黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

風邪ひいたか?

2009年06月30日 22時02分22秒 | Weblog
6月30日分。

 毎度。今朝は妙に冷え込んだようで、ついでに霧雨降りも重なってうっすら濡れてしまったのが失敗でしたかね。ちょっと鼻が一日ぐずってしまって、また真っ赤なお鼻のトナカイさんに逆戻りしてしまいました。幽霊です。油断大敵か……。さすがに、体調が落ちかけているときにカロリー制限をかけると逆効果になりそうなので、今日はリミットを外してカロリーをむしろ増加気味に。後はまあ、うっかり夜更かしせんと、さっさと寝れば何とかなるでしょう。明日から何日かは、どうあっても休めませんのでね。本業が修羅場ってか鉄火場です。
 しかしまあ、ここのところ、こちらの本業はえらくまた厄介な状態です。会社自体が問題なのではなくて、新しくやらざるを得なくなった制度の実施が問題なんですけれどもね。これがまた、うちの会社では全社的に強制適用で、なおかつその完全実施が何とも困ったことに、この六月末からなのです。せめても、もうちょい早く情報とか具体的な対処の方策を出してもらうか、でなければ適用を九月末というか下期開始の十月一日からとかにしてもらうか、にして欲しかったなぁと。親会社様から、更にはその上、つまりは雲の上からのご指示でもあるので、選択権は一切ございませんけれども……と。さすがに、話が急すぎる。後手に回りすぎた感も否めません。
 この一件、不本意ながらも私も割と渦中というか真ん中に近い位置にいるせいで、ものすごーく今から不安です。実際、コレが大々的に表へ出てくるのはちょうど明日からになるので、もう間違いなく明日は仕事も大荒れでしょう。明後日の方が大騒ぎかも知れませんが、どっちにしても今週いっぱいは影響が抜けないでしょう。そして何より一番怖いのは、この問題、社内の誰も、これが正しいという状態、つまりこの制度を適用した上で正しい処理というのがどれなのか、実は全然把握してないということです。だからこそ不安なんですけどね、今から。

 情報の共有、データベース化とかネットワークとか色々言われていますが、こういう状況になると、全然「繋がっていない」んだなぁと実感できます。どこに情報があるのか、どの情報を選べば良いのか、誰に情報を聞けば良いのか、誰に情報を渡せばいいのか、そういった諸々がちゃんと「繋がって」いないと、共有化なんてできません。これがごく少人数のグループだったら、まだ何とかなります。少人数なら、誰がどの情報を持っているかが大体は把握できるから。極端な話、ワンマンでやっているならば、自分で分からなければ分からんという端的な結論が出せる。ただ、規模が大きくなってくると、どんどん情報はあちこちへ分散していってしまうわけです。
 何かしらの仕事をしようとしたとき、その仕事に必要な情報は自分の手元に置いておくのが一番分かりやすい。ただ、そうなると、他人がその情報を必要としたときに、自分が持っているというのを知らない可能性がある。じゃあ誰が持っているんだ? という質問すら、あちこちたらい回しにされる内に、持っている人のところへ行き着く前に忘れられてしまう、埋もれてしまうことだってあります。実際、社内であの書類がどっかいっただの、伝言頼んだ筈なんだけど伝わってないだの、割とよくあることなのです。そんなちょっとしたことですら、そんな有様なのですから……。情報の共有化なんて、まだまだ永遠と思しきくらいに先の話です。
 それと。多少の情報は、さすがに共有できるようなシステムは一応あります。ただ、同じ情報を見られるとしても、情報を見る人間のスキル、知識によって、得られる情報量が違ってしまうという問題も一つあったり。たとえば、私と、私の直属の先輩とは、全く同じシステムを使って仕事をしています。ただ、先輩の方が私より情報を集める精度も高いし、速度も上回り、かつ広く情報を読み取ることができるわけです。この辺は経験の違いもあるし、先輩の方はそのシステムの開発段階から関わってる人なので、システムのことをちゃんと知っているわけですね。同じ情報でも、見る人、扱う人が違えば、見た目の質すら違ってしまう。厄介なモンです。
 会社という場所は、それぞれに担当している仕事も違うし、従ってあっちこっちの分野でのプロフェッショナルが集まっている場所です。逆に言うと、とある分野では専門家なんだけど、他のところに関してはアマチュア、という人の集まりでもあるわけです。私自身も、勿論その例外ではないわけでして……いやはや。となると、みんなそれぞれに、自分のスキルも知識も違うわけで、情報を何かしら共有しようにも前提条件が違ってしまう。会社は人数が増えるほどに専門性が増す(少数のゼネラリストで補えないから、規模を大きくして専門家を増やすので)ものだけに、本当は規模の大きい会社ほど共有化が必要なのに、それが難しくなるというジレンマがあります。色々コマーシャルでその手のことに景気よく文句を並べているのもありますが、そんなに上手くいくならみんなやってるよ、ということですな。
 ……さーて。冷静に状況分析したのは良いんですが、差し当たって明日以降の何日かをどーやって乗り切ろうかしらん?

