黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

振り分ける

2011年10月31日 19時42分35秒 | Weblog
10月31日分。

 毎度。昨日の風呂上がりに、若干程度のホラーが起こりました。幽霊です。シャワーを浴びて髪を乾かしている真っ最中に、ドライヤーから「バチッ」という明らかに何かやばげな音響が来まして。ぱっと見た瞬間、明らかに火花が散ったとおぼしき青白い光が視界に……入ったような気がしたのですが、まあ錯覚かもしれない。ただ、明らかにショートでもしたようで、その後しばらく置いてからスイッチを入れ直してみても動作せず。心理的なホラーではなくて、物理的にホラーですねコレ。いや、怖い怖い。
 まあそんなわけで、さすがにこの先の季節にドライヤー無しってんでは風邪を引いてしまうので、今日の会社帰りに慌てて家電量販店へ出向いた次第です。何気に、ぶっ壊れた物と同じ型のものも売っていたのですが、今回は同じメーカで一段上のランクのものに変更してみたり。別に前の物でも不満はなかったのですが、何となく。せいぜい二千円ちょいのものを三年だか四年だか使い倒したので、元は充分取っていたような気がします。
 それにしても、ドライヤーも随分と価格帯に幅があるものですねぇ。今回買ったのはせいぜい五千円くらいのものですが、上の方は一万円を軽々超えているものも結構ありましたし。女性から見たら、逆に男性用の電気シェーバーにやたら価格帯の幅があることに、首をかしげるのかも知れませんが……。ぶっちゃけ、私もアレはどう違うのやらよく分かりません。自転車の価格幅の違いなら、色々理由は思いつくんだけど……一般には、そっちの方が良くワカランと言われてしまうのか。
 もののついでに、書店へ立ち寄って仕事用の本をちょいと探そうとしたのですが……。うん、さすがに無謀でした。どうせこの近辺は住宅街ばかりで、あまり企業があるわけでもなく。業務用の、特に経理関係の専門書籍なんて置いている筈が無いのですよねぇ。探そうとした私が馬鹿だった、うん。ごめん。

 さて、珍しいことですが、昨日のブログの記事からもう少し引っ張ってみます。他にネタがないとか言わない。昨日の分では、人・物・金・情報は、それらが集まっているところへより集中していくという話……だった筈、確か。その辺の引き合いで、東京への一極集中なんて話を持ち出してみたわけで。
 ただ、人も物もお金も情報も、役に立つところへ持っていって初めて、その効果を発揮します。上に書いた話からちょっと引っ張ってみると、今日私は書店へ仕事用の本を探しに行って空振りしたわけですが。実際の所、もし私が今日行った書店に仕事用の、というか経理関係の専門書籍が置いてあったとして、それは買われる可能性は高いのか? 恐らく、答えは否であると思われます。そんなもん、買おうとする人間はごくごくピンポイントな少数であり、書店の客層にはまるっきり合致しないものと考えられます。つまり、あの書店は、経理関係の専門書籍を置いてあっても役に立つ場所ではない、ということ。
 お金の流れを考えると、儲かっているところから税金という形で集め、乏しいところへ集めた分を配分するというのが国の役割になります。もしくは、お金を普通のところでは出してくれないけれど、でも必要な事柄に対して振り分けるという役割もある。とは言え、振り分けるというのもなかなか難しそうではあります。世の中、あっちの事情とこっちの事情は異なるものであるのが常で、何人いるから単価かけていくら、という単純計算だけでは上手くいかないようで。
 極端な話、小学生の子供百人のところへ振り分けるべきもの(今はお金の話になってますが、金に限らず他のものも)と、高齢者百人のところへ振り分けるべきものというのは、まず間違いなく同じではない筈です。高齢者のところへ遊具を届けてみても使い道が無いだろうし、小学生のところへ杖や車いすを届けてみても意味がない。きめ細やかな資源の振り分けを目指せば目指すほどコストは増えるし、かといって効率至上でがすっと一律でやっても文句が出る。どっかの子供手当ではありませんが、配っときゃいいってもんでもないでしょう。アレはあれで、色々混乱が続いてますが……。
 東京に一極化するのが良いのかどうか、という話はあるのでしょうけれども。今の「地方」と呼ばれるようなところに、人・物・金・情報の需要そのものがまずあるのかどうか、という話もあるかと思います。これまた極端すぎる話ですが、太平洋にぽこっと浮かぶ孤島に首都機能と同等の物を用意してみたとして、そこに人が来るのか? そこが第二の首都になり得るのか? これもまた、買い手のいない書店に専門書を置くようなことにならないか。物だけ置いてあっても、それが動いて、使われて、利用されないことには置物でしかないわけで。皿だけ作ればいいってもんでもない、という話になるのでしょうね、コレ。

