黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

建設業経理事務士

2005年05月31日 21時27分42秒 | Weblog
5月31日分の日記という事で。

 え~、まあ一旦、●●考シリーズはお終いとしまして。とうとう明日から、私も経理部経理課への正式配属を迎えることになる訳です。もう明日は直接配属先の部署へ行けと言われていますが、まあ思いっきりアレです、経理部への実習に入ったときと同じ状態です。朝に部長さんの所へ行って、今日から宜しくお願いしますと頭を下げれば、後は大体なるようになるのでしょう。と言うか、既に自分がどこの席と机を使えば良いんだかも大体分かっていますし、さっさとそこへ座ってしまえば良いだけの話でして。緊張感も何もあったもんじゃないな~と思ったり。まあ、元々胃の弱いタイプなので、あんまり無駄に緊張せずに済むのはありがたい話です、はい。
 んで、経理に入るからには資格でも、ということで以前は日商簿記一級の勉強をしてはいたのですが。今は完全にサボり状態で勉強を放棄してしまっているので、そっちはもう無理ですねぇ……。その一方で、ちょいちょいと一週間ほど突っ込んだ建設業経理事務士の二級は最後の大問題一つがほとんど駄目な感じで、あともう二日もあれば絶対受かったのにな~と思っていたのですが。今日にネットでの合格発表がまずあって、たまたま会社に受験票を持って行き忘れてネットで確認し損ねていたのですが、寮に戻ってきて見てみたら、合格者の中に私の番号も載っていました。何かの間違いかと未だに疑ってますが。ひとまず、千葉の方の住所に、合格なら合格証書が、不合格なら不合格の通知が届くようになっているようなので、その結果を待ってから判断することにします。
 大抵の資格試験は、不合格の場合には音沙汰無しというものが多いのですが。この試験の場合は、有り難いことに落っこちていても通知してくれるようです。これならまあ、実家の方に不合格だったのか受かったのかがちゃんと届きますから、届いてから、ああ受かったんだな、もしくは落ちたんだなと分かります。他の試験もちゃんとそうやってくれると良いのですけれどねぇ。そう言えば、就活中にもこれと同じような愚痴を日記に書いたような記憶があります。就活でも大抵は、落ちた場合の連絡が一切無く、先の選考へ進む人にだけ連絡が行くようになっていました。お陰で、いつ電話が鳴るのか、いつ葉書が来るのか、いつメールが届くのかと胃を痛くしていたような。
 懐かしいなぁ……とふと思いつつ、でもそれを待っていたのは、まだ一年前ですらないのですよね。大体去年の九月末まで就活をしていた訳ですから、半年よりは経ったものの、まだ一年には遠いというくらいの頃合いな訳で。それなのに、もう随分と昔のことのように思えてしまうのは、歳をとったと言うことなのか、色々と変化が短期間にありすぎたせいなのか。正直、会社に入ってからまだ二ヶ月だというのはまだ信じられないこともないとして、内定を貰ってから随分ともう時間が経っているような感じがします。既に内定式の時のことなんて、ほとんど覚えていません。寮を見せて貰って、夜に皆で肉を食ったことくらいしか覚えてないのです。何故に食ったことだけは覚えているのやら……と苦笑いしてみたりもしますが。ヤレヤレ。

 まあ懐かしい想い出に浸っている場合ではなくて、というかそれ以前に浸るほどの想い出でもないか~という自分突っ込みもまあ脇に置いておいて。今日は研修の総まとめと言うことで、パワーポイントでスライドを作り、研修のまとめを発表しなさいということだったのですが。ぶっちゃけ、最初の一時間でスライド作成は昨日の予測通り本当に終わってしまいました。一人につき十分間が発表時間として与えられていましたが、スライドが一通り完成した時点で、こりゃ~五分で終わるだろうなと思っていたのですが。実際に発表してみたら、何と四分半で即終了。そりゃそうだろうなぁ、あの相当にそぎ落としてしまった内容じゃなぁ。
 私はあんまり発表をする意欲も無かったので、早々に終わらせてしまおうという気配が濃厚に出ていた悪寒も。他の三人は、最低でも六分前後、長い人で十一分半まで発表していましたから、際だって私が短い訳で。でもさ~、しょうがないじゃんさ~。研修といわれても、基本的なことしかやっていないか、もしくは何もしていないかのどちらかだけでしたので。今更に改めて、研修のことをまとめなさいと言われても……ぶっちゃけ困ります。ただ、そのまま率直に「何もねぇよ!」と逆ギレする訳にもいかないので、まあお茶に濁す形で四分半の発表をちゃっちゃと済ませた、という形になりました。早くも不良社員になりつつあるような気もしますが、まあ気にしちゃいけませんわね。
 そんな状態だったので、今日はほぼ一日中手持ちぶさたな状態で、しかも監視付きなので本も読めずにどうしろと言うんだと内心呟いておりました。まあ、こんな時間があるのは今日が最後でしょうし、今後は嫌でも時間が費やされていくことは目に見えています。特に経理ともなれば月末月初は死ねるほど忙しいでしょうし、決算期ともなればもう修羅場の真っ直中。そんな中では新入社員だろうが何だろうがお構いなしに、人手なら何でも良いとばかりに使われることになるでしょう。もしかすると来月からは、月末頃になると日記が止まるか、極端に短くなるような場合があるかも知れませんが。その時はまあ、ご容赦下さいということでお願いします。

 久々に最後は本の話。森博嗣の『S&Mシリーズ』は一旦、『有限と微少のパン』まででお終いとして、月曜日からは『東京異聞』を読み始めています。既にコミックス版を読んでいる作品なので、顛末は知っているのですが。今回のものはコミックスではなく、新潮文庫から出ている、小説版の『東京異聞』です。ちなみに、本当は『とうきょういぶん』ではなくて、『とうけいいぶん』が正しい読みですし。京の字とは少し違うのですが、変換を探すのが面倒なので手抜きしてます。最近はミステリものばかり読んでいたので、そのまま『東京異聞』もちょっと古い感じのミステリ、という感じで読んでいけます。
 ただ、新潮文庫から出ている本のためか、それとも文体が少し古風なせいなのか、読み進みが遅い遅い。二日かかってもまだ三分の一くらい残っているので、ようやっと明日でぴったり読み終わるくらいの塩梅かな~と思っています。まあ、そんなに急いで読む必要も無いし、ぼんやりと読み進めていくくらいでちょうど良いのでしょう。もっと積み本が残っているかと思えば、思いの外数が減ってきていて、残りが大体四冊だか五冊くらい。『S&Mシリーズ』を頂いたので、そちらを優先するためにしばらくは文庫本の購入をストップしていたためで、頂いた分を全部読み切ってしまったら、買い足しをしていなかったので残りが思いの外減っていたという状況です。
 本自体はまあコミックスを大量買いしていたのですが、そっちは一日二日もあればさっさと読み切ってしまう訳で、あまりコスト効率は良くないのですよねぇ。楽しむ分には良いのですが。あっと、そう言えば買っておいて読んでいないままのコミックスが、まだ二冊ほど残っておりました。週末にでも読んで、またレビューを追加できるかどうかと思っております。ついでに、西尾維新の『ネコソギラジカル』の中巻が六月に出るという話もありましたが、さてはてその通りに六月中に出てくるのかどうなのか。まあ今月に出るなら早々に買うでしょうし、来月ならば待って買うだけですが。待つ間を楽しむというのも、案外悪くないもんだと思いつつある今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか♪

〈今日も独り言〉
ところで、ここが〈今日の一言〉からタイトル変わってるの、気が付いてる人いるのか?(笑)

それでは。

通勤時間活用考

2005年05月30日 22時01分43秒 | Weblog
5月30日分の日記という事で。

 さて、今週もまた一週間が始まった訳で、しかも私の場合は明後日からはもう経理部経理課へ正式配属されるということもあって、またかなり忙しい一週間になりそうな悪寒です。他の新入社員面子三人もそれぞれに各々の部門へと散っていく訳で、今のように小学校の集団登下校の如くつるんで移動するというのも明日がほぼ最後になるでしょう。まあ、明後日の朝だけはまだ一緒に動いているかも知れませんが、それ以降はもう各員共に時間も場所も変わってきます。私達にとっては、むしろここからが本番になると言っても良いのでしょう。
 ところで、今日は社内のサービス部門の社員が最低限受けておくべき、社内資格とやらいうものの試験のために一日が充てられておりました。サービス部門の社員は直接にお客様の所へ行って、そこで作業なりをこなしてくるので、最低限社内資格を設けて、お客様に提供すべきサービスとマナーの質を確保しようというのが狙いなのだそうです。私は事務部門への配属が既に辞令として下っているので、完全に参考試験と言うことでついでに受けた形ですが、他の三人はまあそうもいかない訳でして。とは言うものの、基本的にはそんなに難しい試験を受けさせる訳でもなく、マナーの部分に関しては私も解ける範囲内のもの。技術に関する部分は私ではちょっと無理でしたが、多分そんなにレベルの高いものではなかった筈です。三人が全員受かったのかは、ぶっちゃけ知りません♪
 今日はそのための勉強時間として半日ほどが充てられていましたが、正直暇でした……。私は特に他の三人に比べると気楽でしたから、余計に暇でしたし。他の技術系三人にしても、かなり暇そうにしていました。まあ、つまりはその程度の難易度の試験であったということなのでしょう。んで、明日は明日で、研修の総まとめということでパワーポイントで感想やら何やらをまとめ、何人かの人事の方の前で発表をさせられるのだそうな。そうは言われてもねぇ……一体、何を発表しろというのやらねぇ。あまり何かしら、特に取り上げて述べるべきものも無かったような気がしますし、会社側もそんなに何かを期待している訳でもないのでしょうし。つまりは、まあ形式としてまとめをしなさいということになるようです。
 明日はほぼ一日中そのための準備と発表とに時間を割いているそうですが、最初の二時間で準備と発表まで終わりますから、さっさと帰らせて……。って、そんな訳にもさすがにいかないか。しかし、明らかに明日は相当な時間が余ります。実の所、今日も試験対策勉強なんぞろくにする必要性が無かったので、延々と暇を持て余して明日の発表のちまっとしたまとめみたいなものは出来てしまっています。後はもうちょいとだけいじって使えば、パワーポイントに叩き込んではいお終い。多分、その作業をするのにかかる時間は、多く見積もっても二時間でしょう。早ければ三十分。この明らかに余るであろう時間、本読んだら駄目ですか? まあ、勤務時間だもんなぁ、駄目だよなぁ。

