10月31日分。
毎度。昨日の風呂上がりに、若干程度のホラーが起こりました。幽霊です。シャワーを浴びて髪を乾かしている真っ最中に、ドライヤーから「バチッ」という明らかに何かやばげな音響が来まして。ぱっと見た瞬間、明らかに火花が散ったとおぼしき青白い光が視界に……入ったような気がしたのですが、まあ錯覚かもしれない。ただ、明らかにショートでもしたようで、その後しばらく置いてからスイッチを入れ直してみても動作せず。心理的なホラーではなくて、物理的にホラーですねコレ。いや、怖い怖い。
まあそんなわけで、さすがにこの先の季節にドライヤー無しってんでは風邪を引いてしまうので、今日の会社帰りに慌てて家電量販店へ出向いた次第です。何気に、ぶっ壊れた物と同じ型のものも売っていたのですが、今回は同じメーカで一段上のランクのものに変更してみたり。別に前の物でも不満はなかったのですが、何となく。せいぜい二千円ちょいのものを三年だか四年だか使い倒したので、元は充分取っていたような気がします。
それにしても、ドライヤーも随分と価格帯に幅があるものですねぇ。今回買ったのはせいぜい五千円くらいのものですが、上の方は一万円を軽々超えているものも結構ありましたし。女性から見たら、逆に男性用の電気シェーバーにやたら価格帯の幅があることに、首をかしげるのかも知れませんが……。ぶっちゃけ、私もアレはどう違うのやらよく分かりません。自転車の価格幅の違いなら、色々理由は思いつくんだけど……一般には、そっちの方が良くワカランと言われてしまうのか。
もののついでに、書店へ立ち寄って仕事用の本をちょいと探そうとしたのですが……。うん、さすがに無謀でした。どうせこの近辺は住宅街ばかりで、あまり企業があるわけでもなく。業務用の、特に経理関係の専門書籍なんて置いている筈が無いのですよねぇ。探そうとした私が馬鹿だった、うん。ごめん。
さて、珍しいことですが、昨日のブログの記事からもう少し引っ張ってみます。他にネタがないとか言わない。昨日の分では、人・物・金・情報は、それらが集まっているところへより集中していくという話……だった筈、確か。その辺の引き合いで、東京への一極集中なんて話を持ち出してみたわけで。
ただ、人も物もお金も情報も、役に立つところへ持っていって初めて、その効果を発揮します。上に書いた話からちょっと引っ張ってみると、今日私は書店へ仕事用の本を探しに行って空振りしたわけですが。実際の所、もし私が今日行った書店に仕事用の、というか経理関係の専門書籍が置いてあったとして、それは買われる可能性は高いのか? 恐らく、答えは否であると思われます。そんなもん、買おうとする人間はごくごくピンポイントな少数であり、書店の客層にはまるっきり合致しないものと考えられます。つまり、あの書店は、経理関係の専門書籍を置いてあっても役に立つ場所ではない、ということ。
お金の流れを考えると、儲かっているところから税金という形で集め、乏しいところへ集めた分を配分するというのが国の役割になります。もしくは、お金を普通のところでは出してくれないけれど、でも必要な事柄に対して振り分けるという役割もある。とは言え、振り分けるというのもなかなか難しそうではあります。世の中、あっちの事情とこっちの事情は異なるものであるのが常で、何人いるから単価かけていくら、という単純計算だけでは上手くいかないようで。
極端な話、小学生の子供百人のところへ振り分けるべきもの(今はお金の話になってますが、金に限らず他のものも)と、高齢者百人のところへ振り分けるべきものというのは、まず間違いなく同じではない筈です。高齢者のところへ遊具を届けてみても使い道が無いだろうし、小学生のところへ杖や車いすを届けてみても意味がない。きめ細やかな資源の振り分けを目指せば目指すほどコストは増えるし、かといって効率至上でがすっと一律でやっても文句が出る。どっかの子供手当ではありませんが、配っときゃいいってもんでもないでしょう。アレはあれで、色々混乱が続いてますが……。
東京に一極化するのが良いのかどうか、という話はあるのでしょうけれども。今の「地方」と呼ばれるようなところに、人・物・金・情報の需要そのものがまずあるのかどうか、という話もあるかと思います。これまた極端すぎる話ですが、太平洋にぽこっと浮かぶ孤島に首都機能と同等の物を用意してみたとして、そこに人が来るのか? そこが第二の首都になり得るのか? これもまた、買い手のいない書店に専門書を置くようなことにならないか。物だけ置いてあっても、それが動いて、使われて、利用されないことには置物でしかないわけで。皿だけ作ればいいってもんでもない、という話になるのでしょうね、コレ。
ではでは。ひゅう、どろん。
