11月30日分。
へい、今日の天気予報は曇りのち晴れじゃなかったのかい。何でか昼前くらいに雨降ってやがったじゃねぇか。まあもっとも、私自身はオフィスの外へは一歩も出なかったんだから、関係ないんだけどさ。三割四割の降水確率でも、降るときはやっぱり降るんだねぃ。折りたたみ傘持ってたから、外へ出ることになったとしても、まあ問題はなかったけれど。
確率と言ったら、たまに、自分は本屋での運が良いよなと思ったりする。本屋に行くと、ある程度良いものが見つかりやすかったりする。ただ、実際にはそれは、単なる気のせいなんじゃねーのとも思ったりはする。一昔前、具体的には三年くらい前までなら、そんなに運が良いと思ったことは無かったのだし。さあ、じゃあちょっくら、この錯覚のトリックを暴いてみようじゃないか。
まず、一番大きな要因は、自分自身の読書範囲が急激に拡大したこと。つまりは手当たり次第に気になったものを買うようになったから、手数が増えればそりゃー当たりを引き当てる確率だって上がる。宝くじだって同じこと、買う枚数が増えれば、当たる確率は上がる。これ当たり前。まあ、買う絶対数それ自体は増加しているのかどうか、ちょっと謎ではあるのだけれど……多分増えてるんだろうな、一昔前に比べたら。カウントを始めたのが去年くらいだったから、昔のデータが無いんで比較ができない罠。
次。行く本屋が大体はでかいところになったということ。そりゃまあ、紀伊国屋だとかジュンク堂だとか、後は職場からの帰りに寄る所も三フロアを占めるくらいの規模の所だから、そりゃあそれなりに本の数も揃っているに決まってる。読む範囲が拡大している中で、揃えの良いところへ行けば、そりゃあますますもって当たりを引く可能性は上がるだろう? 私自身の場合、ベストセラーであるとかメジャ作品はあまり好まずに、マイナの中のメジャを好むから、揃えの良いところへ行かないと逆に当たりを引けなくなることにもなるのだし。
もう一つ。あちこちからお勧めを聞いたり、何かを読んで参考文献として載っていたりするのを買うことも増えたから、選択肢を絞り込みやすくなったということ。選択肢を広く取れるということ、それから揃えが良いということの二つの条件があったとしても、最終的な選択を誤ってハズレをひいてはつまらない。けれどもまあ、ある程度前もって「当たりを付けて」おけるならば、当たりを引く可能性は高くなる。他人がもう目を通しているやつならば、まだ少しは当たりに近くなる可能性があるというわけ。
ということで以上、三つの要因を挙げてみる。まず、母数が多い(揃えの良いところへ行く)ということ、適合する範囲を拡大した(読む範囲を広げた)ということ、そして選択の精度を上げた(お勧めを聞いたりするようになった)ということ。うん、こんなふうに語れば、何となく論文に見えないこともない。意味はない。
とりあえず。私のように、毎月に十冊とかを読んでいるような中毒者は別にするとして。何か読んでみようかな、でも普段読み慣れてないしな……という人は、手近にいる読書慣れした人間にお勧めを聞くがいいですぅ。ただし、何かお勧め教えて~とだけ言われても私らも困るですぅ。どういうのが読んでみたいのかを言いやがれですぅ。まあでも、一番手っ取り早いのはベストセラーでも読んでみやがれですぅ。
本読みにお勧めを聞くということは、ベストセラーを外すということになる。……ちょっと訂正、私のようにひん曲がった本読みにお勧めを聞くというのは、以下省略。私自身のことを言えば、ベストセラーなんてぜってー買わねーってな意地を張ってるくらいだからして。まあ別に、ベストセラーが俗悪だとかそういうことを言いたいわけではなく、単純になんか気に入らない、もしくは買ったら負けだと思うというくらいの感覚なのだけれども。つまり、流行に乗るのが嫌いというだけのことですなきっと。