 さて、ひとしきり今日明日の分の軽い愚痴を書き連ねた所で、会社に関わる所より、通勤時間の活用方法に関してでも考察してみようかと思います。土曜日がオフ考察、昨日が読書考察と来ましたので、またちょいとばかり分野を変えて通勤時間に関する考察でもしてみようかと思います。とは言え昨日一昨日よりは時間が少ないので、質は多少落ちるかとは思いますが、その辺りはご容赦下さいませということで一つ。ちなみに、通勤時間とだけ限定しなくとも、移動時間だとか、通学時間だとか、そこいら辺は幾らでも適用できる程度の内容ですので、通勤、会社に行くための時間だけという限定はあまりせずに進めていきます。
 あくまでも個人的な意見ではあるのですが、移動時間というのは一番無駄な時間だと思っています。誰かと一緒にゆっくり歩きながら話をするとか、移動があくまでも主目的ではなくついでの行為であるような場合はまあ例外として。通勤するために一時間とか二時間とかを移動だけに費やさねばならないという、この移動時間は、率直に言って至極無駄なものだと感じたりする訳で。一時間あればもう少し寝ていられますし、二時間早く起きなければいけないともなれば、なかなかシンドイものです。睡眠時間に充てることだけを考えずとも、一時間二時間あれば、色々と出来ることはあります。それを考えると、やっぱり一見して無駄だよなぁ、と。
 特に通勤の場合だと、移動時間において一番長く時間を取られるのは、やはり電車での移動時間になります。自転車や自動車で通っている場合はまあ例外として、今回の考察で主に扱うのは、電車での移動時間という解釈でこの先は読み進めていって下さい。で、私の場合はもはや言うまでもなく、通勤時間はほぼ読書に費やしています。他に一通り考えられる所としては、音楽を聴く、寝る、ぼ~っとするとかでしょうか。高校時代だと英単語を必死に覚えるとか年号を暗記するとか、要は短期的な試験勉強対策としてその時間を使っていた記憶もあります。ああ、後は普通に新聞を読むというのもありましたね。雑誌は本として扱うので、読書に含めるということで。
 いずれにしても仮に一日の通勤時間が片道一時間半、その内で電車に乗っている時間が一時間と仮定するならば。一日に往復で二時間、一週間に五日出勤するなら十時間の時間となります。二週間で二十時間、三週間で三十、一ヶ月を大まかに四週間と計算すれば、何と四十時間もの時間が出来上がる事になる訳で。一ヶ月でまるまる二日間分の時間を移動に費やしている、とはこれまた見事なまでに時間がかかっているものです。自分で計算してみてもちょっとびっくり、わ~お。この時間、無駄な時間だと先ほどの私の論調のように切って捨ててしまうことも出来るのですが、逆に言えば、二日分の時間が、ちょっと分散はしていますが、そこに存在しているとも言えます。

 少し前にNHKで取り上げていたことですが、そしてもしかするとこの日記でもその時に書いていたかも知れませんが、朝方の生活スタイルを構築して時間を活用する、という人達が増えているのだそうです。朝に早く起きて、会社に早く行くなり、そういった人達のために朝から開講している学校に行ったりして、時間を有効に使おうということだそうで。私が記憶している例だと、朝早くに会社へ行き、通勤時間と、それから会社に着いてから始業時間までの間に経営の専門書を一日に一冊読んで、その書評をメールマガジンとして配布するというもの。それから、朝早めに出勤して仕事を早く始め、代わりに定時に退社して子供の面倒を見るというものもありました。
 後者はちょっと今回の通勤時間の活用という主題からは外れていますが、前者はまさに今回の主題をそのまま地でいっている例かと思います。通勤時間を使って、本を読む、資格の勉強をする、なかなか良さげな活用法ではありませんか。もしくは、携帯ゲームを持ち込んで進めるとか。ゲームは一日一時間ともいいますが、ちょうど通勤時間というのはこの枠内で収めざるを得ない状況を作り出してくれます。通勤時間というのは、自分の住んでいる所の最寄り駅から、会社なり目的地の最寄り駅までと、必ず時間が決まっています。そういった意味では、限定された時間の中ですから、漫然と何かをするよりは集中力が増すのではないでしょうか。
 そう考えると、一ヶ月の内に、まるまる二日間が、しかも普段に比べて集中しやすい環境で提供されているという捉え方が出来ます。これを使わない手はありません。足りない睡眠時間の確保に使うというのも勿論選択肢の一つですが、これだけ集中しやすい環境を睡眠時間だけに充ててしまうのは、ちょっとばかし勿体ないとは思いませんか? 勉強したり、楽しんだり、この時間をそういった用途のために使ってみるのも良いのではないでしょうか。……とまあ何となく外見的にはよさげなことを書いてみますが、まあ実際には、私は乗り物の中では全然眠れないタチなので、結局は手持ちぶさたになって本でも読んでいるしかないという所があります。ついでに、それがずっと習慣として続いてきたので、今更に電車の中で本を読むなと言われる方がキツイ罠♪
 ついでに言えば、一時間の電車通勤の時間があったとしても、ずっと満員ラッシュに巻き込まれているような状態では何とも出来ません。この辺りがまた、通勤時間の有効活用というお題で思考を進める際に障害になる要素の一つとなる訳です。そのためにもオフピーク通勤を心がけてみましょう、とか言ってみたりはするのですが……実際の所、なかなか早起きするって難しいのですよねぇ。逆に後ろにずらすとなると会社に遅刻してしまうことも考えられる訳で、この辺りはフレックスタイム制を導入している会社でないと無理がありますね。ああ、本当に通勤時間に限らずですが、時間の活用って難しい……。なんつー結論だよと自分でも思いつつ、本日の日記はこれにて遁走~♪

〈今日も独り言〉
ん~、オフ考やら読書考に比べると、あんまり面白くないかな?(笑)

それでは。

読書考

2005年05月29日 20時32分36秒 | Weblog
5月29日分の日記という事で。

 昨日は、配属前最後の休日の内の一日使って、オフに行ってきた訳ですが。それに相対して、今日は一日ほぼずっと、寮の自室に引き籠もって本を読んでいました。たまに食事のために外へ出たり、ちょっとゲーセンへ寄って遊んだりはしていましたが、それ以外はほぼずっと、一日中本を片手にして過ごしていたようなものです。起きたのが大体十時半から十一時の間、その後はずっと、分厚い本を片手に、時折に寝っ転がって両手に持って読み続けていました。ある意味で、これは私のような人間にとっては最も好ましい一日の過ごし方。死んだように没頭できる一日でした。
 読んでいた本は、森博嗣『S&Mシリーズ』より、『有限と微少のパン』。頁数にして860、講談社の文庫版サイズとしては異例に分厚い代物になります。それを昼前から、途中何度かの中断を挟みながら、つい今さっきまで読み続けて、ようやっと読み切った所です。これでようやく、『S&Mシリーズ』の長編作品はお終いになります。まだ短編やら何やら残っているようですし、森博嗣作品はまだまだたくさんありますが、まあ一旦はここいらで中断して、他の積み本をまずは片付けていこうかなと思っている所です。先月に買った物、今月に買った物、それ以前に買ってまだ読んでいなかった物。読むべき物はまだまだ残っていますし、まだまだ私が目を通したことのない本はたくさんあります。むしろ、世の中にある本の全てを読み切ることなど、私にも、誰にも出来ないこと。言うなれば、私は私自身が本を読むことを止めない限り、一生読む本には困らないということになる筈ですね。
 ついでに、『有限と微少のパン』を読み切った余勢を駆って、更に昨日買った冬目景の最新作コミックス、『ハツカネズミの時間』を読み始めています。まあ、そちらの続きはこの日記を叩き終わった後でまた読み進めるとして、そして読後のレビューもまた後にアップすることにして。そもそもレビューは読み切らなければ出来ないのですから、まだ読み終わってもいない今の時点で、それを書くというのは不可能になりますね。それが出来ると言うことは、逆に言えば読む前から内容を大方知っていたか、ろくに読まずに書いたかのどちらかということ。私はまあそのどちらでもないので、順序を踏んでゆっくりと読んでから書くことにします。多分、今夜中か明日にはレビューも済んでいることとは思いますが。
 ようやく読み切った『有限と微少のパン』に関しては、再び相まみえることのかなった最後の天才に対して畏敬と焦がれる感覚を更に強めたということがあったにせよ、まあそれを延々と書き連ねてみても仕方がないので、そこは割愛。むしろ、私としてはやたらとお喋りな私がそれを敢えて無意味と断じて割愛したと言う所からして、どの程度まで強い情念を抱いたかを強調しておくに留めます。作中の言葉を借りるならば、言語化することで単純化されてしまう、のが惜しいということにでもしておいて下さい。私個人にとってはもう、それだけで充分すぎるほどのものであって、それ以上にもそれ以下にもしたくないというだけのことです。