毎度。昨日の風呂上がりに、若干程度のホラーが起こりました。幽霊です。シャワーを浴びて髪を乾かしている真っ最中に、ドライヤーから「バチッ」という明らかに何かやばげな音響が来まして。ぱっと見た瞬間、明らかに火花が散ったとおぼしき青白い光が視界に……入ったような気がしたのですが、まあ錯覚かもしれない。ただ、明らかにショートでもしたようで、その後しばらく置いてからスイッチを入れ直してみても動作せず。心理的なホラーではなくて、物理的にホラーですねコレ。いや、怖い怖い。
まあそんなわけで、さすがにこの先の季節にドライヤー無しってんでは風邪を引いてしまうので、今日の会社帰りに慌てて家電量販店へ出向いた次第です。何気に、ぶっ壊れた物と同じ型のものも売っていたのですが、今回は同じメーカで一段上のランクのものに変更してみたり。別に前の物でも不満はなかったのですが、何となく。せいぜい二千円ちょいのものを三年だか四年だか使い倒したので、元は充分取っていたような気がします。
それにしても、ドライヤーも随分と価格帯に幅があるものですねぇ。今回買ったのはせいぜい五千円くらいのものですが、上の方は一万円を軽々超えているものも結構ありましたし。女性から見たら、逆に男性用の電気シェーバーにやたら価格帯の幅があることに、首をかしげるのかも知れませんが……。ぶっちゃけ、私もアレはどう違うのやらよく分かりません。自転車の価格幅の違いなら、色々理由は思いつくんだけど……一般には、そっちの方が良くワカランと言われてしまうのか。
もののついでに、書店へ立ち寄って仕事用の本をちょいと探そうとしたのですが……。うん、さすがに無謀でした。どうせこの近辺は住宅街ばかりで、あまり企業があるわけでもなく。業務用の、特に経理関係の専門書籍なんて置いている筈が無いのですよねぇ。探そうとした私が馬鹿だった、うん。ごめん。
さて、珍しいことですが、昨日のブログの記事からもう少し引っ張ってみます。他にネタがないとか言わない。昨日の分では、人・物・金・情報は、それらが集まっているところへより集中していくという話……だった筈、確か。その辺の引き合いで、東京への一極集中なんて話を持ち出してみたわけで。
ただ、人も物もお金も情報も、役に立つところへ持っていって初めて、その効果を発揮します。上に書いた話からちょっと引っ張ってみると、今日私は書店へ仕事用の本を探しに行って空振りしたわけですが。実際の所、もし私が今日行った書店に仕事用の、というか経理関係の専門書籍が置いてあったとして、それは買われる可能性は高いのか? 恐らく、答えは否であると思われます。そんなもん、買おうとする人間はごくごくピンポイントな少数であり、書店の客層にはまるっきり合致しないものと考えられます。つまり、あの書店は、経理関係の専門書籍を置いてあっても役に立つ場所ではない、ということ。
お金の流れを考えると、儲かっているところから税金という形で集め、乏しいところへ集めた分を配分するというのが国の役割になります。もしくは、お金を普通のところでは出してくれないけれど、でも必要な事柄に対して振り分けるという役割もある。とは言え、振り分けるというのもなかなか難しそうではあります。世の中、あっちの事情とこっちの事情は異なるものであるのが常で、何人いるから単価かけていくら、という単純計算だけでは上手くいかないようで。
極端な話、小学生の子供百人のところへ振り分けるべきもの(今はお金の話になってますが、金に限らず他のものも)と、高齢者百人のところへ振り分けるべきものというのは、まず間違いなく同じではない筈です。高齢者のところへ遊具を届けてみても使い道が無いだろうし、小学生のところへ杖や車いすを届けてみても意味がない。きめ細やかな資源の振り分けを目指せば目指すほどコストは増えるし、かといって効率至上でがすっと一律でやっても文句が出る。どっかの子供手当ではありませんが、配っときゃいいってもんでもないでしょう。アレはあれで、色々混乱が続いてますが……。
東京に一極化するのが良いのかどうか、という話はあるのでしょうけれども。今の「地方」と呼ばれるようなところに、人・物・金・情報の需要そのものがまずあるのかどうか、という話もあるかと思います。これまた極端すぎる話ですが、太平洋にぽこっと浮かぶ孤島に首都機能と同等の物を用意してみたとして、そこに人が来るのか? そこが第二の首都になり得るのか? これもまた、買い手のいない書店に専門書を置くようなことにならないか。物だけ置いてあっても、それが動いて、使われて、利用されないことには置物でしかないわけで。皿だけ作ればいいってもんでもない、という話になるのでしょうね、コレ。
ではでは。ひゅう、どろん。