黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

勘違いしていたようなので修正

2018年03月22日 23時27分10秒 | Weblog
3月22日分。

 毎度。ここ数日妙に更新頻度が高めですが、昨日に更新した記事に、思いっきり私の勘違いがあったようなので修正をするついでに更新。幽霊です。自動運転での死亡事故の件ですが、ドライブレコーダーの映像が公開されていますね。


 該当の記事としてはとりあえず「“自動運転”死亡事故 残された映像には…」といったあたりから。どうも、私は「件の死亡者が自ら飛び込んだもの」と誤解していたのですが、そういうことではなくて、視覚的にはほとんど見えない位置から突然に現れてきてしまった、という感じの状況のようです。
 ひとまず、「視覚」での話だけすると、あの状態では「搭乗者」がもし視線を下に逸らしていなかったとしても、とっさにブレーキを踏んで停止が間に合う距離では無かったようには感じます。従って、搭乗者が常に備えておくべきであるという部分に異論はありませんが、今回の場合、搭乗者がすぐに気が付いてブレーキを踏めたとしても、間に合うタイミングでは無かったというように見えます。
 速度が60km/hは高いのではないかという感もありますが、前方に映っている車のテールライトとの距離がどんどん近付いてきているわけでもないので、周囲も基本的に同様の速度で走行はしているようです。ただ、そこまでぎっちり周囲に車だらけというわけでもないようですね、自転車を押した歩行者が横断してこられる程度には。
 気になるのは、リンクした記事の映像中に指摘がある通り、センサが機能していれば接近してくる物体は感知できていたのではないか、ということ。全く減速している様子が無いことから、「感知できていなかった」という可能性がありそうですが……。はて、センサの死角になってしまっていた? 何らかの動作不良が発生していた? それとも、センサでは感知できていたが回避行動に入るプログラムとうまく連動していなかった? 当然、そこは究明されていくことになりましょうけれども。

 ふと思うのは、該当の車両に搭載されていたセンサというのは、カメラなどを使った「映像・視覚」主体でのセンサだったのかしら、ということ。運悪くというべきか、街灯の明かりの入らない死角のような位置から女性が突然現れたような状態でしたので、視覚主体のセンサだった場合、見落としてしまったのではないか? という疑問が……。
 ネットですぐ見つかる範囲の情報だと、一般的に、自動運転車のセンサとしては、主体で使っているのはやはりカメラビュー、つまりはカメラから映像で検知するという方式のようです。これを補助するために、レーダー、超音波センサなどを組み合わせて、視覚が通らない・通りにくい場合の検知能力を上げていく仕組みになっているようですね。
 Uberの自動運転車両がどういったセンサを搭載していたのかは分からないのですが、さすがに光学カメラ「だけ」のセンサしか積んでいなかった……ということは無いと思われます。もし仮にそれしか積んでいなかったということなのであれば、それでは不足である、ということは今回判明したことになりますが。うーん、完全自動運転を前提にするなら、さすがにそれは無いんじゃないかなぁとは考えているのですけれども。


 若干話が飛ぶのですが。今回の記事を更新しながら、ふと思い出したのが「トロッコ問題」のちょっと絡む類いの話。多分、どこかしらでAI関連の本なりを読んでいる間に、これに類する話を読んだのではないかなとうっすら思うのですけれども。いや、そういえば自動運転そのものを取り上げた本も今年度の内にどこかで読んだ覚えがあるので、そこからそのままかもしれません。該当の本は……あー、既に本棚に見えないあたり、多分読んで満足して売ったなこれ。
 まあ覚えてる範囲で書くことになりますが、たとえばですが、路上へ飛び出してきた人を避ける必要があるとする。但し、回避が可能な走行ライン中に、もう一人別の人が存在する。要するに、前者を避けようとすると、後者を結局は轢くことになる、というもの凄く極端な例のことです。もしくは、路上へ飛び出してきた人を回避するためには、周囲の立地条件等から制動が間に合わないとし、壁にぶつけるなどして無理矢理に止める必要があるが、それをやると中の搭乗者が犠牲になる、とか。
 とにかく、歩行者なり他者を回避しようとすると、それ以外の他の歩行者なり、もしくは搭乗者が犠牲になるというケースを想定した話です。実際にそういった状況がどれほどの頻度で発生するのかということは考慮せず、そういった状況が発生してしまった場合に、どう機械側に判断させるのかということを問題にするわけです。こういった状態は「絶対にあり得ない」とは言えず、もし実際に発生してしまった場合に備え、判断基準は設定しておく必要があります。