ベストセラーでも、例えば『生協の白石さん』なんかは、私も会社で回ってきたので一通り目を通している。結構、面白かった。ベストセラーがベストセラーになるのには、まあその多くは広告宣伝によって盛り上げられたから……という所もあるにせよ、ある程度は読みやすいものでないと売れないだろう。小難しい学術書を強引に宣伝したとしても、そんなに売れないんじゃないのかなぁとは思う。少なくとも、最低限、日本語になって無くて読めない作品、ということは無いはず。だから、本を読み慣れていない人の場合には、ベストセラーを読むというのは、当たりを引く確率を高める良い方策だと思う。
ただ、ベストセラーというのは万人に向けたものであって、各個人の趣向に合わせてピンポイントに深い大当たりをねらってくる作品ではない。あくまでもマス的に、広範囲に、絨毯爆撃的に、それなりの当たりを幅広くというのがベストセラーである……と思っている。数を読み慣れてくると、そのある程度までの当たりでは満足が足りなくなって、より自分に合った当たりの本を探すようになってくる。このくらいになってくると、本屋に行ったときに、本に呼ばれるような感覚を得ることがある訳で。そうなったら、ようこそこちら側へ……というわけ。
今日も、月末の調整で本屋へ行ったら、ふらふらーっと本に呼ばれて結局三冊買ってきた輩でした。まあ、一冊は前から目星付けてたんだけどね。とりあえず、買ってきた三冊を改めて眺めてみる。取り合わせが、あんまりに自分らしくてワロタ。本棚がその人を映し出すってのは、間違ってないよね。
読み:文庫『知覚の呪縛』
買い:文庫『日本以外全部沈没』『自殺論』『悪魔のいる文学史』
途中:なし
月次読破:文庫10冊、コミックス8冊
月次購入:15冊
通年度購入:160冊(文庫84冊、コミックス76冊)
通年度読破:163冊(文庫85冊、コミックス78冊)
それでは。
へい、今日の天気予報は曇りのち晴れじゃなかったのかい。何でか昼前くらいに雨降ってやがったじゃねぇか。まあもっとも、私自身はオフィスの外へは一歩も出なかったんだから、関係ないんだけどさ。三割四割の降水確率でも、降るときはやっぱり降るんだねぃ。折りたたみ傘持ってたから、外へ出ることになったとしても、まあ問題はなかったけれど。
確率と言ったら、たまに、自分は本屋での運が良いよなと思ったりする。本屋に行くと、ある程度良いものが見つかりやすかったりする。ただ、実際にはそれは、単なる気のせいなんじゃねーのとも思ったりはする。一昔前、具体的には三年くらい前までなら、そんなに運が良いと思ったことは無かったのだし。さあ、じゃあちょっくら、この錯覚のトリックを暴いてみようじゃないか。
まず、一番大きな要因は、自分自身の読書範囲が急激に拡大したこと。つまりは手当たり次第に気になったものを買うようになったから、手数が増えればそりゃー当たりを引き当てる確率だって上がる。宝くじだって同じこと、買う枚数が増えれば、当たる確率は上がる。これ当たり前。まあ、買う絶対数それ自体は増加しているのかどうか、ちょっと謎ではあるのだけれど……多分増えてるんだろうな、一昔前に比べたら。カウントを始めたのが去年くらいだったから、昔のデータが無いんで比較ができない罠。
次。行く本屋が大体はでかいところになったということ。そりゃまあ、紀伊国屋だとかジュンク堂だとか、後は職場からの帰りに寄る所も三フロアを占めるくらいの規模の所だから、そりゃあそれなりに本の数も揃っているに決まってる。読む範囲が拡大している中で、揃えの良いところへ行けば、そりゃあますますもって当たりを引く可能性は上がるだろう? 私自身の場合、ベストセラーであるとかメジャ作品はあまり好まずに、マイナの中のメジャを好むから、揃えの良いところへ行かないと逆に当たりを引けなくなることにもなるのだし。
