいたり、薔薇背中に背負ったりしてるタイプじゃないですが。
 この手のタイプの、○○(例えば恋愛のお話)+普段見慣れない要素、という構造のお話は割とどこでも通用するんだなーと思ったり。こういうので一番真っ先に思い付いたのが、電撃文庫の『撲殺天使ドクロちゃん』だったりしたのが、自分でも若干の自己嫌悪でもありますが……あれも構造としては近い気がする。ラブコメだってのが似ているのではなくて、アレは作者のあとがきか何かで作品の作り方を書いていたことがあって、ああ形式が似てるのかな、と。具体的には、あの作品だと、ラブコメとかでよくあるパターンをまず思い浮かべて、そのパターンをドクロちゃんに適用したらどうなるか? という考えで書いていたんだそうです。つまり、「ドキドキ初デート・ドクロちゃんの場合」とかそんな感じですね。『数学ガール』でも、「数学が大好きな少女の場合」という構造になるのかなーと。
 もう一つ、個人的に覚えている、このタイプの構造の話を一つ。小川一水の、『漂った男』という作品です。短編のSFで、ハヤカワ文庫JAの『老ヴォールの惑星』に収録されてます。この話は、言ってしまえばたった一人で海に漂流してしまったお話です。これだけなら普通かなーと思うのですが、これに別の要素というか条件として、「そこは海しか存在しない惑星である」という追加項目があります。惑星に墜落してしまい、からくも生き残ったけれど、救助して貰うには自分を見付けて貰う必要がある。ただし、その惑星には海しかなくて、目印になる物が何もない、どうやって自分を惑星上から探し出して貰えばいいのか……と。そこ、GPSとか夢のないこと言わない。この話に限らず、小川一水は短編に良い作品が多いので、お勧め。
 世の中、割とこういう形で作られたお話は多いような。記憶にある限りでもまだいくつも例を挙げられますが、面倒くさいので割愛。探してみれば、いくらでも見付かると思います。ラノベでもあるし、SFの短編だと結構こういう発想でぶっ飛んだのを作る海外作家さんは多いし、一般書籍でも、『数学ガール』は結構売れたんじゃなかったかしら? そういう手法って、ありありなんだなーと思ったのでした。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『ものぐさ精神分析』
購入冊数 文庫4、コミックス11
読破冊数 文庫6、コミックス11

聞くということは便利ダナ

2008年11月29日 20時39分12秒 | Weblog
11月29日分。

 毎度。仕事用のスーツは三着手持ちがあるのですが、内の一着のズボンにかなり大きな穴が空いていることに先日気が付きました。幽霊です。もう少し目立たないところならまだ使い倒すつもりだったのですが、ちょっと無理そう。もう一着にも若干穴が空き始めていて、そっちもじきにダメかな? 就活中からずっと着続けてきた三着なので、そろそろまあ使い切りの時期でしょうか。
 小さな程度の穴なら直してもらってまた使うのですが、一着目の方はちょっとそれも難しそうで。まあどうせ二着減るだろうという計算の元、コナカに行ってきました。就活のときに行ったのと、実は同じ店。学生時代住んでいたところと、今住んでいるところが割と近いのは前に書いたことがありますが。行ってみたら、四年前のことだというのに、まだ当時の採寸データとかが残っていました。お店の人も、三年前までなら残ってますよー調べてみますねーということだったのですが、そこを越えて四年前でギリギリあったらしい。
 つまりは四年間ずっと使い続けたということで、ま、よく頑張ってくれました。お疲れ様。そんなこんなで、十月の残業がえらいことになった分、手取り収入も色増状態になっていたので、スーツを新調しました。ちょいと取り寄せになった分があるので、受け取りは来週末。ちなみに、ほぼちょうど四年経ってましたが、買ったスーツは当時のサイズと全く同じものです。ウェストも前回時は四センチばかり詰めていたようで、今回も同じだけ詰めて貰いました。体型変化が無いらしい。
 今月は箱買ったり掃除用具諸々とか買ったり、スーツ買ったりでかなりの出費を繰り返してますな。これだけ買っても、実は収支はまだ黒い。貯蓄予定額をかなり食ってしまいましたが、スーツはさすがに予定外すぎたので、そこはしょうがない。貯蓄は今月はゼロでも良いかな、という程度の意識でいます。赤になりさえしなければ宜しい。つっても、まだ万単位で黒いですが。

