5月31日分。
毎度。今日も今日とて、会社の会議のタイムスケジュールの影響で、事務処理をやむを得ず業務時間後に延長して行うはめになりました。幽霊です。一時間半の残業とか嬉しくない……まあ、来月の半ば辺りからは、一時間半残業しても、部屋に帰り着くのが八時より前になるという有り難い状況になる筈ですけれども。あと半月ほどは、まあ我慢のしどころか。しかし、どうにも効率の悪い日程で会議してますな、うちの会社。
さておき。一応、本業は経理部の中の人なので、経営方針の決定に関係する会議のための資料を作ることもあります。提出する資料の中身となる数字を私が出すようなこともありますし、そこまでやっていなくとも、資料の印刷は大概私がやっていたりして。その資料は、会社の経営判断を下すために使われるわけですね。そういった資料の数値なり、現場の状況を見た上で、何を選び何を捨てるのかを決めること、それが会社の経営であるとも言えます。捨てるとまでは言わなくとも、何を重視し、その分何を削るかを決めること、ですね。
会社の資源というのは、お金にせよ時間にせよ、人手にせよ、どうしても有限です。特に今のご時世、震災の影響もあってなおさらに制約は厳しくなりますしね……。こうなってしまうと、まんべんなく全てを重視して、全てに潤沢に資源を投入するというわけにはいかなくなってきます。そうなると、どこに資源を重点的に投入し、どこを削るか、という話になる。有限な資源を活用するには、投入すべきところを厚く、そうでない箇所は思い切って省く、「選択と集中」というやつです。今更使い古された言葉ではありますが、薄く広く投入していると、大概においては失敗するのですよねぇ。薄く広く投入した結果、どこも結局は投入分が足りなくて、全てダメにしてしまうという悪いパターンの典型例です。
ただ、ならばとそれまで守っていた部分を削るとなると、削られる側からは当然、「自分たちを見捨てるのか」という反応が出ます。そこで、「その通りだ」と言える人が、経営者なり上位の決定者というものなんだろうと思うのですけれども。そう言えず、八方美人になってしまって、結局手の打てる内には何もせず、間に合わなくなってから「ああしておけば……」と嘆くパターンもしょっちゅうあるような気もします。……私も、経理部の中の人としては、先々に決定者の側の視点で物を考えられるようにもしておかなければいけないのでしょうね。
ちょっと脱線して。お話の演出というか筋書きとして、「捨てられる」側に焦点を当てて劇的な演出を施す、というのは王道的なやり方だと思います。魔物に襲われる国、生け贄に捧げられる姫、それを救出する勇者様……まあ古くさいですが、今でもコレの応用パターンが多用されていますね。ごく少数の反乱軍が、次第に仲間を増やしてついには主流派を打ち破る、といったようなパターンもよくあります。これもまた、「捨てられる」側にスポットライトを当てた方法と言えるでしょう。
昨日のQBの話でもありませんが、「捨てられる」側にスポットライトを当てる方法というのは、「個」の単位を主役としてお話を盛り上げるような方法です。お話というのはあくまでドラマであり、つまりは娯楽であって、このためにはどうしても「個」の葛藤なり掘り下げなりということをせざるを得ません。そうでなければ、ドラマじゃないんだもの。捨てられる側のお姫様の悲哀、お姫様を慕う臣下の苦悩、お姫様を救いに来る勇者様の大冒険、お姫様を生け贄に差し出さねばならない王様の、統治者と父親という両方の立場での苦悶……これ全て、ドラマであり、「個」に注目した演出ですよね。
ただ、お話としてはそれで良いとしても、んじゃ現実問題に立ち返って考えるとなると、どうでしょう。「個」に注目したドラマで、そのまま現実を処理して良いのかしらん? ……と、そういうことをやっているように見えるのが、マスコミでの報道のやり方です。「個」をクローズアップして、視聴者の誘導を狙う。注目を集めるには、一番やりやすい方法でしょう。でも、クローズアップされたお姫様個人だけは助かったとしても、では生け贄を取り上げられた魔物はいなくなるのか? ならないでしょうねぇ、特に現実戦記でのことなら、なおのこと。お話の中なら、勇者様とお姫様の力を合わせた、魔法の剣の輝き一つで魔物は滅びました、となるのでしょうが。
分かりやすく、劇的で、印象に残りやすい、というのが「見せる」側の上手いやり方です。ただ、それが「視聴者」側の利益となるのかどうかは、別問題となります。そのことは、頭の片隅にちゃんと置いておかないといけないよな、と思いつつ。
ではでは。ひゅう、どろん。
