黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

けふのおしごと

2007年02月28日 20時50分03秒 | Weblog
2月28日分。

 いつも通りに会社に行きました。ラッシュの電車がうざいです。
 いつもの通りに始業五分前からラジオ体操です。めきょっと身体が鳴るとです。
 仕事開始です。
 ……。
 …………。
 ………………。
 あれ? 何かもう午前中終わってますよ? 量の多い仕事が重なってテンパってまつ。
 昼飯はほとんど毎日、会社でまとめて頼んでいる弁当です。フロア内でその弁当頼むの私だけー。
 お昼休みは読書ー。至福の時間ー。保険のおばちゃん邪魔。
 午後ー。午前中にえっさほいさやった仕事を、修正修正修正修正修正……。
 そして、修正を繰り返していたら業務時間終了……。あれれ? 時間感覚が、遅れて、聞こえてくるよ?

 以上、ここんとこずっとそんな毎日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。とりあえず昨日も昨日で修正しまくりつつ、修正してねと言われて修正したら他の所から何でそこ直したんだと怒られる始末。あやうくメンタルの調子が沈むかと思ったじゃないか。とりあえず、忙しさに煽られているせいか、メンタルの調子はそんなにいつもと変わりません。ただ、さすがに疲れがあるだけに、上の方にはあがってこない罠。ああ、表面は笑ってるけど内面がもう無表情に……あ、いつものことだっけか。
 まあ、修正の嵐はいい加減この辺りで打ち止めが近くなってきているようで、後一回二回直したらそれでこれに関しては終わりかなと。ただ、まだ並行して面倒くさいのが二つ残っているし、別のと言うか毎月恒例の月初の山場にさしかかるので、忙しさがまたしても増すことに。今日で一つ抜けているだけまだマシかなーとは思いつつ。ただ、厄介の一つは締切が三月二日ってか明後日なので、明日は月初の山と締切勝負の一つとの掛け合い漫才になること請け合い。首括って良いですか? もう気分はあれだね、ごっすんごっすん五寸釘ー。上海上海上海上海、蓬莱蓬莱蓬莱蓬莱……。

 あ、『進化しすぎた脳』を読み切りました。なかなか宜しいようで。脳の関連でまだ何冊かブルーバックスから出ているようなので、もう一冊くらい明日にでも余裕があったら漁りに行ってみようかなーとか思いつつ。ちょうどこの間に誕生日であって、そのときに図書券を貰ったので。社会人にもなって図書券かよと思われるかもしれませんがね、私の場合は金の使い道の大半が本の購入に回ってしまうわけだから、図書券とゆーのは現金となんら代わりはないのですだよ。
 図書券八千円分……うん、たくさんあるように見えて、実は一ヶ月の図書購入で使い切ってしまう額面でしかなかったりして。むしろ足りないかもしれんなぁ。最近、金券ショップで図書券を十万円分とかどかっと買い込もうかと思い始めているくらいです。97%とかのレートであったとすれば、十万円分買えば三千円はお得になるわけだし。実際問題、十万円分図書券があっても、本を必ずそれで買えば一年保たない筈だし。本気でやろうかな。
 さしあたって、明日からは何を読もうかと考え中。積んでる本が六冊ほどあって、海外SFが三冊に、新書が一冊、それから『三国志』の一巻目も。今回はブルーバックスで勢いにのったことだし、新書を潰しにかかっておこうかしらん。で、その間にブルーバックスをもう一冊買っておくか。ちょっとレビューの更新速度が落ちることになりそうですが、あしからず。

 ということで、ここんとこ真面目ーなのが続いていたので、崩してみました。

読み:文庫『進化しすぎた脳』
買い:なし
途中;なし
月次読破:文庫9冊、コミックス9冊
月次購入:15冊
通年度購入:218冊(文庫113冊、コミックス105冊)
通年度読破:219冊(文庫111冊、コミックス109冊)

それでは。

本を読むということ

2007年02月27日 21時53分50秒 | Weblog
2月27日分。

 仕事中に理不尽にいきなり怒鳴りつけられて、何で私がーってかいるんだよなこういう肩書きにものを言わせて上から叩きおろしつつ、肩書きありの人間が出てくるととたんに大人しくなるようなのって……とか思ったりもしつつ。割と根に持つ性格なのでしばらくこれは覚えておくからなと胸中で誓いつつ、まあその話で一日埋めてみても仕方がないので、これだけ書き散らしたところでこの話題は終了。

