黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

中央線快速無駄考察

2006年01月31日 20時36分10秒 | Weblog
1月31日分。

 えい畜生め、今週もまた五日間仕事かよとぶつくさ言いながら出社している訳だが、今日は参った。朝っぱらから参った。またしても中央線のトラブルで、オフィスに滑り込んだのが始業のチャイムとほぼ同時。公共機関の遅延が元凶だから別に咎められることも無いが、個人的には気分が悪い。しかしまあ、つい先日にも国立辺りでの人身事故の影響で止まってみたり、今日は豊田付近での信号機故障だと言っていた。ずっと前に会社に二時間の大遅刻をしたこともあるが、この時は確か四谷だか御茶ノ水だか辺りでの信号機故障だったと記憶している。そう言えば、特急列車に小動物が衝突して止まったとかいうのもあった。トラブルの尽きない路線である。
 あんまりにトラブルが多いので、毎日通勤に使っている側としては、なしてこないに多いねんと気になってきた。と言うわけで、行き当たりばったりに、な~んでこんなに色々起こるんだというのを適当に調べてみようじゃないかと思い立ってみた。結論はど~せ出ないだろうが、まあまあ気ままにお付き合い願いたい。まあ、東京の路線が分かる人でないと、今日の分は何が何やらよぅ分からんという感じになるかもしれないが。

 まずは、中央線ってのはどこをどう走ってる路線だったか、というのを調べなおしてみた。で、勘違いが一つ発覚したのだが、私が何度も「中央線」と呼んでいた路線は、正確には「中央線快速」というらしい。「中央線」と呼ぶ路線は、立川を始発として、八王子、大月、甲府の法まで行っている路線のことで、私がいつも乗っているのは「中央線快速」であるらしい。そういえば、駅でのアナウンスではいつもわざわざ「中央線快速電車は~」と連呼しているから、JR側としてはしっかり区別しているということだ。で、中央線快速は、東京駅を始発もしくは終点として、立川、八王子、一番遠くて大月まで行くものを言う。途中の立川で分岐があり、武蔵五日市まで行くものを五日市線、青梅や奥多摩までいくものを青梅線と呼んで、これらに接続している。正味、私にゃ国分寺以西はあんまり行くことも無いから、ど~でも宜しいっちゃ宜しいのだが。
 で、路線の位置を確認したところで、こりゃ~確かに混む訳だと納得した点がある。あちこちの路線から、中央線快速のラインへとかなりの合流が見られるからだ。青梅線やら五日市線はそもそも他に東京へ出られるラインが無く、立川に集まる。中央本線、つまりは大月などの方からも他のルートがあまり無いようなので、こちらから来る人がどれだけいるのかは分からないが、やはり中央線快速につながってくる。拝島には川越線と八高線が接続しているし、拝島はそのまま八王子へ来るか立川へつながるかして、やはり合流。八王子では相模線、横浜線・根岸線が接続していて、更に立川では南武線が、西国分寺で武蔵野線が合流してくる。西側のJRのラインは、その多くが中央線快速に接続してきているようで、つまりは乗客が密集しやすい状況と言えるだろう。西の方でも南寄りなら小田急、神奈川まで行ってしまえば湘南新宿ラインやら東海道線に横須賀線、後は京浜東北・根岸線で東京まで出られるが、やはり中央線快速で行くしかないラインが結構多いようだ。毎朝混むわけである。
 場所によっては京王線、もしくは西武線諸々で新宿まで出られるものもあるが、どうにも構造的に中央線快速の代替になりそうな私鉄ラインも見当たらない。地下鉄路線は東京都内くらいしか充実していないし、バスは論外、後は車通勤といったような手しか思いつかない。結局のところ、一応は時間通りに運行して人を大量に輸送できる公共交通手段が、東京の西方にはほとんど無い、というのが問題であるようだ。もう一本並行して作れと言うのも、まあ難しそうな話ではある。結果として、朝の通勤時間帯やら帰宅ラッシュのタイミングにおいて、中央線快速は二分やら三分に一本と言う、山手線の如く小刻みな運行によって本数をばかばか増やして対応するしかない。従って、一本でも止まってしまうと、次の駅でもう電車が待っているような状態だから、完全に足が止まってしまう訳である。復旧に時間がかかる元凶の一つもこれ。前が動かないと、何ともならんのだ。
 加えて、振替輸送が非常にしにくいという難点がある。確かに上手く接続してくれている場所なら、他の私鉄なりに逃げることもまあできることは出来るのだが。大体の所ではど~もならん一本道であるし、結局は回り道しても復旧まで待ってもかかる時間は大して変わらん、というオチもある。ついでに言えば、総武線各駅停車にも三鷹から接続はしているのだが、線路を共有しているので、総武線が止まると中央線快速まで止まることがある。逆もまた然りで、中央線快速が止まると総武線も止まる。私自身は毎朝ラッシュを嫌って三鷹で総武線へ乗り換えてしまうが、中央線快速が止まってしまえば、ああこりゃ~向こうも死んでるなというので、そのまま快速に乗り続ける。今日もそうだった。ちゃんと動いているときには非常に便利な路線なのだが、一発止まると寸詰まりの乗客すし詰め。お陰で今朝は、会社に着く頃にはもう一日分ずっしり疲れてしまっていた。正味、参ったものである。何ともならんが。