 それでは。ひゅう、どよよん……気が重いですぅ。

カロリーダウン中

2009年06月29日 21時47分22秒 | Weblog
6月29日分。

 毎度。毎々のことではありますが、週初めの月曜日は辛いですのぅ。幽霊です。つーても、今週はまだマシな立ち上がりという具合で、そんなに身体がキツイなーという感覚は無かったのが幸い。その理由は多分、食事制限でしょう。
 一昨日辺りから、食事内容を若干変更しつつあります。量を若干だけ減らしているのと、カロリーも若干下げるメニューにしてみたり。別にダイエットというわけではありませんが……。いや、この身長に対して体重のバランスから考えると、むしろ増やさないとイカンくらいの程度ではあるんですけどね。ただ、カロリーを意図的にあげてみても、かえって身体の調子が落ちることがよくあって、逆に下げると身体の重さがやや軽減される感覚があったり。多分、消化器側の効率がすごく悪いので、多く食べても吸収しきれないんだと思います。
 羨ましいと言われることもありますが、あんまり楽じゃないんですよ、この身体って……何度も何度も書いてますけど。うっかり寝不足になれば終日ふらふら、立ちくらみはしょっちゅう、疲れやすいし、食事も一回に多く食べられない割には効率が悪いのですぐお腹は空く。そして、頑張って食べてみれば後で消化不良。どうしやがれって言うんだぜ?
 とりあえず、少し前にたまたま一週間(の内、平日)の一日での摂取カロリーを調べてみたことがありまして。大体、平均して二千ジャストから二千百の手前くらいまでをうろうろしていることが分かりました。ということで、大体の目安として千八百から九百程度に抑えてみるかな、と。ついでに、野菜の割合を増やすことにしました。あんまり量が足りないとさすがに腹が減るので、肉類を減らして、その分をなるべく野菜で置き換える。これで結果的に、目標のカロリー量に落ちるという案配ですね。あと、部屋にいるとつい、水分補給にオレンジジュースやらばかり飲んでしまって、これ糖分過剰じゃね? と疑い始めたので、冷蔵庫にお茶を冷やしておくことに。カロリー制限云々より、こっちの方が効果高いかも知れません。正味、オレンジジュースやら飲んでしまう理由の半分は、冷えた物がたまに欲しいからというだけでしたし……。お茶冷やしておく方が、なんぼか健康的です。
 落とし始めて三日ばかりですが、割と順調に、身体の調子は悪くない状態で推移してます。このままとりあえず、しばらく様子を見る予定。

 はて。今日はちょっとネタが思い浮かばないので、この辺で切り上げます。まあここのところは長文傾向だったので、たまには良いかなーと。
 ではでは。ひゅう、どろん。

投入

2009年06月28日 17時59分58秒 | Weblog
6月28日分。

 毎度。今年度初、遂に扇風機を投入いたしました。幽霊です。ただ、投入した理由が、暑いからというのではなくて、洗濯物が外に干せないからという理由なのがちょっとねぇ……。昨日の内に洗濯を済ませてしまえば良かったのですが、ちょっと失敗しました。ぬう。ま、その代わり昨日は一日布団干してありましたから、そっちに関しては湿気っぽくなくて宜しいですな。洗濯物は部屋干しすると全然乾かないので、今回は強制的に風を当てるため、ということで扇風機。エアコンの投入は、まあもうちょっと後でしょうね。
 さて、ぼちぼち秘密事項の中身をさっさと公開してしまいましょう。どうせ大したことではないのだし。ということで、先々週から始めているのが、アートクレイシルバーです。要は、銀粘土というやつで、最初は粘土みたく扱って形を作って、最後に焼くと純銀(99.9%までは銀とのこと)になるという代物です。焼くにもちっこい陶器(内側に断熱材の類が貼り付けてあるらしい)のポットと固形燃料があれば済むので、割とお手軽。焼成用のポット付き入門セットと、銀粘土いくつか、あと細々した物というところからスタートして、昨日買いに行ったのは粘土が切れたのでその補充と、それからリュータ。電動工具と言っていたのはリュータのことで、さっそくお試しで今朝はかりかり削ってました。
 今のところは、基本中の基本ということで、指輪作ってます。飾りは何もつけず、石も何も無し。それでも最初に出来上がったやつは、輪を繋げる箇所の処理に失敗したようで、ヒビが入ってしまいました。致命的な失敗があると前に書いたのは、このヒビのこと。今日に一つ焼き上げてみた物は、ヒビ無しで、かつ前の物よりは全般に多少良くなった感じ。ただ、まーだ全然形が歪んでるなぁ。いっぺん焼成してしまうと、以降はほとんど形を直せなくなるので、やっぱり粘土を乾燥させた後の状態で、かなり仕上げをきっちりやらんとイカンようです。飾りを作ったりするのは、まだまだ先のことになりそうな。まだそこまで行ってないなー。
 ちなみに、作りはしたものの、指輪は別に自分でつける気は無かったりして。そもそもまだ完成ということにしたヤツが二つしかないし、どっちもまだまだねぇ……。一個目に至っては、そもそも論外です。それにまあ、あまりじゃらじゃらつけて歩く趣味もないし。なら何故作ったって? 飾って置いときたいだけです。飾って置いておける程度の物が出来るようになるのは、さてどのくらい先の話かなー。