 ……この場合、基本的には「搭乗者を保護する」ことを優先する、という判断基準にせざるを得ないのだろうと思います。が、もっと厄介なのは、搭乗者の保護は出来るとしても、搭乗者以外の2者を択一する必要があるような場合であるとか、1人を避けるために3人などより多くの歩行者を巻き込むことになるとか、他の車両を巻き込むことになる、といったようなケースでしょうね。
 また、人間を中に乗せて走行する以上、回避することだけを考慮すれば回避は可能なのだとしても、その回避行動で中にいる搭乗者がミンチになるような回避はしてはいけない、という設定はどうしても必要です。つまり、どこかしらで「回避を諦めて轢き殺す」という選択をさせる必要が生じる。そういった判断を、人間のドライバーにさせるのは……まあ、無理でしょう。この手の状況は本当に一瞬で発生するので、どうするか考えている間に轢き殺して終わりか、そも考えるより前に手足が動いて結果が後から付いてくるだけ。ただ、機械の場合には、これを判断している時間があります。
 屁理屈をこねているように見えるかも知れませんが、自動運転を本気で普及させていくのであれば、膨大な台数が世界中で走ることになるわけですから、こうしたケースは発生し得る。正直、殺して良い優先順位を決めているようで気分は宜しくないのですが、そういう判断基準の設定は人間が方向付けをしてやることになる……んだろうなぁ、と。
 無論、そういった状況に陥る前に、周囲状況から事故を予測した上で、事前に回避することがベストですけれども。ただ、予測の部分の話と、万が一起こってしまった場合の判断基準の話は別。実際、今回も結局事故は起きているので……と。ふと思いましたが、今回の件、検知が遅れたのは間違いないのかなとは思いますが、検知した時点で「これは搭乗者を保護する前提でのブレーキングでは間に合わない」と機械側が既に判断しており、「間に合わないのであればブレーキングする必要は無い」と減速しなかった……なんて可能性は、さすがに無いよな?


 最後に妄想まで浮かんだところで、今回の更新はこのくらいで。

あ、微妙に続報来た

2018年03月21日 22時01分31秒 | Weblog
3月21日分。

 毎度。今日はお休みではありますが、結局ほぼ朝からぐったり寝込み、ゲームして、スチームで一本新しいゲーム買ってそれで多少遊んで寝る、というヒドイ生活でした。幽霊です。新しく買ったやつ、残念ながら日本語対応していないので、読めないアメリカ語相手に首をかしげながら、必要ならグーグル翻訳へぶち込んで読み取るという強硬手段に出ております。
 正味、スチームのように全世界を相手にしているような場所では、日本語ローカライズってそんなにメリットが大きいわけではないんでしょうね。英語で作ってあればかなりの人数にリーチ出来るわけですし、ベースで開発してる人達も英語圏の人であることが多い。そこから日本語対応を追加するというのは、実際としては利益にほぼ見合わないのかもしれません。
 ……ま、その話はさておくとして。