 次、中央線快速の歴史を探してみた。あった。何とまあ、1886年、明治の19年という数字が出てきた。うへぇ。「11月10日 新宿・八王子間の馬車鉄道免許」という記載があって、まあ今の中央線快速ではなくて、中央線全般の話ではあるが、結構に歴史は古いようだ。その後の細かい過程は全部省略するが、複線化するにもちまちまとあちこちの区間で進めて行ったようで、なかなか苦労していたらしい。記載の中で笑ったのは、99年、「11月20日 八王子駅で線路切替工事を実施、翌21日から終日上下線分離運転」というもの。これ、つまりは八王子駅辺りでは99年末までずっと、時間によっては上下線の線路が一緒だったということか。で、中央線快速の沿革となると、どうも元は貨物輸送能力を期待された路線であったようで、線路を複々線化したついでに旅客輸送能力も強化しようという感じで発展してきた路線であるようだ。この辺はウィキペディアから拾っているので、参照されたい。
 第二次大戦後になると本格的に通勤用の路線としての強化が行われ、今に至る。更に高架工事が行われるようになり、お陰で踏切が開かない、開く時間が短すぎて渡れないといったような、いわゆる「魔の踏切」が発生して、ちょっと前までマスコミで大々的に叩かれたこともあった。実際、工事どうこうはさておくにしても、寮の近くの踏切も一回捕まるとしばらくは開かなくなる。特に毎朝のラッシュ時間帯は車がずっと列を作って待っている状態で、それを尻目にとほとほと駅まで歩いていくのが毎朝の日課になっているようなものだ。二分三分に一本というダイヤを上下線でやっているのだから、そりゃあ踏切も開かなくなる筈である。
 歴史とはずれるが、歴史を漁っていたら出てきたデータなので、ここについでに載せてしまうことにする。中央線快速の、一時間の運行本数と輸送人員数のデータ(2000年)があった。これによると、最大で毎時30本の運行、42000人の輸送を行っているという。つまり、ラッシュ時は一本の電車で1400人を一発で輸送している計算か。十両編成の電車であるから、一両で140人の割り当て。あの面積に百人以上突っ込んでたのかよ……と今気が付いた。しかもこれで事故遅延なんぞやらかせば、車内の人数は更に上がる。身動きできないわけだ。なお、山手線の数字もあるので出してみると、一時間当たりの本数は無いのだが、輸送人員は一時間で36960人(外回り内回りともに36960人)だそうだから、何気に山手線より多いじゃないか、と。パーセンテージにして、中央線快速は山手線の114%の人員を運んでいる計算になる。一割り増しか。他、ラッシュの比較となりそうなのは東海道線だが、こちらも21本・35280人だから、何とまあ首都圏近郊のJRでは中央線快速が一番シャレにならんということらしい。んなもんに乗って通勤してたのか、私。
 はて、歴史はもう放置に近いが、どうもつぎはぎの付け足しの拡大とやってきただけに、管轄範囲が馬鹿に広い路線であるのは間違いないと思う。こうなってくると、どこかしらでほぼ毎日、小さな何かしらは起きている可能性がある。で、それが電車を少しでも止めてしまう程度のトラブルまで拡大した場合、後ろがどっと詰まってしまってはい遅延。ま~あ、あっちこっちで色々起こる。今までに何度も何度もトラブルに巻き込まれて電車が止まったが、取り敢えず記憶している五つ六つのトラブルにおいては、全部発生箇所が違っていた。どこかしらに集中していると言うより、満遍なくどっかしらで起きているらしい。ぶっちゃけ、歴史を持ち出そうとしたのは、単に「ぼろいからじゃね~のか」と言いたかっただけなのだが、それを証明するような記事はちょっと見当たらなかった。充分にありえそうな可能性ではあるのだが……さて?

 最後。中央線快速と言えば、何故か良く言われるのが「自殺の名物路線」という不名誉な呼ばわれ方だったりする。中央線快速が止まる多くの理由が、信号機故障(今朝はこれだったし、以前二時間の大遅刻をしたのはこれが原因)でもなく、大雨や雪のためではなく、人身事故。中央線快速に毎日乗っているように、同じく山手線、前は地下鉄東西線を使っていたが、ほとんど人身事故というのは聞いた記憶が無い。一度だけ山手線であったことはあったが、あれは車内で急病人が出たためという案内があった。が、中央線快速では、いつも表現は決まって「人身事故が発生したため」である。飛び込んだんだか落っこちたんだかは不明だが、とにかく人身事故が多い。そして、輸送人数では多少下がるとは言え大差ない山手線では、あまり落っこちたための停車というのは、そう頻繁には聞かない。となると……やはり、飛び込んでるんじゃね~のかなぁと思わざるを得ない訳である。
 さてはて、となると、何故に中央線快速で飛込みが多いのか、というのが謎になる。謎になるのだが、ぶっちゃけ、んなもん分からんのである。少なくとも、駅の数が多いというのは理由にならないだろう。山手線だって存分に駅の数は多い。輸送人員が多い分の確率論じゃないのかとも思ったが、たかだか山手線の114%では、明らかに計算が合わない。東海道線の状況がどうなのかが分かれば、もう少し比較は出来るのかも知れないのだが。少なくとも、山手線は都内を巡回する通勤のための副路線みたいなもので、東京へ出てくるための通勤路線ではない。ただ、同じような使われ方をしている小田急では、そんなに人身事故でしょっちゅう止まったという記憶は無かったのだが。まあ、あまり朝の通勤時間帯に乗っていたわけではないから、ちょっと参考としては弱いだろう。
 何はともあれ、頼むから飛び込むな、と。自分がやるのはまあさておくにしても、出来れば中央線快速やら山手線に飛び込むのは止めておこうと思っていたりする。ものえらい迷惑だし、遺族の負う賠償金額もしゃれにならんし。つーわけで、飛び込むな。はっきり言って邪魔だ。朝っぱらからいつも以上のラッシュに巻き込まれて気分が悪くなると言うのは、あんまり良い感じでは無いのだし。それにしても、何故にホント、中央線快速は人身事故が多いのだろう……謎だ。

読み:コミックス『エウレカセブン』三巻
買い:文庫『スヌーピーたちのやさしい関係』一~五巻
途中:文庫『空想自然科学入門』
累積読破:文庫10冊、コミックス21冊
累積購入:31冊