 それはさておき、ここ二日三日読んでいる『進化しすぎた脳』は、教養的に私のような生半可者が読むには結構ベターな感じの良書かなーと思ったり。内容的には大脳生理学の割と最先端な範疇から、高校生への講義を通して色々話してくれているというもの。各新聞でも書評が上がっていたようなので、それなりに知名度はあるのかどうなのか。と言って、ブルーバックスを手に取る人というのもあまり多くはないのかな、とも思うが。特に、私やその周辺の人間のように、ふらっと本屋に習慣的に足が向いて、何か興味深そうなのがあったらほいと手にとってレジに持って行く、という動作が染みついている人というのは少ないだろうし。こういうのは中毒です。
 ついこの間に、会社の昼休みに例によって持ち込んでいた本を読んでいたら、保険のおばちゃんが来て「いつも本読んでるよねー凄いよねー最近の人本読まないからねー」というのをしきりに言って帰って行った。それをぼんやりと思い返しながら本を読み続けていた訳だけれども、正味なところ、私自身が本を読むようになったのは、ぶっちゃけ孤独だったからというものすごく単純な理由がある。小学校当時に引っ越しをして、まるっきり知らない所へ来てしまったものだから、現実を受け入れるより本に逃避しただけというオチ。実のところ、それまでは本をあまり読む方ではなかったらしい。あまり覚えていないのだけれども。
 最初の頃に読んでいたのは、『スレイヤーズ』という、まあ魔法少女アニメの原作になっていた作品。ライトノベルという分野の、まあちょっともう古い時代の作品になりつつあるけれども、割と有名どころではある。そういう軽いところから始まって、高校、大学の途中まではその近辺と、後はコミックスが大半という読み方をしていた。一時的に推理小説にはまってみたりとかもしたけれど、ほとんどはライトノベル近辺にずっと居座っていたと言える。ライトノベルのイメージを簡単に言うならば、美少女なりヒーローのイラストが表紙にどーんと載っかっているような、アキバ系が読んでそうな軽い小説、と言えば伝わりやすいか。ちょっと語弊を招きそうな言い方ではあるけれど。
 今はその頃に比べれば随分無節操に読むようになって、海外SFであるとか、エッセイであるとか、何となく民俗学の本を思い出したように読むこともあるし、未だにコミックスも読む。あまり専門的な学術書は読まないけれども、初心者向けのもので興味がありそうなやつはたまに読みあさったりもする。そういう読み方をするようになったのは、他の分野の本もおもろいもんがあるんだぜー、というお誘いなり紹介なりをずっと受けていたから。ようやっと気が向いて何冊か読んでみて、ああこっちの水も甘いなって感じか。本読みとしては多少遅咲きなのかもしれない。それが今となっては、ふっと目に付いたからってんでブルーバックス(講談社が出版している学術新書レーベルの有名どころ、一冊千円くらいとちょっと高いけど内容の充実は定評あり)なんてところまで買うくらいになった。
 ここで思うのは、自分って本読みしててえっらぁーい、ということではない。まあ自己満足として思うところはあるにせよ、本題はそこではない。本を読もうというふうに思い立つには、まず何かしらのきっかけが必要だし、それからその人が読んでみようかなと思える本を紹介して貰えるかが大きな条件になる。ぶっちゃけ、本を読み慣れていない人にとって、本屋に行ってもどれが良さそうか、自分に合いそうかというのはほとんど分からない筈。それは、例えばファッションにひたすら疎い私がショップに行ってもどれが良いのか分からない、どれなら自分に似合うのか分からないのと同じこと。本を読むというのは、ちょっと気取ってみるなら、精神のおしゃれみたいなものでもあることだし。合う本、合わない本は間違いなくある。本読みでも、毎回「当たり」を引けるわけではない。
 服のショップなら、店員さんに聞いてみて、コーディネートしてもらうこともできる。ただ、本屋ではさすがにそうもいかない。タイトルが分かっていて、この本置いてますかーというくらいの質問なら受け付けてくれるけれど、どれを読んだら良いですかという抽象的な質問には書店員さんは答えられるほど暇でもない。割りの悪い商売だから、書店って……。そうなると、知り合いの本読みにお勧めを聞いてみるか、新聞なんかの書評を見てみるか、ベストセラーを買ってみるか、というくらいのやり方しかなくなってしまう。読み慣れない人が自力で本屋を回るというのは、かなり難しい。何せ、小規模な町の本屋さんでもかなりの数の本があるのだから。こういう間口の狭さ、もしくは一種の不親切さが読書人口を減らしている一因なのかもなぁと思ったり。本読みからすると、その不親切さが好みだったりもするんだけれども。
 何かしらきっかけがあれば、みんな本を読むことだってあるんだろうなぁと思う。ただ、私らのような中毒的に本を読むようなのはちょっと特殊だけれど。ここまでくると、知識を求めるとかそういうレベルではなくて、本がないのがそもそもあり得ない、考えられない、本があるのが当たり前であるという認識になってしまう。うん、煙草と同じだね。吸い過ぎ……じゃない、読み過ぎには注意しましょう。読書はあなたの健康を損なうおそれがあります……っと。いや、これ冗談にならないことあるですよ、これホント。

読み:なし
買い:なし
途中;文庫『進化しすぎた脳』
月次読破:文庫8冊、コミックス9冊
月次購入:15冊
通年度購入:218冊(文庫113冊、コミックス105冊)
通年度読破:219冊(文庫110冊、コミックス109冊)