 本でも、アートクレイシルバーでもそうなのですが、新しいところに手を出していくというのは、なかなかの刺激になります。今までに自分の範疇には無かったところへ手を伸ばすことになるので、まあそれなりに苦労なり手間なりはありますが……。あまりずっと同じところばかりにいても、面白みが減ってきてしまいますしね。今の世の中、お金さえ多少出せば、何か始めるにもちょうど良く道具を揃えることができます。揃えてくれているお店もあるし、そういうキットも多いし。店まで行かなくとも、ネットで注文したって良いわけですから、始めようと思えば、すぐ明日からでも何かを始められる。良い世の中だということでしょう。
 何かを作る、造る、創る、どの文字を当てても良いのですが、つくるということを目指している人、実際にそれを仕事にしている人は、その目指す物、仕事にしている物とは別のところへも手を伸ばしているべきなのかな、と思ったり。……やたら長い文でしたね、今の。まあいいや。つくるの意味は、設計図通りにつくるという方ではなくて、自分でつくる、という意味合いの方です。むしろ、設計図の方をつくる人、というニュアンスで捉えて貰えば良いのか。
 つくるということをするには、案外に体力を食います。私のようにメンタルの不安定な輩には、ちみちみと厄介な作業でもあって、しんどいときにはまるっきり余力が無くなるので、そっちへ一切手を出せなくなるくらい。今はある程度メンタルが上へ振れている状態なので大丈夫ですが、これが下へ落ちてくるとまた止まるだろうなーと若干心配しているところ。体力を食う以外に難しいのが、何かしらつくるときの取っ掛かりが必要ということ。閃きとかインスピレーションとか、ゴーストの囁きとか電球ピコーンとか「エウレカ!」とか、何でも良いんですが、そういったものが生じるキッカケが何かしら要るということ。そして、こういう取っ掛かりというのは、同じところにずっといると、どんどん減っていってしまうものではなかろうかなーと思うのです。
 引き出しの数を多く持て、というのはつまり、こういう意味なのかなーとも。何かつくろうとしているとき、延々悶々と頭の中でぐるんぐるんした後で、だめだーとぶん投げて。ただそれからもう少し経って、ふとした瞬間に頭の中で諸々が一直線に繋がっていく感覚が来たりすることがあります。自分でも思ってもみなかったところから繋がってくることも多いのですが、でもその繋がりの種類は、引き出しの数が少なければ限られた種類しか生じてこない。まるっきり別のことをしているときに、「あれ、そういやコレは使えるんじゃね?」と思い付いて、ここから繋がってくれることもあります。どちらにしても、狭いところへ閉じこもってしまうと、なかなか発端が掴めなくなってしまうでしょう。
 燃料があって、エンジンがあっても、一番最初に火花を散らす着火部分が無いと意味がありません。同じ着火機構を何度も使い続けていれば、じきに擦り切れてしまって火が付かなくなってしまうかも。新しいところへ手を伸ばしていくというのは、この辺を更新していくために必要なことなんじゃないかなーと思うのでした。

 ではでは。ひゅう、どろん。

フル稼働のソロ行動

2009年06月27日 21時30分46秒 | Weblog
6月27日分。

 毎度。秘密事項の材料が尽きたのと、そっちに必要なちょいとした電動工具を探しに新宿まで出てきました。幽霊です。そのついでに、行き道のコンビニで公共料金払い込んでみたりとか、コミネリサのCDを探してゲーマーズ(空振り)→タワーレコードに行ってみたりとか、割と久々にゲーセンへ寄ってデスマMBLを二コインとか、ついでに図書カードを補充したりとか。後は、新宿でよく行く沖縄料理屋で、今日は珍しくゴーヤチャンプルではなく、沖縄すば食ってました。トッピングにフーチバ(ヨモギのこと)を入れてみたのですが、あれはちょっと苦手かも。食ってみて分かることも、まああるよね。
 本来の目的物はハンズで売っているのですが、荷物になるのでハンズへ寄ったのは一番最後。無論、本屋にも今日は立ち寄ってます。本日のお買い上げは、『生きものたちの奇妙な生活』と『統計でウソをつく法』の二冊。若干背伸びしすぎて読みにくい本を選んでいたようなので、ここ最近は多少、俗っぽい方向か、読みやすいと思われる物を意図的に選んでます。で、今現在に残っている積み本は他に六冊ばかり転がってますが、軒並み分野がバラバラになってきました。ドーキンスあり、未来のロボットのデザインの本あり、脳科学あり、後は自己組織化のもあったかな? で、今現在読み途中なのが『マックスウェルの悪魔』と。地味に、ブルーバックスはやっぱり良い本が混じってますね。
 今日は珍しく、当初予定していた目的物は全部揃いました。こういうことは案外珍しいんですが、そのついでに面白そうな本も手に入ったし、戦果は上々。ただ、秘密事項のために買ってきた電動工具については、本格的に扱えるようになるのはまだまだ先のことになりそう。明日辺り、試運転程度はするつもりでいますが、コレが活躍してくれるくらいまでいけるのは、さていつのことか……。ヤレヤレ。割とここまでで金額を突っ込んでいるので、ある程度継続してやらんと元が取れませんな。ふひひ、わざとそうやって追い込んでるんですけどね。
 あ、そうそう。作業台の設置作業は終わりました。つっても、前に使っていた座卓を引っ張り出してきて、本棚をちょい脇へどけただけなんですけどね。思ったより広々作業出来るようになったので、結構良い感じ。環境と道具だけは揃ってきたけど、肝心の本人が駄目駄目ですだーよ。ああ無情。