それでは。

カネゴン……

2006年01月30日 20時27分19秒 | Weblog
1月30日分。

 ぼちぼちライブドア関係の話も、ニュースに上ってこなくなりつつある。いい加減新しい状況が出てこなくなってきたのと、視聴者が早くももう飽きてきたからだろう。社長の逮捕、ライブドア本体の不正疑惑まで発覚して、悪材料としてはこれで出尽くした面もある。別にそれを反映したわけでもないだろうが、今日の日経平均株価は一時、五年五ヶ月ぶりに一万六千七百円という高い水準まで上がったそうだ。先週末の米国の株高が好感された、とは読売の分析によるところ。
 そんな中でぼつっと、さてカネというのは何であろうという無駄思考が出てきたので、つらつらいってみる。そも、今の日本で使われている通貨というのは、アルミやら銅やらの硬貨と、お札がある。お札は、本来なら単なる紙切れである。単なる紙である紙幣が価値を持つとされているのは、政府に対しての信用があるからだそうだ。昔は兌換紙幣と言って、銀行へ持っていったら額面と同じだけの価値を持つ「金(貴金属の金、カネではなくて)」と交換ができる紙幣が使われていた。今の日本の紙幣は不換紙幣だから、金とは交換が出来ない。その分を、政府に対する信用で代替していることになるそうだ。
 第一次大戦後、敗戦国となったドイツは連合国側に対して膨大な賠償金支払をするはめになった。戦後疲弊で払えるわけね~よという状態のドイツでは、中央銀行が戦後の混乱に乗っかって一気に紙幣を乱造、ハイパーインフレを巻き起こしたと言われる。この結果、一年間で対ドルレートで七桁以上も下落するという恐ろしいことになった。今日の正午現在の円ドル為替が「1ドル=117円34~36銭」というから、これを一応の基準とすれば、これから七桁落としたらどうなるか。何とびっくり、「1ドル=11億7340万円」なんてトンデモ金額になる。ドイツでは100兆マルク紙幣なんて色物まで発行されたことがあるそうだから、これもあり得ないとは言えない話だ。
 中学だか高校だかの教科書で、馬鹿みたいな枚数の、紐で束ねた紙幣を秤で計って買い物をしている民衆という写真を見た記憶がある。それだけの数の紙幣を出して、買うのがパンのいくつかというのだから、カネの価値というのはこんなもんにまでなってしまうんだなぁと今にして思う。それじゃあ一体、カネというのは何なんだ、と。逮捕されたほりえもんは、カネが全てだ、と言ったとか言わないとか。毎日円ドルレートは変わっているし、中国の人民元もなおいっそうの切り上げを迫られていて不変とはいかなくなっている。これだけごちゃごちゃ価値が変わってしまう、カネってのは一体何であるのか。
 先に不換紙幣は信用であると言ったが、信用で取引しているものという表現で今現在に主に連想されるのは、現金としての不換紙幣ではなくて、クレジットカードやら電子マネーだろう。信用で取引されている不換紙幣の代わりに、更に信用で物を買っているわけだから、信用の信用で買っていることになるわけか。スイカなんぞは現金を先払いして電子マネーをチャージしているから、これは一応は一重の信用で買っている、と言っても良さそうだ。個人的にはクレジットカード類は好かないので、会社員になった今でも未だにクレジットカードの類は一枚も作っていない。ずっと現金払いだ。ただまあ、口座引き落としでの支払いになっているものは、まあいくつかあるのだが。
 その内に、世の中での「お金」というものは、紙幣よりも電子マネーが主になっていくのではないかと言われる。お財布ケータイ、スイカ、クレジットカード、その他、わざわざゲンナマを持っていなくても買い物は出来るようになった。わざわざ小銭を数える必要も無くなるし、その方がレジも早くなるかも知れない。一方で、預金口座のデータを改ざんしてみたり、カードのデータをスキミングしたりして悪用するような話も増えた。こういう話が増えてきた一方で、会社の税金申告に際しては、利益が出なかったように装うために、絵の裏やら壁の中やら畳の下やらに大量の現金を隠してあったというような話もまだ多い。カネ、カネ、カネか。
 ただ、これだけ皆がカネでトラブルを起こすように、確かにカネには価値がある。一万円紙幣が一枚あれば、それなりのものが買える。千円札を一枚出せば、文庫本くらいものによっては二冊買っても収まる。ただまあ、カネの客観的な数値化できる価値はともかく、各個人によっての主観的なカネの価値は随分違う。端的な例では、ジェイコム株を大量取得して利益を得たという個人投資家。彼にとっては株取引そのものが目的であり、その取引で得た利益というものには、既に関心が薄れてしまっている様子だった。口座残高は増えていく、手持の資産は数十億、でもそれだけあっても買ったものは自分の住むマンション一室だけ。彼にはもう、カネはどうでも良いのだろう。
 カネが無いがために、ままならない人もいる。大学に行くカネが無い、入院するくらいの身体の不調があるのに入院費用が無い、出入がトントンで子供が欲しくても産めない。手近なところでは、欲しいものがあるけど買えない。無くても困る、でもありすぎると要らない。一番確かなもののようで、国の胸先三寸であっさり価値がずっこけることだってあり得る。ほぼありとあらゆる物との交換が可能で、しかしそれゆえに汚いものの象徴とも言われる。カネとはまことに不思議な物で、カネに対する扱いを見れば、その人の一面がなかなか如実に見えてくるものだ。さて、アナタはどんなふうにカネを使っていますか、と。

 ちょいっとばかり怖いかもしれない、鳥インフルエンザのニュースを見かけたので貼ってみる。トルコにおいて、鳥インフルエンザの様相が若干変化してきているのではないか、という疑問が出てきたようだ。「感染者は短期間で増えた一方で死亡率はアジアの3分の1程度にとどまるなど流行の様相が違い、ウイルス遺伝子にも変異が見つかった。ウイルスが人への感染に適応し広がっていく前兆なのかどうか、世界保健機関(WHO)が分析を急いでいる。」という。
 鳥インフルエンザが人から人へ感染するように変異した場合、鳥から人へ感染した場合よりも、感染力は上がるが死亡率はある程度下がるという予測がされている。トルコの場合も、短期間で感染者が増えたという点から人から人へ感染したのではないか、そしてその死亡率が他に比べて低かったため、というので前述の条件にどうもしっくり来てしまうものだから、WHOもこりゃ~どんなもんかいなと分析を大急ぎでやっているのだろう。
 ついでに、サウジアラビアでも、国内で狩りに使っているハヤブサ五羽からH5型の鳥インフルエンザウイルスが検出されたということで、既にそのハヤブサは処分されているという。ただ、これが例によってH5N1型のウィルスであるかはまだ分からないと言うことで、検体を国際調査期間へ送ったそうだ。これとは別に、香港でも中国に接する新界地区で、野鳥の死骸からH5N1型のウィルスが出てきたという。また中国か……と皮肉りたくなるが、まあご愛嬌。
(ネタ元:http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060130&j=0026&k=200601290925)

読み:文庫『フェアリィ・ランド』、コミックス『低俗霊デイドリーム』八巻
買い:コミックス『低俗霊デイドリーム』八巻、『エウレカセブン』三巻
途中:なし
累積読破:文庫10冊、コミックス20冊
累積購入:26冊

それでは。

つらつらと思考

2006年01月29日 21時31分30秒 | Weblog
1月29日分。

 朝っぱら五時までかかって一つ面倒を片付けて、そのまま一時間ちょい無駄話をして、寝たのが午前の六時半過ぎ。で、携帯にメールが来たので起きたら午前の十時半。寝たりないかなぁとは思いつつ、洗濯して東方をちょいとやって、漫画を読んで、また午後になったら眠る。随分疲れていたのか、次にもう一回メールが来たので起きたら、もう午後の六時半。さんざっぱら疲れていたのと、例によって飯を抜いてしまったせいか、ぐったり何も出来ずに一日終了、と。まあ、良いか。

