黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

今年の読書はどうかいな

2006年12月31日 16時54分10秒 | Weblog
12月31日分。

 あい、大晦日で御座います。この後に実家へ帰るわけですが、その前にかっちり今日の分までは終わらせていくというこの律儀さ。まあやっておかないと気になってくるから、ってだけの話ではありますが、自己満足におつきあいあれ。とはいえ、昨日の分と一昨日の分とであらかたネタを使い果たしたので、んじゃあこれまでに今年読んできた本をひっくり返してみようじゃないかってぇことで一つ行ってみませう。
 本がらみといえば、レビューをサイト本体から切り離して、ブログの方で完全に独立される形式にしたのが今年の五月くらいの話。レビューがあの時点でも二百を超えていたので、結構これがまた大変たいへん。よくまあどうにか全部持って行けたものだけれども。ここんとこは、コミックスのレビューは追加が少なくてどーにもこーにも。

 文庫の方から考えてみると、特に変化として大きかったのはエッセイ方面にも手を伸ばし始めたことか。渋澤龍彦、椎名誠、中島らも、それに一番大きいのが森博嗣のエッセイに手を出してきていること。幻冬舎の一年分まとめたあのぶあっついやつはまだ揃っていない……店頭に無いってばあれ。森ログアカデミーは出る度にさっさと買い集めて読み終えていく。三ヶ月に一冊ずつくらいのペースになるから、これから何年かは毎年に森博嗣のエッセイが四冊ずつは増えていく訳か。ふーむ。
 追加していったレビューを眺めてみると、ハヤカワ文庫系統の追加がかなり多かったような気がする。特にあまり昔は手を出さなかったような、ハヤカワ文庫SFと、ハヤカワ文庫NFの追加が多い。NFの方ではアシモフの科学エッセイであるとか、ワンダフル・ライフであるとか。今後この辺りはまだまだ増えるだろう。ワンダフル・ライフのグールドが書いた本がまだNFから出ていて、こっちもそのうちに読んでみたいなぁと思いつつ、またこれも厚いのが面倒な……。ううむ。
 顕著なのがハヤカワ文庫SFの増加。こっちまで手を出してきたとなると、それこそもう物好きの領域にどっぷりだってことだよなーと今更に思う。色々勧めてもらってきた内に、本屋へ行くたびに海外SFも何か勘の働きそうな物が無いかと見るようになった。つい昨日に読み終わったイーガンであるとか、ティプトリーも探してみたいし、かなり前に聞いた『渇きの海』も読んでみたい。『時計仕掛けのオレンジ』であるとか、『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』とかも。きりがないな、こりゃ。金と時間がどうにも足りなくて困るけれども。SF方面は別に海外に限ったことでもなくて、国内の、ハヤカワJAもぼつぼつと増えている。大概は神林長平が多いけれども。今日からこの神林の『魂の駆動体』を読み始めるつもりだが、神林作品もちょいちょいと集めていったものかねぇと考えているところ。
 もう一つ増加傾向で顕著なのは、ちくま文庫の本が増えてきていること。単価が高いんでなかなか難しいところではあるけれども、うまく自分の興味対象に合った物、自分のレベルに合った物を見つけ出せれば良書が多い所でもある。昔に比べれば、やっぱりあっちこっちへ飛ぶようになったもんだなぁと思いつつ。また民俗学方面に戻ってみるのも良いかもしれない。何冊か興味のあるものもあるのだし。
 とりあえず、現状で購入しようかと検討している物は、『祈りの海』『オトナ語の謎』『時計仕掛けのオレンジ』辺りが最有力で、後はここまでにちまちま書いた物を思い出したときに買っていく感じだろう。買う本が無くて困る、という状況はまだしばらくは無さそうで、一安心なのかどうなのか。本の虫な状態は、まだまだ続くというか悪化するというわけだ。

 コミックスの方を考えてみると、レビューの追加速度はやたらと遅くなってしまっているけれど、この元凶は集めているシリーズが増えすぎてきていることであって、シリーズの新刊を買い集めるだけでコストが限界近いため。基本的には文庫の方を重視して読んでいきたいわけで、かつ電車の中で読むにもコミックスではすぐに終わってしまうから効率が悪い。結局、ちょっと新しいのに手を出すのを敬遠しがちになってしまった模様。
 それでも、大和田秀樹作品に手を出してみたり、同じ角川ならば『月姫』も買ってみたり。少し古いけれども『蒸気探偵団』やら『ビッグオー』に手を出してみたり。加えて、『皇国の守護者』を買ってみてこりゃいいなーと思ったりとか、全く追加をしていないという訳ではない。……あれ、何故かまだレビューに皇国の守護者が載っていない……何故だ。まあ今日はもうあまり時間が無くなってきているので、追加は来年になってからということになるだろう。
 今年は『宵闇眩燈草紙』も終わってしまったし、『ヨコハマ買い出し紀行』も終わってしまったしで、ちょっと寂しい。終わってしまったといえば、上の文庫のところで書き忘れたけれども、『戯言シリーズ』も終わってしまった。色々と終わっていってしまったものもあるけれど、また手を出し始めたものもある。その辺を考えれば、終わってしまうことも一つの契機ではあるわけで、良いことなんだろう。それにまあ、ちゃんと終わりを迎えられる作品の、少ないこと。これを考え合わせれば、完結が出来たというのは凄いことなんだよな、とも。
 コミックスの方だと、これに新しく手を出したいという作品はあまりない。強いて言うならば『ヨルムンガルド』には手を出しみたいかなと思っているけれども、今はそれよりも買いそろえていない最新刊の群れをどうにかしたい。現状、記憶している範囲だけでも六つくらいはまだ揃っていない状況にある訳だし。コミックスに関しては、文庫を優先してしまうから、買うにも金が足りないという状況が続きがち。ま、それはそれで楽しみが後に来るだけだから、良いか。

 今後の見通しとしては、おそらくしばらくの間は海外SFの購入と、神林作品とが増えていくだろうなーというところか。至近の買いたい本候補は多くがSF方面で、これに『ジュラシックパーク』が加わって、というくらいまでがまず見えている範囲。その外になってしまうと、後はもう店頭で見かけたときに勘が働くものを買っていく、という今までと同じスタンスになるだろう。カオスかおす。
 本そのものではないけれど、来年の内に絶対にあるであろう予測事項が一つ。まず間違いなく、本棚一個は買うだろうなーと。恐ろしいことに、奥行きの薄いやつであれば、大型の本棚をもう一つ置くというスペースはあったりする。ただ、これをやると手持ち出来る冊数の上限が数百冊という単位で増加するのだが……。とはいえ、これまでの増加ペースを考えると、もう一つ大型を増やすという選択肢は必要だよなぁと思ったりも。恐ろしいねぇ。
 ただし、実は文庫の収用スペースはまだ少し余裕があったりする。余裕がないのは、むしろコミックスの方。この事情もあって、コミックスを買う手が止まりがちになっているのも否めない。何せコミックスは文庫でない限りはでかいので、収容の場所を食ってしまうから、効率がここでも悪い。既にコミックスの棚は満杯になってしまっていて、これをどうしたもんかと迷ってしまっているのが現状。小型の本棚を二つ買って、縦に並べて高さで稼ぐということも考えてはいるのだけれども……。何かもう、壁面をどう使うかというテトリスになりつつある今日この頃。うちの寮の中では、こんなに本棚ばっかりの部屋は、現状でも他に無い。本読みとしては、本を売っている分まだ数は少ないのに。
 とりあえず。現状でも、引っ越しの時は大変だろうなぁ。箱詰めとか運搬とか、また本棚に戻す作業とか。それ以前に、本棚の再組み立てが一番面倒くさいかも知れないけれども。三千文字を超えてしまったようなので、大晦日のブログはまあこんなもんで。最後までこんなネタですな、うちらしく。そして来年も変わらずこんな感じでしょう。てことで、また来年も宜しくですぅ。
 ああ、ちなみに。下のカウントは四月から累積を開始しているので、まだこのまま続行でつ。てことは何か、年間に文庫もコミックスも百冊超えるのはほぼ確定ってことかい。文庫なんてうっかりしたら来月中に百冊じゃまいか。