 ようやっと、日常生活が多少なりとも充実してくるようにはなったかなーと、思えるようにはなってきました。ここまで持ってくるのは、なかなか大変だったのですよ、個人的に。現状満足に甘んじてしまうことが多い輩だし、新しいところへ踏み出すにはかなりの手間がかかります。そういう中で、本にしてもハードカバーへ手を出すようにも切り替えたし、自転車に続いてまた別の新しい事柄も始めましたし。香りのオイル焚くようにしてみたり、良い椅子と良いキーボード買ってみたり。諸々お金も使いました。本はちょっと計算出来ませんが、自転車と椅子とキーボード、それにオイル……は大した出費じゃないですが、新しく始めた秘密事項の方はある程度突っ込んでるので、全部合わせると……うん、二十万超えます。まあでも、無駄金ではなかったかな、とも。
 こういうのがお金の本来の使い道なんだろうな、とようやく理解が進みつつあります。学生時代を思い出してみると、自分で考えていた以上に、生活が変わってきているなーということが分かります。有り難いことに、それは私本人にとっては、以前よりも良くなったと思える変化です。就職して個人の経済事情が随分変わったということもあるし、昔に比べればメンタルも落ち着いてきました。よくここまで来られたね、頑張ったねと、ちっとくらいは自分を褒めても良いでしょう。
 もう一つだけ、些細な変化。昨日、会社の飲み会があって、五分間何でも良いから話せと無茶ぶりされまして。まあそろそろコレは良いかなと思って、「実は会社員生活なんて一年保ったら御の字、三年保ったら奇跡というくらいに思っていた」ことをさくっと話してしまいました。意外だという反応が大半で、それはつまりは、これまでそういう思考があったことを表にほぼ出さず、つまりは猫かぶりにずっと成功していたということですね。今回、それはまあ無茶ぶりされて他に思い付くものも無かったから話してみましたが、それを表に出しても良いかという判断が出る程度には、四年前くらいと比べると変化があったということ。またもう少しときが経てば、今よりもまた変化が多少はあるでしょう。それでもとりあえず、私はまあ、こういう私で良かろうな、と。
 ということで、世界を大いに駄目駄目にするための、奇人変人幽霊をコンゴトモヨロシク。

 それでは。ひゅう、どろん。

SHISO

2009年06月26日 23時19分20秒 | Weblog
6月26日分。

 毎度。今年のペプシはしそかぁ……し、しそ? 商品名も正式に、「ペプシしそ」ですた。幽霊です。ということで、ふっとそろそろ売ってる時期だよなということを思い出して、コンビニに立ち寄ってきました。ちゃんと売ってましたよ、ペプシしそ。どーでもいいですが、どうしてこう、ペプシは毎回のように青色一号を使いたがるのかな? かな? しそというから、てっきり赤紫の色を想像していたので、コンビニの棚で一瞬見落としてしまいましたよ。実際には淡い緑色でした。紫の方じゃなくて、青じそなのね。
 味? 期待していた程には不味くなかったですよ。なんだろう、昔駄菓子屋で売っていた「梅ミンツ」の味に大体似てる、と言って通じる人がどのくらいいるのかしら。私個人としては、これ以上しっくりくる表現が思い浮かばないくらいには、似ているなーと思うのですが。少なくとも、こりゃペプシコーラという味ではないですな。

 今日の日経ビジネスのネット版に、キングジムのポメラの記事が載っていました。該当記事は有料会員でないと今日以外見られない筈なので、リンク貼りは省略。で、その記事の中でなるほどなーと思ったのが、ポメラの開発を決定したときの話です。元々、このポメラの企画が最初に出たとき、十人いた役員の内、九人までは売れねーよこんなもん、という反応をしたそうです。ただ、たった一人だけコレを絶賛した役員がいて、社長はその一人がいたことをもって、ポメラの開発を決めたのだそうです。
 曰く、事務用品というのは生活の必需品ではなく、生きていくのに必須な物でもない。従って、「まあまあ欲しいかな」という程度の物だと、他に埋没してしまって、最悪一個も売れないことがあり得るし、ヒットにまでなる可能性は低い。逆に、九人が駄目だと思っても、一人が大絶賛して絶対買うと言ってくれるなら、最低でもその一人は買ってくれる。十人がまあまあという程度に評価する物よりは、一人が絶賛する物の方がヒットする可能性はある、という話でした。なるほどね、と。
 実際問題、ポメラは高いですね。携帯電話にも劣る機能、メールもネットもゲームも出来ず、音楽も聴けず、出来ることと言えばただ文章を打ち込むこと、後はデフォルトでATOKが入っていること、起動が早いことだけ。ただ、それは余計なものを全部オミットして、思い付いたとき、閃いたときに、即立ち上げて、頭にそれが残っている内に文章として残せるということにのみ特化した物だということです。この大前提があるからこそ、ポメラはAC電源を取れるコードすらなく、電池式なのですよね。だから、こういう限られた機能の商品なだけに、買っていく人は限られます。でも、買った人の内、ある程度の人はかなり重宝するでしょう。うちの母親殿もいつの間にやら買っていたよーで、電池切れ起こすから替えの電池を持ち歩いてる、というくらいヘビーユーズしてるとか。いやはや。うちの方は、まだ修理中で音沙汰無いなぁ。