 面倒を片付けてふと思ったのは、自分ってのは他人の悲痛を集めて回ってるんじゃね~のかということ。某所で時たま、誰かの愚痴を裏側で聞いてみたり、ごく稀に昨日のように面倒に介入してみたりすることがあるが。それは、私がお人好しだとか、保護者的な人だからとかいうのではなくて、単に他人の悲痛を収拾して回るコレクター的な性分か、もしくは他人の悲痛を喜んでいる手合いじゃないのか、と。
 どっかのねーちゃんならば、それでこっちは役に立ってるから構わん、と言いそうな気がするが。自分に対しての認識を多少改めておく必要はありそうだ。と言うか、自分が破損しまくってることを、最近ちょ~っとまた忘れていた。時たまにこういうことがあって思い出してやるのは、良いことかも知れない。ちゃんと覚えていれば、不用意に他人まで巻き込んで吹っ飛ばすことも、ほんの少しは減るだろう。ただ、意図的に巻き込んで吹っ飛ばしてることもある訳だから、あんまり減らないが。
 元の性分が臆病で閉鎖的で、そしてついでに他人を妬む節が多いだけに、自分があんまりろくな育ち方もせんとメンタル欠陥を抱え込んでいることをかなり気にしている。割り切ってもういいやで斬り捨てはしたが、それは自分の内側に余計に斬り込んでいくのを止めただけの話で、同じ分の余剰エネルギーがどっかしらに残っていることになる。それが要は、内に行かずに外へ出始めたのではなかろうか、と思ったりする。
 まあ、まだたまに内側に出戻ってきて食い荒らしをしていることもあるから、全部が全部外向きに回った訳でもあるまいし。全部が完全に外向きに回るようになったときは、それこそ私は大量殺人鬼化して吹っ飛ばして回りかねない。そういや、前々から自分はそういう危険人物だと自称していたのを、すっかりと忘れていた。どうせ今は昨日言ったことすら忘れているような状態だから、これもまた明日には忘れているだろう。
 そして、忘れてくれているのは、むしろその方が都合がよい。これで覚えているとしたら、それこそそのときは自分がいよいよもって世間様にとっての危険人物と化したときか、もう完全に自分をみんな諦めて死のうと決めた場合くらいのもだろう。忘却というのは素晴らしい、でも、日々の全てをみんな忘れていってしまうから、まるで夢遊病の中で生きているような気分になる。長い、長い夢。夢の中にいたんじゃ、他人がどうなろうが、自分がどうなろうが、あんまり知ったこっちゃ無いという思考にもなるわねぇ。

 はて。一日寝てたら、いい加減潰さねばと思っていた本を潰せなかったじゃないか。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『フェアリィ・ランド』
累積読破:文庫9冊、コミックス19冊
累積購入:24冊

それでは。

本を人に渡すということ

2006年01月28日 22時54分38秒 | Weblog
1月28日分。

 自分のために本を買うというのはまあ、自分の好きに買えば良いだけなので、例えそれで外れを引こうが何だろうがど~でも宜しいのだが。他人に本を渡すとなると、これがまた一気に難しくなる。
 外れを渡してしまうのもあれだしというので、まず前提条件としては自分が読んでいることが必須に近い。特に相手が本読みなら勘が働くだろうから評判のまた聞きでも勧めるが、あまり普段本を読まない人に渡そうと思ったら、かなり慎重にせざるを得ない。そうなってくると結局は、自分の分野の中から、取り敢えずこれなら読めそうかなぁと思ったか、これはその人に必要そうかな、と思ったものを勧めることになる。
 ただ、そう言えば私から誰かに本を渡すということをするようになったのは、割と最近になってからのような気がする。余った本を渡すことはあったが、これがその人に必要そうかなぁと判断して渡すようになったのは、つい最近になってから。そういうときもまあ、やはり最初からその人に渡そうと思って読んでいた訳でもないが。読んでいたら、ああ、あの人に要るかなぁと思ったという程度。
 それらが気に入って貰えたのか、必要性が本当にあったのかどうかは、さて知らない♪

 前々からの持論だが、本というのは時代遅れのメディアだと今でも思っている。毎日のように読んでレビュー増やして遂に昨日で333本とかいう馬鹿らしい状況になっている輩が言うのも何だが、本というのは情報が遅いし単価も高いし、良いことはあんまり無いような気がしている。
 そういうものを他人に渡すというのは、時代遅れに付き合わせると言うことであって、どうなんだかな~とは、まあ思う。ただ、本を読むという行為は、テレビで受け身的に眺めているよりは頭に情報が入って来やすい。そういう意味合いで、それが本当に必要な情報であるならば、本を読んで貰うことで情報をより多く得て貰うというのは悪いことでは無いだろう。ひたすら本をこっちから勝手に渡すというのはお節介だから、それさえ自覚していれば良いということだ。
 案外、服以上に本というのは好みの違いが大きいから、なおさら他人に渡すのは難しい。と言うか、そりゃ単に私の好みがやたらと偏りすぎてるだけとちゃうんかと、自分で最後に突っ込み入れて、お話お終い。結局ネタになっちまったい……。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『フェアリィ・ランド』
累積読破:文庫9冊、コミックス19冊
累積購入:24冊

それでは。

人間関係

2006年01月27日 22時57分34秒 | Weblog
1月27日分。

 人付き合いというのは、難しいもんだよなぁと思う。唐突に何を言い出すのかと思えば、という感じだと思うが、まあ書いてるご本人も別に脈絡はなく思い付いたから書いただけなので、気にしない気にしない。夜中にメールを手繰ってみたら、午前二時過ぎまでやり取りが続いたりしたものだから、そんなことを思ったのかも知れない。それとはまた別に、変な時間に目が覚めた、というメールもその後に来た。
 それ自体は、別にどうでも宜しいのだ。寝不足は不安だったがまあ、今日も一日、多少意識がふら~っとはしたが、終わったから宜しい。個人的には、そんな時間にメールが飛んでくるというのは、ある程度は信を置いて貰ってるのかなと思うくらいだから、喜ばしいことであると分類している。ただ、その夜中に二時過ぎまで二時間ばかりメールが行ったり来たりした理由が、人付き合いどうこうとなると、難しいねぇと思ってしまう。
 自分自身よく思うのは、時たま、私のような人間的に致命的なる欠陥を自分から選択して抱え込むようなことをした輩にも、こうやって夜中にメールのやり取りをする相手が出てくるというのがとても不思議だということ。何を好きこのんで来るのやら、とついつい笑いたくなる。そういう連中に限って、私がたま~に裏側でごそごそ黒いことやってるのを知っていて、なおメールを寄越してきたりする。有り難いような、こそばゆいような。