 そこで今日の分の日記を全てお終いにして、さっさと『ハツカネズミの時間』を読む時間に充ててしまっても全くもって構わないのですが。まあ、毎回二千文字を超えるバカに長い日記がここのある意味での売りですし、昨日の日記のアップが大分遅れたという状況もあります。一種そのお詫びも兼ねて、昨日のオフ考に引き続いて、今日は読書に関する考察でもつらつらと書き連ねてみようかと思います。休日になると日記が長くなるか短くなるかの両極端になりつつあるような気もしますが、まあそれはそれで構わないだろうと自己完結してしまうことにして、読書に関する私的で多少極論的な考察でも始めてみようかと思います。
 まず、私にとって、つまりこのネット上、それからこのブログとサイト本体の上では「黎明」と名乗っている人物にとって、読書とは何か、という所でも考えてみましょう。これまでに何度も日記で公言してきたことではありますが、私にとって、読書というのは既に私自身の一部、もしくは大まかに言ってしまえば私自身そのものとも言えます。私が自分という人間を考察する際に「読書」という行為や概念、生活習慣、それら諸々をひっくるめた「読書」という一括りを無視することは絶対に出来ませんし、それはつまり、「読書」が私にとっては既に、私自身そのものであるという証明になります。こんな堅苦しい物言いをしなくても、自分が本を読んでいない日常というのは全然考えられませんし、何かあれば本が欲しいと思う自分が分かっていますから、そこからも私にとって読書というものが自分自身であるということになるでしょう。ああ、回りくどいこと。
 次、では読書というのは何を指すのか。「読書」を広辞苑で引けば、まず書物を読むこと、ということになるそうです。では、「書物」とは何か? 書物とは、文字や図画などを書き、または印刷して一冊に綴じたもの。本。書籍。図書。典籍。まあつまりは、世間一般には本を読むことを、読書という訳です。当たり前ですね。本を引くと、色々と意味は出てきますが、今回の場合に適用される意味合いとしては、書籍・書物のこと。書物のことは上で既に調べてあるので、二度手間はしません。これまたやたらと遠回しな話し方になっていますが、ここまでで何を言いたかったのかと言えば、読書という言葉が指し示す「本」とは、コミックスやノベルス、純文学、雑誌、画集、専門書、学術書……とにかく本の体裁をとっているもの全てになります。とにかくも、本を読むということが、読書ということ。
 世間一般では、読書と言われると、何やら小難しい専門書や学術書、あとは純文学辺りまでを読むということであると解釈されることが多い気がします。それはかなり狭い見方、もしくは本によって貴賤の差があるというような考え方なのではないか、と時折に思ったりします。そういう断りをわざわざ入れている時点で、私自身がそういう見方や考え方に縛られている証拠だという気もしますが、まあ今はそれは棚上げ。私が主に読むのは、コミックスとノベルス、後はミステリやらSFやらで、つまりは娯楽小説やら物語本やらばかりになります。学術書や専門書も読んでいた時期はありましたが、今は通勤時間の暇つぶしであったり、気分転換のために本を読むので、娯楽本や物語本の方が都合が良い訳ですね。
 読書というのは本を読むという「行為」そのものを示すのですが、人によってその目的はまるっきり異なり、様々です。例えば学ぶためであったり、日常では経験できないことを空想的にでも経験するためであったり、もしくは私のように端的に暇つぶしであったり。そんなパターン的に類型しなくとも、先に私自身が言った通りに読書の目的は人によって様々であり、千差万別でしょう。当初の目的とは違った意味合いで読書が進むということもしょっちゅうですし、暇つぶしのつもりで読んでいて学ぶこともあり、たまたま何となく本を手に取ったら思いの外のめり込んでしまうこともあります。
 で、長々となりましたが、ここの段では、読書というのは行為そのものを指し示すものであって、まずその目的を問うものではないということを結論としておきたいと思います。で、次の段に続く。

 ここからは、読書の目的ではなくて、意識のことでも考えてみようかと思います。私は今でこそ二日に一冊とかそういったペースで本を読み、月に書籍代として二万円以上を突っ込む一種の異常者になっていますが。こういったように読書するようになったのは小学校の四年生からで、しかも本を読むようになったきっかけは引越に伴う転校と、そこからの現実逃避でした。それまではあまり本を読む子供ではなかった、とは両親からの証言なので、まあ確かな所でしょう。それに、その頃より前に本を読んでいたというような記憶もありません。本当に小さい頃には両親が、例えば『ぐりとぐら』とか『百万回生きた猫』とかいった絵本を読ませていたようですが、それらも少し前にざっと眺め直して内容を覚えたという感じですし。少なくとも現実逃避という事情を持って本を読み始めるまでは、本を自発的に読もうという意識は存在しなかっただろうと思います。
 読書が長続きするとは、それが積極的であるにせよ、消極的なものであるにせよ、自分で本を読もうという意識があってこそのもので。しかも、それは快楽を伴っていることが一番望ましいものとなります。私自身何故に月に二万円も本に使うのかと言えば、それは勿論楽しいからであり、読書が快楽を伴っているからです。無論、読む本全てが快楽を与えてくれるとは限りませんし、自分にとってはつまらないなぁと思う本もありましたが。少なくとも、外部から強制された読書ほど、長続きしない読書もないでしょう。この最たるものが学校の宿題やら課題として出される読書感想文じゃあるまいか、と思ったりもします。読書の発端となる機会としては確かに良いのですが、どうにも子供に読書を「させよう」という感覚が……ちょっと好きになれません。
 ただ、読書に子供の関心を向けようというのが、なかなか難しい所ではあります。コミックスならば確かに子供の目には止まりやすいのですが、本はコミックスだけではないということを子供に知らせるのはなかなかに難しい。まあ、それ以前に、今は本が無くとも、もっと別のものが世の中にはたくさんあって、娯楽になるもの、快楽を与えてくれるものがそれこそ無数にあります。わざわざ本という古風な形式に囚われなくとも、得られるものはたくさんあります。と言うよりも、本でなければ得られないものというのは、既に無いのではないかとも思うくらいです。ゲーム、テレビ、映画、音楽、そして本にとって一番の大敵になるのが、インターネット。
 文字を読むという行為なら、ネットで出来ます。情報を集めるという行為も、日常では体験できないことを空想で体験するということも、時間を潰すということも、みんなネットで出来てしまう。そう考えると、本というのは紙の無駄でありインクの無駄であり、場所の無駄であるのではないか、つまり古くさくて時代遅れの代物なのではないかとすら思えてきます。実際に、会社に入ってから私の周囲を眺めてみたとき、会社の中でも本を読んでいる人というのはほとんどいません。少なくとも、私のようにやたらと本にばかり時間とお金を割いているような人は、いない。無論、会社では仕事が優先ですから、そんな余裕はないということなのかも知れませんが……。でも、学生で本を読んでいる人はあまりいませんし、社会人にもいない。これは間違いのないことで、コミックスを含めても読書をする人間というのは少ないという現実があります。
 あらら、ここまでの展開だと、読書というのは時代遅れの行為だという結論になってしまいますねぇ♪ そして実の所、私自身は、この結論を否定しません。時代や流行に乗るのが大嫌いな私がしがみついているくらいですから、やっぱり読書というのは古風で遅れているものなのだろう、とすら思うくらいだったりしますし。だからと言って、私はそれを悪いとも良いとも思いません。それを誇るとか、卑下するとか、そういうものでもありません。私にとっては、読書とは既に私自身そのものであって、否定するとか認めるとか、良いとか悪いとか、高いとか低いとか、そういうものでは無いのだから。ああ、こんな結論を出してしまうのであれば、ここまでの読書考というものは全て無意味になってしまうじゃないか、私。それに気が付いて、ちょっと苦笑いしてみます。

 珍しく、今日は四段落目まで延長してみます。昨日のオフで、ちまっとだけ話として出てきた言葉なのですが。「本読みというのは一種の病気だ」と誰かが言いました。私が言ったのかも知れませんし、東島様が言ったのかも知れません。多分、稲月様ではなかっただろうと思います。私でも東島様でも言いそうな言葉ですし、きっとどちらかが言ったら、その場にいた三人は「そう、その通り」と言って大爆笑した筈で、まず間違いなく昨日もそうなっていたことでしょう。いちいち私は自分が言った言葉やら笑った事やらを覚えていないので、断言は出来ませんが。きっとそうなっていたことでしょうし、本をたくさん読む人ならば、本読みは一種の病気だという言葉も、きっとジョークとして受け取って笑って下さることでしょう。
 本を読まない人から、「何でアンタはそんなに本ばっかり読むの?」と訊かれることがあります。というよりも、一種のお世辞やら当たり障りのない話題の導入としての意味合いもあるのでしょうが、こういった疑問を向けられることは、結構あるものです。そういった場合に、最近の私がよく返している言い方は、「煙草か酒かギャンブルと同じようなものだから」といった所です。私自身は煙草も酒もギャンブルもやりませんが、大体の人はどれか一つくらいは引っかかっているものですし、どれにも引っかからない人ならばきっと本を読んでいるんじゃないかと思うのです。でなければ、ゲームみたいなものと言っても良いのかも知れません。
 煙草を吸う人がよく言うには、煙草を吸うのはもう癖なのだ、と。ニコチン中毒のような場合もありますが、大抵は何かしらのタイミングで煙草をついつい癖として吸ってしまうのだそうです。何故お酒を飲むのかと私が誰かに聞けば、美味いから、気分転換になるから、つい習慣でといったような答えが返ってくるでしょう。ギャンブルに関しても、何となく止められないから、という答えが多いような気がします。ゲームも同じ。少なくとも私にとっては、そして「本読みは一種の病気だ」というジョークに笑ってくれる人にとっては、読書というのはそれらと全く同じ事になります。中毒であり癖であり習慣であり、気分転換のためであり面白いからであり、そして何となく止められないから読む。読書というと何か高尚なイメージを抱かれがちですが、要はそれだけなのです。
 電車の中、ふと手持ちぶさたになった半端な時間、気分転換をしたいタイミングになった時。そういった瞬間に、私は何となく鞄の前ポケットをごそごそ指先で探る動きをしてしまいます。これは、いつも本をそこに入れているから。無意識に煙草とライターを探してしまう動作だとか、接客のバイトの癖でついつい「いらっしゃいませ~」と言いそうになってしまうとか、美味そうな匂いがしたときにお腹がぐぅと鳴るとか、そういうものと一緒です。これのどこが、高尚で素晴らしい、人間性を高める行為だと言えるのか? 本の虫という言い方がありますが、要はこのあんまり宜しくなさそうなイメージが、そのまま読書の実態だと思うのです。少なくとも、私は、ですけれどね♪

〈今日も独り言〉
今日もまた長っ!?(笑)