 昨日から話題にしている件、続報が来ましたね。「米ウーバーの自動運転車事故、被害者が車の前に突然飛び出した-警察」といった情報が出てきました。なるほど、さすがに少々妙な話だなとは思っていたのですが、そりゃ飛び出されたらアウトでしょう。この話が事実ならば、ですが。
 とりあえず、該当記事に今時点でついているコメントを読むに、「?????」という感じのものがちらほら付いているのが疑問です。要するに、「人間では対応出来ない事故にも対応するのが自動運転だろ?」という反応があるようなのですが……いや、それはさすがに夢を見すぎだし、そも物理法則的に無理があるケースは自動運転でも無理だろう、と思うのですが。
 状況的に、該当の車両は事故時点で時速約60kmで走行していたそうですから、フルブレーキをかけたとしても制動距離は27m必要になるとのこと。なお、その前にドライバーが判断してブレーキを踏み、効果が出るまでのロスとなる空走距離が17mとのことなので、両方を合わせると44mになります。自動運転で判断までの時間がより高速化されていたとしても、30m程度は停止距離に要することになるでしょう。
 警察署長のコメントでは「いかなる状況でもこうした衝突を避けることが非常に困難だっただろうことは極めて明らかだ」となっているので、ほぼ不意打ち的に、かなり間際で走行ラインへ飛び込むような動き方をしたのではないでしょうか? 仮にこの通りだった場合、自動運転であろうが人間が運転していようが回避は不可能(物理的に衝突の前に停止できない)だったものと考えられます。
 正味、人間の運転で避けられないものを、自動運転なら避けられると考えること自体「?????」という感覚ではあります。無論、危険と認識判断→ブレーキングなり回避動作、のタイムラグは人間よりも高速で反応出来るとは思います。が、物理法則を超越出来るわけでは無い。ただ、周囲への予測能力を今回より引き上げることは可能でしょうし、今回のように歩行者が故意に飛び込んでくることを織り込んだ予測を立てる必要性は認識されたでしょう。学習で予測能力を上げることになりますから、その辺りはまだしばらく、実際の公道での試験積み上げで上げていくことになるでしょうね。

 なお、これもコメントで指摘されていますが、仮に「歩行者側が故意に飛び込んだ」のだとしても、法的に責任は追及されることになります。自動運転であったからといって、そして歩行者側が故意に事故を起こす意図で飛び込んだのだとしても、これが有人の通常の運転であったなら罪に問われることになる。いくらか罪が減ぜられることはあるでしょうが、自動車側の責任はゼロにはならないでしょう。
 同様に、自動運転であったとしても、歩行者の飛び込みであったとしても、自動運転車両側に責任は問われることになる。まあ問題は……さて誰に責任を問うことになるのか、なんですけどね。なんだか、昨日の最後に書いた話をそのままなぞってる感じがしてきます。予想の出来ない動きをする歩行者と、誰が責任を負うのかという問題が立ち塞がるだろう、という記載そのまんまです……。
 
 ……とまあ、ここまでは基本的に自動運転を擁護するスタンスですが。商用化への開放は、やはりまだまだ先の話ではあろうなぁと感じます。運転を「サポートする」方向性がやはり優先されるべきところであり、完全な自動化というのは、どうしてもまだまだ学習時間が足りていないものと思うのです。試験場での走行テストはどうしても「お上品な環境」でのテストですし。
 今回のような事故は、「公道に出たからこそ初めて発生した」ものであり、人間相手というのはこういうあまりにも予想外なことをしでかしてくるのだ、ということの学習機会となる。死亡事故になったことは残念に思いますが、意図的に悪い言い方をするのであれば、今後の対人事故への学習機会の貴重な一つになったとも言えます。
 これを踏まえた上で、予測の中にどう織り込んでいくかを検証することになるかな、と。公道へ出す以上は、今回のようなパターンの事故は今後も出てくることが予想される。である以上、「故意の事故」に対しての予測精度をいかにして高めていくか、というしち面倒な部分をより要求されることになるのでしょう。自動運転車両に対して悪意を向けてくる人、というのもいるでしょうから……今後もまた、同様の事故はまた発生するんだろうな、ということがうっすら予想されたりしますが……さて。