 ではでは。ひゅう、どろん。

集まるところに集まる

2011年10月30日 18時26分51秒 | Weblog
10月30日分。

 毎度。土日休みの大半を睡眠に突っ込むことになってしまいましたが、まあ動く予定の無い休日となると、大概私の場合はそうなりがちか。幽霊です。やっぱり気温の上下差に身体がついてこないようで、どうにも身体がだるくて困ります。別に風邪引いてる感じの体調ではないのですが、振るわんなぁと苦笑いしてみたり。メンタルが引っ張られて沈むことを懸念しているのですが、とりあえずそういう状態でもない様子。こっちもこっちで、やっぱり微妙に振るいませんけれども。
 明日は多少気温が上がるようですが、まあそろそろ冬支度を進めておかないといけませんなー。こっちの部屋に移動してからは初の冬場ですが、さてどうなりますことやら。前の部屋だと、うっかり暖房にエアコンを使っていた場合、他の家電類をあまり重複起動できないくらいには、電力の供給がギリギリでしたが……。何せ、契約アンペア数が15Aだかそのくらいで、なかなかキワドイ状態でしたので。こっちの部屋も、大元は40Aだったのを一段落として、30Aに下げてはあります。フルに使うことは滅多に無い筈で、であれば基本料金を下げるという意味合いで下げたわけですね。
 工事に来てくれた電気屋さんは、あまり下げても意味はないと思うんだけどねー、とは言っていましたけれども。せいぜい、下がっても月額で千円変わるかどうか、らしいです。私個人としては、月額で千円下がるというのは大きいと見るのですけれどもね。抑えられるところは抑えておく、という方が良いでしょうし。似たような理由で、うちには湯沸かしポットがなく、炊飯器はありますが炊いたらすぐ切ってしまって冷凍庫行きです。コンセントも、コンセント本体にブレーカがついているタイプで、一個一個いちいち切ってます。常時稼働しているのは、冷蔵庫くらい?
 落とせるところは落として、まあ使いたいところにその分を回す、と。家計としては基本だと思うのですが、使いたいところに使えてない例もまあ、やっぱりあるみたいですね。困ったもんだ……。

 家計の単位のお金の話なら、まあ気楽なものなのですけれども。その範囲が地方自治体の規模にまで拡大してくると、なかなか万人が納得するような形を作っていくというのも難しいようです。各家庭にも収入と支出の額に差があるように、地方自治体の間でも、そういう差は結構にあるもので。東京都への一極集中という話はずっと言われていることですが、さて大阪都構想の行方やいかにといったところでしょうか。
 人も物もお金も、情報も、集まっているところへ更に集まっていくという傾向は似通ったものです。人の集まっているところには、お金や物の動きが生じるわけで、そこには経済活動が発生する。人の規模が多ければ多いほど、そこで発生する経済規模も大きくなるわけで、更にそこへ人も物もお金も、情報も集まっていきます。ただ、人も物もお金も国内に流通している量には限りがあるわけですから、どこかへ集まっていくということは、その分どこかからは減っていく。当たり前のことですね。
 地方自治体の権限を拡大する、地方分権だ、という声は上がってきてはいるのでしょうが、権限が増えるということは責任・義務も増えるということで。特に自治体の義務が増えるということは……世知辛い話ではありますが、義務の履行に伴うコストの増大、かかるお金が増える、ということでもあります。国でも自治体でも、収入というのは基本的に住民の税金であって、税金の大元というのは結局、経済活動になります。経済活動の鈍いところ、小さいところでは、税金も少なくなってしまって、国からの援助に頼る必要性が出てきてしまう……と。うっかりすると、破綻してしまう自治体も出てくるわけですね。
 まあでも、たくさんのお金を持った途端に、人が変わってしまう……なんて話もよく聞きます。政権を取った途端に、何だか前の与党と同じようになってしまった人達、なんてのもいるわけですし。とは言え、この間の震災において、首都圏は一時的に、電力供給の問題で相当な停滞を強いられました。そういう意味で、一極集中しすぎているのもまた、それはそれで怖いものがありますね。さてさて、大阪都の構想を、あちらの人達はどう受け止めるのか。ちょっとばかり、興味があります。

 ではでは。ひゅう、どろん。

ガス欠中

2011年10月29日 23時53分26秒 | Weblog
10月29日分。

 毎度。休みになったのは良いのですが、朝からずっと何かをやろうという気分が起こらずじまいで、終日転がって芋虫になっておりました。幽霊です。ぼちぼち季節の変わり目といったところですし、身体が一時的についてこなくなっているのかも。気がつかないうちにメンタルのダウン周期に入りつつあるという可能性もありますが、まあそれならそれで致し方なし。今月はちょいちょい動いたり、残業ラッシュだったりで、トータルで見ると疲れる一ヶ月でしたしね……。
 大半の時間を寝て過ごしていたような状態だったのですが、日付が変わる今くらいのタイミングになると、また普段通りに眠たくなるという不思議。んー、都合が良いのか、それだけ本人に自覚のないところで疲労が溜まっているのか。ダウン周期に入るとやたら睡眠に割く時間が長くなる傾向もあるのですが……うん、これはそろそろなのかも知れません。やれやれ。