 今の世の中だと、ヒットの可能性がまだ残されている物というのは、こういった考え方に基づいた物の方だろうなと確かに思います。でなければ、完全に今までに無い新たな「三種の神器」の類が出てくるか、になるでしょう。基本的に、今の日本では、生活に最低限必要な物はみんなが既に持っています。だから、需要の基本は買い換えの需要か、より各個人にとって良い物か、ということになる。前者は置いておくにして、後者の場合の「良い物」というのは、性能が良いということとは、必ずしもイコールにはなりません。性能が良いに越したことはないのでしょうが、見た目が好き、自分の使い方にしっくりくる、自分の身体的特性などに合う(手が小さい人向けだとか、サイズの大きい人向けだとか)、といった好みによる側面がかなりのウェイトを占めるようになります。
 もちっと例を身近なところから出すなら、ちょうど今ならテレビを挙げれば分かりやすいでしょう。今さっきの前者の方だと、じきにアナログ放送が終了することになり、デジタル放送に対応させないとテレビが見られないという新しい状況があります。つまり、デジタル放送に対応するテレビ、もしくは対応させるための何かしらの装置、という新しい物がまず出てきているわけですね。これに更に、後者の方も絡んできます。新しく、デジタル対応のテレビなりを買う必要があるのは分かった、じゃあ対応している中でどの機種を買うのか? でっかい画面のやつが良い、いや置き場所の問題で薄いやつが良い、壁に掛けられるやつが望ましい、とにかく安くしたい、等々好みなり要求事項は各個人で変わってくるでしょう。
 ただ、じゃあこの辺の要求を満たすために、「ある程度画面が大きくて」「ほどほどに薄型で」「何とか壁には掛けられるけど専用金具はがっちりしたのが必要な」「平均的な値段の」テレビを……買います? 買わないでしょ? もし実際にこういうテレビがあれば、十人に聞いての評価は「まあいいんじゃないの」という程度でしょうし、実際に買うかと聞かれれば、大体は買わないとの回答が来ることでしょう。もっと上位の機種を選ぶ人もいれば、もっとランクを落として安上がりに済ませる人もいる。今の世の中、平均的で凡庸なもの、というのはもうあまり売れなくなっています。何かとんがったもの、十人中の一人くらいが「おっ?」と強く興味を持つような類の何かしら、が必要なのでしょう。
 ペプシしそとゆーぶっ飛んだ代物も、そういう「おっ?」を目指した、のかどーなのか。少なくとも、私は買ってしまったんですけどね。

 それでは。ひゅう、どろん。

仕事にならない

2009年06月25日 21時12分29秒 | Weblog
6月25日分。

 小田和正の歌? そりゃ、言葉にならない……。毎度、ツマンナイ駄洒落で不快指数を上げてみました。幽霊です。冗談はさておき、本当に今日はほぼ一日仕事にならない状態になってました。何故って、今日が健康診断だったから。健康診断つーても、会社でやる類になると、血液検査が含まれてくるのです。となると、血をいくらか抜かれるわけでして……。体重が軽くて、かつどうも血の気の足りないらしい私としては、健康診断で抜かれる程度の血の量でも、一日ほぼ使い物にならなくなるくらいには影響が出るのです。去年もそうでしたが、今年もやっぱり駄目でした。ふらふら~。
 健康診断から職場へ戻ったら、開口一番に「えらく疲れた顔してるけど」と即言われた辺り、よっぽど顔に出ていたようです。いやはや、確かに足下が微妙に落ち着かないわ、頭が回らないわ、身体の反応が全般に遅いわでろくなことはありません。なお、他の健康診断での数値は、去年とあまり差はないのではなかろうかなと思われます。身長は三ミリ縮んだようですが、この程度だと誤差範囲に収まってしまいますし。体重が一キロ半近く減ってましたが、去年の数値が妙に高めだったので、むしろ去年が変だったと思うべきか。結局、五十キロジャスト辺りから変化無しのままです。血圧がちょい上がってましたが、元が低いだけに、いくらか上がった方がいいんでないかい、と思うだけ。計りやすい範囲での数値は異常なしのようですが、さて血液検査の方でどうかな。そっちが分かるのは、来月末くらいですか。

 たまに、読売新聞のサイトで発言小町というページを眺めていることがあります。要は読者側が話題のトピックスを投稿して、読者側がそのトピに対してレスポンスをつけていく、ネットの掲示板というやつですね。なかなか眺めてみると面白い話題、もしくはレスポンスが転がっているもので、暇つぶしにはちょうどいい感じです。良くも悪くも人間がやりとりしてるなぁ、と思えますよ。
 その中で、整理が出来ない、片付けられないといったお悩み相談のトピックスもあって、その辺りは興味深くしげしげ眺めてしまいました。実際のところ、私自身もあまり片付けたり掃除したりというのは得意でなく、放っておくと部屋が一ヶ月でかなり荒れます。さすがに我慢しきれんなーと思った辺りで、休日を丸一日突っ込んで部屋中を一気に片付ける、というのが二ヶ月にいっぺんの周期というところでしょうか。間が空きすぎだって? サボり性が身についてしまうと、こんなものなのです。
 ただ、昨日のネタで「捨てるのも仕事の内」と書きましたが、自分の部屋でもある程度これは同じ方針でやってます。捨てられそうな物はポイしてしまう方が、その分部屋を広く使えるし、ごちゃごちゃしなくなってスッキリしますね。あ、そういや粗大ゴミをまとめて出してしまおうと考えていたのに、すっかり忘れてました。なんとかせにゃーイカンですな。放り出す物の見当は付いているので、後は申し込んで部屋の外へ叩き出すだけ、なんですけどね。電話かけるのがめんどい、という極度の無精です。
 はて。発言小町じゃないですが、私自身が最低限、部屋を荒らすのを遅らせるために使っている手を幾つか。
 まず、箱は大体捨てる。パソコンやらの入っていた外箱は、ちゃっちゃと捨てます。中が空なのに場所を食うので、邪魔なのです。後で売ったりするときにーとも思いはしますが、どうせろくな値は付かないんだし、箱の有無なんぞ大差ありません。ただ、極端に変な形をしていて、押し入れに突っ込むとき後で出しにくそうになる場合は、小さいものなら箱を残します。というか、その箱に入れて仕舞っておく。ただ、箱に入れて出さないままになってる品物って、結局は後々まで使わないものなわけで、捨ててしまって良いよーな気がする今日この頃。
 次、取り扱い説明書と、電気料金やらの支払い領収書は一箇所にまとめてしまう。割とよく無くしたり、その辺に置きっぱなしにして忘れる輩なので、それぞれ安いファイルを買ってきて、その中に突っ込んでます。取説を探すのに箱を探す、どこに仕舞ったかを思い出す、という手間が無いので割と便利。
 コレに近い方策で、整理用の蓋無しボックスを買ってきて、同系統の物はとりあえずそこへ突っ込んでおき、その箱の中を定位置にしてしまう。使ったらなるべく戻すようにする、というのを習慣づけてやれば、物を無くす、床に置きっぱなしになるという状況を減らすことは出来るわけでして。厳密にアレはそこ、コレはここと置き場所を決めるよりは、大雑把にこういうヤツはこの箱、で括って放り込むことにしてます。肌が弱いんで化粧水やら乳液やらを使いますが、そういうのは一つのカゴにまとめてますし。自転車用のチェーン洗浄液、チェーン用のオイル、ドライバ、六角レンチとかはまとめてこれまたカゴへ、といった具合。そっちの方が気が楽ですしね。見た目ちょっと雑だけど。
 後は結局、物を減らすこと、増やさないこと、に終始することになります。二年も使わずに放っておいた物なんて、今後一切使いません。もし使うことがあったとしても、最新の物を買った方が使い勝手はよほど良くなってます。ざっくり切ってしまえば、後になってみて、無くなっても別に困らんかったなーと思うだけですよ。……あ、でも今日書いたこういう方策って、発言小町にもまるっきり同じようなことが書いてあったよーな気がします。みんな、考えることはまあ似たようなもんだってことでしょうね。妙案はそうそう無し、地味ぃにやるしかないのでしょう。