 まあ、そういう自分の感想どうこうは置いておくにしても、普通から外れてしまっていると自ら公言しているような輩と意気投合してしまう人がいる。かと思えば、妙にこじれてしまって修復不能なまでに破綻する間柄もある。気が付いたら忘れ去ってしまっていた相手もいたし、意図的に忘却し去った相手もいたし、何となく細々と付き合いの続いている相手もいる。誰一人として、全く別の誰かと同じように付き合っている相手は、いない。一緒くたに括っている相手は多いにせよ、そういう相手でも微妙に関係性は異なるもの。立場に性別に年齢、相手のことをどの程度知っているのか、付き合いの期間はどの程度なのか、相手の性格はどんなものか、相手との関係性はどういった状況か、相手以外のその場にいる人間は誰か、等々、TPOというやつでも変わる。
 割と、人間というのはこういう面倒なものを、幾つも幾つも使い分けて人付き合いをしている訳だ。そりゃぁ、疲れもするだろう。そういうのが面倒くさくなって、大体放り出してしまって、気に入った相手には親密に、それ以外は慇懃無礼か無視で応じれば宜しかろうと開き直った輩もここにいるが、それで済まないこともあるのが世の中というやつであって、何ともせせこましくて肩身の狭い世の中じゃござんせんか、と言いたくなる。割り切っているつもりの私ですら、相手によっての微妙な使い分けは多い。気配り、気遣いというものをついつい「してしまう」ような人には、それこそ脳みそがパンクしそうなくらいに、たくさんのパターンがあるのだろう。ますます疲れるはずだ。
 人間関係の形というのにも、えらくパターンが多い。親、兄弟、親戚、従姉妹、友人、知人、親友、学友、恋人、彼氏彼女、愛人、夫婦、上司、同僚、部下、先輩、後輩、同期、顔見知り、赤の他人、通行人A、命の恩人、殺しても殺し足りないやつ、その他エトセトラエトセトラ。これにまたTPO諸処が加わってくるというのだから、一体どれだけの組み合わせを作っているのだろう。しかも、誰一人として全く細部まで同じ対応のパターンを組める相手はいない。仮に全く姿形も性格も何もかもが同じ双子を相手にしているとしても、どちらか一方と先に会ったか後に会ったか、もしくは二人一緒であったかといったようなことだけで、パターンは変わってしまう。面倒なことだ。
 こういうのを自分も使い分けているのかと思うと、我ながらごくろ~さんなこっちゃ~と他人事のように思えてくる。せめて人付き合いにもテンプレートな理論やら公式が使えれば良いと思うこともあるのだが、仮にそういう公式があったとするなら、私はきっとそういう公式からわざと外れようとするんじゃあるまいかとも思えてくる。結局の所、人付き合いというのはどこまで行ってもコンピュータの数式があんまり使えない経験則的な所に頼るしかない代物であり、その経験則も常に使えるとは限らない。その場その場でやっていくしかないものであって、それがシンドイこともあるし、だからこそまあネタになることもある、という訳だ。

 大概、人付き合いというのは、百パーセントこうしたら正解というものが無い。だもんで、こうしたら相手はどう思うだろう不快な思いをしないだろうかどうだろうどうしようと悩んでしまって、胃を痛くする人も多い。私自身、会社での飲みには思いっきり付き合いたくないが、さてどうしたものかと判断に迷うことも多い。まあ、可能な限り回避というのが今のスタンスとして固まりつつあるから、それはまだ宜しい。この程度の話で済んでいるなら、別に何も問題は……無いとも言えないが、小さくて済む。
 そういう程度で済まないのが、色恋であるとか、親子関係であるとか、もしくは会社に勤める限りは上司先輩という相手も斬り捨てる訳にいかなくなってくる。世の中の人間関係の悩みというのは、この色恋と家族と会社絡みが大半と言えそうなくらい、よく聞く。最終的には、そういうのは自力で何とかして貰うしかないし、自力で何とかしないとまた同じような状況に陥ってループすることになりやすい。
 だからこそ、余計に難しい。大概そういう厄介な相手というのは、一朝一夕で切れない相手だからこそ長期化もするし、悪化もしやすい。ただ、一部の例外として、策動すると大概のものを吹っ飛ばして無に帰すような人間関係のクラッシャーもいないことはないが。ここにいるのとか。取り敢えずあんまりに面倒になってみんな放り出してみたら、いつのまにかクラッシャーが出来上がっていたらしい。いやはや、恐ろしや恐ろしや。こういう手合いには引っかからないように皆様気をつけて、と。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『フェアリィ・ランド』
累積読破:文庫9冊、コミックス19冊
累積購入:24冊

それでは。

レビューの補足

2006年01月26日 18時58分34秒 | Weblog
1月26日分。

 そんなに際だって体調がやばい訳では無かったのだが、どうも水っぱなと喉の痛み、頭がぼ~っとするとかいった昨日までも出ていた症状に加えて、関節痛やらまで出始めたので、これはイカンと判断したりする。と言う訳で、今日は午前中出て、午後から半年休を貰うことにした。そう言えば、半年休を取るのは初めてだったような気がする。ちなみに、会社で弁当を頼んで、しっかり全部食いきってから帰ってきたのはご愛敬。食欲が落ちていないのは、まあ良い条件であるような気もする。
 で、早めに帰ってきたぜ~と遊び回ったのかと思いきや、帰ってきたら一時半過ぎくらいで、さっさとスーツを脱いで着替えたら、そのまま撃沈。意識が戻ったら五時半。あらまあ、業務終了時間じゃありませんか。そんな具合で、つまりはさっさと会社からまっすぐ帰ってきた上に、本当に大人しく寝てやがったという次第である。割とあっさり意識も吹っ飛んでいたし、都合四時間ほど意識が飛んだまま撃沈していたから、それなりに疲れていたらしい。撤退してきて正解ではあったのかも。
 どのみち、明日は部の中でも二人が年休を取って休むという予定であるため、さすがに私までとは言えない訳で。かと言って今日も朝から休みを取るには微妙な元気の良さだしな~という所だったから、午後から今日に半分休みというのがまあ、自分で納得の出来るギリギリのラインだったのだろう。仕事も月末月初に突入すると忙しくなってくるだけに、休める日にちとしてもギリギリのラインだった筈。いやはや、いやはや。
 ようやっと目が覚めたので、先にサイト本体にレビューを久々に一本打ち込みしつつ、貰い物のエビ揚げ煎を囓ったりしながら、ブログを叩いてみる。