それでは。

話題性ということ

2007年02月26日 21時04分56秒 | Weblog
2月26日分。

 たまたま、昨日一昨日とでミクシィの話と金勘定の話を載せたせいだろうけれども、普段のヒット数よりも随分大当たりしたらしい。いつもは適当につらつらと、しかもあまり一般的でもなさそうなものを打ち込んでいるから、たまにこういう話題として人目を引きやすそうなものを載せるとヒットが上がることになる。それが良いんだか悪いんだかは、ちょっと微妙なところだけれども。
 前にも引き合いに出したことがあるけれど、知人のブログがたまたま運営事務局側から紹介されて、一時的にものすごいヒット数を叩き出していた時期がある。コメントやらトラックバックも結構ついていたけれど、本人はむしろとまどった様子で、これじゃ書きたいこともうっかり書けんなぁとぼやいていた記憶が。あの時も、扱っていた話題がたまたまタイムリーなものだったからこそ事務局側から紹介されたんだろうと思うけれど。逆に言えば、タイムリーでなければ紹介されることは無かったんじゃないかとも思う。一応の言い訳、その人のブログがどうこうと言ってるのではなーい。ろくでもない中身という意味合いなら、うちの方がよっぽどろくでもない。
 言い訳が終わったところで。人目を引く、注目されるということは、必ずしもその内容の質が良好であるということとイコールではない。まあそもそも、質が良いという定義が割と曖昧なものであって、しかも個人によって好みが違うんだからある人にとっては良質でも他の人には微妙ってこともよくあるわけで……ということも置いておく。長くなるだけだから。ともあれ、注目されるための最大の要因は、とにもかくにも目立つということ。それから、タイムリーな中身であること。それなりに良質であればなお望ましいけれど、実はある程度粗悪であっても、目を引く場所にさえあれば一定の効果は上がってしまう。
 話題になるときの一番よくあるパターンは、テレビやら雑誌で紹介されるということ。あったよね、納豆騒動。つい最近にあったばかりだから、記憶している人が大半の筈。あれは結局は誤報であったというか、虚偽であったわけだけれども、つまりそれは中身の質を問わずして話題にさえなれば炎上するということでもある。取り上げた番組がとても、広告効果として「目立つ」番組であったことが要因としては大きいのだろうけれど。それから、あの特集は虚偽であったにせよ、元々納豆というのは健康食品として見られていた物ではあるから、そういう意味で火の付く下地は出来ていたということもあるか。某みのさんの番組で取り上げられると、その商品がごそっとその日の内に無くなってしまうという現象も未だ健在らしい。
 結局、真偽も質もある意味ではどーでも良い、のかもしれない。じゃあ何を見ているのかと言えば、多分、話題を提供した相手の「権威」を見ているのではないか、と思ったり。虎の威を借る狐……。みのさんがあの番組で「○○が身体に良いんですよ奥さん」と言った、という権威。ナントカ新聞が一面トップで扱った、という権威。例えばホットペッパーに掲載されたお店である、という権威。そういうものを見ているのであって、実質的な中身をちゃんと見ていないことも割とあるんじゃないのかなー、と。そんなことを思ったりしたのでした。
 でもまあ、一応付け加えておくならば。権威のあるところが公開する情報というのは、その権威を維持するための代償として正確である、というのが私たちの側から見る大前提ではある。誤報を出したらえらいことになるのだし、向こうさんも必死扱いている、筈。トヨタは自社でつくった車に欠陥があったらえらいことだし、医療ミスがあるだなんて報道された病院には人が来なくなってしまうだろうし。そういうことを考えると、真面目にやってくれてるよね、という期待を持つことになる。それを裏切る方が悪いっちゃ悪いんだけども、盲目的に信用しちゃいけないよね、ということで話をまとめておくとするですぅ。

 たまたまこの間に買った『進化しすぎた脳』という、ブルーバックスの本。今読み進めてるとこですが、なかなか面白い。と言うか、興味深い。かなり読みやすい内容になっているし、分野としても良いとこ突いてるし。詳しい人にはあんまり面白くないかも知れないけれど、私みたいなにわか者には良い感じかも。

読み:なし
買い:なし
途中;文庫『進化しすぎた脳』
月次読破:文庫8冊、コミックス9冊
月次購入:15冊
通年度購入:218冊(文庫113冊、コミックス105冊)
通年度読破:219冊(文庫110冊、コミックス109冊)

それでは。

ミクシィ?

2007年02月25日 23時08分18秒 | Weblog
2月25日分。

 個人的な意地みたいなものなのだけれども、ミクシィはやらないということにしていたりする。何でかと言えば、一番の理由は既にここでずーっと書いてるから。ちょっと前までは同じくgooの簡単ホームページにデフォルトで付いていた日記を使っていたのだけれども、どうもそっちのアクセスが出来なくなっていたので、渋々こっちに移動してきた次第。書籍書架も全く同じような経緯でブログに移してきていて、現状だと三つのブログを並行していることになる。実際には、コミックスの紹介がほとんど止まっているので、二つと言っても良いけれど。
 ぶっちゃけ、一度慣れてしまったので、他の所へ移すのが面倒くさいというのが一番大きい。このブログだけなら、別に内容なんて保存もせんと投げ捨ててしまって構わないのだけれども。書籍レビューの方だけは、両方合わせると五百件前後ある筈だし、これに関してはデータを吹っ飛ばしたくないところ。バックアップはわざわざしていないから、吹っ飛んだら吹っ飛んだでまあいいやと諦めるだろうけれど。
 さて、じゃあ何のためにわざわざ、このブログに関しては毎日、書籍書架の方は週に一度か二度くらいで更新し続けているのか。これもまた、一度慣れた習慣を崩したくないからというのが主。つまり、ひたすらに自己満足の領域であるということ。正味、あまり情報を発信するということを念頭に置いている訳ではない。プロのもの書きさんとかだとこういうのはイカンのだろうけれども、こういう個人的なとこでは大半のところがそんなもんだろうと思う。それは、ブログだろうとミクシィだろうと差はあまり無いだろう。
 ここで、じゃあわざわざミクシィにする必要性は何だろうと考えてみる。一番単純な理由は、友達がミクシィをやっているから自分も、という所じゃなかろうか。それから、もう一つ大きいのが、ミクシィの特徴である閉鎖的な性質。後はグループというかカテゴリというかの集団を形成できるという利点もあったか。これらの利点を考えたとき、最初と三つ目はまだ利点として生きているけれど、閉鎖性というメリットはもうほとんど有名無実と化しているような気もする。既に相当数の人数がミクシィのアカウントを持っている筈だし、それにミクシィの閉鎖性がそもそも完全でないことは、どっかの某写真流出騒動でも明らかになっている。
 この辺の諸々をふまえた上で、私自身の思考。既にここで慣れちゃったから変更するのがメドイ。グループやら集団に関しては既に別所にてのグループが形成されているので、それ以外のグループを更に形成する必要性をあまり感じていない。そしてミクシィの閉鎖性を全く信用していない、というかむしろメドイ。この辺りと、後はついでに、流行物がだいっきらいというあまのじゃく気質が……ああ、結局はこれが一番大きな理由なのかも。意地っ張りー。