 それでは。ひゅう、どろん。

捨てるのも仕事

2009年06月24日 20時58分21秒 | Weblog
6月24日分。

 毎度。職場で、そろそろ棚を埋め尽くしつつある書類を整理して、保管業者へ大量に送りつけましょうという作業をやってます。幽霊です。いや、これがまた経理という仕事は紙を大量に使うし、大量に保管しないといけない仕事なのです。仕事上、効率の意味もあってある程度は電子データでの決裁やらもあるのですが、未だに紙ベースでやっている部分もありまして……。この紙の量がハンパじゃないのですよ。書庫を五つも六つも、小さい物まで含めればうちの部で十コ以上持っている筈なのですが、コレがあらかた既に埋まってしまっているというくらいです。毎年叩き出してるんですけどね、業者さんに。
 例えば、会社の経費として何かを買ったとして、実際にその物を買いましたという証拠が必要になります。それを出してもらわないと、個人でちゃっかり着服したりしたんじゃないの? という疑いがもたれてしまうからですね。仕事というのは、そういうところをキッチリする必要があります。そうなると、簡単に済ませるならレシートが、ある程度の金額の物だと、ちゃんと領収書を出してもらうわけなのですが。この辺の証憑類は、どうしてもまだ紙なのですね。で、この証憑類の紙と、上の方の人たちのハンコを揃えた紙の書類を出してもらって、精算する。精算した書類と領収書は、証拠としてファイルに閉じておく。これを数百人いる会社で毎月やっていれば、どんだけ溜まるんだよ、という話です。
 法律で定めがあるので、こういう書類もうっかりとは捨てられません。ちゃんと、こういう書類は何年保管しなさい、という決まりが法律として存在しているのです。物によっては、会社が存続する限り永年、というものも。こうなると、社内にずっと置いておくにも場所が足りないので、結局は保管業者さんに頼んで定期的に外へ出すことになります。あんまりごちゃごちゃ全部持っていると、今度は必要な書類がどこにあるのか、紛れてしまうこともありますしね。一方で、日頃ちみちみと仕事をしていると、無用な書類もどんどん個人単位で溜まっていきます。机の上やら引き出しの中やらを引っかき回してみると、何でこんな書類を持ってるんだ、という代物がわらわら出てきて苦笑い。この手のも捨ててしまわないと、これまたいざ必要な書類を探すときに大変です。
 基本的に、周囲にある物は少ない方が、仕事の効率は上がります。勿論、必要な物が無いというのでは困りますが……。そういう意味では、捨てて身の回りを整理しておくというのも仕事の内なんだよな、とか。会社単位で見ても、今は「選択と集中」なんて言って、余計なところを落としていくという方策が、一種トレンドみたいな感じですね。更に広げていけば国の単位でも、なんでもかんでも出来るわけではないし、お金も限られているのだから、ある程度は配分の比重を考えないといけません。どこへ重きを置くかというのを選ぶのが、選挙という手段……の筈なんだけどなーと思ったりしつつ、何を言いたいのやら。

 んー、そろそろうちの部屋の本棚も、また整理しないと。ごそごそと読まなくなった本が溜まってきました。ちょいと前から秘密事項のために作業スペースを作ってやりたくなって、となると本棚をもう一つ畳むか、どっかへどけるかしないといけません。さーて、どうしようかな。作業用の台も買わないといけないかと思いましたが、そういや以前使っていた座卓を捨てないまま畳んで隅っこに置いてあったので、台としてはそれをそのまま使えば良さそうな。後は置き場所なのよねぇ。