それでは。

オフ考

2005年05月28日 00時31分39秒 | オフ
5月28日分の日記という事で。

 今日明日が正式配属前の最後の休日な訳ですが、その内の一日目をオフに費やしているというのは有意義なのかどうなのかと、一瞬だけ自分でも迷ってしまったりします。まあ、行っておいて今更に何言ってやがるんだと自分内部会議でバカ野郎発言が飛び出したので、この不毛な思考はここで一旦打ち止めにしておきます。と言う訳で気分を一転してまずは状況説明、某所チャット面子、稲月様と東島様が池袋で上遠野氏のサイン会に行くという話があったので、私も無理矢理そこに突っ込むことにしたという次第です。はい、状況説明お終い。この上なく簡潔ですね。
 集合時間が午後二時半、その前には池袋へ到達して、集合場所となっているジュンク堂へ移動。既に稲月様がいらっしゃっていたので、まず一人合流。それからちょっとして東島様も到着しましたが、私ら二人に気が付かずに店内へふらふら~っと入っていきそうになったので、慌てて呼び止めてみたりするのですが……。後で聞いた話、その時点ではお手洗いに行こうとして店内に入ろうとしたらしく、その後三人揃ってから一時間ほど延々とジュンク堂店内を巡って本を漁っていたのですが、やっとその一時間した頃に手洗いに行きたいと言い出す東島様。生理的欲求すら忘れるってのはど~よ、とは本人の談ですが、アンタ本当に私より年下なんですかいなと小一時間問い詰めたくなります。不健康すぎる……私以上がいてどうするよ。
 サイン会は三時からでしたが、かなり列が長かったので、そのために一時間ほど店内をぐるり回っていたのですが。その間に各人買う物が出てきて、稲月様はまだ三冊ほどでしたが、東島様は七冊ほど、私に至っては九冊という馬鹿げた冊数になっていたりして。『ガンスリンガーガール』五巻、『ジオブリーダーズ』十一巻、『ネギま』三巻四巻、『派遣戦士』二巻三巻、『ハツカネズミの時間』、後はアフタヌーンの古いコミックスを二巻目まで購入というのが内容で、全部コミックスか~いっ、と自分突っ込みしてみます。ちなみに総額で五千円近く、まあこんだけ買ったら何日かは保つかなとは思いつつ、コミックスじゃねぇ……。
 ちなみに、私はサイン会には興味がなかったので、お二人がサイン会で並んでいる間は退避。サイン会が終わった後で再合流して、後はぐだぐだと場所を移したりしつつ、延々と無駄話に終始しておりました。喋っていた時間にして、東島様がほぼ八割、私が一割五分、稲月様が五分というくらいの配分だったような気がします。私があんまり喋ってない割合に聞こえますが、私もまあ軽く煽ったり突っ込み入れたり爆笑したりと喉使ってるので、ちょっち喉痛いです♪ まあ、こういう相手ですから、だから面白いんだけどね、と。
 オフ中の小ネタとしては、献血のお願いのおいちゃんが、明らかに私ら三人に熱い視線を送りながらご協力をお願いしますコールをしてくれたとか。たまたま近くを通りがかった際、東島様の特有のでかくて高い声が耳に付いたんだろうとは思いますが。うちらの血なんぞ輸血したら、どんな病が伝染するか分かったもんじゃないですがね♪ オフは結局、集合二時半、解散七時前。大分早めの終了時刻でしたが、それでも笑い疲れてるってのはどういうハイペースなんだろうなぁ、と苦笑い。ああ、きっと明日は笑いすぎで喉と腹筋が痛いことでしょう。

 オフレポとしては上記の範疇で終了、以降はタイトル通り、ちまっとだけオフ会というものに関して考察してみます。世間一般から見て、ネット上で知り合った人と実際に会うというのは、あまり好感をもって受け入れられる事柄ではないようで。まあ、ここの所はネット絡み、そしてオフ絡みでの事件をマスコミが大々的にぶっ叩いたりしてくれていますから、当然悪印象が存在します。それに、ネット上で一定の会話があるとはいえ、実際に会ったことがある訳ではないので、相手が本当はどういう人間なのかが分からないじゃないか、という不信感もあって当たり前。私のように先月末から一ヶ月の間に四回も五回もオフやってるような人間は、世間様から見たら白い目で見られそうな悪寒もします。
 個人的な意見ではありますが、ネット上での知り合いも、ネット上での集まりの方向性によっては一定信用しても良いような気はしています。ただ、それは私が今は社会人で、オフに積極的に参加するようになった時期が大学に入ってからだということがまず一点。次に重要なのが、私が男性であるという所でしょう。それから、私がオフに出やすい一番の理由は、私の加わっている集まりの主要な目的が、いわゆる「出会い系」の類とはかけ離れているということです。私の動くネット上の集まりは、主にライトノベルやらコミックスやら、それらだけに限らずですが本に関わる集まりと表現するのがまあ一番広範に正解と言えそうな所です。話をしている内容それ自体は、本に限らず無駄話やら雑談やらが主体になりますけれど。
 その、私が加わっているネット上での集まりにおいても、やはり人間関係が元となる諍いはありましたし。そこから分裂騒動に発展したこともあります。私自身、それに巻き込まれましたし、それ以来一気に人格がひっくり返ったような所もありました。が、それでも、今でも私はオフに参加し続けますし、たまに気が向いたら自分が主催……というか集めるだけ集めて後はその場任せの放置な具合ですが、そういうことをしたりもします。その理由は単純明快で、面白いから。ただそれだけ。今の、人格がひっくり返った私の行動基準は、ネタになるかどうか、すなわち面白いかどうかというのが第一であって。後は仕事だとかお金のためだとか、生理的欲求であるとか、そういった所になります。他のことは、考えるのがメドイだけですから。
 ただ、誤解して欲しくないことは、ネットからの集まりだから怪しいものだ、というあまりにテンプレートというかステレオタイプというか、安直な理解はされたくないということ。確かにそういう集まりも無いとは言えないのかも知れませんが、それは別にネットに限らないことです。ネットという手段が便利であるからその道具として使われやすいだけであって、ネットとイコールにされてしまうのは悲しい所。逆に、ネットで出会う人は自分の近辺とは違う範囲の人でもありますから、そういった意味で「変人」に会える楽しみがあります。この辺は、大学と同じような感覚があるかも知れません。全国から人が集まってくる訳ですから、自分とはまるっきり違う傾向の人と出会えるかも知れない。出会う人全てが良い人ではないかも知れませんが、出会う人全てが悪人な訳では決してない。悪い面があるのは確かですが、良い面が多いからこそ、ネットはこれだけ普及したのでしょうから。

 私がオフで会った人の範囲は、中学生から三十代か四十代の社会人まで。男女混じって、学生に社会人にと広範囲な交友関係になります。一部年齢不詳な人もいらっしゃいますが、そこはそれ、一種のご愛敬とかワンポイントとかお茶目とか、そういうスパイスとして笑ってしまえるものです。ただまあ、相手から誤解されないように、自分の立場をハッキリさせておくというのはまず一手です。わざと一部ぼやかしておくというのも面白いのですが、それは致命的な問題に発展しないような範囲と箇所に留めておくのが無難な所です。ネット上は基本的に文字しか伝達手段が無いので、相手が誤解していたり、勝手に思いこんでいたりということもそれなりにあるもの。オフ会と聞いてまず世間一般で認識される不安感というものは、まずここに起因するものが多いような気がします。
 私の場合だと、既に私の加わる集まりの中では、私の立場やらどういった人間であるかといった辺りはとっくに周知されています。私自身が「男で会社員(三月までは大学生)」であるということを何度も公言していましたし、自分の持っているサイト上でもプロフィールの基本的な所は公開しています。こうした、誤解を防ぐための予防線を張っておくことが、ネット上で楽しむための基本的な防衛策であり、同時にマナーでもあるように思います。ネットの最大の利点は匿名性ではありますが、あまり匿名性を強調しすぎると相手からは疑われます。勿論匿名性を最大限に楽しむような場もありますし、私自身そういう場にたまに踏み込んで遊んでいることもあります。それも、ネットの楽しみ方の一つ。
 ただ、匿名性の高い所からのオフというのは、ちょっと私でも気が引ける所はあります。私がしょっちゅうオフに動いているのは、自分の加わっている集まりが安全であろうという一定の判断を下しているからこそ。安全性を確認した上での行動です。まあ、今となってはそんな小難しいことなど考えず、ネタになるからというただ一つの理由だけでてきとーに毎回参加していますが、それでも最初の数回は緊張もしましたし、大丈夫だろうかという不安もあった訳で。この辺は一種の慣れですし、それから何度か参加して「この集まりなら大丈夫だろう」という安全性の確認を取ったからこそ、ではあります。疑いすぎ、悪い点の強調のしすぎは問題がありますが、一方で安全の確認を怠ってはいけないということです。オフに限らず、何事においてもそうではありますけれど、ね。
 さてはて、話がやたらと長くなっていますが。ぼちぼち軽くまとめておくとすれば、私にとってオフとはネタであり面白いことであり、広がりの楽しみを眺めるためのものです。広がりとは会話の広がりであり、人間の交友の広がりであり、知識の広がりであり。本を起点とした集まりですから、互いに本の話をしたりしていけば、お勧めの本や最近読んだ本、これはどうだったこれは悪かったというような話も出てきます。会社やら近場の友人やらでは、本を読む人がまずそもそも少ないし、私と同じような分野の本を読んでいる人はもっと少なくなります。そういった意味でこの集まりは非常に貴重ですし、これはネットだからこそ集まった人達の輪です。リアル、オフラインでは絶対にこれだけの人数と幅を揃えることは、不可能だったでしょう。ネット上には当然デメリットも危険も存在してはいますが、それらを超えるメリットと楽しみとがあるのならば、それを活かしていける使い方を考えるのが良いのでしょう。

〈今日も独り言〉
長っ!?(笑)

それでは。

実習終わり

2005年05月27日 21時55分52秒 | Weblog
5月27日分の日記という事で。

 さて、今日をもって現場三部門への実習が全て終了となる訳ですが……。終わり間際になって、最後だからとその部門の大掃除とゆーか要らん物棄てる手伝いをさせられたりするのは、ある意味でお約束な展開です。要らない物というのはいつのまにやらたくさん溜まっているもので、よくもまあこれだけ色々出てくるものだと思うくらいに、山と出てくる辺りが不思議です。結局は台車を持ってきて、段ボールやらを積み上げて三往復ほど。何故にこんなもんまで入ってるんだという物まで含まれてましたが、まあそこいら辺は気にしたらイカンのでしょう。
 まあともかくもこれで実習はお終い、土日を挟んで月末二日は研修の総まとめ的なものをやって、六月一日からは各自各部門へと正式に配属されることになります。それに関しては今更に感慨も何も無いという辺りは既に昨日の日記で叩いた通りなので放っておくとして、何だか知らないけど最近やたらと一文が長くなったような気がしないこともないのですがまあそれも放置ということで。わざとやってんじゃないかとたまに自分でも思ったりしますが、単に文章を何も推敲もせんと叩くとこうなりやすいというだけの話です。すーだら叩くのが私の本領、これが素だってことですな。
 それにしても、実習終わって何か考える所があったのかといわれると、実の所何にもありません、正味な話をしてしまえば。終わったねぇ、うん、終わったねぇ。六月から配属だねぇ、そうねぇ、配属だねぇ。ただ単にそれだけで終わってしまうような、そういう気分と感想と状況。こんなもんかな~と淡々と日々を過ごしつつ、それでひとまず難も困ることも無く地味~に生きているのがいとをかし。後は何の山も谷も無く、本が読めて生活に困らない程度のお金が貰えれば、大体それで良いような気がしています。ああ、何か自分がどんどん虚無的になっていってる希ガス♪ 前々からか。