 今回の更新はこのくらいにて。

まだ情報が少なすぎてなんともですが

2018年03月20日 23時39分38秒 | Weblog
3月20日分。

 毎度。明日は珍しく週のど真ん中に休みがある関係で、平日夜にぐだぐだしております。幽霊です。さっさと寝てしまおうかと思ったのですが、ベッドに転がってさて寝ようかというところまで来た後で、一つ朝に見かけたニュースで更新をかけようと思っていたことを思い出すという。しょうがないので、ベッドから出てきました。
 まだ正直、情報が少なすぎて何とも言いがたい話ではあるのですが……。

 とりあえず、話の土台としては「ウーバー自動運転車が死亡事故 米アリゾナ州で通行人はねる」といった記事から。情報を補足する意味で、他の日本語記事からのつぎはぎも含め、事故に関する情報を自分でも整理するために列挙しておきます。

 ・事故は18日夜、アリゾナ州テンピで発生
 ・死亡女性は横断歩道から外れた車道を、自転車を押しながら歩いて渡っていた
 ・事故当時、車両操作員が運転席に乗っていたが、車両は自動運転モードだった
 ・衝突時の時速は約65km/h
 ・衝突の際、全く減速すること無く歩行者へぶつかった
 
 現状、まだあまり「確定情報」と言えそうなものが出てきておらず、映像も無いので、熟考する段階でもないのかなぁとは思うのですけれども。少なくとも、自動運転車が通行人を巻き込む形での死亡事故を起こしたというのはこれが初のケースであるようで、亡くなられた方には不幸なことであったと思いますが、今後の技術発展のためにも原因究明はかなり綿密に行われることになるでしょう。
 映像記録はUberの車両側に確保されていると思われますので、そこから事故状況の確定と、自動運転プログラムのどこに問題があったのかの洗い出しが徹底的になされることになります。

 話としては、あくまでUberの自動運転車に特有の問題(プログラムなり機器との連動なり)である可能性も結構ありそうな気がしますし、「全ての自動運転車」が同じような事故を起こすものだ、と考えるのは早計であろうかなーと思っています。まあ勿論、現時点での自動運転技術がパーフェクトだとは全く思っていませんので、「他の原因で」また死亡事故が起こる可能性は充分あるとも考えていますが。
 ただ、どうしても「やっぱり自動運転は危険だ!」という声が、一時的に高まること自体は不可避でしょうね。それでも、前に進めていくべき技術だと思っています。まあ、予想外の動きをする人間が多い市街地などまで乗り入れられるようになるのは相当先かも知れませんが、過疎地域などの交通の足として、自動運転バスなどを運行するなどの使い方は充分メリットがあるはず。
 結局の所、自動運転技術の実現の障壁となるのは、「予想の出来ない動作をすることがある他のドライバー」と、「予想の出来ない動作をすることがある歩行者」という、人間がネックになるんじゃないのかなぁという感はあります。それと、誰が事故の起こったときに責任を取るのかという法的な部分も立ち塞がることになるでしょうね。

 今日は短めですが、更新はこんなところで。

動くことはあり得るかもね、という話かなぁ

2018年03月19日 22時31分51秒 | Weblog
3月19日分。

 毎度。昨日に長々とネタにしていた話に、まあ続報といったものか、政府側からその辺に関連する発言があったようなので、まあ短めに更新しておこうかなーといったところで。幽霊です。とりあえずネタ元としては、「海賊版サイトへのネット接続遮断を検討。菅義偉官房長官が会見」といった記事を。

 政府側としても、まあさすがに昨今話題に結構上るようになったこともあって、そういった問題があるということ自体は把握しているようで。「サイトブロッキングを含めて」あらゆる方策の可能性を検討するとの発言があることから、政府として動く可能性もあり得るよ、ということを示した形になります。まあ、まだ検討段階というか、これから検討に着手する感じかなぁとは思いますが。
 個人的には、あくまで本当に「サイトブロッキング」に踏み切る段階までは行かないのではないかな、とは予想しています。但し、本当に必要ならばそれもやるからね、という意思表明をしておくことで、現時点ではまだ「プレッシャーをかけていく」程度に留めているものかなーと。
 この辺は、政府公権力による「検閲」にあたるのではないか、という批判の声が出てくる可能性もありますからね。実態としては「検閲」ではなくて、「違法」な「著作権無視」の無断アップロード品を削除させる、という範囲の話ですが……。ただ、そのどさくさに紛れて検閲的な権限を行使するのではないか、と疑われる面自体はあるでしょうから。
 