 まあ、ネタも浮かばないので、この辺で切り上げます。ではでは。ひゅう、どろん。

意味など無い

2011年10月28日 23時44分57秒 | Weblog
10月28日分。

 毎度。仕事の帰りに後輩と食事して、本屋寄って漫画とラノベ一冊買って帰ってきて……ふと気がついたら一時間くらい寝ていたようで。幽霊です。親から電話がかかってきたんでおねんね中断になりましたが、その時点でやっと「あ、寝てた」と気がついた状態でした。まあ、スーツとワイシャツは脱いだ後だったんで、そこは問題なし。
 しかし、めっきり寒くなってきましたね。気温もだけれど、風が乾いていて冷たい感じ。そろそろインフルエンザも流行り始めているようで、その手の感染症の類を貰いやすい私としては、健康管理に気を遣わないといけなくなってきます。ぼちぼち、加湿器を出してくるべきかどうするか。まあとりあえず、前の部屋にいたときほどは、真冬でも寒さはきつくないことを期待しています。少なくとも、前の部屋よりは気密性が高い筈なので……。向こうの部屋、すきま風の音とかしてたからなぁ。ついでに、床がどうもコンクリ打ちっ放しの上に薄く敷いてあったくらいだったようで、やたら冷気が這い上がってくる感じだったし。さすが家賃四万。
 今も今で五万ですし、まあ相場より安いとは思いますが、やっぱり端々に些細な難点があることには違いなく。それでも、前に比べればかなりマシ。年間で考えればコスト的には十二万上がる計算ではありますが、幸いにして給料もそれを補ってくれる程度には上がってくれていたようなので、どうにかなります。月一万で前よりマシな健康状態を買えるのなら、大分メリットとしては大きいかも。
 ついでのぶっちゃけた話、私の給料では、あまりお高いところに住めるほどの余裕はありませんしねぇ……。手取りの三割というのがよく言われるところで、これに照らし合わせると、私の今の住処はちょうどその範囲内に収まってくれます。まだ若干余裕が残るくらい、かな? 女性はセキュリティであったりもっとこだわるところが多いでしょうから、なかなか選択肢が増えなくて難しいところはあるのかもしれませんね。うちは、前が割と世間から見れば厳しめの環境でしたから、平均的な内容の環境であれば大概天国ですが。

 さてはて、そんな上の与太話とは全然関係の無い話をば。ぼちぼち大学三年生の学生さん達は、就職活動を意識し始めるような頃合いでしょうか。私なんぞは動きが遅い方だったので、もう少し後になってから動き始めて、四年の夏の終わり頃まで行き先が決まらなくて胃の痛い思いをしたものですが……。早い人だと四年の春にはもう内定を貰っているわけで、周囲がそんな調子だとさすがに焦ってきますね。焦ったところで、どうにかなるものでもないのですが。
 よく、就活セミナーなどで「働く意味」なんて、綺麗なお題目を説教されることがありますが。私個人は、別にんな高尚なもんは無い、と思っています。まあ、生活費を稼ぐためという意味は確かにあるのですが、「自分の人生において働く意義とは」的な、哲学みたいに高等な意味というものは無いかな、と。あくまでも私個人はそう思うというだけではありますが、働く意義的な高等な、大上段のところを、働くという実感の分からない学生に言われてもなーとも思います。
 まあとりあえず、他人から与えられた「意義」や「理由」というのは、一時しのぎの借り物にしかなってくれません。私も私で、今の会社の入社面接の際になんやかんやキレイゴトをのたもうた筈ではありますが、何言ったかなんてなーんも覚えてません。結局の所、働いてみて初めて、ああまあ仕事ってのはこういうもんなんだなーという実感が湧いてくる。その上でようやっと、「じゃあ自分にとって働くってのはなんぞや?」ということを考えられるようになるのかな、と。
 その上での私の結論は、今のところ「んなもんはない」という、さっきの話になります。美しくもないし、立派でもないし、尊敬できる結論では全くもってありませんが、そんなもんです。そもそも、そんなご大層な意義だの哲学だの持って仕事してる人間が、どれだけいるのかしらねーと思うくらい。最上位にいる人達の中には、確かにそういうブレのない志を持った人も、間違いなくいるのでしょう。ただ、それはあくまでも本当に上の方にいる一握りの人達のことであって、一般ピーポーであるところの下々にいる私のような人間には、とうていマネの出来るものではないのです。出来が違うんだよ、人間としての。
 まあ、さっき、他人から与えられた意義や理由は、借り物にしかならないと書きました。が、それを本当に信じ続ければ、自分のものに出来ることも、確かにあります。ただ、それはあくまでもずっと繰り返し繰り返しそうし続けた結果、自分の中に染みついて飲み込めたからこそのもの。一朝一夕で出来るもんでもありません。とりあえず、下々の輩としては、目の前にあるもの、手の届くところにあるものから、ちみちみやっていくしかないんです。それが例え、「メシを食うにも金がいる」という程度の、びんぼ臭い理由であっても。
 それでも良いじゃない。だって、メシも食えなかったら、理想も夢もへったくれも無いんですもの。

 ではでは。ひゅう、どろん。

あら、頭がクリア

2011年10月27日 22時16分33秒 | Weblog
10月27日分。

 毎度。ここのところは連日の長文ブログと化しておりましたが、今日はどうやら、頭の中が透明になりすぎた感覚でして、これといってニュース記事など眺めてみても目に留まりません。幽霊です。書店で『GA』の最新刊を買って読んだ後だから、かと思います。この作品、結構前から読んでいるのですが、読んだ後は大抵、今のような状態になります。思考が水のようになって、透き通っていくのは良いのですが、代わりに手に残らないような。洗い流される感覚、でしょうか。
 うちのブログの場合、記事の傾向としてはごくごくうっすらと毒を含むタイプが多く、まあ思考の癖が基本的にやや斜め方向からになりやすいから、かと思います。ただ、ときたま洗い流されるようなものを見た後だと、毒気が抜けてしまうようで。まあ、一晩寝てしまえばまた元通りでしょうが、今日はどうやらこれだと使い物になりません。そんなときもある、ということで。
 この手の状況は、私の場合二通りあって。洗い流された後と、それからメンタルが落ちる周期に入ってからそれなりに沈んだときと。後者の場合は思考が「止まる」感覚なので、今とはまた別の感覚ととらえます。自転車のチェーンにでも例えてみると、前者は潤滑油を使いすぎてギアからも滑ってしまうような状態、後者はアブラ汚れがべったり付きすぎてギアが止まってしまうような状態、でしょうか。結局ギアが機能しないことには代わりがないのですが、状況はまるっきり違う、という。
 考え込みすぎたり、それが面倒になって思考を投げっぱなしたりということが多いので、たまにはこういう状態も悪くありませんね。