 無駄話。もの書きを久々に再開しようかと思ったら、ネタがごっちゃり混じってしまって、進まなくなった罠。ちょっと書いて破棄、考え込んで破棄を何度か繰り返して、途中で一旦諦める。そのついでに、『羊のうた』を七巻まで読み返してみたり、何となく『Missing』の一巻をとばし読みしてみたり。で、色々こねくり回してみたり、ぬあーとわめいてみたりしたあげくに、ようやく何とか一つ使えそうなネタがぽんと出てくる。本当に使えるかは不明なのと、例によってさっさと書き出さないとまた書く気が失せるという状況があるけれども……。
 うーむ、この調子だと三月末は無理か? 調子が上がって毎日たたき込めれば、間に合うこともあり得るんだけれども。

読み:なし
買い:なし
途中;なし
月次読破:文庫8冊、コミックス9冊
月次購入:15冊
通年度購入:218冊(文庫113冊、コミックス105冊)
通年度読破:219冊(文庫110冊、コミックス109冊)

それでは。

びんぼーしょー

2007年02月24日 20時20分43秒 | Weblog
2月24日分。

 私の場合、基本的に毎月というか毎日の出費に関しては、エクセルでものすごく簡単な家計簿をつけているのだけれども。家計簿と言って、単に食費と日用品購入と職場がらみの強制出費と、それから本やらゲーセンやらひっくるめての自由かつ必須でない出費との四項目が打ち込めるだけのものだけれども。……そこ、本は必須じゃないのかって無粋な突っ込みはしないやうに。
 んが、実は収入という面に関してはほとんど記録をしていないという状況があったりする。以前は毎月頭にお金をおろしていたので、そのときに預金残高がいくらあったっけなーというのを確認していたのだけれども。ここ最近はそれも時期がずれ始めてしまって、一体今の残高がいくらだったかを二ヶ月くらい確認しないままになっていたり。というわけで、さすがにこりゃーいかんなと記帳にようやっと行ったりして。まあ、それ以外に別の必要もあって記帳しておきたかったのだけれども。
 ちなみに。記帳という習慣がないのは、月単位で大雑把に出金と入金の割合が分かっているから、絶対に月単位で赤字を出さないようにしているため。毎月の入金に関しては、給料分は給与明細が必ず出るので、今月こんなもんーというのは分かる。で、出費に関してだけは毎日記録してあるから、たまに忘れていて誤差が出ることはあるにせよ、月単位ではいくらくらいの損益、というのが分かる。家賃は給料から天引きされているので、これも給与明細に書いてあるし、天引きされた上での手取額があるので、毎月の推測の際は最初からこの手取額が基準になっている。分からないのは、年単位なり、今の手持ちが全部でいくら、ということの方。カードとかで買い物はしないし、ローンも無いし、保険も入っていないし。出費の計算が単純なのよねぇ。
 記帳してみて気が付いたのが、そういや二年の定期預金突っ込んであったのが今月で満期だったよなーってことで見てみれば、何もしてなかったので自動的に継続になってまた二年延長されていたということ。をを、こりゃうっかり。まあ、あのお金に関しては手を付けないようにということで定期預金へ突っ込んでいたのだから、至急で必要なわけで無し。どーでもいいけど、自動的に継続されたってのも微妙にどうかと思うけれど、それ以上にどーかと思うのは利率の極端な低さ。ほとんど付かないのは知っていたけれども、こりゃどーにかならんのかなぁと思うくらいに低い。ゼロ金利解除になったとはいえ……ねぇ。この利率で手数料だけは取って、銀行さん過去最高収益でしたーって……なめんな、と。
 お金はまあ……順調に貯まってます。そりゃそうだ、普段けちけちしとーし。そもそもあまり居心地の良いとは言えないこの会社の寮にずっと粘って住んでいるのは、とにもかくにも家賃が格安であるということそれ一つだけが理由であって。結果的に、今現在の銀行預金残高は、レクサスとかはまず無理だけど、軽自動車くらいならフルオプションにしても全額即金で買えるくらいに。そうか、車も持っていないから、そういう面でも出費が少ないんだよな。ただ、じゃあそんだけ貯めて何に使うんだっつーと……実はそれが決まっていない罠。何かのために貯めるのが目的なのではなくて、そもそも使わないことだけが目的になってねーかとたまに自分で疑問になってくるという。どーしたもんか、これ。