読み:文庫『しあわせの理由』
買い:なし
途中:なし
月次読破:文庫8冊、コミックス9冊
月次購入:15冊
通年度購入:175冊(文庫91冊、コミックス84冊)
通年度読破:179冊(文庫92冊、コミックス87冊)

それでは。

娯楽施設

2006年12月30日 13時11分21秒 | Weblog
12月30日分。

 さて、三日分連続更新ってことで、まず先に昨日の分と称して29日30日の二日続いたオフの内容をぶち込んだわけですが。30日分は、オフの話ではなくて、オフの最中に行った「某所」温泉施設の話をば。ちょっと面白かったので、ネタにしてみんとす。一応、某所という言い方をするのはご愛敬ということで。

 正味な話、これがオープンしたときには、そんなに長く保たないかなーと思っていたくらいな訳で。昨日に行ったときも、うっかりすっと行ってみたら潰れてたりしてなーというネタにしていたくらい。ただ、行ってみたら、年末の休みだからってこともあるのかもしれないけれど、かなりの盛況だったりする。まだ潰れないうちに一回くらい行っておこうかなという感覚だったのだけれども、あの調子ならまだしばらくは保つのかもなーと思ったりする。
 ひとまず、立地条件としては、交通の便がそんなに良いとは思わない。ただ、都内でお台場のど真ん中にぼんと置いてあるから、都心にあるにしてはアクセスが良いとは言えない(何せゆりかもめは高いしJRじゃないし)というだけであって、他の県の温泉地まで出張るよりは東京在住者には楽と言える。都内、二十三区内にあれだけの規模で温泉施設があるというのは、よくよく考えてみたら結構凄いことなのかも知れないし。
 施設のシステムをざっと一通り。受付開始が午前十一時からで、翌日九時までということになっているらしい。完全入れ替え制となっているから、まあその時間を過ぎたら延長とりますよーってことか。そこら辺がよーわからんのだけれども、まあとにかく早くから行くなら、午前十一時が頭ということ。入場料が前払い大人三千円くらいで、このときにロッカーキーをもらう。この鍵にバーコードがついていて、館内での飲食その他の料金は全部このバーコードの読み取りで完了。館内での料金は、退館時に一括して読み取った分を精算する後払いになる。
 施設の内容としては、まあまずは当然のことながら温泉施設。屋内の温泉は、蒸し風呂と予約が必要だけどあかすり、大浴槽と変わり種が二つ。露天風呂もあるけれど、こっちはちょっと手狭ではあるのかなーとは思いつつ。まあ、二十人くらいは普通に入れるから、サイズとしてはこんなもんなのかも。それから、私自身は入らなかったけれど、砂風呂と足湯と岩盤浴もあったらしい。ちなみに、こっちの三つは追加料金が必要とのこと。
 次、休憩施設。ちょっと場所がわかりにくかったけれど、奥の方に畳敷きの休憩所がある。横長の座卓と座布団とで、大体……えー、まあ五十組くらいはあったのかどうなのか。それなりに数はあるように見えたけれど、昨日の時点ではほとんど埋まってしまった。これとは別に、個人用ソファーに小さなテレビの付いた休憩所もあって、こっちも席数は五十かもう少しあったのか。夜に覗いてみたら、全部埋まっていた罠。もしかすると、宿泊施設代わりに仮眠してるのかも。
 次、食事関係。料金は一括後払いで帰るときに全部精算するので、施設内では財布を持って歩く必要がない。ちょっと全般にコストは高めだけれど、うどん・そば・ラーメン・釜飯・おでん辺りは見かけた。後は惣菜の量り売りとかもあったけれど、全般に女性をあまり想定していないメニューのような気がするかなーという印象も。あと、午後九時にはみんな店が閉まるので、ちょっと融通は利かない感じ。その場で食べられるように座席は店の前に用意されているけれど、ほとんど昨日はこれも埋まってしまっていた。
 追加として宿泊施設もあって、こちらは家族・グループで泊まれる部屋と、それからカプセルホテルみたいな個人用のものもあるようだ。ただ、複数人用の部屋はあまり数が無いようで、個人用の方も七十室くらいと書いてあった。中は見ていないので、どうなってるのか不明だけれども。昨日は完全にどっちも満室だったとのこと。説明が長いなー。まあ、施設概要はこんなもんで。

 意外にも、客層を眺めていたら、家族連れが多い。特に昨日に目立ったのは小さい子供を連れたファミリーで、これ以外の層だと男性グループがそれなりの数、女性のグループもちらほら、カップルもいるけれど絶対数は少ないのかなという所。やはり一番多いのは家族連れで、施設内に数は少ないけれど屋台みたいな形で並んでいる娯楽施設類は、子供を対象にした感じのものが多かった。手裏剣投げとか。ついでに、エステがあったのはお母さん向けか。
 大広間でぼんやりと休憩していたら、まあ子供がそこら辺をどどどどどーと走り回るのがかしましい。仮眠をしていたら、その頭の傍を走る足音がどどどどどーっと通り抜けていって、ちょっと肝を冷やしたりとか。蹴らないでくれよーと。まあそんな状態をある程度想定しているのか、座卓は見た感じ傷が付いても大丈夫そうな安めの物を使っていたようだし、座布団はせんべいだったし。それと、結構子供向けのイベントもやっていたよう。
 そうか、都心部のファミリーを引っ張り込むという需要があったんだなーと、眺めてみて思ったり。そんな需要があるとは思っていなかったものだから、早々潰れてしまうかなーとか思っていたのだけれども。団体で観光客を持ってくるのにも少しは成功しているようだし、真面目に分析してみると面白い。あれにもう少し工夫を凝らすとするならば、何ができるんだろうなーと考えてみる。
 とりあえず気がついたのは、子供の問題。子供がかなり退屈していて、どどどどどーっと走り回っていた訳で。託児施設でもあると、もうちょい他のお客さんが落ち着けるのかなーというのがまず一つ。ついで、食事の方をもーちっと何とかならんのかなー、というのも。女性用のメニューがあまり無いのも、マイナスであるような気はする。大江戸というイメージでやっているからなのだろうけれども、それを言ったらラーメン入ってる時点で妙ではあるし、と。
 ただ、一番問題だったのは……館内のスタッフの志気のような気はしないでもない。ちょっとルーチンになってしまっている所はあったし、ちょっとゲストの扱いにぞんざいな雰囲気も無いではないし。子供が好き勝手していたり、お客さんが何かしらでとまどっていても、あまり声をかけたりする様子が無かった。全般としてはまあこんなもんなのかなーという所なのだけれど、この辺がちょっと残念ではあったかなーというのが感想。風呂は良いんだけどなぁ。ぼんやりと休めるのも良いんだけどなぁ。もったいない。
 東京で有名な娯楽関係の施設というと、まずはこの間に行ったナンジャタウンであるとか、サンシャイン水族館、葛西臨海公園。花やしき、サマーランド、としまえん、ジョイポリス。東京じゃないけどもディズニーランド・シー、離れてしまうけれど八景島シーパラダイスであるとか。上野動物園というのもありましたな。ただ、この辺のものはみんな、アクティブに動き回るタイプのレジャー施設であって、あまりゆっくりするという目的のものはあまり無い訳で。こういう中では、親の側がぼんやり休める娯楽施設というのは、結構貴重なのかも知れない。

読み:文庫『しあわせの理由』
買い:なし
途中:なし
月次読破:文庫8冊、コミックス9冊
月次購入:15冊
通年度購入:175冊(文庫91冊、コミックス84冊)
通年度読破:179冊(文庫92冊、コミックス87冊)