 たまには食い物の話。今現在住んでいる寮の、自炊環境に関しては、既にこれまでにも何度も何度も何度も何度も駄目だこりゃと書き連ねてきているので、今更に改めて書く必要性は無いとは思うのですが。恨み節ついでですから、もう一回書いておくことにします。まず、今の寮の部屋に、冷蔵庫を置いてません。共用の冷蔵庫があるからそっちでいいや、と既に冷蔵庫は人手に渡してありますし。次、電子レンジもありません。売っちゃいました♪ そして致命的なのが、火力不足。電熱線で鉄板暖めて、その上にナベ載っけるという非常に原始的な構造なので、火力なんて期待できません。てか、火力って何ですか? ってくらいの貧弱さでもう泣けてきます。
 冷蔵庫と電子レンジは共用の物があるし、電力費を払いたくないって~せこい理由で部屋には置いてません。まあこれだけなら自炊には大きく関わらない所なのですが、最後の火力不足は幾ら何でも条件としては悪すぎ。そんな訳で、結局はどうしてもお総菜か何かを買ってきて食べるか、外へ食べに行くかのどっちかしか選択肢が残らないことになります。食べないという選択肢もまあ無いではないのですが、そっちは社会人としては最後の選択肢にしておかないと、一日保ちません。食っても食っても三時間もすれば腹が鳴るというのは、以前と比べると随分燃費が悪化したようです。その割に体重が増えないのは、何故だ?
 まあそこいらの長い前置きは置いておくにして、私のようなずぼらさんは、食事にもあまり価値を見出しません。特に私なんぞは、食事なんてのは単なる餌で補給で食わないと死ぬから食うだけ、という極端な考え方をする場合が多くなります。大体毎日のメニューは一緒になりますし、飽きますが考えるのも面倒くさいからとそれで済ませることが大半。ただそれでも、ごく稀に飽きが来すぎて、ちょっとくらいは変化をつけてみようかという気分になることもあります。今日がたまたまそういう気分になった日だったらしく、珍しく新しいお店に行ってみようという気になりました。
 行ってみたのは、実習中に先輩社員の方から聞いた、中華料理のお店。中華料理とゆーても、ラーメンとか炒飯とか定食を扱う方面での中華料理店ですが。入ってみたら思いの外に混雑していて、取り敢えずそれでもギリギリ空いていた席に乱入。メニューもろくに知らんで行ったので、まずはメニューをぼけら~っと眺めてみてから、「ピーマンと肉炒め」とライスを注文。ちょっと高めになるかな~と計算していたのですが、料理が来て、食べていてから気が付くことが一つ。見た目より量多いぞこれ……と。少なそうに見えていたのですが、案外皿の上から減らないってのは何故だ。結果的に、値段に見合う味と量だったような気がします。たまには行くかも知れません、このお店。

 さて、最後は例によって、の本の話。明日に池袋へ行く用事があるので、ついでに冬目さんの最新刊と、『ジオブリーダーズ』の11巻と、後は『ネギま』の続きを中古で探してこようかな~と思っていたり。本来はあんまり『ネギま』のような物は好まないのですが、あそこまで極端にやられてしまうともう、完全に娯楽でネタと割り切って笑って楽しめます。ただ、それでも中古で探そうという所でまず考えてしまう辺りが、私の中での最低限の矜持みたいなものなのかも知れません。そんなもん、ドブに捨てちまえという気もしていますが。ネギまは巻数多いので、出来れば中古で漁っておきたいのですよね~。
 一方で話変わって、『数奇にして模型』は今日にさっさと半分以上までさくさく読み進んでしまいました。この分なら明日には読み切ってしまうでしょうから、とうとう日曜日には『有限と微少のパン』に突入することになるでしょう。最後の天才にもう一度ご登場願うとして、そうなると来週の月曜日からはまた溜まっている森博嗣以外の積み本を一気に攻略していくことになります。何やら気が付かないうちに溜まっていたので、ここ最近は文庫本を買わないようかなり控えていたのですが。その甲斐あって、コミックスが急増した以外は積み本は増えていません。でも、すぐ読み切れて積みにならないからってコミックスばっか増えたのはちょっとねぇ……。
 森博嗣以外の積み本減らしが始まれば、また文庫の方も増えていくことかとは思いますが。そうなってくると、やっぱり本棚をもう一つ増やさないと駄目だな~という思考に行き着きます。どうせ六月に寸志が出るはずなので、多少はお金が入ってくるはず。そこでまあ、小さめの本棚をもう一つ買い足して、既に溢れている分の連中をどうにか本棚に収めておきたい所です。ぶっちゃけて言えば資料本の類やら何やらを引っこ抜いて退かして、全部趣味の本の置き場にして開き直ってしまえば、もっと入るのですけれどね。参照度の低いものは、もういっそ退けてしまおうか……。

〈今日も独り言〉
給与明細がようやっと来ました。16万だってさ~……減るなぁ、やっぱ。

それでは。

配属先内定

2005年05月26日 21時27分05秒 | Weblog
5月26日分の日記という事で。

 ひとまず給料日は昨日に過ぎ去って、早くも一気にお金を預金口座から引き下ろしてきていた新入社員面子もいましたが、私自身は相も変わらず出費をケチる方向で変えず終いのままです。とゆーかそれ以前に、私ゃコスト計算やらを毎月一日から三十日、もしくは三十一日までで行っているので、給料振り込み分の加算は来月になってからなんじゃ~と一人で勝手に喚いてみたりする。大学時代にず~っと毎月八万でやってましたから、その時の癖が残っているだけなのでしょうけれど。そりゃ~まあ、四年間も同じ事やってれば、その方向で慣れてしまう訳ですね。
 んでまあ、この辺は昨日にも書いた通りなので以下略として、今日の業務終了後にようやっと配属先の内定告知を頂きました。新人四人の配属先が内定し、今日明日くらいで社内各所に通達、その後31日辺りに正式に配属命令が出て、六月一日からは各自の職場へ赴くことになります。私自身は当初から大体予想していた通り、経理部経理課への配属になるようです。会計課だと伝票関係や旅費精算関係での仕事になりますが、経理課となると決算や原価計算に関わる方面になります。ほぼ、入社時の条件とこちらの希望がそのまま通った形となりました。ひとまず、ちょっと安心してます。
 まあこれで、毎月の月末には地獄のようにすったもんだする日々が来月から始まることが確定した訳ですが、さてはてどうなりますことやら。経理課での机やらパソコンやらは、「何故か」既に用意されているような状態だったりします。何せちょっと前にあった経理課での実習の際、パソコンが無いと仕事の手伝いも出来ないということでパソコンやら何やらのセットがされていたのですが、そのまま後日また会計課の実習に一日だけ入ったとき、まだそのセットが残っていた訳で。片付けるのが面倒だからという理由で置いてある訳じゃなかろうし、こりゃ~結局はここに来ることになるんだろうな~とその時にぼんやりと思ったものでした。多分、その通りだったのでしょう。
 これで晴れて配属先も決まり、もう給料も二回貰って、来月からはまあ実務に突っ込むことになります。そこで心機一転何かしら思う所があるのかと思いきや、そんなものはまるっきり無いという。親からじゃなくて、完全に自分の給料で食う状態になったんだな~と少し思うくらいで、今更に改めて何かしら思う所というのはある訳も無いのですよねぇ。まあ、こんなもんかな~という例によって例の如くの無感動状態。これが今の私のデフォルトですし、これで安定してるならまあ、それで良いかな~と。経理課で上手くやっていけるのだろうか……なんて不安はこれっぽっちもなく、既に実習で会計課に三日、経理課に二日行ってるんだから変わらんという感じです。それで今更何か言えとかご感想はとか訊かれてもねぇ♪

 さてはて、それはともかくとして、現場に出ての実習はもう明日を残すのみとなりました。最終日一歩手前の今日は、浅草まで出向いて墨田区役所へ行ってきましたが。基本的にな~んもすることがないので、ホントに雑談に終始しておりました。飯の話、車の話、バイクの話、スキーの話、犬の話ととりとめもなく話があっちこっちに飛んでおりましたが、まあその辺は気にしちゃいけない。ああ、後はまだ自転車の話とかもありましたね。本当は監視カメラが不調だというのでその点検に行ってきた筈なのですが、私ら新人が何かできる訳もなく、結局はくっついていって、カメラを直している間は映像がちゃんとモニタに出るかどうかをひたすら待つ状態に。
 せっかく浅草まで来たのだし、お寺でも見て雷おこし買って……ってなことが出来る訳もなく、ついでに言えば私本人にもそういうことをする気があまり起こらずで、朝九時に現地へ行って、午後三時くらいに会社へ向けて戻り。四時半くらいに会社へ着いて、後は報告書をまとめたり何なりをしている内に、業務終了時間となりました。業務終了後に総務へちまっと呼び出されて、新人四人が久々に顔を合わせて、そして配属先内定の告知を受けて解散、と。まあこんだけスローペースで何もない状態は、さすがに研修中だけでしょうけれど。
 それにしてもまあ、研修中には随分とあちこちへ飛ばされたものです。埼玉行ったり茨城行ったり、何故か町田の山奥へ行ったり。どっかの区役所へ行ったり都庁へ行ったり、大学へ行ったり東証へ行ったり……。よくもまあこんだけ一ヶ月にばたばた飛び回ったものだと思いますが、普段の自分の引き籠もり具合じゃ絶対にあり得ないペースであちこち行ってます。お陰で交通費もバカにならない状態ですが、まあそちらは会社へ請求すれば良いだけなので問題は無し。ただ、まだ精算してない分が気が付いたら六千円に達しておりました。何じゃそりゃ~……急いで精算しないとマズイな、これは。
 これだけあちこちへ行って回っていたので、ぶっちゃけて言えば休日にはほとんど寮の自室に引き籠もってます。元からアウトドア型ではなくて典型的なまでのインドア型なので、毎日外に出ていた分を寮に引き籠もって相殺しているような形に。だもんで、ほとんどお金を使わないという状況が発生していました。他の新人三人との最大の差は、休日になった途端、私がまるっきり外へ出なくなるという所なのでしょう。外に出て何か買い物するとついつい一万くらい使ってしまう、とは新人誰かさんの言い分。一日に一万も使うなんて事は、私には滅多に無いのですよね……ううむ。
 ま、何はともあれ、素晴らしきかな引き籠もりな休日♪ 褒められた事じゃないんでしょうけどね、きっと。