 サイト本体に数日ぶりにレビューを放り込んだが、今までのものとは大幅に毛色が違ったものである。何せタイトルからして、『なぜ、母親は息子を「ダメ男」にしてしまうのか』という代物で、出版元も講談社プラスα新書。黄色い背表紙でお馴染みかどうかはまあ微妙としても、普段レビューしている分野とは大幅にずれたやつであるのは間違いない。なお、講談社プラスα新書は、他の並びを見るとど~も胡散臭いのが多いし、本書もタイトルだけ見ると、というか中身の方もやっぱり結構胡散臭い。
 それでもこいつは私にとっては曰く付きの一冊で、しかもそもそもこいつを渡してきたのが、私の母親だったりする。母親を非難する内容の本であるのに、それを当の母親から渡してくるというのだから、曰く付きにもなろうというもの。しかも、これを貰ったのは寮に引っ越してきた直後のタイミング。包みを開けてタイトルを見るだけは見たが、その当時の私はこれの中身を見ずにそのまま本棚へ収めてしまっていた。あれから九ヶ月十ヶ月ほどが経ってようやっと読むことにしたのは、積み本が無くなったことと、それからようやく読む気になるだけの余裕と意思力が出来たということか。
 正味、読み切った後で言うのも何だが、思いっきり自己正当化するための本だとは思う。レビューでも打ち込んではあるが、誰かから嫌われたときに、」相手とは合わないんだからもう会わなくていいや」という思考ができずに、「ああ一体自分の何処が悪かったんだろう、また嫌われてしまった」という思考でループしてしまう人は、それは母親がアナタを無理矢理そんな思考に追い込んで洗脳していたからだ、という代物。ぶっちゃけ、一種のトンデモ本もしくはイチャモン本ですらある。その辺も加味して、レビューではわざと個人的総合評価も評定不能にしてある。
 ただまあ、それでも自分自身には割と該当する話ではあるのが困りもので。しかもこれを渡してきた母親自身が、私も該当するからアンタもそうでしょ、と言って渡してきている。母親も祖母から似たような状況で扱われていたそうだから、と。連鎖は繰り返されると言う訳で、その辺りの話は前々から私と母親の間では時たまに交わされていた会話ではある。三代祟るとはよく言ったもんだよね~、というのは両者の間では笑い話ですらある。ちっとばかり自虐的だが、笑い飛ばすしかしようがないのだ、これが。
 取り敢えず、この本は自己正当化のための本であり、責任転嫁のための本である。が、この本が本来的に必要とされるであろう人間は、そもそもが過剰なる自己卑下やら罪悪感過多の傾向があるであろうから、そういう意味では自己正当化と責任転嫁がむしろ必要となる。どーでも良いが、私も私で、人格が引っ繰り返ってから読む意味は無いんじゃあるまいかと自分に言いたくなる。読んでいての真っ先の感想は、あ~、私にこりゃ確かに該当「した」ねぇ、という所だった。未だに該当している部分もまああるにせよ、昔よりは大分緩和された後だ。もーちょい早く手を出せよ、私。もしくは、もちっと早めに読んでおいてくれよ、母、と。文句を言ってみても仕方がないので、一読しきったからと、また本棚に戻す自分がいるのであった。
 ……なお、これ読んだ後に、今度はハヤカワ文庫の新刊とかに飛んで行っている辺り、何だかんだ言いつつあんまり気にしてないということか。この間に誰かさんに言われたが、最近は「何読んでるのと聞いてみても、返ってくるタイトルが全然ワカラン」らしい。そりゃそ~だ、変な所にばっかり行ってるんだから。これが一年前だともっとラノベ寄りだっただろうし、在学中なんぞでは想像もしなかったくらいの悪食になっている気もする。さて、では、来年の今頃は一体何を読んでいるのやら、末恐ろしい話である。おお、あのトンデモ本の内容よりも、こっちの方が余程にホラーじゃないか。

 さて、最後に回しておきつつ、そして昨日にもう飽きたとは言いつつ、もう一回ライブドア。と言っても今日の場合は、ライブドアの会社に関してではなくて、株のこと。ここの所、当然のことながら売りが優勢というか買い手が付かない状態だったライブドア株を、ここにきて一気に買う動きが出てきている。新社長の就任したライブドアへの期待からの買い……ではない。思い切り、投機のための動きである。
 ライブドア株の持ち主は、元々その大半が個人投資家である。今回の大暴落で大損を見た人も多かろうが、ここにきてその損を少しでも取り返してやろうという勢いで、ライブドア株の乱高下を利用しての利ざや狙いのデイトレードが増えてきている。東証がライブドア株の取引のみを時間限定にしたのは、こうした状況を予測した上で、システムが処理過剰によってパンクしてしまわないようにという思考で抑え込んだからであるという。
 現状、ライブドア株は百三十やらその辺りの価格まで下落している。他の株は百株やら千株やらが最低の購入単位なのだが、ライブドアは一株から買えるようになっている。つまりは百数十万円の資金があれば、一気に一万株を買える。で、一万株買った状態で仮に乱高下に従ってライブドア株が一円値上がりしたら、それだけで一万円の利ざやが取れるという訳だ。つまり、別にライブドアという会社の株でなくても良い。ライブドアという銘柄が狙いやすいから、ということで一発狙いの投機対象になっている。デイトレードは元からこういった性格のものではあるのだが、ここまでくると露骨で非常に分かりやすい。
 ただ、さすがにこれはまずいというので、東証も信用取引を停止するなどの手を打ってきている。このため、短期ぶっ込み狙いの投機がしにくくなっており、売買高はようやっと落ち着きつつはあるようだが。いやはや、株は怖いねぇ……。
(ネタ元:http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060126AT2E2600626012006.html)

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『フェアリィ・ランド』
累積読破:文庫9冊、コミックス19冊
累積購入:24冊

それでは。

2006年01月25日 22時22分09秒 | Weblog
1月25日分。

 毒とか書くと、また鬱ネタか自殺ネタかとでも思われそうな感じではあるが、そういう話ではなくて、薬という呼び方をしているものも、本来は毒なんだよなぁということ。正確に言うならば、肉体における身体の化学反応を検証した上で、それが人体に対してはそれなりに有用な作用をするもんだから薬という言われ方をするんだよな、ということなのだが。
 いきなり何を言い出すのかといえば、要は風邪薬を使ったというだけの話。さすがに昨日一日の状況と、今朝起きたときの感覚からして、これはちょっとまずいという判断から市販の風邪薬を使用。但し、普通の大人用の分量で使うと私には効きすぎるため、用法の指定には一回三錠三食後とあるのを、一回一錠で朝と昼だけ。普段なるべく薬の類は使わないようにしているので、ちょっと使うだけでも効果は充分高く出る。一回、車の酔い止めを用法指定の半分の量で使ったら、車の中で二時間ほど意識が吹っ飛んだ記憶もあったりする。いつもなら酔って寝るどころではない。
 風邪薬でやっていることと言えば、つまりは強制的に風邪の諸症状を麻痺させるということ。症状が治まってくれるのは有り難いのだが、この辺は症状を治癒しているのではなくて強引に抑え込んでいるようなものだから、麻痺させている間に身体の自然治癒が間に合っていない場合には、当然効果が切れるとぶり返してくる。解熱剤を例に取れば、医者の曰く、あまり熱をすぐに下げてしまうのも宜しいことではないという。身体はウィルスを殺すために体温を上げるのであって、熱が出るのはその必要性があるから。必要性があるものを無理矢理に抑え込んでしまっては……ということだそうだ。とは言え、仕事をしていると、なかなかそうも言っていられない訳なのだが。メドイメドイ。