それでは。

ぱらだいむぱらだいすぱららいず

2006年12月29日 11時38分20秒 | オフ
12月29日分。

 ……と、30日分とを両方合わせてオフでございますた。
 今回はマミヤ様が上京してこられたとゆーことで、ほんじゃあオフでもということになった訳で。これの予定が見えなかったので、実家帰省をぎりぎりまで引き延ばしに出ていたりしたのは別の話として。まあギリギリまでどのタイミングになるか分からんだろうなーと思っていたら、案の定でやっぱり前日だったか前々日くらいになって日程がはっきりしたりする。いつものことだ。
 夜行バスで移動、朝っぱら五時半くらいに新宿に着いたとのことで、こちらは夜普通に寝てから、朝九時過ぎに新宿へ到着。到着したのは良いとして、居場所が分からないのでメール開始。しばしやりとりした上で、さてこりゃどこだろうと思いつつふらふら三十分ほどうろつき回って、発見。合流。……とまあここまでは良いとして、後はネタになるものが無い罠。仕方ないので、以降はオフの経過だけ大まかに書き込んで終了とするですだよ。

 合流後はまだ九時半でどこも開いてねーやなってんで、紀伊国屋裏のロッテリアに。ぐだぐだ昼前まで。腹が減ってきたのでラーメン屋へ行って、ぼつぼつと小物が要りようとのことだったので東急ハンズへ。次いで、パソコンの買い換えを考えているとかで、んじゃあ参考ってことで秋葉原へ移動。手洗いを探すついでにゲーセンへ寄って、弾幕る。ここだけで何気に一時間二時間費やしたという。パソコン眺めて、ついでにメモリカードとか小物をまた探して、最後だけK-ブックスへ行ったのが秋葉らしい所だったような気がする。今回はネタドリンク無し。
 新宿へ戻って、紀伊国屋へ結局戻る。コミックスは秋葉で眺めていたので、文庫の方を。いくつかお勧めを聞きつつ、勧められた内の何冊かと、ついでに一つこれはどうかしらんと勘の動いたやつを購入。ここまでの時点で大体六時過ぎくらい。晩飯に海老とかイカとか中華が良いということだったので、あちこち探してみる……が、まあ新宿で安いとこ探すのは難しいよなーという話。他んとこで探すのはもっと難しいのが問題だけれども。結果として、サブナードの中でまあこんなもんかという店を見つけたので、今後はここも選択肢として使えるようになりました。なんだこのRPGは。
 その後はふらふらと新宿をさまよった後で、まあ座る場所も無いしーってんでもう一回ゲーセンへ。再び二人して弾幕。秋葉で三コイン、ぐわんげにエスプガルーダに……あり、秋葉ではもう一個何をやったんだったか。新宿ではエスプガルーダ2と虫姫さまふたり。一日で間をおいてはいるけれど五回のちゃんぽんは、さすがに頭がシェイクされますわぁ。この辺りで午後十時くらい。近くのマックへ寄って、席をとりつつぐだぐだ。気がついたら、大音量の蛍の光が流れ始めて、店をおんだされる。
 さてどーすっかなーというところだったけれども、続行ってことでカラオケボックスを制圧してみる。歌わなかったけれども、私が意地でも。これで朝五時まで粘って、一人当たり約二千円。まあ東京としては良心的ですな。ボックスの中で仮眠したり買った本読んだりしつつ、ふっとカメラが無いよねーとかいう話になったりもする。ボックス内で天井をぼけーっと見上げてみても、カメラが無い。ドアは磨りガラスが大体塞いでいるし、あんまりこれ中見えないし、とすっと監視カメラ無いってのも妙よねぇとか。どっかに隠してんじゃねーのとか、そんな他愛もないことでしばらく暇を潰す。
 仮眠しようと思ったら、変な姿勢だったせいで、思いっきり首が痛くなったのは秘密。29日分は、行動を追っていったらこんなもん。

 30日分に移動して。
 カラオケボックスを朝五時に出る。入るときも結構人が待っていたけれども、出るときになってもかなりの人がまだ待っていた。朝五時ですだよ、おまいら。さすが年末だなぁとか思いつつ、新宿駅へぞろぞろと向かう人の波に混じって、こちらも新宿駅へ移動。眠いというか重たい頭をぐわんぐわんさせつつ、風呂はいりてーなーってことで、大江戸温泉物語へ行ってみることに。
 山手線で新橋駅へ。新橋駅からゆりかもめでお台場へ。どーでもいいけど、片道で370円は高いと思います。そういえば、この日程だったら、お台場のあの場所では人外魔境が展開されていた筈なんだよなぁ、とか。後でマミヤ様の曰く、行って人がゴミのようだとか言えば良かったよ、とのこと。合わせて私の一言、そこでミサイル撃ち込むのね、と。青き清浄なる世界のために……。まあともかく、夜明け前の寒い中、ゆりかもめを待っている間に、二十四時間営業の娯楽施設があることが判明。ついでに大江戸温泉物語の受付開始が午前十一時だということもはんめいして、仕方ないのでそっちの娯楽施設で時間を潰すことに。
 到着が確か六時前くらいか。とりあえず大型屋内施設ってことで風は無いし暖房効いてるしなーと人心地着いたところで、暇だしボーリングでもするかねということに。時間潰れるし、身体を多少なりとも動かすので眠くはならないし。三ゲーム、一時間ちょいとくらいはこれで潰れた筈だったか。とりあえず私の方は、相も変わらずスコアはて低調。それでも110くらいのスコアで大体収まったので、前の90とかよりはちったぁマシか。マミヤ様も私も、あまり力込めずにコントロールで投げるので、ストライクが出ても音が静か。しかもパワーが足りないから、八本とか九本で一本残る残る。特にマミヤ様が何度も、あーまた一本残りおったわー爽快感ねぇーと頭抱えていたのに大笑い。スコア伸びず。
 マジアカやってるのを横から眺めてみたり、そこらのテーブルで仮眠とってみたり、ついでに自販機でパンを売っていたのでこれを朝飯にしてみたりしつつ、で十時まで時間を潰す。ぐだぐだ。ついでだからと観覧車があったから乗ってみたり。後で、男二人で乗ってもなぁとはこれまたマミヤ様の一言。まあ、良い景色であったし、ついでに大江戸温泉物語まで歩いていけそうってか近いなおいってのも分かったので、宜しいのでは。ちなみに、ここまでのコストをほとんどマミヤ様に奢ってもらっていたりする……。ありがとう御座いました、ホント。ああ、まあ本と交通費は別だけと。
 大江戸温泉物語、は三年だか四年前にオープンした、お台場にある温泉施設……もどき。そういやまだあったんだよなーというのを思い出して、オフのときにどーすんべーという話のときに、ここはどうかしらんと話を少し出しておいたこともあって、徹夜しとーし風呂入りたいしじゃあ行ってみるかと決まった次第。入場料約三千円ってのはちーっと高いけど、私らは結局、午前十一時から入って、出たのが午後の十時半過ぎ。十二時間居着いていた訳で、元は取ったような気がする。
 大江戸温泉物語での行動内容。まず風呂で一時間ちょいと。飯を食ってぼんやりして、そのうちに二人とも仮眠。マミヤ様はほとんど終日寝倒し、私はその脇で寝ていたり本読んでいたりで、買った一冊を読み切ってみる。そんな感じで、いつの間にやら時間経過して夜八時。ぼつぼつ晩飯を確保するかーってんでマミヤ様を起こそうとするも、起きない。かなり深く眠り込んでいた模様。げしげし叩いて起こしてから、飯を確保して九時過ぎ。もう一回風呂に入って身体に暖気入れたところで、出る。新橋まで戻ったところで、マミヤ様はそちらでカプセルホテルでも探してみるとのことで、解散。29日朝九時から始まって、終了が30日午後十一時過ぎ。長期戦でございました、珍しく。