 さて。上の話で、私がコナカの場所を知っていたというのは、「そこに行ったことがあるから」という経験によるものです。モノやコトが分かるという状態の、一番単純にして、割と確実性の高い……と思いこめる方策ですね。
 と言っても、行く前に幾らか追加の調べはしていました。店の場所自体は覚えていたのですが、その店が洋服のアオヤマだったか、コナカだったを覚えていなかった。別にどっちでも良いんですが、まあ値段の下調べくらいはしたかったので、ネットでサイトを漁りたかったし。それと、もしかするとそこの店が潰れているかもしれなかった。ということで、一応は確実性を増しておくために、ネットでぽちぽちと調べてみたわけです。更に確実にやるなら、ネットで電話番号を調べてみて、電話かけてみりゃ良いんですが。そこまではしなかったかな。
 モノやコトを調べる方策には、色々あります。調べるということをする機会自体は、私自身だとお仕事を会社でしている都合もあって、ちまちま発生してくる。それが社内的な事柄である場合には、一番手っ取り早いのは担当者に聞くという手段になります。ひとまずはこれが最も確実な方策で、逆にこれ以外の方法で調べられないという場合はかなり多かったりします。他の人だとぜーんぜん分かりませーんと言われてしまったりするし、文章やイントラネット(社内限定のネット)に掲載されてやしないということも多々。情報の共有化なんて言われてますが、まるっきりダメやなこりゃ。
 調べるモノやコトが社外の事柄、特に法律やら制度に絡んでくる内容だと、今度はネットで検索する、もしくは専門の書籍をあたるという方法になります。経理部の中の人をしてますが、部内にはそういうときのために、ある程度書籍が置いてあるわけでして。前にその法律や制度を業務で調べたことがある、関わったことがあるという先輩なり上司がいれば、やはりまたその人に「聞く」というが楽。まあ、法律や制度は割とよく変わるので、聞いた上で改めて調べる、のが望ましいですが。
 私自身だと、「調べる」という行為をする場合、真っ先にあたるのはネットでの検索になります。教えてグーグル先生、ってことですね。次が書籍。最後の手段が電話での問い合わせ。社外的な事柄ならこれがいつものルートで、社内的な事柄でも可能な限りは文章かネットという媒体を優先します。ただ、最近ではこりゃ電話で本人に聞く以外調べようが他にねーわなーというものが分かってきているので、そういうのが来てしまったら真っ先に電話でダイレクトアタック。リバースカードオープン、「私も分かりません」で反撃されることもあります……うへぇ。
 仕事してると、結構些細なことでも電話かけて聞いてくる人がいます。というか、それが大半。イントラネットに掲載してあることでも、そっちを見るという人はもの凄く少数です。職場の他の人達を見ていても、かなりしょーもないことで電話を受けて、「だからそれはイントラにも載ってるんですけどー」という返事をしていることがかなりある。でも、やっぱりみーんな、聞く方が早いやってんで直に聞いてくるわけです。人によって、電話かメールかの違いはあるけれど。
 つまり、割とみんな、何かを調べる道筋としては「聞く」というのを重視しているようです。私なんかだと、上司や先輩に「聞かれて」、それを私が「ネットで調べて」答える、パターンも多い。仕事に関係のあることでも、ぜーんぜん仕事関係ない私事でも。多分あれだな、コイツに聞いてみりゃある程度の中身は調べてくれそう、という感覚なんだな。でも、正味エクセルとかワードの使い方とかは、自分で調べた方が早くないか? これこれを調べて欲しいと言われてやってみたら、向こうの要求している中身が、私の調べてみた中身と若干ずれていて調べ直し、なんてのはよくあります。調べて欲しいと言ってきた本人が、何が自分で分かっていないのかを理解してない、「分からないことが何なのか」が分からない、という状態なこともあるから、でしょう。こういう状態だと、聞くだけ無駄であったり、教えて貰っても理解が不十分だったり、理解は出来たけどえらい時間がかかった、ということになりがちですね。
 とりあえず。「聞く」というのは、何のかんのいって一番分の良いやり方ではあります。相手に調べる労力を押し付けられる、というメリットもあるし。ただ、聞くときには、聞く内容を整理して、自分で「分からんところがどこなのか」を理解した上で聞くのがベター。でないと、聞く相手にも無駄な手間をかけます。コイツは何が聞きたいんだよ、何が分からないんだよーと思うような電話って、これがまた社内の用件だと多いんです。疲れる……。

 聞く、という行為は簡単なようで……実は私がコレを出来るようになったのは、もの凄く最近になってからです。何か分からないコトやモノが出てきたときに、「あーこりゃ聞くか」と思えるようになったのは、本当に最近になってから。正味、今でも聞きに行く、聞くための電話をかける前には若干緊張します。他人に聞くという行為が、私にとっては結構シンドイというか、昔のトラウマみたいなもんなのかなぁ。過去にイジメを喰らっていたのは書いたことありますが、何か私が喋ったりするたびに囃し立てられたり、笑われたりしたもので……。つい、恐怖感が先に立つのです。そういうのもあって、私自身の中では、先に文字媒体を漁る傾向があります。文字を読むのは苦痛ではないし、グーグル先生で掘り進んでいくのは結構好き。意味もなくウィキペディアを眺めていることもあります。……そりゃ調べてるんじゃなくて、手持ち無沙汰で暇なだけか。
 ただねぇ……。本もネットも、他人に「聞く」というのも、どの方策を取ったとしても、絶対確実と言えるものは無いのです。例えば、法律の載っている本というのは、一見確実性が高いように見えます。が、その本が古くて、今現在その法律はいくらか変わっている条文があるかも知れない。もしくは、解釈の仕方の問題があって、この条文はこういうふうに解釈して良いのかしら? というのもある。曖昧な表現で書いてある法律って多いので、解釈の問題は多いんです。自衛隊の問題みたいだねぇ。ネットに関しては、個人のページの不確実性は今更言うまでもないでしょう。
 そして、「聞く」というのも実は本来確実性が低い。個人の記憶や経験、つまりそれは「思い込み」というものに頼っているわけでして。担当者であっても、担当者が勘違いしていることも多いんです。もしくは、その人が新任の担当者だったら? もの凄く忙しくて、すごく疲れていて、うわのそらで回答していたら? 無いとは言えないんですね、こういうのも。結局のところ、聞くというのは手っ取り早いんですが、難点も多い。他の方法にもそれなりに難点がある。複数の手だてを並行した上で、照合し組み合わせて使ってやるのがベストということになります。つらつら書いて結論それかよって感じですが、そんなもんだって、世の中。

 あ、漫画版の『数学ガール』上巻を読みました。ちょいちょいと思ったことはあるのですが、字数が今日もえらいことになっているので、明日に回します。つーか、最近また長文ブログに戻ってねーか?

読み:コミックス『誰も寝てはならぬ』十巻、『数学ガール』上巻
買い:コミックス『誰も寝てはならぬ』十巻、『数学ガール』上巻
途中:文庫『ものぐさ精神分析』
購入冊数 文庫4、コミックス11
読破冊数 文庫6、コミックス11

みくしぃねぇ……

2008年11月28日 22時57分22秒 | Weblog
11月28日分。

 毎度。ちょっとばかり久々に、なかなかシンドイ程度の偏頭痛が出ていて顔をしかめっぱなしになってます。幽霊です。偏頭痛のせいでどうしても表情が怒っているように見えるらしく、人とすれ違ったときにちょっと接触してしまったのですが、相手の方からゴメンナサイと言われてしまいました。いや、ぶつかったことに怒ってるんじゃなくて、頭痛くて表情がコントロール出来ないだけなんです……。
 割と痛むので、今日は手短めにニュースを一つ拾ってお終いにします。いてぇ。