 ただ、違法サイトを一つ潰したところで、いたちごっこになる状況自体は終わりません。見える都度叩いていくにもまあ……現実には難しい、というより無理でしょうね。なので、あくまでも今回のコメントは、「公式にはそういったものは違法であり、削除なりサイトブロッキングに踏み切ることもありうる対象である」ということを示しただけ。それだけでもまあ前進かな、とは思いますが。
 では、仮にそれらの違法サイトを軒並みたたきつぶしたところで……うん、恐らく漫画の売り上げは変わらないでしょう。「「海賊版サイトは潰すのではなく競争して勝つべき」 マンガ『やれたかも委員会』の作者、吉田貴司さんは訴える」といった記事を見かけましたが、一部極論過ぎて賛同しかねるなぁと思う部分もありつつ、潰したところで即売上回復とはイカンわな、という考えは同じです。
 少なくとも、現状において「著作権違法」状態で、無許可で作品を掲載している海賊版サイトに関しては、これを擁護する気にはなりません。綺麗事と言われようとも、違法なんだよなぁ……。ただ、漫画村なりその辺のものが無くなったのであれば、他の「無料で見られる・出来る何か」に行くだけで、「有料の漫画を買って読む」という方向には行かないでしょう。
 その理由はまあ、思い当たるものはたくさんあるかな思います。そもお金を払ってまで読みたいと思うものが無いとか、物理的な書籍という形が邪魔になるとか、amazonなど通販で物理的な形での本を買ってもすぐ読めないとか、電子書籍の形の媒体がどうにも読みにくいとか……。ソコに関しては、消費者各人で色々意見が違うと思うので、こちらからは何とも。そも私個人は月に結構物理的な形での本を買ってしまう側なので、買わない・読まない理由を推定すること自体が無理なんですよね。

 そこから先、じゃあどうやったら今漫画に興味が無い人達、もしくは「お金を出してまで読む気にならない」人達にリーチするか。そこを考えるのが、出版社のお仕事になるでしょう。作品の締め切りを守らせるだけの話ではなく、総合的な販売戦略・マネージメントのプロであることを求められることになる。もしくは、出版社がそういう部分ではアテにならないと作家側が判断するようになれば、セルフマネージメントするようになるかもしれません。
 実際問題、出版社を通す分で「手数料」は確実に取られることになるわけですから、その分をセルフマネジメント出来るならば、自前でやってしまう方が良いと判断する人は出てくるのかも? 出版社を通すメリットというのは、○○社という看板を通すことでの「一定の品質保証」を消費者に示せるということと、セルフマネジメント出来ない場合の作業の外注が出来ること、ですし。
 逆に言えば、大手の今売れている作家さんであれば、「出版社を通さない」ということでのメリットがあるんじゃないのかなーとか。ま、現状環境だと出版社側がそれをさせないように封じ込める動き方をするのかもしれませんが、いつまでそれでやっていけるかな。さてはて……。

 では、今回の更新はこのくらいにて。

対価の感覚

2018年03月18日 20時00分46秒 | Weblog
3月18日分。

 毎度。前回の更新から気が付けば見事に2週間経過してますが、まあその間に動画をようやく作り終えたりとか、後は単純にぐんにゃりしていただけ。幽霊です。とりあえず花粉症で鼻がズビズバーするわ、目がかゆくてかなわんわで、今年は人生初の「目を洗う洗眼剤」を買ってみました。カップに注いで、眼にくっつけてじゃぼじゃぼやるヤツですね。
 一応効果はあるにはある感触なのですが、まあやっぱりしばらくすると眼のかゆみはじわじわ戻ってきてしまうんですよね。ま、そこらはしゃーねーかなーといったところですが……。元からハウスダスト系のアレルギー性鼻炎はあるので、年がら年中鼻をかんでるような感覚なため、鼻水が垂れてくること自体はまあ我慢がきくのですけれども。眼がかゆいのがどうにも。