 しかしまあ、この一日目と二日目の行動の落差は凄いなぁ。一日目は雑用こなしに北へ南へさすらいの旅。二日目は温泉施設にどかっと腰を据えて何もしない。二日目に至っては無駄話も少なく、寝ていただけー。オフどうするかの話のときに、半日何もしゃべらんとぐたっとしてるオフきぼんぬ、な話もあったのだけれども。まさしくその通りになったという。大体予想通りではあるのかなーと思いつつ。
 おお、凄い。行動を追って書いただけなのに、三千文字を超えた。さすが二日分。ということで、レポ終了。

読み:コミックス『夢幻紳士外伝』二巻
買い:文庫『しあわせの理由』『魂の駆動体』『戦争を演じた神々たち』
途中:文庫『しあわせの理由』
月次読破:文庫7冊、コミックス9冊
月次購入:15冊
通年度購入:175冊(文庫91冊、コミックス84冊)
通年度読破:178冊(文庫91冊、コミックス87冊)

それでは。

仕事納めと細々した幸運と

2006年12月28日 19時34分14秒 | Weblog
12月28日分。

 とりあえず、今年に関しては仕事納めとなりました。気がついてみたら一年過ぎてるやん、という気分だけれども。職場オフィスでの一日は無駄に長く感じられて、でも一週間が、一ヶ月が、一年が過ぎていく速度が異様に上がっていっているような感覚。間違いなく、それは単なる錯覚であって。24時間は平等に過ぎている。ただ、違うのは24時間の使い方と、毎日のあり方だけだよな、と。
 時が経過していっていることは、会社ではいまいちよく分からない。ただ、私が担当している仕事に関して、うちの部に届いてくる社内文書であるとか提出書類が、直接私宛に名前を書いてものが多くなった。それだけ、社内でこいつがこの仕事をしてるらしいということが定着してきた、ということか。それが、それほどうれしいわけでもない。面倒が増えることでもあるから。まあ、それで給料をもらっているんだから仕方がないけれど、できれば面倒無く過ごして金をタダ取りしたいところではある。やーれやれ。
 時が経過していっていることは、自分の部屋にいてもいまひとつよく分からない。毎日この部屋に帰ってきて、休日にはこの部屋に転がっているから、少しずつの変化があっても、その変化を常に受け入れ続けて、リアルタイムに認識を更新してしまう。このせいで、変化し、時が経過していることを感じ取れない。変化が、埋没してしまう。まあでも、去年には本棚に何が並んでいたっけな……ということを考えてみると、明らかに時が経過して並びが変わっていることが分かる。漫画はともかく、文庫は読むのに時間がかかるもの。その文庫が増えていたり入れ替わったりしているのだから、それなりの時間が経過しているということが理解できる。
 結局、時の経過を一番感じ取れるのは、実家に一時的に戻ったとき。自分の記憶の中にある街の景色、街の配置と、やっぱり何ヶ月かすれば変わっているもの。私の場合はあまり頻繁には戻らないものだから、余計に変化が大きい。家の足下とも言えるくらいの至近距離にケーキ屋ができていたのを見たときには、あんじゃこりゃーと思ったものだ。ちなみに、住宅街のど真ん中という立地なので、それなりにお客さんは入っているらしい。店内の清潔感を維持して、おいしさに精進していけば、それなりにお客が付くんじゃないかな、と分析してみる。癖だね、これは。
 あんまり仕事納めに関係ない話になっているので、カットカットかっとぉ。四時前には仕事も納会も終わったので、さっさと帰ってきましたとさ。昨日の体調不良は、寝不足がやっぱり原因だった模様。寝たら大体治りました。

 仕事が早めに引けたので、行きつけの古本屋へ。結局、『ビッグオー』を置いているところがここしかないようなので、じゃあ仕方ないなと買い占めに走る。寮の最寄り駅で降りて、歩くことまあ十五分くらい。寮へ帰るには少し遠回りになるけれど、方向的には同じ方向だったりはするので、案外楽。バスでも使えば良いのだろうけれども、何となく歩くのが好きだ。意味のないことだけれど、ロングコートを着て、自分の好きなペースで歩くのが好きだ。何でロングコートを着て、という条件が付くのかは自分でも意味不明。何となくだろう。昔から。
 それはまあともかく、古本屋に着いたら、まず真っ先に『ビッグオー』を確保する。狙い通り、四巻から六巻までの三冊が残っていた。ついでに何かあるかしらと店内をふらふらしていたら、『夢幻紳士外伝』の二巻をこんなところで発見。今まで何度も見ていた場所だから、つい昨日か今日くらいに買い取ったものだろう。運の良いこと。それをずっと探していたことを、うっかりと忘れかけていたくらいだったのだけれども。割とこういうものだよね、捜し物が見つかるタイミングというのは。これも確保して、購入。しめて千二百円也。うむうむ、まあ満足。
 ついでに、昨日から読んでいる『ノービットの冒険』を読み終わる。会社で割と暇だったので、今日もまたつらつら読み進めていた。ここのところペースが速いのはこのため。飛び抜けて秀逸という感じではなかったけれども、地道に良作というところ。まあまあ、途中で読み飽きることも無かったから、良作だろうと思う。うん、さすが浅倉訳作品。レビューは今日中の予定。その前に、晩飯を探しに行ってこないとなーとは思いつつ。
 さて、これで積み本が残り一冊だけになってしまった罠。ある程度数を調達しないといかんな、と。年末年始の休みに入るから、文庫の消費速度はあるていど鈍る筈ではあるけれど。鈍っている間にため込んでおかないと、またあっさり消費しかねないからなぁ。たばこと同じで、手持ちぶさたになると読みたくなるので。さあ、何を買おうか。それを考えるのも、また楽しいものだぁね。私にとっては、今のところ、この辺りが一番ちょうどいい幸福であって快感であるらしい。お勧めは、しないけれども。

 ついでの、もう一つのささやかな幸運。そういえば、以前に会社のボーリング大会で、びりっけつに近いけれど、70位というまあキリがいい……のか? の順位になったということで、クオカードをもらっていたのを思い出した。これ、もらったは良いけれど部で何かお菓子でも買うのに使うかもしれない、とそのまま使わずに持っていたのだけれど。いい加減随分経つし、みんな忘れているだろうし。そのまま、今日の晩飯を買うのに使わせてもらおう。飯代が結構浮くし。
 しかしまあ、地味ね、我ながら。

読み:文庫『ノービットの冒険』、コミックス『THE ビッグオー』四巻・五巻・六巻
買い:コミックス『THE ビッグオー』四巻・五巻・六巻、『夢幻紳士外伝』二巻
途中:なし
月次読破:文庫7冊、コミックス8冊
月次購入:12冊
通年度購入:172冊(文庫88冊、コミックス84冊)
通年度読破:177冊(文庫91冊、コミックス86冊)