 ということで、このニュース。私自身はミクシィへの紹介を受けていないので、今のところミクシィを見ることは出来ない状態になってます。知人に何人もミクシィユーザはいるし、正味母親殿も入っているので、アカウントを取ろうと思えば割とアッサリ取れはします。そういう意味では、ネットをやっている知人が何人かいれば、その内の一人くらいはミクシィをやっている可能性が高いわけで、そうなると紹介性の制限能力はもうあまり無いかも知れません。そこはまあ、記事中にも指摘があるとおりですね。
 個人的には、ミクシィをやるつもりは今も無し。ココで特に不自由が無いのと、ミクシィでは足跡が残ってしまうので、行動を監視されているような感じがする、とは母親殿の談。あんまり滅多なことも書けないよなーとか言ってた記憶もあります。他の知人の談では、読みに来たのにコメントを残さないなんておかしい、と言われたことがあるんだとか。うーむ。そういうのは好きじゃないなぁ。
 とは言え、そこはそれ、ミクシィの場合はコミュニティで同好の士を探してみたり、友達仲間同士で盛り上がったり共有したり、そういう感覚がある……ということだと思います。実際にやってるわけじゃないから、何とも言えないけれど。そういう割と接近した付き合いを望む人には、向いてるんじゃないかなーとは思うのです。私個人は、ココで投げっぱなしに記事投稿してる方が楽なんですが。
 招待制から登録制へ変更ということで、一瞬どうなのかなーとは思ったのですが、上で自分でも書いたとおり、あまり招待制で抑制を図るという方法は既に意味が無くなってきているような気はします。もしかすると、逆にミクシィ側でもユーザ数の伸び悩みを打開しようという思考で、招待制を取り払ったのかも知れませんが……だとすれば、あまり効果は無いよーな気もします。一時的には増えるかも知れないけれど、アカウントだけ残っていて機能していない人とか多くなりそうな。入ってはみたけどやっぱやーめた、という人も多くなるのでは?
 ある意味、ミクシィは閉鎖的な状態にあって、その閉鎖性故に話題になっていたような面もありますし。その閉鎖性のひん曲がった事件として、かなり前ですがけつげばーがーの話もあったような。最近はそもそも、あまりミクシィも話題にならなくなりつつはあったよなぁ。日本人ってかなりの新しいモノ好きですから、話題にならないもの、使い古されたものはすぐ飽きます。さて、どーなるかな?
 後は、「mixi内での利用状況に対する監視体制やセキュリティの強化によって、mixiコミュニティ内の健全性を維持する(記事ママ引用)」そうですが、これがどういうことを意味するかによって反応が変わってくるでしょうね。どこまで目が届くのかというのも問題だし、どこまで徹底してくるのかにもよります。ニコ動なんかでは、とかく投稿数が多いものだから、一時的に違法っぽい動画が上がってきてしまうことも割とありますし。ユーザ数がそれこそ日本人ネットユーザの二割に達するミクシィで、どこまで監視ができるものなのか。
 それだと、あんまり普通のブログと変わらんのではないかな、と思わないでもないのですが……。ま、どーでもいいか。頭痛いし。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『ものぐさ精神分析』
購入冊数 文庫4、コミックス9
読破冊数 文庫6、コミックス9

何で私が払うのか?

2008年11月27日 22時09分31秒 | Weblog
11月27日分。

 毎度。会社から帰ってきてみれば、たまたま近所でインナの安売りをしていたので、体温調整用に長袖の肌着を何枚か買い込んできました。幽霊です。保温をそれなりに重視してやらないと、この時期寒くて身体が動かなくなります。ま、実は職場の方がエアコンかかってるので、自室が一番寒いんですが。
 とりあえず、今現在は毛布にくるまりながらネット中。何とはなしに、ランキングに上がってきていたので、ニコ動であの伝説のゲーム「トマック」の実況動画を眺めております。首じゃ、本当に首じゃ。何だろうね、この斜め上を通り越して捻りすぎた発想は。発想の勝利というか、発想の場外ファール?
 眺めていても、そんなに気持ち悪いとか違和感とかを感じない自分に苦笑い。ある意味、この手のは慣れてるし……知ってるしなぁ、トマック。

 まあ世界を左右する生首の話は置いておくとして。麻生さん、まぁた何かやらかしたようですな。ってなわけで、このニュースを出してみます。話題が古いって? テレビ無いんだからしょうがないじゃない。だからといって買うつもりも無いけれど、それもまた置いておくとして。
 マスコミの論調としては袋だたきではありますが、個人的には割と賛成かなーとも思います。そもそも、高齢者への医療保障やら年金というものは、基本的には働ける世代が負担をしている状態になっています。何でそんな支払いをしているのかと言えば、後々貴方が高齢者になったときに、今度は貴方が下の若い世代の人達から支えて貰えますよ、という約束があるから。それが無ければ、誰も払いやしません。敬老精神? 無いとは言わないけれど、それと金銭的な負担は別。
 ただ、年金もこれとまあ同じような約束で先に払っているわけなのですが、実際にはもうこの約束は破綻しつつあります。だって、高齢者の方が多いんだもの。払ってくれる人は減って、受け取るだけの人が増える。当然、収支バランスは傾いて、その内にストックが全部尽きるでしょう。先に払った分だけでも受け取れたら良い方ですが、私たちの世代ではそもそも貰えるかどうかすらが怪しい。それなのに、払った分以上に受け取っている人達がいる、と。この不公平、どーしてくれる?
 ……とまあ、そのくらいの思考があるだけに、麻生さんの発言にもあまり非難の気持ちは浮かばないわけです。ただ、高齢者の方が投票率が高いだけに、政党としてはそちらのご機嫌取りを優先する必要性があるわけで。世間様の風潮でも、高齢者を切り捨てるとは何事か、というまことしやかな論調が強いわけで、これに反する発言は抑えさせるなり、もしくはその発言をあげつらって自分たちの側の評価を相対的に上げようとしたり、という動きが出てくる。騒いでいるほどには、大して面白みのある話でも、深みのある話でもありませんな。
 さてはて。年金制度にしても、高齢者の医療保障にしても、自分が先に払った分は後から報われる、という前提条件に基づいて運営されていました。本当はこれはただの空手形でありユメマボロシであったわけですが、それでも、まだ人口が右肩上がりに増え続けていた頃には、案外にもしめしめ上手くいったという状況になっていた。ただ、人口が増加から減少に転じると……当然、化けの皮が剥がれてしまいます。誤魔化しがバレて、めでたく制度の欠陥が露見する。正味、この欠陥、減り続ける現役世代で、どうやって増え続ける高齢者層を支えようというのか。この説明をちゃんとしてくれている政党にも人物にも、まだお目にかかっていません。
 ……まあ、私自身、叩くだけ叩くのは良いんだけれども……。代替案が出ないのが難点です。せめても、先に払った分はちゃんと戻して欲しい。上の方で払った分より多く受け取っている人の分は、多い分全部とは言わないから、いくらかは減額して欲しい。一時的に資金繰りが限界に近いのは分かっているから、それを補うために消費税を上げるならばやむを得ないと思っています。但し、上の方の多く受け取っている世代をただ養っただけ、という増税の結果になるのはねぇ。
 もの凄く手前勝手なことを言っているように見えるでしょう。もちろん、その通り。でも、高齢者の側が、自分たちの受け取る分を減らすとは何事だ、と言うのはそれもまた手前勝手なことなのです。単に、今は高齢者の方が声が大きいので、こちらが負けてしまうだけのこと。敬老精神を言うのなら、逆に若者に対する配慮であるとか遠慮、自省なり自重を求めても良いのでは?