 さて、やっぱり最後は本の話。今日からまた『S&Mシリーズ』より『数奇にして模型』に突入したのですが、今朝にまたちょっと間抜けというか馬鹿馬鹿しいと言うか一種シンジラレナイ事柄が起こりました。私は常に、本には自前のカバーを必ず着けるようにしているのですが、今日ばかりはそのカバーを取り付けることが出来ませんでした。何故かと言えば、本が分厚すぎてカバーが届かないという状況に陥ったから。ギリギリで無理矢理押し込めば届かないことは無かったのですが、それをやると本が傷みそうだったので、今回はまあ無理だと判断して、今は剥き身で鞄に入れてます。あんまりやりたくないんですけどね、こういうのは。
 ただ、もっと問題なのは、この『数奇にして模型』より、更にその次に来る最後の一冊『有限と微少のパン』の方が分厚いということ。清涼院流水だとか、もしくは京極夏彦とかじゃないんだからと突っ込みたくなるような厚みのある文庫なので、幾ら何でもこれは無理をしようが何だろうがカバーが絶対に届きません。こりゃどうしようかな~と今からちょっと悩む訳ですが、もうこうなったら休みを一日全部費やして読み切ってしまおうかどうしようかと考え始めてます。他の作家の作品でこれだけ分厚かったらやりませんが、でもなぁ……最後の天才にもう一度巡り会う訳だしなぁ。これならむしろ、一気に一日で読み切ってしまった方が楽しいだろうな~とか思ったりもします。
 そんな訳で、明日と明後日で『数奇にして模型』をどこまで読み進めることが出来るか次第で、状況は多少変わってくることになるでしょう。ただ、明日は実習最終日なのですがどうにも同行できる現場が無さそうなことを聞きましたし、明後日はまた出かける用事が入っていますから移動時間に本が読める筈。もしかしなくとも、あと二日間で読み切る可能性が出てきています。そうなった場合、日曜日を一日全て費やすくらいの感覚で、最後の天才の再登場を眺めているのもまた一興。最高の休日になってくれそうです♪

〈今日も独り言〉
寸志出たら、本棚小さいのもう一個買おうっと……。

それでは。

給料日

2005年05月25日 20時15分25秒 | Weblog
5月25日分の日記という事で。

 毎月25日はお楽しみの給料日と言うことで、ようやっと二回目の給料が振り込まれたようです。今日の帰り途中に銀行へ寄って残高照会をしてきましたが、ちゃんと預金口座に振り込まれている額が増えておりました。うんうん、ちゃんと給料が入ってるんだなぁ……。んで、給料が振り込まれているのは確認したのですが、ぶっちゃけて言ってしまえば幾ら振り込まれたのかがちゃんと把握できていなかったりして。給与明細を今日は結局貰い損ねてしまったので、厳密な金額が幾らだったのか、はよく分からないままなのです。まあ、昨日までより預金残高が増えているので、給料が振り込まれていることだけは分かるのですけれど。
 今は手持ちの現金と、普通預金に入れてある預金残高とを総合計した金額で毎日計算を続けているので、預金口座にお金が入れば一定どの程度増えたんだかは分かります。んが、実は預金口座が今二つ存在している状態で、かつ面倒だったので二つの預金口座の合計額しか出していなかったため、個々の口座の額までは把握できていない状態だったりして……うへぇ。つまり、昨日までの給料を振り込んで貰っている口座の残高と、今日に増えた分の残高とを比較して逆算する、という手が使えない訳です。前に残高照会したときの明細表を取っておけば良かったかな、と今更ながらにちまっと後悔してみたりもしてますが、まあそんなことを気にしても仕方がない、と。
 まあどうせ給与明細を貰えば分かることですし、給与明細は必ず回ってくる筈なので、まあ待っていれば良いのでしょう。今月から一気に税金やら何やらかかってくるので、給与額は先月分よりもかなり下がることになります。どのくらい差っ引かれたのかという点で興味はありますが、うげ~こんなに持って行かれるのかよ~とウンザリすること請け合いでしょう。まあそれでも、給料を自分で稼げる立場にはなったんだな~と今更になって少しだけ思ってみたりします。まだ何かしらまともに仕事してるとは言えないのですけれどね。

 更にもういっちょ、お金の話が続きます。会社でかかる交通費のお話。今現在は新入社員面子四人が二人ずつに分かれて、各現場部門へ実習に入りつつ、現場での仕事にくっついていって見学するような状態になっているのですが。ここで意外とバカにならないのが、交通費。後で精算すれば会社側からちゃんと支払われるものではあるのですが、これがまた思いの外に金を食います。今日もまた実習で外へ出ていたのですが、今日の場所だと何と片道だけで800円近くかかったりして。こういうそれなりにちっと遠い場所だったりすることもあれば、片道130円とかだったり、定期で行ける範囲だったりとその時その時ではあるのですが。
 今月これまでの分だけを加算してみても、既に八千円を超えるくらいの額になっていたりして。その内の三千円分くらいはとっくに精算してあるのですが、今溜まっている未精算分を計算してみたら、それだけでもまた五千円くらいになってしまう訳で。早い所精算しないと、交通費だけで結構困った出費額になってしまう罠。先月、今月とな~んでこんなに出費額が膨れ上がるんだろうな~と思っていたら、食費が増えたのはまあやむを得ないとして、この交通費での出費増加がかなり大きかったようです。戻ってきた分は差額で分かりますから、後できっちり修正かけてますが……。今現在の出費状況が訳分からんことにはなります。
 大学生時代から簡易な家計簿をMSエクセルでつけていたのですが、在学中は毎月の仕送り額が一定額だったので、それを上限として毎日使った額をマイナスしていき、月の終わりになったらその月の収支をプラマイで出して、また翌月初に仕送りの額を上限としてまたマイナスを始めるという方法でした。今も基本的にそれは変わっておらず、月初めに持っていた現金と預金残高の総額を上限として、また毎日に使った額をマイナスし続けていく方式になっています。給料日は毎月25日ですが、この時の給与振り込みによる増加額はその月の計算に入れず、その分は翌月初に初めて加算するという、収入の認識を先送りする方法を採ってる訳です。
 週に一回ずつくらいは、手持ちの現金総額と、それから銀行へ行って残高照会を行って確認した預金残高を総合計し直して、本当に合っているかどうかを照らし合わせもしていたり。コレが何故か、結構頻繁にずれていたりします。これまでの二ヶ月でも、二回ズレがでましたし……う~む。ただ、このズレも単なる計算ミスなのか、出費していたのを私がうっかり忘れていたのか、もしくは交通費が精算されたのかが分からなくなってしまうことも。二回のズレの内、一回は恐らく交通費の精算によるものでしょうし……。あ、ちなみに交通費の精算は給料の入る口座に振り込まれるので、生の現金としては戻ってこない訳です。よって、精算されても口座の残高を確認しないと分からない罠。
 そして、交通費の出費だけはこちらも随時記録に残して、ほぼその日の内に家計簿に入力して出費を認識してしまうので、結果としては精算されて戻ってくる分より出費の認識の方が大幅に早いということになります。これをやってしまうと、本来なら後から精算されて戻ってくる分の交通費までコストとして認識してしまうので、正確な費用額がよぅ分からんということになるのですよね~。ただ、個人的にはわざとこうやっている所はあります。交通費だけ別に計算してコストに加算しないという手もあるのですが、なるべく費用を多めに見積もることで、無駄遣いを避けようという心理もあったりして。人間、余裕があると思うと使ってしまうものですから……ねぇ?
 こういう個人の細かい現金の出納状況にしても、たまに合わなかったり混乱したりというのがある訳でして。これを会社単位で見なきゃイカンとなると、合わなくなるのもまあ当然と言えば当然なのですよねぇ。んで、私の恐らく配属されるであろう部門は、そういうのを毎月毎日やってるのですよね……。うへ~、メドイ♪

 お金の話ばかりだとアレなので、最後はやっぱり例によって本の話。ようやっと『S&Mシリーズ』の『今はもうない』を読み切りました。ちょっと時間がかかって三日ほど費やしての読破ですが、これで残るは二冊。そして最後の天才にもう一度巡り会うのは最終巻でのことですから、次の一冊を読み切ることが出来れば、待ち焦がれた最後の天才の姿を文字上でまた見ることになります。まあ、これまでこの日記上ではわざわざ遠回しに「最後の天才にもう一度」と連呼してますが、この辺はシリーズのあとがきやら何やらを見ていれば、誰のことを言っているのかはすぐに分かってしまう訳ですが。それでもわざわざこうやって遠回しにし続けているのは、珍しくそれだけ私が楽しみにその人物の再登場を待っているということ。
 私の本の読み方は、大抵において誰か一人二人の作中人物を気に入って、その人物を追いながら読んでいくようなものになります。今読んでいる『S&Mシリーズ』においてならば、まずは筆頭として犀川助教授を追いながら作品を読み続け、そして作品を今読み続けている最大にして唯一の理由は、最後の天才にもう一度会うため、ただそれだけになりつつあります。他の理由は特に必要も無く、ただそのたった一つの理由のためだけでも充分に読んでいられると思うから。誰かさんにその話をしたら、「見事に惚れたもんだね」と言われてしまいましたが、まさにその通り。恋愛感情絡みの「惚れる」ではなくて、むしろ「心酔する」とか「神格化する」って具合の方の「惚れる」ですが。
 ただ、私の場合、作中で気に入る人物というのは大抵において奇人変人の類ばかり。主人公やら中心人物を毛嫌いしつつ、むしろ敵役だったり端役だったりを気に入ってしまうこともよくあります。某電撃のシリーズであったことですが、途中から気に入った人物の出番が激減してしまって、あっさりと読む気を無くしたということもあったり。それがどの作品であったか、ということに関しては申し上げるつもりは御座いません。ええ、独逸製は優秀ですから。これだけで私が気に入っていたのが誰であったのか、そしてどの作品であったか分かる人は、もしかすると同じような感想を抱いている方なのかも知れませんね♪

〈今日も独り言〉
さ~て今日も日記お終い。明日は給与明細貰えるかしらん?