それでは。

師走でおわす

2006年12月27日 20時38分54秒 | Weblog
12月27日分。

 師走で死なす、ってのとタイトルどっちがいいかなーと一瞬迷いました。そんなあほなことをぬかしている師走の終わり頃、皆様いかがお過ごしでございましょうか。私は……いきなりの体調不良でどーしたもんかこりゃと困り中。とりあえず会社から帰る頃になってがくっと体調が落ちてきたもんだから、今度は風邪でもくらったかと思ったら、別に体温は平熱くらい。六度六分だから、ほんの少し微熱はあるのかどうなのか、という感じ。
 ちょっと頭がぐらぐらしてきているので、もしかすると寝不足が元凶で、体力切れを起こした可能性があるかもしれんなーと思ってみたり。この手の体調不良を感じつつ、寝たら朝には治ってたなんてパターンは結構あるわけで。やれやれ。まあ今日は会社でそれなりに忙しかったので、体力を食ったのかも。仕事納めは明日だってのに、その前日にどさっと仕事を持ってくるんじゃなーい、と。間が悪かったってだけか、たまたま。まあ、明日に残務を少しばかり延ばしつつ、今日は残業三十分で撤収。
 そんな中でも、ビッグオーを買おうかと書店を二カ所回ってみるも、置いていないという罠。んなに古いやつだったかなーと発行年を見てみれば、まあ確かに新しくはないよなーということに気がついてみる。今更いまさら。どうも新刊でも中古でもなかなか探しにくいようなので、こうなったらまあもう、この間に買ってきた古本屋にある分を買い占めてしまうかと考え中。まだあれば、だけれど。そんなに買う人もおらんだろうなぁ。
 森ログは昨日の夜に、予定通り読破。今日からは、ずっと買っておいて積んでいた海外SFものを読み始め。何気なく安いからってんでブクオフで買ったものだったのだけれども、何とラッキーなことに、訳者が浅倉氏。ああ、まあこれなら日本語訳そのものには問題なく読めるなと一安心。意外な拾いもの。まあ、百五円だからねぇ。現状ではまだ三分の一くらいだけれども、まあまあこの値段ならこんなもんなのかねぇという所。退屈では無いので、最後まで読んだらまた感想がもう少し良好になるかもしれない。

 ちょっと頭がぐらぐらしているので、手短めに今日はここまでで。
 ……晩飯用にカップの春雨味噌汁たらゆーものを買ってみたけれども、あんじゃこりゃ。不味くは無いけども、なんで味噌汁に春雨なのだらう。春雨ヌードルってのは確かにあるけどもねぇ。いや、実際問題不味くは無いんだよね、確かに。でも、何か摩訶不思議な感じー。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『ノービットの冒険』
月次読破:文庫6冊、コミックス5冊
月次購入:8冊
通年度購入:168冊(文庫88冊、コミックス80冊)
通年度読破:173冊(文庫90冊、コミックス83冊)

それでは。

目標?

2006年12月26日 21時32分49秒 | Weblog
12月26日分。

 会社であまり仕事がないので、ずっと森ログアカデミー眺めてました。もうちょっと残っているので、ワイシャツの洗濯が終わるまでのあと一時間くらいで、読み切ってしまおうかなーというところ。三十分もあれば読み切れるくらいの残量ではあるし。明日に持ち越すのもちょっと中途半端すぎるし。というわけで、お外は嵐でもずっとオフィスに籠もっておりました。事務職だしねぇ。
 ただ、帰りがけにはやっぱり大雨を食らってしまって、靴の中が洪水に。水虫水虫……いや、ちゃんと帰ってきてすぐ足洗ったから、まあ大丈夫だろうけれども。靴乾かさないとまじぃなぁ。それこそ水虫になる。さすがにこの雨で、例年年末はにぎわう上野のアメ横も、今日ばかりは人が少なかったらしい。商売してると、こういうタイミングの大雨は恨めしいだろうなぁ。
 とまあ、経営学部出ってこともあって、ちょっとだけそういうことも気になる輩でした。

 ふと思ったのだけれども。人が働くモチベーションの由来、というのは何なんだろうなぁということ。生きる目標、という言い方をしても良いのだけれども。社会に貢献しよう、人の役に立とうという目標を持っている人がいる。それはとてもすばらしいことで、それはとても尊敬に値することだと思う。ただ、みんながみんな、ここまで高尚になれるわけではないんだろうなぁ、とも。
 じゃあ、何のために働くのか。名誉、お金、やりがい、そういうものだろうか。もっと分かりやすい人の場合は、いくらまで貯めて旅行に行こうということであったりとか、家を買おうとかだろうか。そういう達成可能だけれども、ちょっと労力がまだ先まで必要な目標を立てて、それを達成したらまた次の目標を、という感じなのかも知れない。
 はて。ひるがえって、自分自身を考えてみると、まずもってあまり仕事に対するモチベーションというものは高くない。やりがいを感じているわけではないし。名誉が欲しいわけでもない。お金は……まあ欲しいけども、仕事をばりばりやってまでお金をがりっと稼ごうという気にはなれない。そういうのを目指すなら、外資系辺りに行って実力勝負をした方が、お金はもらえることがある。ああいう所は入れ替わりも早いから、一概にそうとは言えないけれど。
 よくよく考えてみたら、自分の場合、何のために就職した、というものが無い。強いて言うなら、ぷーってのもなーという思考と、おめーを養ってる余裕はねぇぞと言われたから。つまりはまあ、とりあえず生活するにゃ金がいるしなーってことで就職したというだけ。ものすごく、勤労意欲は低い部類だと思う。あまりアルバイトと意識は変わらないかもしれない。バイト経験が無いけれども……。そして、今のところ、私には目標になるものもない。なになにを買おう、なになにをしようという目標が無い。そして気がついたら、もう社会人二年目も残り三ヶ月になっている。
 目標も無く、モチベーションも低いまま、ぼんやりのらくらやっているのが実情で。ただ、何気に、そういうのらくら低空飛行な輩の方が、案外に長持ちするのかもしれないな、と思いもする。目標達成を目指していく場合は、達成した後にがくっとモチベーションが下がることがあり得る。すぐに次の目標を思いつかないことがあるかもしれない。次も同じような目標を立てて、達成の快感が鈍ってしまうことも考えられる。目標はうまくたててあげれば、とても有効に機能するのだけれどもね。
 まあ、この辺は、その人次第になるんだろうな、とも。短期の目標を連続して達成していくのが好きな人もいるだろうし、長期の目標をどっしりと腰を据えて狙っていくのに向く人もいる。それから、私のように低空飛行しているのを好む人もいるのだろう。ライフスタイルの多様化という言い方をしても良い。低空飛行している場合は、大体においてやっぱり仕事への態度にも現れてくるから、結局はあまり賃金を取れないことが多いんだろうなと思う。ただし、その分、仕事量もあまり多くはならないはず。過労状態で鬱になってしまい、モチベーションが恒常的に下がっている場合は除くけれども。
 今の世の中、色々世知辛いけれど、あまり年収が高くなくとも、生きていくことは出来る。ちょっと一杯くらい、ビールを飲むくらいの余裕もある。まあ、私はお酒を飲まないけれど。低空飛行していても、まあ良いじゃないか。何も必死こいて仕事して会社に殉じて昇進して……というばかりが能じゃない。とはいえ、低空飛行してる場合には、どうもやっぱり意欲が慢性的に下がってしまいがち。厭世しちゃうんだよね、とも。探してみろとまでは言わない。それも面倒くさい。でもまあ、ちっとばかり、あちこちに少しずつ目を向けてみるくらいはしても良いのかもしれんなーと。そんなことを考える。

 ま、今のところ、私はそれを読書で代替してしまっているのかもしれんね、と。
 体験に勝るものは無い、とは思う。これまでも、それに類することを私自身も何度か言ったような気がする。でも、何でもかんでも体験する必要があるのかどうかと言えば、ちょっと疑問。人生、案外にそんなに時間は無いのですだよ。それに、今の世の中、体験するにもお金がかかる。そこまで無尽蔵にお金があるわけでもない。お金は、それこそ自分が使いたいところに使うのが一番。時間もそう。端折れるところは、はしょりましょ。今の世の中は、それができるようになっている。まだ融通が利かないところもあるけれど。
 やりたいように、やれるのが一番良い。そうできるように、ゆっくり根回しをしていく必要はあるんだろうなーとも。特に、私のように、周囲がやっていることが一番良いんだという価値観を持てない輩には。こういうのを、協調性がないと言う。本読みには、こういう協調性の無いのがある程度いるかもしれない。読書というのは、協調性とは一番無縁なものの一つだから。
 こーなっちまったもんは、しゃーねーよなーと。んじゃあ、こーなっちまったのはしゃーねーよなと諦めたところで、この先をどーやって切り抜けたもんかね、と。そういう思考がそろそろ必要なのかな、ということを思ってみたり。まだ先々を心配する歳でもない気はするんだけどねぇ。心配性なのか、諦観なのか。