 正味な話、私の生活というのは、そんなに慎ましやかな生活という訳でもない。毎月に食費が三万五千円くらいまで行っているし。これはまあ、会社でお昼は必ず弁当なためと、夜も面倒くさくなって外食が多いせいと、それから寮のキッチンでは火力が足りなさすぎてそもそも自炊が不可能に近いため。電子レンジが最大火力ってのもどーか。これに加えてそもそもネットしてるから月々にこれで五千円は使うことになるし、本も毎月に二十冊三十冊は買っている。そのほか諸々で、大体大まかに八万円ずつ使っている計算。一般的な金額の家賃をまともに払っていたら、実は貯蓄が出来ないという推測結果になる。
 八万円の出費というのがまたあれで、これ、大学生時代に習慣的に水準ラインとしてしていた金額だったりする。結構楽な学生生活をしていて、毎月に十万円、途中からちょっとマイナスになって八万円で生活していれば良かったので、学生時代には大体毎月に六万から七万でやっていた。社会人になって食費がガリッと増えたので、今はまあ八万が目安だろうなということでやっている。食費と本とゲーセンを控えめにすれば使う金額に調整がかけられるので、それなりに便利。自転車もそうやって出費を削って結局はつじつまを合わせてしまったし。パソコンは無理だけどね、さすがに。
 旅行しない、ブランド物買わない、ギャンブルしない、煙草吸わない、酒飲まない、あまり食事に興味関心がない。ソープとかも行かないし、そして休日は何もなければもっぱら引きこもって寝ている。そらまあ、そんだけ条件が揃えば、後は家賃が安ければ貯まるわな、と。我ながらケチが染みつきすぎて、治りそうにないなーこれは。治す気もない。後はまあ、今くらいの生活水準を落とさずに維持が出来れば大体それで良いと思っているところ。株やりたいとか六本木ヒルズに家持ちたいとか、乳のみたいとかそんな欲求はありません。やわらかべいべの心は一つ……。そんな訳で、金が貯まったら家買おうかなと思い始めている今日この頃。そのくらいしか使う道が思いつかないし。
 家を買えれば、次に引っ越すときが不安ーとか言って本棚を買うのを控えなくても済むし。現状、ちまちまと本棚をせこせこした増やし方しつつ、上限に来たら少し売るか、強引な入れ方をするか、テトリスみたいなことをやって場所を作っているような状況であるし。できれば、もう書店にあるようなどかっとでかい本棚を買って整然と並べたいというのが、ある意味唯一の明確な欲求かも。ああいう本棚って、さすがに今の部屋では置けない罠。壁に穴開けられないし、となると地震が来たときのことを考えると、あまり大きい物は置けないし。つーても、既に布団の足下にでかいのが一つあるから、これが転けたら足折れるかな……。
 というわけで、一日金の話で埋めてみました。金曜どーでしょー。いや、今日土曜日だっけ。

読み:なし
買い:なし
途中;なし
月次読破:文庫8冊、コミックス9冊
月次購入:15冊
通年度購入:218冊(文庫113冊、コミックス105冊)
通年度読破:219冊(文庫110冊、コミックス109冊)

それでは。

強奪品

2007年02月23日 20時53分33秒 | Weblog
2月23日分。

 どっかの発狂した熊さんの所から、勝手にバトンを強奪してきてみる。ネタがないからというのは公然の秘密。公然だから、いちいち言いませんよ?

《どっちバトン》

1.性別は?
 別に隠してもおりませんわよぅ、男です。ただ、中学の頃に母親の片親だったせいもかなり影響して、女性的な部分の割合が少し多めのような気もする。単純に引きこもりが過ぎて、男性的な面が成長してないだけか。個人的には自分がどっちであろうとどーでもいいのだけれども、手洗いのときに楽なのは男なのよねーとかそういうしょうもない実用性を考えてしまう辺りがなんともはや。

2.朝はめざまし派?ズームイン派?
 ふっふっふ、どっちも見ねえ、日本引きこもり協会一択ですだよ。ちなみに、一日に見るテレビの内容は、朝にNHKニュース、戻ってきたときに七時ならばNHKニュースからクローズアップ現代、九時になったらNHKニュース、十時になったら何となく報道ステーションをBGMにする。土日なら夜に「ダーウィンが来た!」と、NHKスペシャルは内容次第か。NHKばっかやなぁ。歌番組系統も一応見ます。

3.フィッシュORビーフ?
 そこであえて言おう、ヒューマン……おや、ぶち殺すぞヒューマン? これじゃあレクター博士になってしまうので、じゃあ真面目に回答しましょう。豆腐で。畑の肉って言うじゃないか、大豆って。ちなみに、本当に真面目に答えるなら、喰うのが面倒なことが多いので肉を好む。ただ、最近は本当に豆腐とかの方を好む。昼の弁当が揚げ物とかばっかりなので、そういう淡泊なのでバランスを取りたくなるらしい。ビーフよりポークか、個人的には。