 ではでは。ひゅう、どろん。

うは、寒っ

2011年10月26日 20時07分11秒 | Weblog
10月26日分。

 毎度。昨日の時点で天気予報をネットで眺めながら、気温一気に下がるなーと頭では分かっていたのですが。いざ朝に出勤してみると、これがまたやっぱり寒い。幽霊です。息が白くなるほど寒いわけではないのですが、スーツのジャケットの上に、もう一枚薄手の上着を羽織っておくべきだったかなーとか、特に帰り道では思いました。日が落ちると、気温が下がりますしね。見越して上着も外干ししてはあったのですが、今日はまだ大丈夫かなーとタカをくくった結果がこれだよ。気温そのものより、風が冷たかった印象ではありました。
 私個人は歩き通勤だから、まだ多少なりとも着込めるとして。この先の季節でしんどいのは、自転車通勤している人かもしれません。震災以降、健康のためなどを意識してか、自転車通勤の人が増えたと聞きます。特にロードレーサー、もしくはロード型のクロスを使っている人などは、アレにもこもこ着込んで乗るというわけにもいかないでしょうしねぇ……。自転車通勤、冬を越したらもそっと減ってしまうのかもしれませんね。

 さて、そんな通勤の自転車なんて話を持ち出したのは、こっち側での話題につなげるためでありまして。まあその内にそうなるかな、と思ってはいたのですが、警察庁が自転車の規制強化に乗り出してきました。細かい中身については、リンクを張った記事をお読みいただくなり、更にそこから関連記事のリンクを辿っていっていただく方が正確かと思いますので、その辺りは割愛するとして。大雑把には、「自転車は車道走行」の原則を可能な限り徹底させる、という方針に切り替えるといったようなことになります。
 本来、自転車は車両に該当するものであり、原則としては車道を走るべきもの。ただし、車道を走行していると身の危険を感じるといったような場合などには、「例外として」歩道走行も一応認める、というのが本来のルールです。が、現状では「例外」の方が主で、原則である筈の車道走行の方がまれである、という状態になっています。これを改めさせて、自転車は原則通り車道を走りなさい、という形で指導を強化していく、ということでしょう。
 ……まあ正直なところ、私自身、一応はクロスバイクのユーザであり、立場的には自転車に味方したいところなのですが。実態を見ると、確かに歩道での自転車って、至極邪魔です。自転車が歩道を走る場合には、徐行し、かつ歩行者が優先であるということになっている筈なのですが、そういう意識で走行している人がどれだけいるか、疑問なくらい。さすがに、歩道を全速で突っ走るロードは見たことがありませんが、かなりの速度で歩行者を退かせる走り方をしている自転車は多数います。そういうのはごく一部と思いたいところなのですが、そのごく一部ほどイメージとして残りやすいのも事実です。ついでに言えば、速度はともかく、歩行者を退かせるような自転車ユーザがいるのも事実。
 こういう状況があって、私自身、今はあまり自転車に乗っていません。理由は単純、今住んでいる近辺が、あまり自転車で走りやすい環境ではないためです。歩道はそこそこ広いのですが、車道がその分でやや狭く、自転車が走れそうな測道があまりありません。車の交通量もそれなりというところなので、この状況では自転車で車道に出たくないしなーと。で、結局は毎朝二十分、毎夕二十分かけて、職場と部屋とを往復しています。まあ、このくらいの距離なら普通に歩けますから、通勤についての文句はないのですけれど……。ただ、自転車で走りやすい場所ではないな、と思うのは確か。
 今回の規制強化の方向性については、それもやむなしということで、賛成ではあります。ただ、即日徹底できる状況でもなかろうな、とも思います。すぐ明日から、自転車は(児童・高齢者などは別として)全部車道を走れと言われたなら、まず間違いなく事故多発になるでしょう。なぜなら、車道側に、自転車の通れるような場所がほとんど無いからです。測道が狭い、測道があまり手入れされていなくて走行に不向き、測道に違法駐車している車両が多くて車道中央に出ざるを得なくなり危険、そもそも測道自体無い……などなど。方向性は間違っていない、でもそれを徹底するにはインフラが全然整っていない、のだと思います。
 歩行者と自動車の分離は、一応ちゃんと出来ている。ただ、歩行者・自転車・自動車の三区分での分離という概念が無い状態で道路は整備されてきたので、今回の規制強化によって、自転車の通る場所がなおさらに無い。かくして、私にとっては自転車に乗れない日々がまた続くというわけです。……単に整備がめんどくさいとか、夏は暑いし冬は寒いしで乗りたくないとか、そんなことは思ってないんですからね? 思ってないんですからね? 大事なことなので二回言いました。余計怪しい気がするけど……。
 どーせ公共事業で金使うんなら、自転車道をがっちり整備してくれたら良いのになー。道路整備ってお金かかるわけですしねー。ああ、でもそうすると国内の車需要が落ちるんで、大企業様が怒りますねそうですね。