読み:文庫『MORI LOG ACADEMY』四巻
買い:なし
途中:なし
月次読破:文庫6冊、コミックス5冊
月次購入:8冊
通年度購入:168冊(文庫88冊、コミックス80冊)
通年度読破:173冊(文庫90冊、コミックス83冊)

それでは。

本 本 本

2006年12月25日 21時01分21秒 | Weblog
12月25日分。

 ちょいとぶりに本屋へ行ってみれば、まあ買いたいコミックスがいつの間にやら増える増える。『よつばと』の最新刊もまだ買っていないし、『絶望先生』に『ヨルムンガルド』に『有閑みわさん』、『派遣戦士やまのり』、『蒸気探偵団』もまだ揃っていないし『THE ビッグオー』も全部は揃ってない。今日に古本で買おうかと思ったのだけれども、会社近くの古本屋へ行ってみたら置いていない罠。しかも駅前のでかい所にも置いていない。まぢかー、前はあそこで一巻を買ったのに。
 きりがないなぁとは思いつつ、ここまでで列挙してみたもんは、一つを除いてはみんな既に手持ちしているシリーズの物であって、と。どんどん増えるもんだ。こんな調子で買っていくから、本棚が埋まるわけであるな。うむ、それはそれで自己満足であるからして、それはそれで宜しい。でも、いい加減しまう場所が無くなってきてるよお兄さん。さあどーしよ、どーしよ。ドとレとミとファと……以下略。なお、今日の買い物は下にも書くけれど、かぼちゃはさみと、蒸気探偵団と、それから森ログアカデミー最新刊。明日からはアカデミーやね。
 ついでの一つめ。かぼちゃはさみを電車の中で読んでいたのはいいけれど、ちょっとまて、ちょっとまて、読んでいて吹いた箇所が一カ所あったぞこら。んな箇所があると先に知っていたら、家で読んだわい。しまったな、先に蒸気探偵団を読んでいれば良かった。うっかりうっかり。何のことやらという場合には、実際に買って読んでみるが宜しかろう。ギャグなんだけどね、ギャグなんだけどねぇ。ついつい笑ってしまったじゃまいか。
 ついでの二つめ。ようやっと『自殺論』を読み切りました。いやはや、手間がかかった。あまり読み物としては面白くないのが難点で、読むのにえらく時間がかかる。というか文章の書き方があれだ、思考の投げっぱなしという感じでここのブログと何となく似てる気がする。長いのもそっくりだ……。まあともあれ、資料としてはそれなりに面白いのだけれども。読み物として見るもんじゃないなーというのが感想。後の分はレビューをあげるので、そちらを参照ということで。

 さて、今年は28日まで会社か。仕事始めが4日ってのはちっと早くねぇか?

読み:文庫『自殺論』、コミックス『パンプキン・シザーズ』六巻、『快傑蒸気探偵団』四巻
買い:文庫『MORI LOG ACADEMY』四巻、コミックス『パンプキン・シザーズ』六巻、『快傑蒸気探偵団』四巻
途中:なし
月次読破:文庫5冊、コミックス5冊
月次購入:8冊
通年度購入:168冊(文庫88冊、コミックス80冊)
通年度読破:172冊(文庫89冊、コミックス83冊)

それでは。

メリィ

2006年12月24日 16時47分15秒 | Weblog
12月24日分。

 ……さんの羊、ひつじ、ヒツジ……はい、おきまりのぼけですね。いや、ベリィクルシミマス、でも良かったんだけれども。ついこの間に、ノロウィルスで冗談抜きにベリークルシンデマスになっていたので、あまり思い出したくないだけ。さて、次のクルシミマスはインフルエンザかしらん? 気を付けていないと、去年の二の舞でまたダウンしかねないのだけれども。ま、そのときはそのときで、残っている年休を使えばいいか。

 まあクリスマスイブではありますが、予定がないので家でごろりごろりと。で、ふっと随分前に買っておいて忘れていた『THE ビッグオー』のコミックスの存在を思い出して、ぱらぱらとめくってみる。うん、とりあえず結構気に入ったので、そのまま昼飯を食いに出たついでに、古本屋へ寄って二巻と三巻を買ってきますた。中身の雰囲気が何となく、『蒸気探偵団』みたいだなぁと思ったりとか。どっちが似せたってことも無いのだろうけれども。
 これに関しては継続して買っていくことになりそうなので、まだレビューは継続中の状況でアップ済み。まあ、そんなに冊数があるわけではないので、来月か再来月の内には状況を継続中から完了に出来るはず。それはともかくとして、これ、某所特大掲示板の漫画板辺りで名前を見かけて買った物だったり。一人が名前を挙げると、何人かがあれは良いよなーというレスを返してそのまま盛り上がっていたので、んじゃまあ買ってみるかと買っておいてそのまま積んでいた物。『蒸気探偵団』より大分前に買ったはずなのだけれど、随分後回しになったもんだ。ただ、お陰で読みやすくなった……のかも知れない。
 作品のストーリーとかに突っ込むのは置いておくにして、ちょっと面白かったのは、巻末に付いてくるアニメ版とコミックス版を作った人達の座談会。二巻と三巻に掲載されていたもの。この中でいわれていたのが、ビッグオーはキャラがなれ合わないところが良いんだよね、という話。確かに、コミックスの中に出てくるキャラ達は、それぞれが確固として自分があり、お互いに適当に突き放している感じがする。こういう感覚は、結構新鮮で良いなぁと思う。ビッグオーでも男女の人物が入り交じってくるけれど、メロドラマ的な話はほとんど無い。
 ついでにいうと、主役のロジャーが結構これがヘマをする。でも、やっぱり格好良い。難しいね、こういう人物を描くのは。基本的には大人のキャラクターなのであって、漫画版担当の有賀氏にしても、なかなかキャラをつかめなくて描くのに苦労したということを言っている。逆に、作中ではやたら描きやすい人物もいたようで、描きやすい人物達がどたばたやってくれたからこそ、描きにくかったロジャーも活きてきたというようなコメントがある。
 もの書きをしていると、やっぱり描きやすい人物と、描きにくい人物というのは結構はっきり分かれてくる。私個人の感覚から言えば、描きやすい人物の場合には、放っておいても勝手にしゃべってくれるような感覚がある。こちらとしては、大体次に彼なり彼女がどう動きどう喋るかが分かるので、後は書き写せばそれで済むのだけれど。問題なのは、描きにくい輩の場合。こういう人物は、どう動くかしら何を喋るかしら、というのをどうしてもこちらで「考え」ないといけない。どうしても滑らかには動いてくれないし、なかなか喋ってくれない。で、ペースが落ちる。
 それは単に人物が詰め切れていないだけとも言われるのだろうけれど、そしてそれを否定はしないけれど。人物を詰めるまでにかかる手間と労力は、これがまた各キャラクターで差が大きい。私にとって書きやすいのは、飄々とひょいひょい物事をこなしていくようなタイプか、諦観してるようなタイプの人物。ついでに、どかんどかん暴れるようなタイプも案外書きやすい。多分、動きが読みやすいからだろうと思う。でも、やっぱり苦手も多い。書ける人物の幅というのは、これまでにどれだけのパターンの人物を見て読んで聞いてきたか、にもよるんだろうなぁと思ったりするのでした。