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『ものぐさ精神分析』
購入冊数 文庫4、コミックス9
読破冊数 文庫6、コミックス9

無駄な思考

2008年11月26日 00時16分12秒 | Weblog
11月26日分。

 毎度。今日は……もとい、今日も無駄なことをつらつらと考えながら、惰性的にちんたら生存しております。幽霊です。
 会社の飲み会に連行されましたが、まあお酒も強制されなかったし、話題を変に振られたりもしなかったので楽っちゃ楽でした。ただ、お店の人が持ってきたウーロン茶が妙に薄かったのが一回、その薄いやつを交換してもらったら今度はウーロンハイだったとか、ちょっと笑いました。今日は当たり日か? そんなこともあるか。

 さて、無駄思考。
 飲み会の最中、株に投資する話が出たり、パチンコの話が出たり、ロックフェスの話が出たり、ゴルフの話が出たり、野球の話が出たりしました。基本私は分からん話には黙って聞いてるだけなので、大概の場面でのんきに食ってるだけ。飲み会が終わった後でふと、みんなが何かしら反応した話に、あまり自分はそういえば反応してないよなと気が付いたりします。
 さくっと言ってしまえば、ギャンブルや投資やスポーツ観戦やライブに行ったりすることに、あまり興味がないというだけなのですが。どれか一つの話題に対しては、大体二人か三人程度の賛同者なり、関心を示す人がいました。参加した人数が私含めて六人でしたが、上に挙げた内、みんな二つ三つずつくらいの話題には興味関心を示していたと記憶しています。私の場合は、上の話題ではゼロ。今回に限らずいつも大体そうなので、まあこんなもんかなーと思うだけです。
 さてはて。では、その辺に全然興味関心の無い私は、何に対しても無関心であるのか? そうでもないよなぁ、とは思います。万事に完全に無関心な人間であるのならば、わざわざ本棚の中身を入れ替えたりする必要はありません。だって、中に収まる物の出し入れがあるから入れ替える必要があるのです。箱360を、いきなり四万近くも出して買いません。買ったのはかなり前ですが、八万も出して自転車なんて買いません。つまり、興味が無いわけではない。ただし、他の人と興味関心の向く先が若干ずれているということになります。他の人と、という言い方は、より正確には「今現在の私の、会社及びその関係者の人達」とはズレている、とすべきですね。
 世の中、実際にはたくさんのコトやモノがあって、その中で私たちは興味の向く先を選択していることになります。接触しやすいコトやモノもあれば、ある程度掘り進めてやらないと接触できないコトやモノもあります。多数が興味を持っている「と言われている・と思われている」コトやモノもあれば、その方面に興味を持っている人はマイノリティである「と言われている・と思われている」コトやモノもありますね。この辺の分類はかなり恣意的というか流動してしまうもので、会社においては私の興味関心分野はマイノリティ側ということになるのですが、ネット関係の仲間においてはそう珍しくもありません。ほら、あっという間にマイノリティが多数派になった。相対的にという意味であって、絶対数の問題で考えたらやっぱりマイノリティではあるんですけどね。