 ではでは。ひゅう、どろん。

その名前はねぇよ

2011年10月25日 20時03分03秒 | Weblog
10月25日分。

 毎度。割と定時そこそこくらいで職場から引き上げてこられたので、溜まっていた公共料金の支払いやら、通帳の記帳やら、ついでに家計簿の整理やらを一気に片付けて、とりあえず一息というところ。幽霊です。放置しておくとさっくり忘れてしまって、後で慌てるのがこの辺の事務手間ですね。会社でも似たようなことをやっている分、自宅でまたエクセルとにらめっこしていると、どーもデジャビュが。会社で電卓叩いて、部屋に戻ってきてからまた電卓叩いてるのかよ……。
 しかし、十月分の家計簿は内訳がある意味でひどい。支出の中身の大半が食費で、それ以外の支出が普段に比べて途中まで妙に少ないのです。まあ、月間で二回ほど出かけてわざと支出した部分があったので、その分を加味すると普段と大差ない水準にはなるのですが。原因は割と単純で、残業ラッシュと休日出勤まで喰らったせいで、月の前半から中盤までほとんど食費以外の支出が無かったため。つまりは、使ってる余裕が無いという状態で、休みになったら完全に寝てダウンしていたからですね。
 なんだかなぁ……とため息つきながら預金通帳を眺めてみれば、引っ越しの支出が絡んでいる割には、本人が思っていたより貯蓄に回っている分が多いことも判明。その辺は単に、本か、ごくたまに買うゲームか、その辺くらいしか支出の先が無いせいか。堅実に回ってしまうのは、まあもう性分でしょうね。

 えー、タイトルの件の話。まあ、多分タイトルでもう想像が付く方も多かろうかとは思いますが……。正味なところ、私個人は、野球に全然興味がありません。ルールは大まかには一応分かるつもりですが、選手名なんてさっぱり。どのチームの今の監督が誰なのか、それすらまるっきり分からないくらいの状態です。いや、本当にどの球団の監督が今誰なのか、一つも知らないのです。何せ、テレビ無い、新聞取らない、ネットでニュースは見るけどスポーツ関連部分はバッサリ見ない、と三拍子でやっておりますので。情報に触れる機会がゼロなのですね。
 ただ、職場で話題になっていれば耳にすることはあるわけですが……。うん、私でもこれはないと思うのですがどうか。まあ、どっかの会長の爺様に味方するわけでもありません。が、名前って、すごくイメージに直結するものであって、「横浜ベイスターズ」というイメージが、余計な単語が割り込むことで崩れてしまう気がします。ま、口頭で他人と話をするときには、その余分にくっついた部分を丸ごとカットして、旧来通りに呼べば良いのでしょうけれども。私の場合は、そも野球絡みで他人と会話することなんて無いから、気にする必要も無いか。
 名前の力というのは結構なもので、古来、人間は自分にとって恐怖になるようなものに名前をつけることで、「実体のないもの」から「存在するもの」へと落とし込んできました。それが例えば、日本的な意味合いでの神様であり、妖怪とかお化けとか、そういったものです。「鳴屋(やなり)」という妖怪が、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に載っていますが、これも要は、家が何かの拍子にぎしぎしと鳴るという現象に名前を与えることで、特定の妖怪として存在するものにイメージを切り替えた例でしょう。
 一方で、当たり前のことですが、名前というのは、人にとっても、その人の看板みたいなものです。これが変わるということは、かかっていた看板が変わってしまうわけで、他人からそれまで認識されていた名前が無くなるというのは結構な影響があります。私自身、実のところ中学だか高校時代だかで一度戸籍上の名字が変わっているため、これがまた本人も一苦労しました。学年の上がりに合わせて名字を戸籍上のものに切り替えたのですが、諸先生方はしょっちゅう旧姓で呼ぶし、私本人も新しい名字になかなか慣れず、自分でも書き間違えるわ、呼ばれても一瞬反応が遅れる(自分のことだとすぐには気がつかない)わで、まあもう……。
 加えて、本来の姓名は私にとって「公」の面を象徴する感覚で、反対の「私」の象徴となっているのがネット上でのHNです。どっちの名前を使っているかで、思考のパターンすら若干変わっているような気がするくらい。実際には、公的もしくは仕事的な思考を回しているときに本来の姓名を名乗るもので、私の場合は私的な付き合いがネット関連で多いため、「私」のときにHNを名乗っていることが圧倒的に多い。一人で休みに動いているときも「私」ではあるのですが、そっちのときは自分一人であるため、どっちの名前も使わない・呼ばれないから、イメージが付かないのですね。
 自分にとっても、周囲にとっても、名前というのは結構な力を持ちます。だからこそ、なんだかなぁ……という名前は避けたいものなのですけれども。きらきらネームとか勘弁してください、ホント。そういや、私自身の名前は、某詩人さんの下の名前を拝借したとのこと。ただし、下の名前全部を借りるのはおそれおおいということで、最後一文字がカットされてます。そのカットした部分に詩人さんのイイトコロが全部詰まっていたものか、名前を拝借した側はぜーんぜんな駄目人間でございますが。いやはや、いやはや。