それでは。

なんとゆーか

2005年05月24日 22時00分49秒 | Weblog
5月24日分の日記という事で。

 何というか、あれです、自分がな~んもできんという状況は虚しいもんです。自分が何も出来んというのが最初から自分でも分かっているし、周囲もそれが分かっているから何も気にしないという状況……か~なり虚しいです。まあ新入社員だしなぁ……ついでに、私ゃ技術系じゃなくて典型的事務系だしなぁ。手伝えることがあれば勿論手伝いますが、そうでない場合、特に実習先で忙しそうにしている場合は、取り敢えず邪魔にならないように隅っこの方へ寄って座ってるくらいしかすることが無いのです。虚しいのはまだ良しとして、手持ちぶさたなのが一番困るのですよ、と。
 ってなわけで、今日はフィルム工場へ実習で行ってきました。カメラとかの、あのフィルムですね。フィルムを作る際、表面に傷やら薬剤の塗りむらやらが無いかを検査する機械をうちの会社が収めていて、その点検に同行した形となります。……で、行ったは良いのですが、たまたま今日はそれなりに忙しかったようで、くっついていった新入社員二人はほぼ見てるだけ。まあこれはこれでやむを得ないかとは思いつつ、これで給料貰うってのは何だかな~とも微妙に思ったり。貰える物は貰いますが。……ああ、そう言えば明日が給料日なのか、私も。二度目の給料になりますねぇ。
 給与明細は給料日の当日だか前日だかには貰えるのですが、今回は今日が給料日前日ですが会社に寄っていませんし、明日もまた現地へ直行してそのまま寮へ直帰してしまいますから、給与明細を貰い損ねになります。まあ明後日に貰えば良いのですが、正確な金額がよぅ分からん状態になってしまうのが困りもの。ひとまず給料が今すぐ入らなくてもまともに生活を維持できる程度のお金はありますから、正確な額が分からなくてもまあ生存には直接関係はありませんけれど。どのくらい預金残高が増えたのか、を見るのはそれなりに楽しみではあります。
 他の新入社員面子の話を聞くに、どうやら私の出費は他よりやたらと少ないようで……。既に給料をほぼ使い尽くして残り数千円という人もいるくらいでしたが、一方で私自身はまだ先月の給料の半分以上が残っている計算になります。なにせ、使い道が無いもんなぁ。食費が大体月に三万を少し超えるくらい、後は雑費というか日用品を買うので五千円に届くかどうか、それから本に大体二万円。それに会社絡みでの交通費やら何やらが結構かさんだり、ごく珍しく外でお金を使ったりもして。結局、先月で八万手前くらいまでの出費になりました。多分、今月も同じくらいでしょう、きっと。

 そう言えば、お金を貯めているのは良いのですが、一体私は何に使う気なんだろう……。酒は飲まない、タバコは吸わない、彼女もいないでは今現在においては使い道が何もありません。そもそも遊んだりするのが至極苦手な人間ですし、時間を潰すだけならば公園にでも行って他人の動きをぼけ~っと眺めているか、部屋で寝ているか、東方やるか、本を読むかで済みます。うわ~、これまた金使わね~。そういう時くらい少しは金を使えば良いようなものなのですが、どうにも使わない習慣が身に付いているようで、出来るだけ出費を避けようとする心理が自動的に機能してしまいます。
 本に関してだけは一定その心理を回避できますが、それでも中古本に偏り気味だったり、なるべく読まなさそうな本は買わないという状況にありますし。不要と判断した本は即座に古本屋へ売却してしまうという所も。結局、唯一出費を抑制しないつもりの本であっても、これです。食事関係は可能な限り余計な物は買わないようにしていますし、服はほぼ買うことが無い。アクセサリーの類は一切買いませんし、今はゲーム機ハードが何もないのでゲームも買わない。東方を年に一回買うくらいになるでしょう。……一体、私、何になら金使うんだろう。心底疑問です。
 別に車買うためとか、何か大きな買い物をするためとか、そういうためにお金を貯めている訳ではありません。会社の寮を出て早くアパート暮らしするための資金を貯めている……訳でも無かったり。車やら大きな買い物なんて毛頭する気はありませんし、寮には残れるなら長々と居座るつもりですし。唯一自転車をもっとまともなものに買い換えたいな~という思いはありますが、これも抑えてしまおうと思えば結構簡単に抑えてしまえる程度の欲求でしかありません。そして私の場合、この程度の欲求であれば大抵は黙殺して封殺してさっさと潰してしまいます。今ある自転車を、そのまま数年は使い続けることでしょう。
 一方で、電力費やらの節約に関しては、結構厳密にやっていることが多かったり。寮では各部屋に冷蔵庫や炊飯器、電子レンジを持ち込んでいる人が多いのですが、私はそれらを一切持ち込んでいません。電子レンジだけは持ってきていましたが、共用の物があるから必要ないやと、他の新入社員面子に売ってしまいました。寝る前には部屋のメインブレーカーを落としてしまうし、コンセントは一つ一つ元電源をスイッチで落とせる物を使用。だからさ、そこまでやって、一体何のために金を貯めているんだと自分で自分に訊きたくなります。
 ただ、それに対して自分がどう答えるかも、分かってはいるのです。そんなん知らん、何となくだ、ときっとそう答えることでしょう。それが一番、自分らしい答え方ですから。それとも、別に使い道がないから溜まるだけ、という回答かも知れません。どちらかで答えるか、両方をいっぺんに続けて言うのでしょう。

 最後。今朝のNHKニュースで見かけたネタを一つ。小学生を対象にして行った調査で、毎朝起床時の体温が36度台を下回っている子供が増えているのだそうです。普通は子供の内ならば36度台を保っているのが普通なのだそうですが、最近では起床時には35度台で、起床後もなかなか体温が上がってこない低体温の子供が多いのだとか。今や小学生のみならず幼稚園の子供でもこういった状況があるのだとかで、それなりに問題視されつつあるようです。
 こうした低体温は不規則な生活、特に遅くに寝たり遅くに起きたりという生活時間の大幅な乱れが原因になって起こりやすいそうです。私自身も実際、大学生活中は昼に起きた直後にはやたらと身体が寒気を感じやすかったもので、今にして思えば私も見事に低体温になっていたのではないかな~と思ったりします。現状では、私自身は会社勤めが始まったこともあって、生活時間は一気に改善されて規則的になりました。毎朝の目覚めもそんなに悪くはなくなりましたし、それ以上に毎朝の寒気はあまりなくなっています。
 低体温になると、問題として出てくるのは目覚めの悪さがありますが、それ以上に免疫力が低下するため、風邪やその他の病気をしやすくなるのだそうです。体温が一定に保たれているのは免疫が最も働きやすい温度を身体が作り出しているからである、という側面もあるだけに、この体温バランスが崩れてしまうと必然的に免疫力も落ちてしまう訳で。健康な生活を送るには、早寝早起きとまではいかないまでも、まあなるべく夜に寝て朝に起きる規則正しい生活をするのが吉ということになります。それから、三食きっちり食べること。まさに子供の頃に言われていたこと、そのまんまですね。

〈今日も独り言〉
コミックスのレビューがたまってるんだけど、書く気にならん罠~。

それでは。

降られた降られた

2005年05月23日 22時37分40秒 | Weblog
5月23日分の日記という事で。

 いやはや、今日は帰りがけになって酷い目に遭いました。東京でも強烈な通り雨があって、まさにそのタイミングで会社帰りにかちあたってしまったり。お陰でスーツはぐっしょりだわ、傘持ってなかったわ、しかも本がふやけるわで散々でした。あ~らら、この本は買い直しだな……こりゃ。まあそれはともかく、天気予報はしっかり見ておきましょうということですね。しかし、朝出がけにはむしろ晴れていたくらいなのになぁ……。この時期の天気は読めませんね、ホント。
 人が傘持ってないときに限って、こういう唐突な土砂降りをくらう訳でして。これはあれですか、神様からのいぢめですか? ですか? ああまあ、私は神様信じてませんけど。と言ってもキリスト教的な唯一絶対神的な神を信じていないという意味合いであって、八百万的な神様だったりは一定信仰している所がありますし、神社に行けば自然と手を合わせるくらいはします。どっちかっつーと信じるものは己のみって傾向がある輩ですし……あれ、自分なんて信用してたっけか、私? ああ、やっぱり自分なんて神様以上に信用できませんね。つまり、私は信じるものが無い、と。信じる者は救われる、ってことは信じない私は救われないな♪
 まあそれはともかく、ぼちぼち梅雨入りが近付いてきている感じです。通勤途中に紫陽花を見かけましたが、まだ花は咲いていないにしても、ぼちぼち葉の色も鮮やかな緑になってきていますし。沖縄の方では既に梅雨前線が発生しているようですし、もうじき六月になります。今日のようなにわか雨もしばらくは警戒しないとイカンようですし、何日かは傘を持ち歩いておいた方が良いのかも知れません。ちなみに今日のは雷雲に伴うにわか雨だったようなのですが、別段こちらの方では雷鳴りませんでしたねぇ……。まあ、停電くらっても不便なので、それはそれで良いのですが。
 そういえば昔は、雷がなるときゃーきゃー言いながら楽しんでいたような記憶もあります。その他去年辺りには、お葬式やら何やらのために母方の実家へ行っていたとき、夜中に至近距離に雷が落ちて、その音で叩き起こされたこともありました。窓硝子がびりびり振動するくらいの大音量でしたから、余程近くに落ちたのかも知れません。隣の部屋で寝ていた母親まで一緒になって起き出して、夜中に親子二人して顔を見合わせてしまいました。そういうこともある、ってな小話。ただ、親子二人が目を覚ましたのに、他の部屋で寝ていた祖母はまるっきり起きませんでしたとさ。どういう神経してるんだ、あの人は。

 さてはて、今日も現場実習で外へ出てきた訳ですが、今回は何とゴミ処理場だったりして……。うちの会社は監視カメラなんかも扱っていて、今実習に入っている部門はそういう系統を扱っている所な訳で。監視カメラというのは人が入りにくい所、人が常駐しにくい所に置く物であって、そういうカメラが故障したときにはなかなか大変な話になる、ということです。つまりはゴミ処理場とかに置いておくには、監視カメラというのはうってつけなのですね。
 で、高田馬場の本社を出てから、車で走ること一時間半くらい。ゴミ処理場に入った瞬間に、思わず顔を軽くしかめてしまったのは、まあやむを得ない所だったかと思います。まあ、何というか……さすがにねぇ? 入った途端に特徴的な、要はゴミ捨て場の匂いが濃密に漂ってくる訳ですから、顔をしかめずにいろという方が厳しい注文です。無理矢理表情を殺してしまえば出来ないことはないですが、表情は一緒でも内心ではどのみち顔をしかめているので、一緒っちゃ一緒。ただ、それでも十分もいればマヒしてきてしまって、あんまり気にならなくなるのが人間の不思議というやつです。
 こういう施設も当然、生活していくには必要な場所であって。むしろ我々が生活するからこそこういう場所が必要になる訳で、ここは自分達の生活の終着点の一つである、という考えが今になって浮かんできます。現場に行っている間はそこまで考えが至りませんでしたが、ここに集まってくるゴミの山は、誰が出したのかと言えば、結局は自分達なのですよね……。どれだけ表側で清潔な街並みを作ってみた所で、結果としてはやっぱり同じ所へ行き着いてしまうんだよな、と。
 ゴミと言えば、生ゴミなどをペレット化して、燃料などに使おうという試みがあったような気がします。ただ、これはいつぞやに爆発事故が起こったということもあって、それ以来あまり話を聞かなくなってしまいました。実際には研究はまだ進んでいるだろうとは思いますが、確かあの時はゴミのペレットの中に不純物がかなり混じっていた性で暴発した……のではなかったかな? ゴミをもう一度使おうというのは、なかなか難しい話です。今まともに機能しているリサイクルは、ペットボトルにビン缶、それから古新聞やらといった辺りでしょうか。この辺、なかなかに難しい課題ではあります。

