黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

リア充「作って」ますか?

2012年04月11日 19時32分19秒 | Weblog
4月11日分。

 毎度。ここ最近は食べる頻度が結構下がってますが、カップ麺とか袋ラーメンとか未だに好きなのですよねぇ……。幽霊です。スーパで夕飯の買い出しをしていたら、エースコックのお懐かしき「わかめラーメン」を見かけたので、ついつい買ってきてしまいました。醤油の方が好きなのですが、無かったので味噌の方を。たまたま今日は定時退社強化日で早めに帰されたもので、時間が大分早かったこともあって、さっそく帰ってきてずるずるーっと。
 ぶっちゃけチープなお味ですが、これはこれで。日清のカップヌードルとか、チキンラーメンとか、あとはサッポロ一番の塩ラーメンとか、中華三昧の醤油とか、あの辺がたまーにですが、無性に食べたくなったりしますね。私だけ?

 まあ、私自身の実態なんて上に書いたとおりの「おいおい……」な代物なわけなのですが。世の中、せめても今の自分とは違う姿、理想の姿をネットの中だけでも、ということもあるようです。ここ(gooのブログ)ではなく、フェイスブックの方の話なのですが、ジャストシステムが「Facebookの利用状況に関するアンケート調査」の結果を発表したそうです。その中で、友人や知人のFacebook上での振る舞いに対し、「違和感を抱いたことがある」と回答したのが34.4%いたとか。
 フェイスブックの特徴として、基本はリアルでの友人知人との繋がりをネットでも、というものがあります。このため、他のSNSよりも、「リアルと違うじゃーん」という感覚を持つ人の割合は高くなりやすいのかもしれません。ツイッターでも近いことはあるでしょうが、あっちは一回の投稿文字数が少ないし、短いつぶやきだけならあまり違和感は無いのかもしれませんね。あ、余談ですが、私自身はフェイスブックもツイッターもやってません。ネット関連で発信しているのは、ここだけです。だって幾つもやんのめんどくさいですしおすし。
 違和感があってストレスだという回答が三割強というのは良いとして、でも正直なところ、リアルの「非リア充」な「廃人」をその通りにつづった記事って、読みたいと思うものなのでしょうか? それを「ネタをネタとして楽しめる」人なら別に良いのですが、そういう人が大多数であるとは、ちょっと思えないのです。ま、リア充の充実ライフをまざまざと見せつけられるのも私には思いっきり苦痛ではありますが、そういうのはブラウザバックすりゃいいだけ。でも、非リア充の悲哀を延々書きつづられても、やっぱりブラウザバックされるだけなのではないかなーとか。
 アレかなぁ、フェイスブックの特徴のために、友達に見栄を張りたい意識が働きやすいってことなのでしょうか。

 うちのブログの場合、年々スタンスが変わってきているのと、書いてるご当人があんまり安定していないこともあって、初期と今とでは結構違いが出てきているものと思います。そもそも七年とかここで延々やってるので、そんだけ経てば中の人に違いも出てきて当然なのでしょうけれども。
 昔はもう覚えていませんが、今現時点では、あんまりリアルと違う振る舞いをしているという意識はありません。ただし、そもリアルでの振る舞いが場面によって結構違うものです。職場にいるときの自分と、友人といるときの自分と、単独行動しているとき(他人の目を意識していない状態)の自分とでは、かなり差があります。職場にいれば、オツムも乏しいなりに仕事モードになっています。友人といるならば、一人でいるときよりはノリを重視するように振る舞います。単独行動中なら、それらとまた違うパターンになるでしょう。このブログでのスタンスは、単独行動中の感覚に一番近い……かも。
 近いっちゃ近いのですが、口調は大分リアルとは異なります。ここの文章はあくまで、「身内以外」の他人」が見ることも意識して打ち込みをしているので、かなり雑に砕いた敬語もどきと、口語体が入り交じった代物になってます。これは意識してやっていることなので、この部分はリアルと決定的に違う部分と言えるでしょう。ただ、言っていることの中身、思考の中身は変えていません。薄めてあったりはしますけれども……。
 この辺は、振る舞いを変えているというより、見せる相手を「選んでいる」・「意識している」ことによる調整、と考えています。少なくとも、非リア充な自分をめいっぱいリア充として偽っているというのとは、かなり違うもの。このくらいのことは、ブログなりを発信している人なら、当たり前にやっているんじゃないかなとは思いますが。ネットは発言が「残ってしまう」し、リアル以上に気を遣っておくべき部分もありますからね。

 ではでは。ひゅう、どろん。