毎度。今日も今日とて、会社の会議のタイムスケジュールの影響で、事務処理をやむを得ず業務時間後に延長して行うはめになりました。幽霊です。一時間半の残業とか嬉しくない……まあ、来月の半ば辺りからは、一時間半残業しても、部屋に帰り着くのが八時より前になるという有り難い状況になる筈ですけれども。あと半月ほどは、まあ我慢のしどころか。しかし、どうにも効率の悪い日程で会議してますな、うちの会社。
さておき。一応、本業は経理部の中の人なので、経営方針の決定に関係する会議のための資料を作ることもあります。提出する資料の中身となる数字を私が出すようなこともありますし、そこまでやっていなくとも、資料の印刷は大概私がやっていたりして。その資料は、会社の経営判断を下すために使われるわけですね。そういった資料の数値なり、現場の状況を見た上で、何を選び何を捨てるのかを決めること、それが会社の経営であるとも言えます。捨てるとまでは言わなくとも、何を重視し、その分何を削るかを決めること、ですね。
会社の資源というのは、お金にせよ時間にせよ、人手にせよ、どうしても有限です。特に今のご時世、震災の影響もあってなおさらに制約は厳しくなりますしね……。こうなってしまうと、まんべんなく全てを重視して、全てに潤沢に資源を投入するというわけにはいかなくなってきます。そうなると、どこに資源を重点的に投入し、どこを削るか、という話になる。有限な資源を活用するには、投入すべきところを厚く、そうでない箇所は思い切って省く、「選択と集中」というやつです。今更使い古された言葉ではありますが、薄く広く投入していると、大概においては失敗するのですよねぇ。薄く広く投入した結果、どこも結局は投入分が足りなくて、全てダメにしてしまうという悪いパターンの典型例です。
ただ、ならばとそれまで守っていた部分を削るとなると、削られる側からは当然、「自分たちを見捨てるのか」という反応が出ます。そこで、「その通りだ」と言える人が、経営者なり上位の決定者というものなんだろうと思うのですけれども。そう言えず、八方美人になってしまって、結局手の打てる内には何もせず、間に合わなくなってから「ああしておけば……」と嘆くパターンもしょっちゅうあるような気もします。……私も、経理部の中の人としては、先々に決定者の側の視点で物を考えられるようにもしておかなければいけないのでしょうね。
ちょっと脱線して。お話の演出というか筋書きとして、「捨てられる」側に焦点を当てて劇的な演出を施す、というのは王道的なやり方だと思います。魔物に襲われる国、生け贄に捧げられる姫、それを救出する勇者様……まあ古くさいですが、今でもコレの応用パターンが多用されていますね。ごく少数の反乱軍が、次第に仲間を増やしてついには主流派を打ち破る、といったようなパターンもよくあります。これもまた、「捨てられる」側にスポットライトを当てた方法と言えるでしょう。
昨日のQBの話でもありませんが、「捨てられる」側にスポットライトを当てる方法というのは、「個」の単位を主役としてお話を盛り上げるような方法です。お話というのはあくまでドラマであり、つまりは娯楽であって、このためにはどうしても「個」の葛藤なり掘り下げなりということをせざるを得ません。そうでなければ、ドラマじゃないんだもの。捨てられる側のお姫様の悲哀、お姫様を慕う臣下の苦悩、お姫様を救いに来る勇者様の大冒険、お姫様を生け贄に差し出さねばならない王様の、統治者と父親という両方の立場での苦悶……これ全て、ドラマであり、「個」に注目した演出ですよね。
ただ、お話としてはそれで良いとしても、んじゃ現実問題に立ち返って考えるとなると、どうでしょう。「個」に注目したドラマで、そのまま現実を処理して良いのかしらん? ……と、そういうことをやっているように見えるのが、マスコミでの報道のやり方です。「個」をクローズアップして、視聴者の誘導を狙う。注目を集めるには、一番やりやすい方法でしょう。でも、クローズアップされたお姫様個人だけは助かったとしても、では生け贄を取り上げられた魔物はいなくなるのか? ならないでしょうねぇ、特に現実戦記でのことなら、なおのこと。お話の中なら、勇者様とお姫様の力を合わせた、魔法の剣の輝き一つで魔物は滅びました、となるのでしょうが。
分かりやすく、劇的で、印象に残りやすい、というのが「見せる」側の上手いやり方です。ただ、それが「視聴者」側の利益となるのかどうかは、別問題となります。そのことは、頭の片隅にちゃんと置いておかないといけないよな、と思いつつ。
ではでは。ひゅう、どろん。