 まあ、読書という分野に限ってここからは話をもうちょい進めますが。読書という趣味自体に関しては、そんなにマイノリティでもないものだと思っておきます。完全にごく少数派であるのなら、書店という業界が成り立たない筈なので、つまりは一定数の人間がそこに属していると考えるわけですね。……んで。但し、読書と一括りにして考えるのはかなり乱暴で、スタンスや読んでいる内容はみんなぜーんぜん違います。「勉強のため」という人もいるし、「娯楽のため」という人もいる。「ミステリ」を読む人もいれば、「漫画」専門の人もいるし、「エッセイ」が大好きという人もいるし、「専門書」が主だという人だっている。
 もうちょい細々見れば、ミステリだって古典的なやつもあれば、新本格なんてのもあるし(これが本当にミステリの中で一分野と思われているのかは私は分からないのですが)、漫画だって少年漫画に少女漫画に青年向け大人向けその他諸々で種類はたくさんあります。専門書と言っても、建築から介護に医療に環境その他もう数えきれません。そういうところは、一応書くだけ書いておいて、後は無視。一概には言えないよ、ということだけ。
 ただ、全般的にとりあえず言えそうなことは、読む人の少ない本ほど、発行部数は少ない筈だということ。そりゃそうです、売れない本をたくさん印刷したって、損になるだけなんだから。需要と供給というやつです。じゃあ、読む人の少ない本というのはどういう本なんだろう?
 まずぱっと思い浮かぶのは、とっても読むのが難しい、もしくは難しそうな本。専門性がもの凄く高い、もしくは高そうな本。値段的な意味で高い本。この三つというのは、大体において重なります。ぶっちゃけ、大学の講義とかでテキストに指定されるような○○大学教授ナントカ氏の書いた『ナンチャラ学概要』とか、そういうやつが典型ですね。扱っている内容がもの凄く限定的で、前提として必要な知識なり何なりが多くて、結果として読む人間がすごーく少なくなる。んなもん、学生が指定されて買うのを別として、そのナントカ氏の関係者が好意なり半強制なりで買うのも別としたならば、本当にその本に興味関心を持って買う人なんて、ごくごく少ないはず。だからこそ発行部数が少ないし、部数が少ない分で単価は上がる。そういうもんです。
 要するに、その本に興味関心を持ってくれそうな人の少ない本ほど、高いし出回る数が少ない。プレミアとかを狙って数を絞る本は例外にします。
 んで。私自身の本読みの傾向は、その時々でかなり変動します。昔はライトノベル分野とか、ミステリが主で。それから民俗学というか妖怪方面に傾倒しかかった時期があって、海外SFをたくさん集めようとした時期があって。つい最近までは学術入門文庫みたいなのが多くなっていました。今は、さて次はどこへ行こうかな~とか考えている時期ですね。海外SFとか民俗学とか、学術入門の方になると、さすがにネット仲間とも方向性が外れてきます。外れてきます……が、私が買うのは基本的に「文庫のみ」という自分勝手な条件設定があるわけで、文庫として入手が出来るということは、一定数の需要がその本にあるからこそ文庫化されるということでもあります。つまり、「私だけがその本を読んでいる」わけではない。
 もの凄く極端なことを言うと、仮に全人類において「私だけがその本を読んでいる」という状況がもし発生したとしても。その本を書いた著者は、既にその本に書いてある内容に興味関心を持っている、または持っていたわけでして。そのモノなりコトに対しては、最低でも「私」と著者の二人が興味関心を持ったことになる。本という媒体を経る限り、唯一というのは無いということになるんだよなー、と。本当の意味で唯一無二を探すのであれば、本に無いところを探さないといけない。それでもまだ、本という形になっていないだけで、世界のどっかには同じコトを考えている人がいるものです。その進み具合には差があるかも知れませんが。
 本というのは、本屋に行けば、呆れるくらいに数があります。それを自分の好きなように掘っていくというのが私にとっては楽しみなわけですが、掘り進み方はみーんなてんでんバラバラで、全く同じ読書履歴を持っている人間というのは、よほど意図的にやらない限り存在し得ません。特に、本を読んだ数の多い人同士では、まず絶対にあり得ない。幾つかは重なるかも知れないけれど、全部が重なるということはあり得ない。そのくらいに数がある。で、そのくらいに数があって、みんな書いてあることが違う。違いの大小という差はあるでしょうが、一切同じことを書いてあるなら、んな本は要らんわけです。……たまに、丸ごとパクリな本とか、復刻本とかあるけどね。
 結局のところ、それだけ数があっててんでんバラバラな状態ですから、本読みなんてのはどうやったってマイノリティになりやすい。でも、他に誰もいないってこともない。一冊単位で考えるなら、ですが。それまで読んできた本の履歴という意味でなら、みーんな唯一無二になっちゃいますね、組み合わせとか確率の問題で。

 なーんか脱線したような気がしますが、まあ無駄思考だからご容赦。
 これだけ本があって、本以外にもコトとモノがたくさんあって。その中で、たまたま私は本に対する興味関心が、会社における関係のある人達の間では若干突出している。でも、それってみんなどこかではそうでしょ? と。人間、自分がその何かしらに興味を持つには、他の誰かが似たようなことをやっているのを見たとか、聞いたとか、そういう経験から入っていくことが一番多いはず。親がやっていた、読んでいた、友達から紹介された、テレビで見た、知らない通りすがりの人がそれをやっているのを見てかっこいいと思った、そんなところから入ってくるもの。
 そういう積み重ねがあって、他の人とちょこっとずつ重なりながら、でも全体で見たらそれぞれ各個人が独自の方向性なり組み合わせを持つことになる。当たり前っちゃ当たり前なんですが、私自身も結局は、誰かの真似をして、アレとコレとソレを組み合わせてみたら、結果的には他の人とちょーっちばかり外れていないでもない組み合わせになったというだけのこと。でも、個々の要素だけを眺めてみるならば、案外極端なまでのマイノリティではないことが多いのです。むしろ、自分で思っていたよりも常識的な範疇であることの方が圧倒的です。常識、という概念自体がホントにあるのかよという点は考えないとしても。
 本当に他の人間とまるっきり違うところへ興味関心を積み重ねるというのは、かなり難しいような気がします。そもそも、他の人間がまるっきりそれをしていないとするならば、どうやってそこへ興味関心を抱くキッカケを持つのか。仮に、すごい偶然で他の人と全然違うコトなりモノを経験して、そこに興味を持ったとする。その部分については、確かに他とは異質になるでしょう。でも、そこから更に別の、これまた他の人間が興味関心をまるで抱かないところへ移動するには? また偶然が起こるのを待つ? どれだけの偶然だろう。
 本当に逸脱している人間であるならば。私たちにはきっと、一切理解が出来ない存在であるのでしょう。その人はきっと、外見だけはある程度人間のように見えるんだけれども、人間じゃない存在として認識されることになるのでしょう。だって、逸脱しているんだから。
 でも、私はこうやってブログをすーだら書いている。今日は妙に長ったらしいですが……。その中身がどう受け取られるかはともかく、そしてこの文章と思考はタイトルの通りそもそもがとっても無駄なわけですが、一応は日本語という言語で、誰かが読めばほんの少しくらいは意味が通じる文法らしきものを使って、日本語の分かる人が読めばほんの少しくらいは意味が通じる単語と漢字とひらがなカタカナを使って書いている。一方的ですが、最低限の意思疎通が出来るような表現を行っているということです。つまりは、一応はちっとくらいなら理解することが可能な存在であり、人間の範疇に含まれることになる(であろう)存在であるということ。