 ともあれ、今日も一日ご苦労様だ自分。朝っぱらから風邪薬の影響でぼんやりしたり意識が時々薄れかかっていたり身体の感覚すらガラス一枚挟んで向こう側だったりはしたものの、まあ一日出てきてはいる訳だ。仕事、すること無かったが。基本的に月の本当に末と頭一週間くらい、それと特定時期に仕事がどかっと集中してくるので、その波から外れるとすることがなかったりする。下手をすると、丸一日暇。
 薬で意識が吹っ飛びかけている日に仕事が密集されても、それこそろくでもない結果にはなりそうだから、丁度良いと言えば丁度良かったのかも知れないが。で、夜の分は薬を飲んでいないので、効果が切れてくるとまた元に戻ってくる罠。自然治癒に任せてやりたい所だが、まだ二日ほど会社がねぇ。しかも会社ではあっちでこっちでげほげほぐしゅんとやっているものだから、正味行くから悪化しているような気すらする。ぶっちゃけ、明日は年休取れば良かったかも知れない。
 ただ、そういう状況でも飯はしっかり食う自分に苦笑いしてみたりする。探し物があったので、薬の誤魔化しが効いている内にと新宿で降りて紀伊国屋へ移動、何冊か買ってから地下のカレー屋へ移動。たまたま水曜日はカレー大盛りをサービスしていたようなので、大盛りにして貰ってあっさり平らげてみる。ついでに、近くのゲーセンへ寄ってエスガル2が置いてあったので、2プレイ放り込んでから帰ってくる。まだ五面の「彼女」相手はまるっきりパターンが出来ておらず安定していないので、なかなか厄介。ただ、スコアはアサギ使用のときに一定まで伸びるようにはなった。
 割に、食欲は落ちないしゲーセンは行くしで、それなりに風邪を引いても元気らしい。とは言え、あんまり無理が効かないのは承知しているので、これでもほどほどに抑え込んではいるのだが。単にいまいち調子が上がらないのと、鼻がぐずるのと、どうも頭が重たいのが気に食わないという程度であって、本格的に体調がまずい時期は抜けたかどうか。薬がまだ残存している可能性もあるから、油断はしないに限るか。

 さて、時事ネタを久々にやろうかと思ったのだが、正味、ネットニュースをソースにしていると……今はライブドア絡みしか見当たらない。いい加減飽きてきたので、お休み。どのみち、堀江逮捕は当人はともかく、投資家他から見ればほぼ「想定の範囲内」であって、面白みのある話でもない。興味が向くのは、むしろギリギリの状態で乱高下を狙って突っ込まれてくるライブドア株の「買い」の動きだが、まあこれもその内に収まってくるだろう。新社長も出ては来たが、面白みは無さそうだ。会社経営に面白みを求めても、仕方のないこととは思うけれども、な~んかツマランと思ってしまうのは、ライブドアだからだろう。

 追記。あまり余力がある訳でもないので、もうしばらくレビュー他の追加はお休み。

読み:なし
買い:文庫『空想自然科学入門』『地球から宇宙へ』
途中:文庫『フェアリィ・ランド』
累積読破:文庫9冊、コミックス19冊
累積購入:24冊

それでは。

体調まずー

2006年01月24日 21時50分20秒 | Weblog
1月24日分。

 ちょ~っとばかり、朝から体調が悪かったりする今日この頃、皆様いかがお過ごしでございませうか。さすがに昨日の両サイド煙、プラスローテンションの影響もあってか、朝起きてみたら喉が痛い。昨日の夜の時点で、下手するとこれは今日は起きあげれないかも知れないと危惧したものだが、起きてみれば会社には普通に行ける程度まで回復してしまう辺りがちょっとばかり疎ましい。仕方がないので、出社。場合によっては午後から休もうかとも思ったが、結局は一日きっちり出てきた。残業は、無し。今日はする必要も無し。
 やはり会社でも風邪が流行っていて、みんなして風邪を引いては誰かに移して、あっちへ飛んでこっちへ飛んでまた戻ってきてとやっている。あっちでげほげほ、こっちでずるずる、向こうの方でへ~くしょん、とくらぁ。ちなみに、ハゲ部長のヅラが飛んだりとか、入れ歯が抜けたりとかはしません。飛んだらそれはそれで非常に楽しそうなのだが……ちっ。
 正味あまり薬に頼りたくはないのだが、さすがに今日ばかりはそうも言っていられなさそうである。どうにも頭は重たいし微妙に気分も悪いし、何より鼻水がず~っと止まらない。普段からアレルギー性鼻炎は持っているにせよ、そういうレベルではなくて四六時中みずっぱなが止まらない状態だから、明らかにこれは鼻粘膜もやられている。喉も痛くて咳がたまに出てくるから、ここいらで抑えておかないと後々面倒になりそうだ。それこそ、一番忙しい月末月初に悪化するという最悪のシナリオも考えられるし、そうなる前に先手先手。
 仕事を前倒しできれば良いのだが、うちの場合はなぁ……そうもいかないのが参ったものである。

 時事ネタは色々あるのだが、正味今日の具合ではあまりやる気にもなれないため、思い付いた所をダイジェストで。取り敢えずH2Aロケットが無事にうち上がってくれたようで、それだけは書いておくが。何やら三基連続して打ち上げをやらかすそうで、日本初。まずその一基目が、ちょっと延期はあったにせよきっちり上がってくれたのは、まあ幸先良いことだと思われる。ど~でもいいのだが、そう言えば「ひまわり」の次の子はいつからまともに使えるようになるのだろう?
 ライブドア。結局はほりえもんまでとっ捕まったか、と会社でネットニュースを眺めていて思った訳だが。海外に口座まで作ってマネーロンダリングやらかしていた疑いもあるとの報道もあり、まあ案外に手の込んだことやってたのね~とか笑ってみる。ライブドアという会社の生命力はこれで大幅に転けたことになるだろうが、さて、ほりえもんは出てきたらまた会社を興してくるのかも知れない。ちなみに。米国では、エンジェルというような呼ばれ方で、ベンチャーを支援するパトロンが結構いたりするそうだ。失敗の経験がある方が評価されるという所もある。何故失敗したかを、失敗したからこそ理解できるから。日本ではそういうパトロンもいないし、一度失敗したらアウトという現状がある。新しいやり方をするには、向いていない国なのだろう。
 ヤマハ発動機の、無人ヘリの不正輸出。最近、無人偵察機なるものが実用化に至ってきているという。その内に戦闘機も無人化されたりするのかねぇと思ったりもするが。ああいったものの限界を決めているのは、機械性能ではなくて、乗っている人間の方だろう。ラプターなんぞのような機体になると、それこそ載っけている人間の方がよっぽどお荷物になるんじゃあるまいか。取り敢えず輸出先が中国だの韓国だのという偏った方面のお国様なのが、別の意味で気になる。でも、株価がさてどうなるかな~という興味の示し方をしている今の私の思考は、やはり偏っている気がする。