 ラストに本の話を、例によって例の如く持ってこようかと思ったのですが。さすがに今日はあんまりネタが無い罠♪ 上でゴミの話を扱ったので、ついでに本のリサイクルというか古本の話でもちまっとしようかと思います。古本屋を利用するかどうかについては結構人によってまちまちで、他人が触った本なんて嫌、という人もいれば、私のように安く手に入るなら良しというような輩もいます。後は古本屋なんて行かずに図書館を活用する人もいますし、この辺りは本当に人によって千差万別。そもそも本なんて読まない買わないという人も多いのですけれど、と苦笑い一つ挟んでみます。
 私はしょっちゅう古本屋を活用しているクチなのですが、このやり方の難点は、作者さんにお金が一切入らないということだったり。本を読む人間がこれをやってしまうのは、ある意味で本末転倒という状況ではあるのですけれど……ね。とか何とか言っておきつつ、私が手持ちしている本の内で、ほぼ半数近くは古本ですし。不要になった本は古本屋へ売り払っていますから、古本屋の商売に売買両面で荷担してるんだよなぁ。この辺、自分でも多少思う所が無い訳ではないのですが、やむにやまれぬ財布の事情というやつはある訳でして。結局は、そこに行き着いてしまうのですよねぇ。
 今、街をあるけばそれなりに古本屋を見かけるようになりました。昔からあるような古書を扱っているような古本屋もあれば、本オフのように大規模な新古本屋もあります。私が主に利用しているのもやはり後者の方で、どうしてもこちらに傾斜してしまう訳で。最新刊ならば一般書店で買うのですが、ちょっと前の本になってしまうと、こういった新古本屋で探す方が見つかるというのも皮肉な話。中にはバーコードすらついてない本まで混じっているのだから、何が紛れ込んでいるやらという感じです。
 新古本屋に行かずとも、今は更にネット上から某大河なサイトへ行けばかなり簡単に本を注文できますし。かつ、届くのもまあ早い。あそこで頼むと色々トラブルがあったり、不評だったりする面もなきにしもあらずのようですが……。それでも、本屋のあまり無い所から本を買うには、あれに頼る他に手がないという現状もあります。東京やら都市圏に住んでいれば本屋に苦労することは少ないのですが、そうもいかない地域もやはりある訳でして。そういった意味合いでは、私のような人間は都心部でないと生活が出来ないのでしょうね。現代文明にどっぷりです……世間様の流行にはまるっきり興味も縁もない人間であったとしても。

〈今日も独り言〉
実習に連れて行ってくださった方、良い人でしたよ。
ただ、車の運転がちょっち怖い~(笑)

それでは。

何となくネギま

2005年05月22日 22時32分51秒 | Weblog
5月22日分の日記という事で。

 日曜日、休み、そして予定無しで暇ともなれば、やることと言えば東方です。……って、こういう思考にまずいたる時点で、私がどれだけブチ壊れているかというか廃人になっているかがよく分かる訳ですが。さすがに寝起きに東方なんてやるもんじゃないな~とか今更に思ったのは、内緒。実際やたらとミスを連発して、ぐぎゃーだのうぎゃーだのわはーだのと喚くハメになりました。いやはや、悲しいくらいにミス連発で、もう散々。どーにか永夜抄のハードを結界コンビでクリアできたくらいのもので、紅魔境エキストラはそして誰もいなくなるのかで撃沈、ゆかりん相手は生と死の境で撃沈されました。そこまで行くにも苦労しましたしねぇ……。
 そういえば、最近にまた東方のアレンジCDを買って、その曲を適当にずっと流していたのですが。その中に、曲タイトルには一切出ていなかったのですが、対八雲紫戦の高音BGMことネクロファンタジアが含まれておりました。まるっきり違う曲に紛れ込んでいたので、最初はまるっきり気が付いておりませんでしたが。別作業をしていて曲を流れるままに放置していたら、いつの間にかネクロファンタジアが流れていてちょっと驚いたり。今はその曲タイトルだけきっちり覚えておいて、ネクロが流れるタイミングになるまで早送りして聴いております。何げに良い感じのアレンジなのですよ、このネクロ。
 一曲だけネクロファンタジアのアレンジ曲は別に持っていたのですが、そっちはかなりキンキン音が来るので、聴いていて疲れてしまうという難点があります。大元の曲がそもそもかなり疲れる曲なのでやむを得ない所ではあるのですが、これを更にトランス風味にやるというアレンジだったので、聴いていて壮絶に疲れます。んで、今回発見したアレンジの方だと、大分聴きやすいアレンジがなされているようで、ありがたい話です。妖々夢でしょっちゅうゆかりんに挑むようになってから、ネクロもよく耳に馴染むようになったので、何となくたまに聴きたくなるのですよね~。
 大抵、東方で気に入る曲というのは苦戦させられた相手のものが多く、ついでにやっぱり後半の相手である場合が多かったり。作者側、というか神主様も後半のボス戦の方が力入ってる訳で……。「優雅に咲かせ、墨染めの桜」とか「恋色マスタースパーク」とか、「亡き王女のためのセプテット」とか、「ネクロファンタジア」とか、「竹取飛翔」とか、珍しく前半の方で「プレインエイジア」とか。どの曲にしても、苦戦の記憶が生々しいです……はい。幽々子様は最初に対面した東方ラスボスですし、魔理沙の星には酷い目に遭わされましたし、レミリア様は未だにクリア安定しないし。ゆかりんは言うに及ばず死ねるし、輝夜に行き着くまでが長いし。そして慧音も最初の頃はよく叩き落とされました。うんうん、懐かしい記憶……じゃないよ、今でもキツイよ……。

 ネタが無いので、自転車の話でもしてみます。今住んでいる所は、一応東京都ではあるのですが結構西の方の僻地で、近所の歩いて数分という範囲内にあんまりお店が無かったり。だもんで、基本的な移動手段は車かバイクか自転車かバス、というものになってきます。何せ最寄り駅に行くにも歩いたら十数分かかるもので、ここは本当に東京都かと首を傾げたくなります。ただ、毎朝通勤の時は歩いているのですけれどね……駐輪場が毎朝混み合っているのを知ってるので。自転車で少し速めに動けたとしても、駐輪場で停めるスペースを探している内に徒歩でも追いついてしまう感じです。実際、今新入社員面子が二人自転車、二人徒歩ですが、あんまし変わりませんし。
 ただ、そういう状態であっても、通勤以外の用途で自転車は必要になります。特に休日の近所での移動には自転車必須で、車よりも更に小回りが利くという所に置いて、自転車がここでは一番便利な道具だったり。原付とかバイクって手もありますが、私ゃバイクの免許は持っていませんし、ガソリン代がかかったり税金かかったりする分のランニングコストが邪魔になります。そういう面でも自転車ってのは効率的な足になってくれるんだな~、とか買ってみて改めて思ったり。今は無印良品の無変速な自転車使ってます。何とカゴも無し。
 昔はMTBを乗り回していたのですが、今回はちっと購入コストの都合でこういうチョイスになった訳でして。本当ならもっとお金をかけて、フレームの中央部分にサスペンションの入っているまともなMTBを買いたい所ではあります。ただ、そういうのは最低でも四万五万はするわけで、ちっとキツイ。ついでに、もう既に無印の自転車を動かしてしまっているだけに、今更又もう一台買うというのも微妙な気分になれますし。結局は、今使っているあれを二年くらいは使い潰すことになりそうです。まあ、そういう自制も含めて、無印の一万二千円という微妙な価格帯にした訳ですが……と。
 道がしこたま悪いので、正直言ってもうちょっと奮発してサス付きの自転車にするべきだったか、と今更に後悔したりはしてます。ただ、あんまりかっ飛ばしすぎると、ここいらは人も車もマナーが悪いというか道が狭いので、えらいことになりかねません。その辺を考えると、今の自転車のスピードでも構わないと言えば構わないのですが……。たまに真っ直ぐな道があって距離があったりすると、もうちょっと思いっきり飛ばしてガンガン走りたいと思うことも。この間にハンズに行ったとき、ついつい自転車のフロアでしばらく恍惚としてたのは秘密……。

 最後、例によって以下略。昨日の古本屋へもう一度行って、スケッチブックの二巻目を買い込んできました。そしてそのついでに、何故か気が迷ったらしく、『ネギま』を買ってみたりして。少し前に『ラブひな』を持っていた時期はあったのですが、大体同じだろうな~と思って買わずにいたり。ただ、ここ最近にアニメ化されたり何だったりで話題にはなっているので、ついでだからと買ってみました。中身は……ええ、もう、何というか、語るに及ばずというやつです。赤松さんらしいっちゃらしいのですが、数多すぎってか覚え切れねえってか作者もちゃんと覚えてるのか疑わしいと突っ込んでみて良いでしょうか? そんな感じです。
 ひとまず二巻目まではやっぱり中古で漁ってみたのですが、まあ外れなく確かに笑えます。一種もう、こういうのも分野というか分類としてありになってしまうんだろうな~、という所。これやら『ラブひな』やら『藍より青し』に限らず、要はハーレム系のお話というのはあちこちに転がっているもので。キャラの顔さえすげ替えてしまえば、結構簡単に作れてしまうのですよね……これ。それが長続きするかどうか、という問題点はありますが、パターン化してしまえば結構続いてしまうもの。
 で、ネギまを読んだら急に眠たくなったので、そのまま昼寝をしておりました。別にネギまがつまらなかったからではなくて、休日になると身体のテンションが一気に落ちるためですが。もうちょっと別の本も読もうかと思ったのですが、まあお楽しみは後にとっておけば良いということで。『S&Mシリーズ』も残り三冊、最後の天才にもう一度まみえるまで、もう少しです。多分、今月末か来月の頭には……きっと。そこまで行き着いてしまうのが、待ち遠しいような、勿体ないような。そんな気分です。

〈今日も独り言〉
旋光の輪舞やってたら、対人乱入食らったYO!
見事に負けたYO!
それはともかく、コマンド技使わんでも、それなりに良い勝負できるのがねぇ……。
ちなみに、ミカBを使ってました。

それでは。