 ではでは。ひゅう、どろん。

世の中動きは遅い

2011年10月24日 19時06分10秒 | Weblog
10月24日分。

 毎度。先週の後半二日を有給にして連発の休みにしたかと思えば、今日は今日で午後からグループ企業を集めてのばかでかい規模の講習会参加で、あまり職場におらん日が続きます。幽霊です。まあ、明日からは普段通りの出社なのですが。いつもだとあまり仕事関係で職場から出るということは無いのですが、今年はというか、ここ二ヶ月ばかり、少し外出機会が多いような気がします。今月は一個外部の講習に既に出ていましたし、来月ももう一回出る予定。もしかすると、十二月も一回出るかもしれません。全部講習関係というのが、まあまたアレですが……。
 やたらと講習会に出ているのは、それだけやたらと制度やらが変わるため、です。国際会計基準(IFRS)については、国内での強制適用の期限は先延ばしになりそうな気配ですが、任意適用については特に変更が無いようで。上の方が任意適用の間にやってしまおうという判断をするなら、別に強制適用前であっても下っ端はやらざるを得ないわけですね。既に大々的に動かし始めてしまった後なので、一旦それを止めてしまうとまた再起動に手間と金と時間がかかるから、という事情もありましょう。
 変わるのは、そこだけじゃないんだけどね……。地味なところで、企業が納める消費税の計算方法が若干変わります。企業が国と地方自治体に納める消費税というのは、お客さんから預かった分の消費税と、逆に他の企業に支払った分の消費税との差額です。預かり分マイナス支払分、ですね。売上にくっついて貰った分と、仕入にくっついて支払った分との差額、と言った方がいいのかしらん? でまあ、それらの内、仕入れにくっついて支払った分の消費税について、もっとちゃんと厳密にやりなさい、というルール改正になるわけでして。
 細かい話は面倒くさいので割愛しますが、興味があるという場合は「消費税・95%ルール」とでもグーグル先生で単語検索すれば、恐らく引っかかるものと思われます。コレ、真面目に対応しようとすると、システム面から大がかりに手を加えないといけない代物なので、インパクト大きいのですよねぇ。原則により近づける、という意味で理解はしているのですけれども。いやはや。

 さて、タイトルの話。うちの会社というのは、どっかの会社の子会社であります。で、うちにとっての親会社には、更に上に親会社がいるわけでして。つまり、うちは孫会社とか、そんな感じです。子会社の子会社。大元の大親会社は、国内国外にやーったらとグループ企業を持っているところでして、上でちまっと書いた「IFRS」という会計基準に切り替えよう、ということで色々講習会をやったり、検討会やったりしています。どこの大企業さんでも、同じように頭を悩ませていることでしょう。既に任意での先行適用に入っているところも、何社かあるはずですね。
 講習を聞いていて、眺めていて思うのは、図体がデカイと制度を変えるにもトロいんだよな、ということ。大型のタンカーなどを想像して貰えばいいと思うのですが、一度舵を切ってから船体全部が回りきるまでに、相当な時間がかかりますよね。回っている間にかかる力も相当なものになるし、機敏にはまず回れない。これとまるっきり同じことで、企業というものも、図体がでかくなると、小回りが全然利かなくなってきます。特にグループ企業を傘下にいくつも持っているようなところは、自分だけではなくて、下に付いている企業もみんな一緒に方向を変えさせないといけないので、すさまじい手間と労力を食うことになる。
 コストだって相当なものの筈で、今日の講習会だけでも、参加者と時間から考えたら、軽く何百万円のコストになるでしょう。資料の準備やら何やらを考えたら、千万の単位に達するかもしれません。たかだか数時間の講習会のため「だけ」に、です。一社だけ、自分のところだけ変えれば済むという話であっても、発案のための書類作成に根拠データ揃え、社内での根回し、上の方への根回し、それから稟議を取って決裁して……と、かなりの時間がかかります。途中でごねる人もいるものですしね。
 じゃあ、それを今度は数十社、数百社一気にやってくださいとなったら、どれだけの時間がかかるか? 当然のごとく、年単位での大プロジェクトになります。中には自前だけでは対処しきれなくなってしまう会社も出るでしょうから、そっちは上の方で抱えてかばわないといけなくなる。各社とも自分の所の事情が優先ですから、「一括でこうしろと言われても困る」というところも出てくる。出てこない筈がないのです。一つの企業グループというだけでも、これだけトロいわけですから、これが国なんて単位になったらどうなるか……。ま、何十年単位の尺度になりがちでしょうね。
 企業でも国でもそうですが、迅速に決定し、かつ迅速に実施されたということは、その裏側で相当数の不整合なり不満点が押し潰されたと見て間違いありません。もしくは、お題目的なものだけであって中身が無いか。総論賛成の各論反対は世の常で、人が二人いるだけで、今日の夕飯のおかずは何にするなんてことで、たまにもめるくらいですし。大号令を出したは良いけれど、中身がついてこなくて、上と下、右と左でやってることがてんでバラバラ、なんてのもよくある話。結局の所、本気で何かを動かそうとするのであれば、ある程度の時間を要することは覚悟すべきだ、ということでしょうね。
 短期間でドラスティックに、劇的に変わったというのは、人の記憶に残ります。革命だ、革新的だ、そうたたえられることもあるでしょう。ただ、劇薬というのは副作用も大きいもので、揺り返しも大きくなる。根治しようとするのなら、一朝一夕で片が付くものではない、という前提で考えないといけないということですね。