 それでは。ひゅう、どろん。

お一人様の時間を

2009年06月23日 22時00分33秒 | Weblog
6月23日分。

 毎度。たまには時事ネタでも引っぱってこようかと思ったのですが、ニュースサイトを三つ四つ回ってみても、さほどめぼしい話はなさそうですね。幽霊です。平穏無事なのは良いことです。個人的な笑い所は、この話に繋げてこの辺でしょうか。うんうん、頑張ってますね。うちは見事にテレビも無ければパソコンにチューナも繋いでいないので、地上波テレビの環境が一切ありません。衛星放送も無いし、ケーブルテレビも無い。それで生活困ってませんし、既に一度、料金徴収の人に「テレビありませ~ん」と言えたので、満足。地デジ? エコポイント対象のテレビ? 買うつもり一切ありませんよ? 先々も含めて。

 さてさて。うちの部署の人が、一人出産と育児休暇に入ります。その話を聞いたときは、初耳の事柄ではありましたが、そういや「そーなのかー」という程度の感覚で驚きはありませんでした。前に同じように育児休暇に入った方がいたというのもありますし、極端な話、あまり今の私には他人がどーであろーと大した興味はない、という本音もあります。せめても、もうちょい大きなリアクションを取って見せるべきであったかしらん、と今更に思ったりもしますが、まあ別に良いか。
 今のところ、私の世間様と会社関係その他の対人関係で主に前に出てくる感覚は、これもまた「どーであろーと大した興味はない」です。良くも悪くもまあ、鈍感になったし、鈍感であるよう結構意識してきた結果でもありますね。やたら神経質過ぎて自滅しかかっていたことは、ちょっと前に書いたことがある通り。ようやっと、自滅を避けやすく出来る程度には、予防線を張れるようになったようですな。良きかな良きかな。ただ、ちっとばかり鈍感志向が表に出やすくなった節もあるようで、ちょっくらバランスが難しいですね。ふひひ、それでも大して仕事に差し障りはないから、そのままにしておいてますが。でも、案外コレが普通というやつなんじゃないかなー、とも。
 ようやっと、お金も自分の自由に出来るようになったし、自分で生活を全部組み立てられるようにもなったし。自分が選んだ分以外の他人からは、影響をあまり受けないような生活と精神状態を維持できるようになったようです。以前はそれすら危うくてフラフラしていたものだから、自分でもその内ぶっ倒れるんじゃないかと思ってました。精神病院が必要かもね、と昔は割と七割八割まで本気で考えていましたが、今は二割程度までの本気度合いで「頭のネジがぶっ飛んでるのさ」と笑うようになりました。随分と遅いタイミングですが、ようやっと、本当にやっと、今になって自分の好きなことを、めいっぱいに、自分の好きなだけ出来る環境と、自分自身の内面も含めた条件を揃えられた。時間かかったなー、要領悪いなぁ、と思いますが、まあそれはしょうがない。
 寿が三年連続だか四年続けてだか、職場で続いている煽りもあって、どーも上の人は次は私(上の人本人という意味ではなくて、幽霊のこと)の番だな、とかいう感覚が無いでもない様子。酒の席とかになると、コレがまたうるさいんだ……。私自身としては、しばらくそういうのは興味ないな、と思ってます。やっと、自分の好きなことを、自分で選んで出来るようになったばかりですしね。そんなにすぐに、この時間を手放したくはないのです。他の人よりも手に入れるのが遅れた分、なおさらに。ま、それを会社の人たちに言ってみても、伝わるとは思ってません。苦笑いして、愛想笑いして、お手洗いに流しておくことにします。だばぁ。
 先のことは、先になってから考えりゃ良いのですよ。

 それでは。ひゅう、どろん。

目にも騒がしい世界

2009年06月22日 21時54分55秒 | Weblog
6月22日分。

 毎度。休みになるとどうにも生活時間が崩れてしまって、月曜火曜日辺りがどうしても辛いですね。幽霊です。不摂生な生活をしている自分が悪いのですが、月曜日は機嫌が悪くなりがちですな。ちなみに、一番機嫌が良いのは金曜日。次の日から休み、ですからね。土曜日に出勤しろと言われている場合には、機嫌はまず間違いなく絶不調の最底辺をうろついていることでしょう。まあ、休みになっても、日曜日の夕方以降はサザエさん症候群でブルーな気分になれますが。
 機嫌の悪いときには、割と普段気が付かないような些細なことでも、結構気になってしまったりも。やたらと台数の多い車の音とか、帰り道にあるパチンコ屋のネオン看板と、店内から漏れるじゃらじゃら音とか。見た目にも、耳にもやかましい世の中だなぁと思ってしまいます。そう言いながら、本人もゲーセンに行ったり、ヘッドホンで音楽聞いたりしてるので、あまり他人のことは言えませんけどね。ただ、こういうきつい光や音の刺激が多くて、疲れ気味のときには偏頭痛がキリキリしてきて、恨みがましい気分になれます。
 よくよく考えてみると、世界をカラー映像として見ている生き物というのは、あんまり数がいないんじゃないかな、と思ってみたり。同時に、人間くらい音に鈍感な生き物というのも少ないかも知れません。ただ、人間の言う「フルカラー」な世界というのは、他の生き物から見ると、その生き物にとっての「色」が全然存在しないような世界に見える、という可能性もあります。人間が見えている範囲の波長というのは、そんなに大した範囲ではないようですし。音にしても然り。ただ、自分の好きな「色」と「音」の両方を意図的に、人為的に、自分の周囲に置いておくことをする、それが出来る生き物というのは、人間だけかな、とも。それが善いか悪いかは分かりませんが。