4.和食OR洋食?
 納豆、豆腐、茶碗蒸し、大根の味噌汁、ほうれん草のおひたし、白いご飯というのが理想的。普段から昼の弁当が揚げ物とかばっかりなので、そういう淡泊なので以下省略。でもこれだと実は結構栄養素って足りてないんだよねぇ。まずもって野菜があんまり無いし、動物性のタンパク質もある程度はあった方が良いし、海草類がないし、実際にこのメニューだと塩分過剰になりがち。ああ、でも茶碗蒸しって卵だったっけか。茶碗蒸しの主成分は陶器です。茶碗をばりばり喰うのです。便秘が解消するかもよ? 腸に穴が空いて。

5.ご飯派? パン派?
 朝は基本的に、作ったり時間賭けたりするのが嫌いなのでパン。但し、きっちり食事をするときには主食は確実にご飯。ごはんごはんごはんごはんごはんー、ごはんごはんごはんごはんごはんー、えひめのーごはんはーせかいいちー……あ、みかんかそれ。

6.「まなかな」どっちが好き?
 そもそもまなかなって何? という古典的ギャグは置いておくとして、どっちにしても興味がない。基本的に芸能関係はほとんど情報が無いに等しい輩なので、そんなハイカラでモダンなこと聞かれても分からんですたい。いやぁ、ナウなヤングにばかうけなハイセンスですなぁ。うんうん、死語死語。ところで、まなかなってまだ人気あるの?

7.S? M?
 私はLです……どこのデスノートだ。実際問題、横幅は大幅に足りないけれども縦の長さはLじゃないと入らないのですよ。物によってはMでも大丈夫なんだけど、既製品はLだととにかく横幅が余るあまる……。あ、そういう問題じゃないか。ちなみに両刀ですという回答を大体するけれども、傾向的にはまず間違いなくS側。マルキド・サド。渋澤大好き。

8.かわいい派orかっこいい派、女ではどっちが好き?
 こんなかわいい子がオンナの訳ないじゃないか、ってことで……おや、何かが大幅に間違っている。ともあれ、これまでの二次元の方面での好みを見返してみると、大体においてかっこいい派に分類されるような気がしないでもない。僕の理想はブリジットたんです! ……とか言ってみたりして、ってそれだから男の子ー。だからどうした、二次元なら愛せますわよ?

9.じゃあ男は?
 かわいい系の男ってうっざーい、ちょーうざーい、ってか死んで♪ というくらいにそういう方面は毛嫌いしやすい輩です。いや、多分自分がときたまそういう扱いされるからってのもあるんだろうけれども。男キャラで個人的に気に入ってる連中といったら、某いーちゃん(クビシメ最上主義)とか、某人間失格だとか、どっかの新城大尉とか、悪役を任ずる姓の人だとか。まあそんな感じ。あ、魔王陛下でも良いんだけどね、年中喪服の。あまり共通点は無いような気がする。

10.次に回すヒト5人。かわいいorかっこいい印象付きで。
 私の近所の連中って、かわいいとかかっこいいってイメージの人いない気が……。いや、どいつもこいつもそいつもあいつも、何というかそういう素直なイメージじゃない連中ばかりだもんで。ということで、回す人なし。

読み:文庫『快楽主義の哲学』、コミックス『警死庁24時』5巻、『アヴェンテューラ』2巻
買い:コミックス『警死庁24時』5巻、『アヴェンテューラ』2巻
途中;なし
月次読破:文庫8冊、コミックス9冊
月次購入:15冊
通年度購入:218冊(文庫113冊、コミックス105冊)
通年度読破:219冊(文庫110冊、コミックス109冊)

それでは。

案山子

2007年02月22日 21時41分09秒 | Weblog
2月22日分。

 をんや。昨日のブログを手短に叩いた後に投稿しようとしたら、アクセス集中のためということで弾かれたかと想っていたら……。まあ、どうせあれ以上書くこともなかったわけだし、今日に打ち直す手間も省けたし、良いか。
 ここのところ、と言うか昨日今日辺りでいきなり仕事がどばっと押し寄せてしまって、正味どれからやりゃーいいんだってな具合で立ちんぼしてしまう状況が増えてきていたり。我ながら田んぼの案山子じゃないんだから、と想ってしまう。案山子とかいてカカシと読む。普段漢字書かなくなっているから、こりゃ肉筆で書こうと思ったら出てこないんだろうなーとか。そもそも案山子なんて単語を使うことが日常ではほとんど無いし。オズの魔法使い読んでる人なら、縁があるのか?
 とりあえず、仕事が三つ四つ五つくらいどばーっと重なってしまって、どーしたもんかなぁと首をかしげているところ。三つくらいは一朝一夕で終わらない代物だし、かといってのんびりやってるわけにもいかないし。そういうのは一つにしてくれれば、それに専念できるんだけどねぇ。ぶちぎれるぞー。