もう一つ。あちこちからお勧めを聞いたり、何かを読んで参考文献として載っていたりするのを買うことも増えたから、選択肢を絞り込みやすくなったということ。選択肢を広く取れるということ、それから揃えが良いということの二つの条件があったとしても、最終的な選択を誤ってハズレをひいてはつまらない。けれどもまあ、ある程度前もって「当たりを付けて」おけるならば、当たりを引く可能性は高くなる。他人がもう目を通しているやつならば、まだ少しは当たりに近くなる可能性があるというわけ。
ということで以上、三つの要因を挙げてみる。まず、母数が多い(揃えの良いところへ行く)ということ、適合する範囲を拡大した(読む範囲を広げた)ということ、そして選択の精度を上げた(お勧めを聞いたりするようになった)ということ。うん、こんなふうに語れば、何となく論文に見えないこともない。意味はない。
とりあえず。私のように、毎月に十冊とかを読んでいるような中毒者は別にするとして。何か読んでみようかな、でも普段読み慣れてないしな……という人は、手近にいる読書慣れした人間にお勧めを聞くがいいですぅ。ただし、何かお勧め教えて~とだけ言われても私らも困るですぅ。どういうのが読んでみたいのかを言いやがれですぅ。まあでも、一番手っ取り早いのはベストセラーでも読んでみやがれですぅ。
本読みにお勧めを聞くということは、ベストセラーを外すということになる。……ちょっと訂正、私のようにひん曲がった本読みにお勧めを聞くというのは、以下省略。私自身のことを言えば、ベストセラーなんてぜってー買わねーってな意地を張ってるくらいだからして。まあ別に、ベストセラーが俗悪だとかそういうことを言いたいわけではなく、単純になんか気に入らない、もしくは買ったら負けだと思うというくらいの感覚なのだけれども。つまり、流行に乗るのが嫌いというだけのことですなきっと。
ベストセラーでも、例えば『生協の白石さん』なんかは、私も会社で回ってきたので一通り目を通している。結構、面白かった。ベストセラーがベストセラーになるのには、まあその多くは広告宣伝によって盛り上げられたから……という所もあるにせよ、ある程度は読みやすいものでないと売れないだろう。小難しい学術書を強引に宣伝したとしても、そんなに売れないんじゃないのかなぁとは思う。少なくとも、最低限、日本語になって無くて読めない作品、ということは無いはず。だから、本を読み慣れていない人の場合には、ベストセラーを読むというのは、当たりを引く確率を高める良い方策だと思う。
ただ、ベストセラーというのは万人に向けたものであって、各個人の趣向に合わせてピンポイントに深い大当たりをねらってくる作品ではない。あくまでもマス的に、広範囲に、絨毯爆撃的に、それなりの当たりを幅広くというのがベストセラーである……と思っている。数を読み慣れてくると、そのある程度までの当たりでは満足が足りなくなって、より自分に合った当たりの本を探すようになってくる。このくらいになってくると、本屋に行ったときに、本に呼ばれるような感覚を得ることがある訳で。そうなったら、ようこそこちら側へ……というわけ。
今日も、月末の調整で本屋へ行ったら、ふらふらーっと本に呼ばれて結局三冊買ってきた輩でした。まあ、一冊は前から目星付けてたんだけどね。とりあえず、買ってきた三冊を改めて眺めてみる。取り合わせが、あんまりに自分らしくてワロタ。本棚がその人を映し出すってのは、間違ってないよね。
読み:文庫『知覚の呪縛』
買い:文庫『日本以外全部沈没』『自殺論』『悪魔のいる文学史』
途中:なし
月次読破:文庫10冊、コミックス8冊
月次購入:15冊
通年度購入:160冊(文庫84冊、コミックス76冊)
通年度読破:163冊(文庫85冊、コミックス78冊)
それでは。