 と、こうやってずらーっと考えてきて何を言いたいのかといえば。私という輩は、自分で思っている程逸脱も出来ていない人間なのだよなーということですね。何だ結局そんなことかよ、というオチなのですが。案外、この結論って大事なんですよ?
 今はそんなに酷くもないのですが、昔は私も小学校とか中学校でイジメを受けたクチで、他人とどうも何か違うらしい自分という存在を、もの凄く疎ましいというのか思い通りにならないというのか、邪魔くさい、自分で自分を殺したくなるような存在と考えていたことがあります。割と長い期間に渡って。これがまた結構な負担になっていたようで、昔のメンタリティの不安定さはもう、今にして思い返すと綱渡りみたいな感じでしょうか。危ないアブナイ。
 自分はどうも他といくらか違ってしまっているらしい→違ってしまっている自分が辛い→こんな風に自分を産んだ親が悪いんだ、という思考になった時期もあります。自分を責めるとますますシンドイので、責任の転嫁先として親を選んだわけですな。そこからようやっと、まあ違ってしまっているのはしょうがないのかな……→違ってしまっていることこそがオレサマの存在意義だ、という一種ナルシズムだよなーという思考に移動したのが割と最近で。そこからもう一段移動して、「違っているのは確かかも知れないけれどそれは別にエライわけじゃない」というのと、「違っていることを誇ってもしょうがない」というところへ進めたいわけです。違っていること自体をアイデンティティみたいにしてしまうと、しばらくは大丈夫なんですが、次第にこれはこれで疲れてきます。そりゃそうだ、悪化する一方のデフレスパイラルみたいなもんですからね。
 会社員なんて因果な職業についてしまうと、どうやっても多少は周囲の人達に合わせる必要性が出てきます。この中では、違っているんだということを強調すると、むしろ厄介が増えてまあ大変。というわけで、妥協なり融和なりを考えざるを得なくなります。そして、紛いなりにも社会人生活四年目、ちょっと変わってるけど普通に会社員やってる人、という評価が職場で大体定着するくらいには、現状に適応している自分がいます。そーでもせんと生存でけん、そっちの方が会社員やるには楽だ、という損得勘定も含めつつ。本人にも多少自覚される程度には、昔より「普通」っぽい、もしくは「普通」に似せた人間になりつつあります。まあ、既にある程度固まってしまっているから、完全に「普通」な人にはちょっともうなれないでしょう。普通であるってのは、大変なんです。
 でも、普通にはなれないけど、普通から大幅に逸脱してもいないんだよ、と。ちょっとだけ違いは残ってるけれど、致命傷になるような違いではないんだよ、と。自分が前に抱いていたアイデンティティと自尊心の源をまだ少し生き残らせてあげながら、周りとの軋轢を多少なりとも避けられるようにしていく。随分遠回りしたような気はしていますが、もうちょっとだけ、自分を褒めてあげられるように、せめても自分で自分が辛いと思わなくて済むようにしていく。そのための足がかりとして、先の結論はどうしても必要なのです。格好良く見えるアウトローであることを「諦める」ためにも、ツマラナイ平均人であることを「免れる」ためにも。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『ものぐさ精神分析』
購入冊数 文庫4、コミックス9
読破冊数 文庫6、コミックス9

収支計算中

2008年11月25日 21時58分40秒 | Weblog
11月25日分。

 毎度。給与支給明細が出てきたのは良いのですが、手取り支給額が予想と食い違っていて若干首を傾げておりました。幽霊です。予想より少なかったというのではなくて、むしろ予想していたより二万円くらい増える方向でブレているのです。軸がぶれているのは元からだから、置いておくとして。何だろう何だろうとしばらく考えた結果、一日分休日出勤が混じっていたからと判明。そっちの手当で休日出勤分の時間数に乗じる数字がずれていたようです。予想外に上へずれたので、少し驚きました。
 箱360を買い込んでいる分、貯蓄に回す分と食費を除いたら、後は本屋に一回行ったら終いになるかなーというくらいの計算でいたのですが。二万円くらい上ブレしたので、さてどうしたもんかと計算中。まあ、来月は11月中の残業時間がほとんどなかった分で手取りの増加要因が無いので、余りをそのまま繰り越せば良いかなーとは思っているのですが。ま、お役所と違って使い切ることを目的にしているワケでもないし、良いと言えば良いか。
 しかしまあ、今月の出費履歴をざーっと自分で見返してみると、思いの外使ってます。出費の大半は食費、月の最後に払う家賃の予定計上、それと今月限定の出費として箱がありますが……。後は、掃除に使う道具とか台所回りの道具の追加とかしているのに諭吉さん一人消えてますな。買った鍋は既に結構使ってます。計量カップとかも買いましたが、そっちはご飯炊くのに使用中。意外に無駄は無いな、箱以外。箱はまあ、完全に趣味だしなぁ。
 ……あー、金の絡む話だと仕事柄地味になっていけませんな。いやはや。

 少しだけ妄想を膨らませて考えてみるニュースってことで、一つ。
 日本では少子化だどーだと言ってはいますが、地球とかその辺の範囲で考えると、人間の数はどんどん増えてます。少子化に入っていられるのは正味、先進国か、でなければ衰えつつある国ばかり。発展半ばの国では、娯楽も無いからヤルことは一つという状況もあるし、実際問題として労働力確保の必要性があります。うっかりすれば、臓器売買用のストックとして産むという考えもあるのか? あったならばどうこう、というつもりは私には無いのですけれども。それも手だろうな、と思うだけ。
 まあそこらはともかく、そろそろ増えすぎなんでねーの? という気はするわけです。食糧の問題、住む場所の問題、今流行の地球を守ろう的観点に立ったとき一番の解決策は人間を激減させることであるという問題。いやまあ、誰か核スイッチ押せと言っている訳ではなく。トータルとして見れば、先々には総人口を減らしていこう、と言うよりは「増加を制限しよう」という方向に行くんじゃないかな、と思うのです。中国なんかは一人っ子政策をやってますが。あれ、やってた、のか? 今も継続中? この辺は無知で申し訳ないです。
 増加を制限した場合、より優秀な個体を後に残そうとするだろうな、という予想が出来ます。SFな話ではよくあるんですが、遺伝子レベルから、生まれる前の時点で操作してパーフェクトな人間個体を産もうというやつがあります。で、親のお腹からではなくて試験管で生まれる、とか。そうでなく人間のお腹から生まれた子供は劣等児とか呼ばれて、後に何かどんでん返しがあって劣等児はヒーローに……とかいうのはよくある展開。
 着床前診断そのものがどうこうという話ではなくて、そこからかなり飛躍した話ではありますが、延長線上にはこういう話もじきに出てくるんじゃないかなーと思うのです。昔にはこの手の具現として、ノーベル賞受賞者の精子バンクという代物が本当にあったらしいです。あんまり成功したとは言えないようですが、その辺はハヤカワ文庫NFにそのまんまのタイトルの本があるので、そちらを参照で。
 現実的に遺伝子レベルからいじくった上で、本当に望み通りのスーパーベビーが生まれてくるのかどうか、はともかくとして。仮にそれが可能となるならば、我が子をそうしたいと望む人は多数に上るでしょう。じきに、それが当たり前になるのかも知れない。そこでもまた、金の問題と格差の問題と差別の問題と、それから自分はどこから来てどこへ行くのかなんて問題も結局は無くならないんだろーなーと思うわけでして。人間個体ごとの水準が底上げされたとしても、やーっぱりそこからじゃ解決しない話ってのはあるんだなーとか思ってしまうのです。うひひ、人間ってのはつくづく理不尽で難儀で奇っ怪な生物になったものです。ちなみに、生物はセイブツではなくナマモノと読むのさ。