 ではでは。ひゅう、どろん。

あ、落ちたのか

2011年10月23日 20時15分29秒 | Weblog
10月23日分。

 毎度。金曜日に買ってきたCDを、ようやっと今になって聞き始めております。幽霊です。昔からあまりCDを買うことが少ない性分でしたが、ここ数年だと本当に滅多に買わなくなりました。なら借りて済ませているのかというと、そういうわけでもないという。ほとんどはもう、ネットからダウンロードしてきたものを聞いているか、ニコ動なりようつべなりで聞いてそれで済ませてしまう感じです。J-POPもK-POPもあらかた興味がないし、そういやメタル系もここ数年買わなくなったなぁ……。毎日、何かしらは聞いているのですけれども。
 一度気に入った曲をしばらく集中して聞き続け、飽きてきたら放置になって、また気に入ったものが出てくればそちらを集中して……というのがいつものパターンでして。どうしてもニコ動中心でネットを見て回るため、耳にする機会が多いのはゲーム系方面が多く、聞く物の過半数どころか七割八割はそちら方面になってしまいます。まあ、職場でも世間話でも、特定のドラマやらの話題は出ても、特定のアーティストの話や曲の話というのは出ませんし。別に有名どころを聞いていなくとも、困ることは無いというのが気楽です。
 一般方面にあまり行かないのには別の事情もありまして、要は自分の曲の好みが若干変だ、ということ。どうもゲームにどっぷり浸かっていた時期が長かったせいか、ゲームミュージック的な性格のものばかり好むようになってしまって、世間様で流行するものに興味が向かないのです……。ついでに、昔はまだテレビがあって、「カウントダウンTV」くらいはまだ見ていたので、その時々の最低限の流行くらいうっすら分かっていたつもり、なのですが。今となってはそれすら無く、かといって今更追うのも面倒くさい、という感覚。まあもう三十路前でもありますし、自分の好きな物を勝手に聞いてりゃいいじゃん、今更流行を追っかけるオッサンなんぞ痛いだけ、とも。南無三。
 そも、今だと特定の流行って、何かあるのでしょうか? AKB辺りは宣伝としてはあちこちで見かけますが、実際としてはどうなんだろう? そんなに上手いとは思わないのですが……。

 少し前から若干程度話題になっていたかと思いますが、ようやっとドイツの人工衛星がインド洋上で大気圏突入とのこと。しかし、どこに落ちるやらよーワカランという話を聞いたときには、「おいおい大丈夫か?」と、割と本気で心配したもので。つい数日前のニュースで、宇宙で最初の星の光を観測したなんてニュースがある一方で、自分のすぐ頭の上にあるものがどこに落ちるんだかもワカランのか、と。
 ウィキペディア先生を見てみるに、多少の功績を作ってくれた人工衛星ではあるようなのですが。運用を停止されてから既に十年以上経っているせいで、とっくの昔に制御不能状態であり、厳密にどこへ落ちるかが分からなくなっていたようです。いくらかでも制御している状態ならともかく、もう十年も放っておかれたままのやつだったので、んなもん厳密な計算なんぞできるかーとか、そんな感じでしょうね。
 この手の、軌道上に残って頭の上をぶんぶん飛び回っている宇宙ゴミの類のことを、「スペースデブリ」と言っています。極端な話、ネジ一本でも弾丸なんぞ比べものにならないスピードでぶっ飛んでいるので、直撃すればとんでもない威力になります。弾丸だと、今現在も使われているとある狙撃銃の、ぶっ放した直後の弾速が853メートル/毎秒だそうです。が、スペースデブリの場合、静止軌道で3000メートル/毎秒、低軌道だと7000~8000メートル/毎秒とのことで、桁が違います。飛んでくるものが一緒なら、当然のことながら、そのスピードの速い方が威力は上がるわけで、弾丸なんぞ目じゃないくらいにひどいことになるでしょう。
 さすがに、この軌道上を飛び交うゴミについては、何も手を打たないままではヤバイということで、直径が十センチ以上の危険物については、ちゃんと飛び交うルートが網羅されているそうです。ただ、それよりも小さいものについては、数が多すぎて把握しきれないようで。何しろ、先にも書いたとおりで、ネジ一本でもヤバイわけですが……そんな小さな物、軌道上で細々探せるかってーとそうもいかないでしょうしね。なお、スペースデブリについては、『プラネテス』という、そのものずばりで軌道上のゴミを回収するという題材のコミックスが既にあります。NHKでアニメ化もされた作品ですので、名前くらいは聞いたことがあるかも? そちらを見て頂けると、色々イメージがつかみやすいかも。
 頭の上のゴミも大問題ではありますが、そっちについては、今回のようなよほどの大物が落ちてこない限り、私たちの生活には直接の影響は滅多に起こりません。ただ、ゴミの問題は頭の上ばかりではないわけで……。私の住んでいる都内某市なぞ、市内の焼却場が処理限界で、周辺の市に頼んで一部やってもらっているとか、そんな有様のようですし。人間、どこにいってもゴミをばらまくばかりなのでしょうか……。

 ではでは。ひゅう、どろん。

PS4ソフト開発開始?