 さて、クリスマスイブだというのに、晩飯がおでんというのはどういうことだろうかと考えてしまう。何でおでんという結論にいたったのか。その一、昼飯が鶏の唐揚げ定食だったんで、夜にまた揚げ物というのは避けたかった。その二、ケーキ食う趣味は無いしなー鶏を焼くスキルは無いしついでにオーブンも無いし。その三、何となく思いついた。その四、おでんの卵が大好きです。……酒、一切飲まないんだけどねぇ。芥子も駄目なんだけどねぇ。でも、おでんは食う。
 結局、99円ショップに、99円で一人分にはまあ充分のおでん(卵入り)が売られているのを前々から知っていたから、というのが結論かもしれない。こういうパックのおでんって、味はまあそれなりって所ではあるけれど、卵によく味がしみこんでいるので、結構好きではある。そう頻繁には食べないけれど。まあ、たまに食うくらいがちょうど良いのでありまするよ。毎日食ってると飽きるし。
 ついでに、半値セールしてたので、ケーキ代わりにシュークリーム一つ買って。後は普通にご飯、味噌汁、野菜ジュース、ついでにおでんじゃ飯のおかずにならないので、肉物のおかずを一つ追加。戻ってきてから、寮で百円で売ってるコーラ買って、まあ個人的には大体これで満足。酒が入らないから、とても安上がり。先々に誰かがそばにいることがあるのかもしれないけれど、こういう地味さに満足できる相手じゃないと無理なのがねぇ。いやはや。

 そして、とってつけたように。メリークリスマス。
 でも、私みたいな不信心には、神のご加護も祝福も無いのであるよ。

読み:コミックス『THE ビッグオー』一巻~三巻
買い:コミックス『THE ビッグオー』二巻、三巻
途中:文庫『自殺論』
月次読破:文庫4冊、コミックス3冊
月次購入:5冊
通年度購入:165冊(文庫87冊、コミックス78冊)
通年度読破:169冊(文庫88冊、コミックス81冊)

それでは。

平和憲法?

2006年12月23日 17時22分11秒 | Weblog
12月23日分。

 まあ年末年始シーズンであることだし、たまには無駄に世界平和のことでも考えてみようじゃありませんか♪ というようなことを私が言い出すと、大体は何か怪しい論を投げっ放すつもりだろうと疑われそうだけれども……その通り。ネタも今ひとつないことであるし、たまにはフカシでもしようじゃあーりませんか。

 平和と言ったら、まず浮かんでくるのは日本の憲法第九条。この改正がどうこうとかそういう所には、私個人はあんまり興味がない。現状の条文でも別にいいんじゃないのーとは思うけれど、それなりに拡大解釈をしているであろうというのも実際問題として事実なんだろうし、と言ってうっかり変えると特に中国様韓国様辺りが猛反発するのも目に見えている。結構これ、微妙なバランスだよねぇと。
 後はまあ、自衛隊が必要最低限の「実力」であるというのが国としての今んとこの見解になっているんだったかなーということとか。戦力じゃないのよ、あくまでも実力であるのだよん、とか。戦争放棄というのは良いとして、自衛までしたらいかんのかってー議論があるってこととか。その辺をとりあえず書くだけ書いておけば良いような気がするので、第九条の話は省略。
 いや、良い条文だと思ってますじょ? 理想として掲げるにはふさわしい。でも、それを本当に実現するのは難しいんだなーというような話になるだけ。ただ、自分に一つ釘を刺しておくなら、この条文があったからこそ私ゃ徴兵の義務も無くのんきにやっていられるんだよなということを書き留めておくにして、以下略。

 世界から戦争ってのはなくならないもんなのかなー、ということを考えてみる。無くならないだろうなぁというのがまあ、私の中でいつも出てくる結論なのだけれども、これは理詰めで考えての結論と言うよりは、人間というものに対する私自身の感情から出てくるもの。これだけで結論にしてしまうのも面白みがないので、もちっとじゃあ詰めてみようじゃないかと考えてみる。
 とりあえず。戦争の理由というか原因というのは何だろう。思想やら宗教の違いとゆーのがまず出てくる。それから、国の領土の問題っつーのもある。資源のためというのもある。他のものを考えてくると、国内政治の不安定をごまかすために外敵を求める、というのも考えられる。他は何があるだろう。相手国民の解放のためという錦の御旗が出てくることもあったっけ。ただ、これは実際的な理由として考えられるものでもなさそうではある。あくまでもお題目であって、実際の狙いはもちっと別の所にあるだろうと予想されるから。ここまでで挙がったものをまとめれば、追い詰められたがためか、自らの道のためか、という大まかに二つになるか。
 この二つを眺めてみると、前者は弱者(と自分たちが思っている側)の論理であり、後者は強者(と自分たちが思っている側)の考え方なのかなーと思う。ただ、どっちの理由であったとしても、口で言っても解決が出来ないっぽいなーと判断したからこそ武力を持ち出してくるものだろうと思っている。つーても、二つの理由の内、現状の世界では、実は武力に訴えがちなのは前者の理由を掲げる場合が多いのではないかと思う。最近なら自殺によって文科省に……というのがあったけれども、アレと考え方は近い。おいお前らこっちを向けこっちの話を聞け、と一発ぶっ放して注目を集めるやり方。他の手では話を聞いてもくれないから、という差し迫った状況にある、もしくはそういった状況にあると思っている、からこそ銃を取るのかしら、と。
 強者の場合、いやんな言い方をすれば札束でひっぱたくやり方でも、相手に少なくとも耳を傾けさせることは出来る。ついでに言えば、大国にとっては、必ずしもどんぱちするのが効率のいい手では無いのだろう。それは、六カ国協議という形がとりあえずは作られていたことからも伺える。面倒くさいし効率悪いし、最初っからどかんとやっちゃえば良いじゃんと思わないでもないけれど。それをせんと、わざわざ遠回しな協議という形を取るということは、少なくともどんぱちやるよりこっちの手段になにがしかメリットがあると見ているからだろう。イラクでそんな余裕ねえよとか、国際社会がうるさいんだよとかまあ、色々あるんだろうけれど。ただ、それは結局、大国だからこそ切迫していうこと聞かせる必要が無いという余裕があることの現れだろう。自分たちの側が強者であるという自覚があるからこそ、ということ。
 どっかの漫画であったよなー。存在理由にすがるやつは弱いやつだ、弱者はときに加害者になる、という台詞。結構好きなお言葉でもあるけれど。弱者と自分たちが思っている人たちがいる限りにおいて、戦争は無くならないかもしれない。まあ、強者と自分たちを思っている人たちがいても同じだけれど。そして、世界全体が弱者強者なくフラットになることは、無い。世界という視野まで行かなくても、日本国内を見ればいい。今でも既に格差社会といわれ、勝ち組負け組なんて区分けがマスコミによってなされている。日本社会じゃなくてもいい。会社という単位で見てみれば、経営側と労働者側はやっぱり対立する。家庭内であっても、やっぱり弱者強者の立場は出来てしまう。親子の立場の違いとゆーやつですな。人間、三人も集まったら弱者強者ができるもんです、どうしたって。
 あ、いかん。結局これ、いつも通り私自身の感情のまんま結論が……。