読み:なし
買い:文庫『ゆかいな理科年表』、『謎解き・海洋と大気の物理』
途中:文庫『ものぐさ精神分析』
購入冊数 文庫4、コミックス9
読破冊数 文庫6、コミックス9

連休終わり

2008年11月24日 22時15分35秒 | Weblog
11月24日分。

 毎度。雨が降って気温が上がらなかったせいでしょうが、部屋の中で吐く息が若干白くなってきているような気がします。幽霊です。気がするというか、わざと暖かい息をはぁ~っとやると、実際問題として白いんですが。今年もそろそろそんな季節になってきたかーとぼやきつつ、そろそろ会社用のロングコートを投入するタイミングでしょうか。まあ、そのロングコートも中古だけどね。
 実はスーツのズボンだけ汚れが目立っていたので、一昨日辺りに無理矢理手洗いをやらかしました。バケツに水とアタックを放り込んでざばざば。その後でちゃんと洗う意味で洗濯機へ。当然しわしわになるので、今度はアイロンかけでご苦労さんというところです。クリーニングへ素直に出せば良かったんですが、出来るもんなのかちょっと試してみたかっただけ。結果的には、まあ大体出来るようです。仕上がりはちょっとアレだけど、どーせ大元が安物ですので。二着合わせて一着分、ってもの凄く懐かしいCMやってた頃のやつですよ。安物も良いところですねと言うか、いい加減リクルータースーツそのまんまというのもどうなのか。買い換える気は無いですが。
 さてはて、部屋の掃除をしたのと、アーマードコアが少しだけ進展した以外には、特にめぼしいことのない五連休でした。目的のない連休はダメですな、大体こうなるだろうとは思っていたので、今更何とも思いませんが……。時間を無駄にしたかしらねーという徒労感は若干なきにしもあらず。つってもまあ、部屋の掃除がまともに済んだだけでもめっけもの、余計な物品も割と減らせましたし、生活環境は向上したようなので良しとします。

 えー。掃除というか、これ後始末が大変だったろうな、とか思ってしまったニュースを一つ貼ってみます。こういうのは止めましょうってことで一つ。動機としてはなかなか楽しいことを言ってますが、まあ毒虫をまかなかっただけマシかも知れません。
 ちなみに、私自身は虫の類が割と苦手。グロとかの描写にはある程度耐性があるつもりなのですが、動画になるとちょっと耐性が落ちます。文章でのグロ耐性なら高め。小林泰三とか好きです。虫は何故か全般に苦手で、実は昆虫類をほぼ触れません。何でか本人も分からんのですが、妙に嫌悪感をそそられるもので、触る前に叩いて潰してしまいたくなるわけで。まあ……Gだけはしょっちゅう見かける環境にいたので、慣れてしまいましたが。バーン殺虫!
 そろそろ虫の少なくなってくる季節で、ある意味ありがたいところです。Gは年中見かけるけど、うちの部屋は暖房使用率が低いから、出てくる率が他よりも相対的に低いのです。あ、ちなみにカップベンダな自販機なんかは、ホットのドリンクもある都合で、結構奴らの巣くっていることがあるらしいのですが……うひー。

読み:文庫『フリーランチの時代』
買い:なし
途中:なし
購入冊数 文庫2、コミックス9
読破冊数 文庫6、コミックス9

マンガを漁る日々

2008年11月23日 14時01分52秒 | Weblog
11月23日分。

 毎度。若干更新遅れたりしてますが、まあ後追いして追加更新ってことで一つご容赦……と言っても、別にリアルタイムに毎日追いかけている人もおらんか。幽霊です。某所知人な樽様がのんきに徹夜明けで遊びに来たりしてましたが、まあそれは普段通りぐだぐだしていただけなので割愛。とりあえず、お互い生きていたようです。ゴキブリ並みの生命力だな。
 そんなこんなで一日うだうだした後で、最後に本屋へ回ってきたわけですが。漫画を三冊ばかり調達してきました。
 一冊は、まずは『蟲師』の十巻目。これで蟲師も終わりということになるようです。何のかんので延々続きそうな話でもありましたが、とりあえずあまり延々と続けても……というコトかも知れません。十巻まで続けば充分かな? アニメ化も結構前にされて、随分絵柄の綺麗なアニメに仕上がっていただけに、アニメから原作に入ったら絵にギャップがある~という人もいたようです。うちの母親とか。個人的には、この原作側の絵柄も嫌いじゃないのですけれども……というか、単に見慣れてるだけかな。
 次、『屍鬼』の三巻目。普通「屍鬼」って一発では変換出来ないんですが、ATOKが今の入力で学習してくれたようなので、次から屍鬼と一発で変換がきくようになりました。どんだけおかしな単語を覚えてるのかしら、うちのATOKさん。個人的な印象では、一巻では微妙、二巻で評価を引っ繰り返した『屍鬼』ですが、三巻だと一発の絵としては来るものは無いかな? ただ、話の進展がようやく出てきたというところ。四巻までは買う予定。後は各巻で継続意欲が湧くかなーというところ次第かと。小野不由美原作ですから、安定してくるとは思いますが。
 三冊目。こっちは完全に予定外でしたが、モーニングKCで『変ゼミ』の一巻。樽様が知っていた様子で、シモの方面に若干変態とのことだったので、興味を引かれて買ってみる。なるほど、確かに変態だ。帯の煽り文句が、「西尾維新、戦慄! 馬鹿な…変態しかいない…!」になっている辺りにも引かれました。維新には弱いらしい私。ただ、確かに変態なんですが、このレベルの変態にはあまり拒絶反応が出なくなっている自分に若干の苦笑い。慣れってのも困った物です。
 ついでに、本屋で漫画を漁りながらの一幕だけ。三部けいの『鬼灯の島』なんかどうよと薦めてみたりしながら、「何グロいの?」「そーでもないかな。『カミヤドリ』のときと同じ感じ」「そーなのかー」「グロさが足りない……」としょーもない会話のやりとりが。黒い物とグロイ物耐性が無意味に高くなってしまっているので、他の人からこの漫画グロくない大丈夫? と聞かれても感覚が違いすぎて返答に困るよなーとか。『屍鬼』も『屍鬼』で、ジャンプに載せているのって大丈夫なのかしらんとちょっと思いはするのですが。わざとデフォルメした感のキャラクタ造形ではあるのですが、時折に結構強い印象の表情があるしなぁ。だから買ってるんですが。トラウマにならんのかしら。