2011年10月22日 21時05分55秒 | Weblog
10月22日分。

 毎度。昨日の夜、諸々から帰ってきた後にかなりがっつり疲れていた感じだったので、予想はしていましたが。案の定、朝からほとんど何をするでもなく、ぐてーっと寝ておりました。幽霊です。ほぼ予想通りの状態だったので、特にそれで失敗したとも思いませんが。動けないなら動けないなりに、昨日買ってきた漫画やら本やらぱらぱらめくって読んでおりましたしね。鶴田謙二の新作も買ってきましたが、あの人『Forget me not』の続きとかどーなってんだろ? 割と楽しみにしているのですが……うーん、出ない、か?
 そも、ここを読んでいただいている方の中で、鶴田謙二を知っている人がどれだけいるものやら……。絵描きさんで漫画描きさんなのですが、根強いファンが一定数いるものの、超遅筆でも有名という人です。あまり一般方面での知名度は無さそうな気がしますが、もしかすると、何かの拍子にふっと見たことがある「かも」、というくらいでしょうか。ラノベや漫画をよく読む人でも、正味、鶴田謙二は中身・画風とも古風と思われそうですし、あまり積極的には手に取らないかも。
 まあ、本だの漫画だのは各人の好き嫌いがすごくハッキリ出るところなので、そこはしょうがないのでしょう。私自身、世間でよく売れているという本をこそ毛嫌いするという、困ったあまのじゃく気質がありますし。好みの幅はあちこちに飛んでいますが、嫌う幅も変なところに設定されている感じです。偏り上等、我が道を行く。本読みの類、マニアの類は、大概そういうものでしょう?

 タイトルの話。例によってネット記事より、ソニーの社内スタジオがプレイステーション4向けプロジェクトに着手かといったような記事を見つけました。まあまだ今年中にという状態でもないのでしょうが、こういった記事が出てくるということは、一応は後々にちゃんと出せそうな見通しが立ちました、くらいの状態にはなってきたのかしらん。一方で、Xboxの方も、最新ハードを先々出してくるよという話も、この記事にちまっとだけ載っていますね。
 そろそろ、ゲーム機、特に据え置きハード機というのは、ただゲームが出来るという物だけでは売れなくなってきているのかも知れません。PS3については、アレが出た当初、コレはタダのゲーム機ではありません、とかそんなことを宣伝されていたような気がします。ただ高性能で、描画能力の高いゲーム機……それだけでは、ぶっちゃけパソコンに負けてしまうわけですしね。最近ではさすがに伸びにかげりがありそうですが、Wiiはハードとしての性能ではPS3やXboxにかなり劣っていても、売れました。あれはあれで、ヘビィユーザよりもライトユーザを取り込む方に成功したからでしょうね。スタンスとしては、そもPS3などと並べるのが間違いか。
 美麗で現実と区別が付かないくらいのグラフィック、重厚な音響、処理落ちなど起こさない高速処理能力……。ゲームに求められてきたのは、ストーリーとかそちらの方面を除いて、ハードウェア依存の部分としてはこんなところだったのでしょう。が、そろそろ、それだけだと売り込める範囲が狭くなってしまった。何せ、ゲームという娯楽にお金と時間を割く人の中身が、変わってきているから。今年のゲームショウでは、モバゲーの企業ブースに人があふれた、なんてこともあったようですし。かくいう私自身、据え置きハード機は滅多に出してこなくなりました。そもそもXboxだけしか、今は据え置き機が手元にありませんしね、ここ数年。
 さてはて、そういう中で、「PS4」はどういう物として出てくるのでしょう。そこに、それなりの興味があります。恐らく、ライトユーザ向けの、機能を絞って価格を落とした物にはしてこないでしょうけれども。ただ、じゃあヘビィユーザ向けのハイエンド高価格機を出してきたら、売れるのか? それもそれで、難しい気がするのです。と言っても、意外と先週一週間あたりで集計すると、PS3も売れている様子。さすがに台数トップは3DSだそうですが、実はPSPよりもPS3の方が台数で少し上回って二位だとか。3DSは、そのほぼ倍を売ったようですけれども。……ってことは、今はPS3は売れてるわけか。え、Xboxの方? 今やほっとんど売れないってさ。
 さすがに、PS3も色々ソフトが揃ってきて、みんな買うようになったのかな? それとも、値下げが効いてきたんだろうか。うーん。

 ところで。今以上に、ゲームにグラフィックの向上を望みますか? 私個人は、既にもう、これ以上には向上させなくとも良いように思うのです。これ以上の向上となると、それってもう、ゲームという範疇よりも、現実の代理物という範囲に入ってきそうな気がして。今はまだ、これはゲームで、作り物で、現実とごっちゃになることはとりあえず無い。妄想はするけどさ……。そのくらいで、ちょうど良いんじゃないかなと思うのです。
 むしろ不満なのは、グラフィック以外のところになってくるでしょう。グラフィックは綺麗なんだけど、中身がスッカスカ……そんなゲーム、やりたくないよ? 予算をグラに取られてしまって、ストーリーが手抜きだ、なんて評価を受けてしまうゲーム、今でもあるんじゃないかしらん。そもそもデバッグが全然間に合ってないようなゲームとかは、論外ですけれどもね。あるんだよ、今でもそういうの……。
 と言ってもなぁ。私自身が一番最近に買ったゲームって、DSのソフトなのですよ。「世界樹の迷宮」の2と3を立て続けに買った、というくらい。プレイしたゲームということなら、その二つに追加して、「モンハンP3」が入るくらいか。ここ半年くらいでやったゲームが、その三つくらいしか無いのです。モバゲーはやらないし、ネトゲもしない。ゲーセンもあまり行かなくなったし、東方もやってない。そろそろもう、ゲームをどうこうとこんな風にだらだら書けるような最前線には、私もいないってことでしょうね。寂しいなぁ……。まあこれが年食ったってことなのかなぁ。

 ではでは。とりとめない感じですが。ひゅう、どろん。