 音と言えば、ここ最近でまた何曲かお気に入りを新しく掘り出してみたり。中でも一番のお気に入りは、アニメ版「レンタルマギカ」のOP曲……の英語版で、「Faith」です。日本語版もあるのですが、先に英語版を聞いて気に入ったせいか、日本語版を聞いてもいまひとつ……という感じが。
 大体私が気に入る曲というのは似たようなものが多くて、メタルを聞くようになっても、傾向がほとんど変わりません。今のところ、メタル方面だと「WITHIN TEMPTATION」に「ナイトウィッシュ」、それに「SIRENIA」といったところ。全部有名所ですが、有名だからというよりは、傾向が近いものを気に入ったというだけですね。有名所がどれなのか、も知らない程度のレベルですので……。国内だと、最近あんまり見かけませんが、鬼束ちひろとか。アニソン・ゲーソンでも、やっぱりどことなく似通ったものを好みます。アイマスも聞きますが、千早だけ別格扱いで後はそんなに、というくらいですし。明らかに、好みが一極化してます。
 大まかには自分の好みが把握できているのですが、メタル方面はまだ探し方のコツが身についていないもので、頻繁に「あ、ちょい外したか」というのを引きます。買ったCDの中身の善し悪しではなくて、私の好みへの合う合わないが問題なのですが。「SIRENIA」はたまたま、当たりを引きました。もうちょっと事前に調べて買いに行けば良いんですが、それだとツマランしなーと思ってしまう辺り、ある意味ではギャンブル的に楽しんでいる節もあるのかも。それもまた、まあ安上がりに済んで良いかな。

 それでは。ひゅう、どろん。

「傾向と対策」と実態

2009年06月21日 15時46分21秒 | Weblog
6月21日分。

 毎度。今日も昨日と同様に秘密事項を試していましたが、途中で大失敗して結局またしても振り出しに戻ってしまいました。残念。幽霊です。失敗の原因は割と単純なところで、初心者どころか始めたばかりだというのに、まだ高望みしすぎているという点にあります。この程度のことも出来ないのかよ自分~とちょっと情けない気分にもなってきますが、まあ更に一つ目標を下げれば良いのかな、とも。割と、この手の高望みしすぎて足下がお留守、的な失敗は他の方でも経験は多いのでは? とりあえず失敗が続いたので、材料の持ち弾が切れてしまいました。来週末くらいに補充してこないと。

 全然違う話。昨日の夜に、某所にて小説の新人賞の傾向と対策、的な話を延々何時間かやってました。まあ、本格的な議論があったわけではなくて、思い付いたことをぽつぽつやって悪のりして以下略、という感じでしたけれども。その後でふっと思ったのが、この手の傾向と対策は、実態に必ずしも合っているとは限らないという点で、受験勉強そっくりだなーと。実態、という言葉はちょっと今回は意味が違うかな……? イメージとしては、大学に入るまでにはたくさん教科書から詰め込んで「お勉強」しないといけないけれど、大学で同じように「お勉強」してみてもなーんも面白くない、とかそういう感覚なのですが。
 資格試験なんかは特にそういう側面があって、私も経理の資格を幾つか持ってますが、実際の仕事ではコレほとんど役に立たないのです。運転免許でも、実技の方は確かに実際役に立ちますが、学科の方はほとんど役に立たないと思いませんか? 標識の種類とかは覚えておく必要がありますが、コレはどこで使うんだ、という内容も結構あった筈。実態に即していようがいまいが、とにかくその試験に受からないと話にならないから、実態と外れていても、受かるための「傾向と対策」に合わせないといけない。そしてまあ、大概において、そうやって覚えたやつは、すーぐ忘れてしまうのですよね。
 大学の方でも、自分の興味のあることを勝手に学んでいく方が楽しいのですが、自分の取っている講座の成績という問題もあります。従って、これまた試験期間中だけはまたしても「傾向と対策」が必要になる。私自身の場合は、あまり在学中にうまく興味対象を見付けられなかったので、今更になってあちこち本を読んだりしてるわけですけれども。こうして考えると、どうにもこの「傾向と対策」というやつは面白みがありません。読書感想文の課題図書みたいだなーとも思います。あれもあれで、教師に受けそうなことを書いておけば、それなりの点が取れるでしょう。ただ、どうして、教師の提示してくる課題図書って面白くないんでしょうね。まあそもそも、今のご時世に本を読めってこと自体が、あんまりそぐわないのかも。私は時代遅れ気味な人なのと、本読みくらいしかないからやってますが、もっと別のものを見付けられる人はたくさんいるでしょうし。
 昨日何人かと話している間に気が付いたのは、「傾向と対策」に対しての感想というか見解がみんなバラバラだったな、ということ。私自身はその話を「傾向と対策」の類だと思って聞いていましたが、そうではなくて「実態」の方を考えている人もいたようです。新人賞も要は一種のテストなわけですから、確かに「傾向と対策」自体は必要でしょう。ただ、それが全てなわけでもない。あくまで私が思うのは、「傾向と対策」というのは合格率を上げるための方策であって、それを満たさなければ絶対に合格できないという必須条件じゃないよ、ということ。後は、「傾向と対策」に沿ったものばかりでは本人がツマラナイんじゃないかな、ということくらいでしょうか。

 それでは。今日は早めの更新でした。ひゅう、どろん。