 ……さて、わめいてもしかたないので、ひとまずレビューを書こう。何故かバヤリースのトマトジュースを飲みながら。なんでこんなもん売ってるんだ、うちの寮の自販機は。

読み:コミックス『きんぎんすなご』
買い:なし
途中:文庫『快楽主義の哲学』
月次読破:文庫7冊、コミックス7冊
月次購入:13冊
通年度購入:216冊(文庫113冊、コミックス103冊)
通年度読破:216冊(文庫109冊、コミックス107冊)

それでは。

ちょいと

2007年02月21日 21時58分44秒 | Weblog
2月21日分。

 ちょいとばかり考え事中。そっちに集中したいので、ブログ省略。
 今日で『人間の手がまだ触れない』を読み切ったので、明日にでもレビューは挙げます。

読み:文庫『人間の手がまだ触れない』
買い:なし
途中:なし
月次読破:文庫7冊、コミックス6冊
月次購入:13冊
通年度購入:216冊(文庫113冊、コミックス103冊)
通年度読破:214冊(文庫109冊、コミックス106冊)

それでは。

ああ寝不足

2007年02月20日 23時56分59秒 | Weblog
2月20日分。

 いやはや、今日は担当業務にされてしまっている消費税について、都合良くみずほ総合研究所でセミナーがあったので、許可貰って参加してきたですだよ。ただ、いつもより少し長く寝てられるぜーってな具合で油断してたら、あっさり寝不足に陥るいつものお馬鹿。というわけで、珍しく講義中に意識が十回くらい飛びそうになると言うもったいない状況だったりして。
 寝不足がよほどひどかったようで、途中で意識はギリギリ保っているのだけれども、自分でもメモを取っている内容がよく分からなくなっていたり、何でこんな書き間違いをするんだというような書き取り間違いを頻発。一時間くらいそんな具合でふらふらした後になって、ようやっと意識レベルが底入れされたのか楽になる。この身体、もう少し耐久性が高いと良いんだけど……。まあ、四半世紀も生きていればこのくらいには脆くなるか。
 ひとまず戻ってきてから、さすがにツケを後に回しただけだったらしく、がくっと体調が落ちてきたので、三時間半くらい仮眠して今の時間。ぶっちゃけ、中途半端に仮眠したので、むしろ調子は落ちている罠。まあ、これから晩飯を食ってまたさっさと寝るですよ。

 今日の途中でアシモフの科学エッセイをまた一冊読み切ったので、切り替えてロバート・シェイクリイの『人間の手がまだ触れない』を読み始める。特にどっかで名前を聞いたからというわけではなくて、ハヤカワ名作セレクションでの復刊物だということと、帯の煽り文句が気になったので買ってみたもの。当然、海外SFもの。そろそろ海外物マイブームも収まりつつある感じではあるけれども、買い置きしている分があるので、これを潰さないと次の方面にもいけないし。今のところ、次の方面の心当たりもないし、まだしばらくはずるずる続くかなーと。
 思ったより当たりのようで、ブラックジョーク満載風味なのが良い感じ。一つ一つが案外短めで読みやすいし、やっぱり海外SFって短編ものの方が当たり多いよなーと思ったり。ただ、読みやすいと言ってもひねってある所もあるようだし、ブラックジョークの類は読むのに一定のセンスを磨いておかないと読めないものでもあるし、本読み向けの読みやすさではあるかも。
 やっぱし、名作セレクションで戻ってきてるようなものは当たりが多いなぁ。今後のねらい目は、この辺か。

読み:文庫『人間への長い道のり』
買い:なし
途中:文庫『人間の手がまだ触れない』
月次読破:文庫6冊、コミックス6冊
月次購入:13冊
通年度購入:216冊(文庫113冊、コミックス103冊)
通年度読破:214冊(文庫108冊、コミックス106冊)