 そう言えば、珍しく新刊の文庫を買った。ハヤカワの、『フェアリィ・ランド』とやらいうやつ。割と分厚いので、読み切るのに今週いっぱいはかかりそうな気配だが。ちなみに、現時点では序盤も序盤のようだが、翻訳があんまり上手ではないという印象。元々海外のSF的作品を、何年か経って邦訳して引っ張り出してきたもののようで、訳者の力量だの感性だのというのは大事なんだなぁと思ってしまったりする。ちょっと勿体ないような気が、しないでもない。
 ついでに、電撃コミックスから『ダークウィスパー』に手を出してみている。一度読んでもいまいち読み切れず、二回三回読み直してようやっと分かった気になってきた訳だが、それを二巻でまたやり直すことになりそうな気配。まだ一回目も読み終わっていなかったりする訳だが。気が付いてみたら、今月の購入冊数が結構増えてきている。二十冊超えてるとはねぇ……。あらあら。

読み:コミックス『ダークウィスパー』二巻
買い:なし
途中:文庫『フェアリィ・ランド』
累積読破:文庫9冊、コミックス19冊
累積購入:22冊

それでは。

一日遅れて更新

2006年01月23日 21時01分14秒 | Weblog
1月23日分、を一日遅れて。

 誰かさん、それはね、どちらかじゃなくてある意味では両方だったのだわよ、と一部の特定の人にだけ分かることを言ってみる。言ってしまえば、業務終了後に飲みがあり、とんずらしようと思ったら逃げ損ねて超過勤務状態になった挙げ句、途中から体調がガタ落ちしてダウン。そもそも、寮に戻ってきたらもう日付が変わる一時間少し前というタイミングなのは勘弁して欲しいものだが。私ゃ、飲んで騒ぐより、さっさと帰って大人しく静かにしている方が好みなんだ。

 まあ、そんなことを言ってみても仕方がないので、ざっと経過を書いてみる。午前中、ちまちまと普段の業務やら細かい仕事やらを片付けている内に時間が経過。昼になる。昼休みが終わって午後になってみたら、これは前々から聞いてはいたのだが、関係のある会社から、新しく固定資産担当になった人がうちの会社の固定資産管理のやり方を見に来た。で、償却ソフトを今扱っているのが私なので、説明のお鉢がこっちへ回ってきた。まあ、さすがに前任者の先輩が主に担当していたが、一緒になって私も出来るだけ説明。
 そんなことをやっていたら四時くらいになり、そのタイミングで課長から、出来れば明日、つまりは24日中に貰えると有り難いかなということで仕事が回ってきた。実はこれもまあ前々から言われてはいたはずなのだが、正味どうやって良いんだか分からなかったので完全に後回しにしていた。ちと自滅な感はあるが、データを持ち帰って寮でやる手もあるかと思っていた……のだが。結局は、冒頭で書いた状況になったため、無理ぽになった。
 予想通り業務時間中には終わらず、残業するかと思っていたら、飲みに半強制状態で連行。段々自分でも機嫌が傾いていくのを自覚しつつも、一応最後まで付き合った自分を多少褒めても良いような気がする。まあ、今回は上で見に来ていた人を主賓としてのものであるし、説明に加わっていたこともあって、取り敢えず出るだけは出ないと失礼かもしれんという程度の思考だったのだが。中座して撤収すりゃ良かったのかもしれんと今更に思ったりもしつつ、最後の方は体調不良まで起こし始めてちと困ったモノである。
 帰りの電車でそれなりに気分が悪くなっていたのは秘密。酒は一滴も飲んでいなかったのだが、恐らくは左右両サイドですぱすぱやられたタバコが元凶かも知れない。喉をやられるとあっさり体調が崩れるのは、これまた困りものだ。自分でやらなくても、周囲が吸ってしまうと……ね。受動喫煙というのも、良い迷惑だ。さすがにやめれとも言いにくいし、諦めモードにならざるを得ない。

 飲みがあると、その夜に必ず死にたくなるのはど~にかならないものか、と思う。こういう副作用まであるものだから、出来れば飲みには加わりたくない。飲めないという引け目もあるし、もう一人の年長の課長は「出なきゃイカンよ」と言ってくるしで冗談ではない。正味、上司でなければ和やかなる紳士的な視線を向けている所だが、まあそうもいかんので笑って誤魔化す。思考のスタンスは大人のやり方だが、実際やってることは子供名ような気がしないでもない、我ながら。むう、何か情けない。
 それはさておくにして。死にたくなる思考が出てきても、最近は鬱に今ひとつ直結しなくなってきた。鬱々と沈み込むというよりも、メドイの一言でさっさと死にて~という程度の思考になっている、らしい。ついに自分の生き死にもこの程度まで更に軽くなってきたかと思わないこともないが、いい加減諦めたのかも知れない。それはそれで宜しい。宜しいが、自殺方法を以前より明確に空想するようになったのはど~したもんか。
 それだけ考えるだけは考えても実行に移さない辺り、死ぬのすらメドイということか。息をするのもメドイ、しかしわざわざ死ぬのもメドイ。生きたい訳でもないが死ににいくのもメドイ。メドイメドイメドイメドイ。で、結局は惰性で生存してしまう。案外、こういう手合いの方が長生きしてしまうのだから、まあ人間よくワカランものである。
 逆に生きることに頑張りすぎて、目標にまっしぐらに突っ走っているつもりが、あら気が付いたら逮捕されましたわよみたいなどっかの社長もいたりする訳で。私のようなメドイな人種は、高望みもしない分、安全と言えば安全なのかも知れない。

読み:文庫『何故母親は息子を「ダメ男」にしてしまうのか』
買い:コミックス『ダークウィスパー』二巻
途中:コミックス『ダークウィスパー』二巻
累積読破:文庫9冊、コミックス18冊
累積購入:22冊

それでは。

今日は無しよ

2006年01月22日 22時22分51秒 | Weblog
1月22日分。

 今日も予定なしにつき一日サボり。で、暇だからと言うので一本ショートを上げてみた。そちらに余力を持って行かれてしまったので、今日はブログは無しよということで。告知の意味合いで書くだけ書いて、本日終了。まだ晩飯も食っていないので、何かコンビニで買ってくることにしよう。寒いけど。

読み:コミックス『ダークウィスパー』一巻
買い:なし
途中:文庫『何故母親は息子を「ダメ男」にしてしまうのか』
累積読破:文庫8冊、コミックス18冊
累積購入:21冊

それでは。