読み:コミックス『蟲師』十巻、『屍鬼』三巻、『変ゼミ』一巻
買い:コミックス『蟲師』十巻、『屍鬼』三巻、『変ゼミ』一巻
途中:文庫『フリーランチの時代』
購入冊数 文庫2、コミックス9
読破冊数 文庫5、コミックス9

片付いたー

2008年11月22日 23時21分55秒 | Weblog
11月22日分。

 毎度。ようやっと、よーやっと部屋の掃除が終了になりました。幽霊です。押し入れの中も多少手を入れて、ついでに布団カバーも引っぺがして洗いました。ワイシャツのアイロンかけも終わったし、晴れて後は連休を寝て過ごすだけ……あれ、それ今までの連休と変わらない。まあ、今日から延期されて明日に人が来るので、ちょうど良いタイミングで終わったもんです。
 あと、AC4はハードモードでミッションを潰していってます。幾つかどうにも突破できないやつがありますが、そっちは後回しにして、クリアできたやつから順次ランクSを目指して挑戦中。ノーマルでランクSならまだしも、ハードでランクSは結構厳しいですな。ついでに、お遊びとして、最初に支給される機体から武装変更無し、メモリ不使用という縛りプレイもやってみましたが……ノーマルを大体クリアした時点で飽きました。四対三ミッションは結局どうにも出来なかったし。ちなみに、GAの重装ネクストでやってました。バズが当たらん。
 そういや、部屋の掃除をしていたら、昔懐かしの凶器コレクションがまた出てきました。十手とか、ダーツとか、スローイングナイフ(刃無し)とか、エクスカリバーとかあります。何の役にも立ちませんが、だがそれがいい。まあ、正味持ってるだけです。基本的に無駄な物を持っているという状況は好きではないし、その衝動があって今回の大掃除に踏み切ったわけですが、こういう部分でしょうもない物を持っているのは許せるらしい。エクスカリバーは処分方法に困るという、現実的な側面もあるけど。
 まあしかし、片付いてみると快適ですね。部屋をただ歩いていて、障害物に蹴躓くとか、そういうこともないし。素晴らしい。うっかり足を下ろすと本を踏んづけるとかいうこともないし。うん、素晴らしい。でもそれはどっちかってーと、普段の清掃意識と心がけが悪いような気はする。ちなみに、大掃除の最中でも、我が家の同居犬殿は無事健在です。ちょっとホコリ被ってたけど。

 えー、上の話に一切関係なく、ニュースを眺めていて一つアホなものを見かけたので、貼るだけ貼ってみる。イノシシこわーってか、こういうこともあるらしい。東京じゃさすがに、こういうのは見かけないなぁ。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『フリーランチの時代』
購入冊数 文庫2、コミックス6
読破冊数 文庫5、コミックス6

処分処分

2008年11月21日 22時52分21秒 | Weblog
11月21日分。

 毎度。昨日そんなに奮闘したつもりは無かったんですが、一日電池切れ状態で寝転がってました。幽霊です。寝過ぎたせいか、どうも今の時間になってうっすらと馬鹿……もとい気持ち悪いですが。飯食ったら治るかな、きっと。
 掃除はあらかた終わりました。まあ細々残っている部分はありますが、とりあえずそこらは追々ということで。本当は物置状態になっている押し入れにも手を入れたいのですが、今日はパス。うっすら気分悪いのがそのまま残りそうなので、あまり身体に負荷をかけないことにしておきます。と言うか、昨日割と動いた割には、夕食に鍋にしたときうっかり炭水化物を食わなかった物で……。野菜とか大量に入れすぎたのです。で、どうもカロリー不足に陥った模様。燃費が悪い。
 ここに来た当初に比べると、部屋の物の配置も変わりました。まあ、一番でかい本棚だけは、一度組んで本を入れてしまうと移動が厄介なので、そのままですが。動かす先も見当たらないし。前は本棚を横へ四つくらい並べて「本棚銀座」と自称してましたが、今となってはかなり数を減らしましたから、それも消失です。棚自体は解体してあるだけで、まだあるけれど。
 結局のところ、快適に生活できる状況を作るには、ある程度物を減らす必要性があります。私の場合は、ですが。あまりごちゃっとした状態だと、快適さは失われてしまう気がするんだよなーと。すっきりした状態が好きなだけ、とも言います。整頓が得意ではないので、減らしておかないとカオスが悪化するんですな。
 一つところへ腰を落ち着ける気になれば、もう少し環境改善に金もかけるのですが。今はまだ、少なくともこの場所に居着くつもりはないので、ほどほどに抑えてます。正味、まともに定住するつもりなら、本棚自体を全取っ替えしたいくらいですしね。本をしょっちゅう減らしているのは、棚の制限が一番大きいわけでして。そんなに好きこのんで減らしているわけでもないのです。まあ、二度とこりゃ読まないなってのも中にはあるし、内容的に被るのもあるから、そういうのは積極的に削ってますが。でもやっぱり、それも棚に限界があるから。本に関してだけは、あまり快適さを考えないのです。ただ、あんまり持ちすぎていると、何がどこに収まってるんだか分からなくなりますが。
 私も既に、本はともかく、他の物では何があったっけ……という有様になっている部分も……。掃除中に、あれこんなところに以下省略みたいなことが何度かありましたし。ハッシュドビーフ、デミグラスソースが決め手なの。何年前のネタ?

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『フリーランチの時代』
購入冊数 文庫2、コミックス6
読破冊数 文庫5、コミックス6