 戦争をするというメリット……を考えるのもあほらしいので、じゃあ戦争をしないことによるメリットというのは何だろうと考えてみる。ひとまず思いつくのは、戦死者は出なくて済むんだよなということ。イラクでのアメリカ兵の死者が何千人かになってしまったという話が、ちょっと前に出てきたけれども。二千人であったかしらん? とにかく、そういう死者は出なくても済むのかなとは思う。
 つーて、戦争が無ければないで、他の所でもやっぱり死者は出てしまう。日本における年間の自殺者数は三万人くらいだったかどうだったか、ともかくもイラク戦争における米兵死者数なんて比じゃない数が死んでいる。交通事故死者ももっと多いだろう。戦争がなけりゃ人が死なない、ってことは無いんだよなぁという話。論点のすり替えの気もするけれど。もちっと違うとこを考えてみる。こちらからもし仕掛けなかったとして、相手国で戦死者は出ないのか? ……出ることもあるんだな、これが。相手国が他の国に仕掛けるかも知れない。相手国の中で内戦が起こるかも知れない。あっちこっちで内戦じみた状況があるよね、と。外から仕掛けられなかったとしても、中でやらかしてしまう可能性は高いということ。
 さすがに、今の世界において、武力を駆って世界統一を果たそうなんてことを考える連中はおらんだろーなと思う。そりゃどこの戦国時代の天下統一ですかと。はあ? きょうび天下統一なんてはやんねえんだよ。今の流行はやっぱこれ、経済制裁。これだね。札束で相手の横っ面をぴたぴたひっぱたく。しかし逆上した相手から闇夜に刺されかねないという諸刃の剣。それどこの吉野屋コピペ? まあでも、実際問題として武力での世界統一なんてのは無理があるし、それをやるメリットもあまり無いような気がする。うん、ある程度発展した国家にとっては、領土拡張のための戦争をすることでわざわざ国際社会からの非難をくらったり、余計なリスクを背負い込む必要も無いということ。これも、戦争をしないメリットの一つか。
 ちょいと考えてみると、戦争をしないメリットというのは、発展した社会だからこそ成立するメリットが多いのだなぁと思ったりする。余裕のある社会だからこそ、戦争をしないという選択肢を取り得るだけの許容量のある社会だからこそ成立するメリットということ。それだけの許容量がない状態、そんな余裕のない世界にとっては、戦争をしないメリットというのは成立し得ないということになる。前提条件が違ってしまうから。立っている世界における成立条件が違ってしまうから。でも、だからといって相手を同じ条件の世界に立たせるのは、これが結構難しいのだろうな、と。金もいる、人手もいる、時間もいる。相手はそれを待つよりも、ぶっ放した方が早いと考える公算の方が高いだろう。
 ただ、相手もそれを盾にとって構えてくるんだけどねー、と。俺たちがこんな盾を構えているのはお前らのせいだ、というわけ。実際そう思ってるのか、交渉技術としてそう言っているのか。その両方であることが大半だろう。どっちも譲れないものがあるのだよ、ということでもあるか。
 も一つふっと思ったこと。戦争という思考をするのは、ある程度発達段階にある社会においてだよな、ということ。戦争をするにはそれなりの備えが必要になる。兵士も必要だし、武器も必要だし、戦争に専念している間は食料を作る効率も相当落ちるだけに備蓄が必要になる。何よりも、相手を襲って拡大しようといったような思考は、自分のところが限界になったからこそ浮かぶ思考。ある程度自分のところで発展があり、それが限界に近づいてきたと思ったからこその戦争、か。
 自分の道を通すための戦争というのは、それこそある程度以上に発達した社会でないと思いつかない発想であると思う。自分の所の限界による拡張、の後に来るような思考かなぁと。前者を正当化するための理由として使われることはあるのかもしれないけれども。そういう状況では、戦争をしないメリットというのは、考えが及ばないよなぁ……と。

 ……とまあつらつら考えていたら、やっぱり戦争はなくならないなぁという、おきまりのパターンの結論になってしまったり。そんなもんだろーなぁ、私個人の思考を私の中でぐるぐる回している範囲内では。ただまあ、いつもよりもちょっと思考が拡大したので、これはこれで良しとする。
 地獄少女がちょうどよく放映されているようなので、眺める方に専念します。そんな理由かよー。

読み:なし
買い:なし
途中:文庫『自殺論』
月次読破:文庫4冊、コミックス0冊
月次購入:3冊
通年度購入:163冊(文庫87冊、コミックス76冊)
通年度読破:166冊(文庫88冊、コミックス78冊)

それでは。

大掃除

2006年12月22日 18時51分08秒 | Weblog
12月22日分。

 そうか、年末も近いのだし、大掃除くらいしないといかんのではないかしらということを、知り合いのブログを眺めていて思いついたわけですよ。そして、部屋を見回してみたわけです。やらんといかんのかなぁと思ったことその一。要らなくなった本の整理。その二、新しく本棚を調達する場合に備えて床の場所を空けておくなり見当を付けておく。その三、あとどのくらい追加で本が入るかを軽くでいいから目算しておく。その四、本棚に積もった埃の掃除。
 ……全部、本かよ。まあ正味、この部屋に置いてあるものなんて、座卓とその上にあるパソコン、唯一本棚でないメタルラックとそこに突っ込まれたテレビ、布団、後は本棚が一つ二つ三つ四つ五つ六つ……六つ? でかいのは一個しか置いてないので、数ほどの収容量は無いのだけれども。六つ、六つか。この寮に入った当初は、確か三つだけだった筈なんだけども。倍ですか? 数だけなら。収容量にして考えると、三つの時点を百とすれば……えー。ごめん、やっぱり多分百七十くらいにはなってる筈。全部で何冊あるのか、今現在不明です。数えるのがあほらしいです。
 うん、これは自慢であるし、自己満足であります。認めます。ただ、唯一私自身が持っているポリシーが、本の数にはあって。とりあえず、ざっと見回して何がどこにあるか分かる範囲内で本を手持ちすること。つまりは、段ボール箱に突っ込んで取り出せない状況になる本は持たないこと。これを律儀に守ろうとすると、手持ち出来る上限の数は結構減ることになる。つまりは、並べておける本棚の収容量がイコール上限数だから。あれなのです、取り出せない状況になった本に意味はないと思ってる輩なのです。
 ……まあゆーても、本棚に入ってるだけで二度と読むことのないであろう本なんて、手持ちの八割はそうなんだろうなぁとは思ってるのですが。それでもあくまでも上の個人的な上限を律儀に守っているのは、いつぞやに見た馬鹿ニュースの影響もあるのかなぁとか。どこだったか忘れたけれど、アパートにため込んだ新聞やら雑誌で床が抜けたというあほすぎるニュースがあって。あれ以来、床が抜けない程度には加減しないといかんよなぁと思ってはいるわけで。
 とは言ったものの、そんなに急激なペースで本が増えているわけでもない。私の場合は、大体平日三日で一冊、休日はコミックスを潰すというような読み方をするし、節制している月は本を買う数も減る。今月なんてまだ三冊しか増えてないくらいであるし。うん、珍しく凄く追加速度が遅い。それでも、一年では二百冊くらい増えてしまう。引っ越しのときにどっちゃり何百冊か売ったのだけれども、去年も今年もやっぱり二百冊ずつは増えているのだろうから、そうすると売った分別の本が入ってきて埋め尽くしていることに。それでも、十年で二千冊かー。本読みとしては少ない数なのですよ、これだったら。
 まあ、そんなご託はどうでもいい。問題は単純だ。どの本を売って次にどの本を買うかだ。金の問題よりは、既に読めるペースと時間と気力と、置き場所の問題という、より厄介な段階の問題なのだ。えうー。

 ああ、そうそう。今日の朝に、気が向いたので『楊家将』の下巻を読み切りました。先にレビューは済んでいるので、内容に関していちいち突っ込むのはこちらでは割愛。中国の歴史小説ものですが、北方謙三の作品で、日本初翻訳、らしい。中国ものであっても『三国志演義』とかを読んだことが無くてもいけるってんで、勧められた二冊。上下巻なんで二冊。
 結構、良いですなこれ。ラノベ読みにはなじみのある感覚で読めるはず。戦記物になれている人、と言った方が良いのか。PHP文庫で上下だからちょいとだけ高めになるけれど、うっかりしたものを買うよりは良いんじゃないかなーと。いじょ。

読み:文庫『楊家将』下巻
買い:なし
途中:文庫『自殺論』
月次読破:文庫4冊、コミックス0冊
月次購入:3冊
通年度購入:163冊(文庫87冊、コミックス76冊)
通年度読破:166冊(文庫88冊、コミックス78冊)

それでは。