それでは。

人の数

2007年02月19日 21時05分24秒 | Weblog
2月19日分。

 アシモフの科学エッセイを久々に眺めていて、また人口の話をあえて載せてきていたので、そのまま乗っかってみよう。
 アシモフのこのエッセイが掲載されたのは二十年ほど前のことなのだけれど、この時点から既にもう、世界の人口がどんどんと増えてえらいことになるぞ、という警告が書いてあったりする。アシモフの指摘するところによれば、どうして米国は産児制限に反対するのか、むしろ推奨すべきではないのか、と言っている。ちなみに、何で米国は~なのかと言えば、アシモフがアメリカに住んでいたから。
 このときにアシモフが指摘していたところによれば、八十年代の終わりまでに世界の人口は五十億に近づく可能性は充分にある、と言っていた。が、後になってアシモフ自身が、この予測は控えめすぎたとも言っている。実際には、八十年代が終わり……ではなく、八十年代が終わらないうちに五十億を超えてしまったのだ。これが大体八十七年くらいのことで、六十九年から八十七年の間に地球の人口は十五億人増えていたことになる、とある。そして、この増加数は、それ以前の五十年間に増加した数に等しい増加であるとも。六十九年という半端な時期なのは、アシモフが最初に人口増加のエッセイを書いた年だから。
 で。この増加をもう少し細かく計算すると、八十七年には年間に八千万人が増えたことになる。一年間で八千万人ということは、毎日に二十二万人が増えているという計算になる。一日に二十二万人ということは、一分ごとに百五十人、二秒ごとに五人が加わることになる……とまあ、よく考えると恐ろしい計算になる。そして、この増加率が維持されたと仮定すれば、色々と厳密な条件があるのをはしょって無理矢理に考えれば、紀元2585年には地球の陸地と海との全表面積を人間が埋めてマンハッタンの人口密度と同じくらいになり、9050年には宇宙のあらゆる惑星が同じ密度で埋まってしまうと計算している。おお、ジーザス。
 さてはて、この数字は割と前の計算による数字だから、現状だとずれるだろう……と思ってグーグルさんしてみれば。世界の人口、で検索すると、先頭にくるサイトに、日本の借金時計みたいな感じで世界の人口時計がある。米国勢調査、国連統計のデータから推測して、という但し書きつきで、毎秒に2.5人ずつが増え続けている。ということは、二秒で五人だから、アシモフが計算したのとまるっきり同じ数字ということになる。これを書いている時点での数字は、65億7319万0351人となっていた。ほら、この一文を叩く間にも増えて、65億7319万0410人になった。
 増加ペースがアシモフの計算とほぼ同じということであるならば、つまりは紀元2600年までには、地球の表面全部が東京やらの大都市と同じ人口密度になってしまう。実際には海面全部を使うわけに行かないのだし、陸地は陸地でも居住にまるきり適さないような箇所もある。となると……埋まるのはそれよりも相当前倒しになるということ。で、アシモフによれば、このときの世界の総人口は20兆人になっているだろう、と。一年で八千万人が増え、十年で八億が増え、百年で八十億……とはならない。母数が増えれば、増加の数は更に増える。四十七年で増加ペースは倍になる、という指摘があったので、興味のある人は計算してみると良いのかも。計算が合わない場合は、私の書いている情報が抜けているということだろうと思うので、アシモフのエッセイを買ってくださいまし。「誰か聞いているかい?」というのが該当エッセイのタイトルになっている。

 増える方のことを書いてみたので、次は日本の方。つまり、減る方のこと。同じく世界の人口のサイトを見てみると、平成17年度の調査では、日本の人口は1億2776万人。毎日2909人が産まれ、3041人が亡くなっている、とのこと。既に人口減少のただ中であるということになる。
 これはいかん、増やさなければ……というのが世論の流れになっているのだけれども。本当に、増やしていいんだろうかと、一瞬考えてしまった。アシモフの指摘のこともあるし、それからもう一つ、日本中の都市を東京のような過密状態にしてすし詰めにするのが良いことなんだろうか、ということもある。そしておそらく、実際にはそうなることはなくて、東京・名古屋・大阪などの都市圏に人口が集中して、更に通勤ラッシュなんぞが悪化することになるだろうということが想像できる。
 生物が一カ所に過剰に増殖した場合にどうなるかと言えば、当然、自滅する。人間の場合は食料なんぞを外部から持ってくることが出来るから、これを人間にも適用するというわけにはいかないけれども。ただ、自然の状況から見て、あまりに過剰に密集することがまともな状況じゃないということは間違いのないことだし、そんな論を持ち出さなくても、どこもかしこも新宿やら銀座やらみたいな混み具合になるのが望ましいかと言われたら勘弁してくれと言うに決まっている。
 人口が減るということは、今の増えすぎた人口を維持できる状況に無いために、自動的に半強制的に数を減じて適正値に戻そうという神の手が機能している状況にあるということ。日本は大分恵まれた国であるし、人口の増加に際してはかなりの補正が入っている筈で、その補正があってももう、今の人口を支えきれなくなったということ。であるならば、適正値まではむしろ、一度人口を落とすべきではないのか、とも思うわけだ。
 日本の人口増加を支えていたのは、何だったんだろうと考えてみる。出生率自体はずっと下がってきているわけだから、子供の生まれる数で支えきれる数では無いだろう。となると……? そう、つまり、下の世代が生まれて補充されていくがために支えられていたのではなくて、上の世代が死ななかったために減少のペースが鈍っていたということになる。このことは、今の日本の人口構成を見れば、老齢人口の割合の高さから推測することができるだろう。現状でも二割、そして2050年には四割近い数字になるとも予測されている。
 さて問題です。老齢人口は増えます。総人口は減ります。収入は減ります。しかし老人医療への支出は増えます。じゃあ若い世代への配分は……? こういうことを言うのは、私がその若い世代であるからこそのこと。言い方が卑劣なのは百も承知、でもこれもまた一面の事実じゃないのか、ということ。そういう面も含めて考えると、日本の人口は適正値にまで減るべきであるというのは変更しないけれども。ただ、減るべき箇所と、その減っている中で増えていて欲しい箇所とには、ちょっとばかり修正が必要になるよな、ということ。出生率が落ちてはいけないし、むしろそこは上がった方が良いところ。じゃあ減るべきなのは……という話になると、これはもう姥捨て山になってしまうから、お終いにしておきます。単なる嫌味にしかならないし。
 でも、こういうことを言う人って……少ないんだよね。表だって言ったら、それこそ袋だたきにされるからなんだろうなぁ。

 余談。今日の分はこれでお終いとして。世界の人口は、今の時点で65億7319万4711人になっておりましたとさ。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『人間への長い道のり』
月次読破:文庫5冊、コミックス6冊
月次購入:13冊
通年度購入:216冊(文庫113冊、コミックス103冊)
通年度読破:213冊(文庫107冊、コミックス106冊)

それでは。