 さておき。タイトルの件は、随分と遅まきに「漫画村」とかその辺の話。とりあえず話の種としてネット上の記事から、「「俺らの漫画村を潰すな」「漫画村マジ最高www」海賊版サイトの台頭で、出版業界の未来は暗い?」といったあたりをとりあえず。
 さしあたり思うのは、何かしらのコンテンツを得るには、なにがしかの対価を求められるのは本来当然のことなんだけどなぁ……ということ。ソシャゲでは「基本プレイ無料」となっていますが、あれは本質的には、無料で引き込んでおいて、少しでも有料コンテンツの方への課金者を増やせれば良いという辺りが狙いですし。もしくは、プレイ開始時などに必ず広告が表示されるようになっていて、その広告表示が広告収入になっている、という場合もあるでしょうね。
 この辺りは、コンテンツ自体は提供元の自前であるのが基本であり、コンテンツ制作費用を自前で負担している上で、それをどのようにペイするかという問題になります。一方で、「漫画村」の場合、ベースにしているコンテンツ自体が他の人なり集団の著作物であり、どうも漫画家当人からは許可を得ていない状態で掲載している。当然、元の著作者に利益がいっておらず、そりゃまあ叩かれるの当然ではあろうなと。

 一方で、消費者側からすれば、「無料で読めるならそれに越したことないじゃん!」となるのはまあ……うん、私も消費者ではありますから分かるのですが。ただ、お金を取らないまでも作る側のごく端っこでやってる側とすれば、再生数が数百やっといくかどうか程度、お金も取らない、そんな動画であっても「無断転載」されているとすれば良い気分はしません。
 まして、それが本来正当な手順で入手されていれば収入になるものであるのならば、良い気分はしない、では済まない話になってきます。消費者がコンテンツを消費できるのは、その正当な対価を支払うことを条件に許可されるものなので、そこには当然ながら対価が生じます。大元が無料提供されているものならまあ別ですが、有料のコンテンツは金払うのがスジだろ、ってことですね。
 まあ、有料で提供されているコンテンツの内、その提示されている金額に「見合うかどうか」に関しては、各消費者の判断が当然入ります。ツマラン金の無駄だったと思うこともあるでしょうし、まあ私も本は買いますが、「しまったこれはスカだった……」と思うこともしょっちゅう。ただ、そこはもう「選択の自由」の代償ってやつですな。
 この辺り、あくまでも消費者側(たとえば私)が「クソツマラン金の無駄だった!」と感じるということと、正当な流通対価として提示されている金額とは、一致しないことも普通にあるということです。というか、消費者側の「感想」と、提供される金額とには全く関係が無いとも言えますわな。ま、あまりに釣り合わない場合は「売れない」ので、高すぎる(見合わない)金額の場合には、まあそこで釣り合いが「結果的に」取れることになるでしょう。

 ……んーで。漫画村の場合、まあ海外サーバで運用しているなど諸々口実は設けているようですが、いずれにせよ「著作者の許可無く無断掲載している」という実体面そのものは「黒」です。少なくとも、創作者からすれば冗談では無い、という案件であることには疑いない。
 無料だからこそ見られて宣伝になるという発言もあるようですが、「無料だから見る」人というのは「対価を支払う気がそもそも無い人」ですから、そういった人から正当な手段での購入に発展するとは思えません。また、宣伝効果を求めるのであれば、それは著作者側からの判断で一巻のみ無料であるとか、1話のみ無料にして公開するといった手段をとります。無料で掲載して宣伝になるじゃんというのは、言ってしまえば「余計なお世話」ですし、違法です。

 コンテンツを作るのには、それなりに手間と時間がかかります。うちのように、ベースコンテンツは他からの借り物、そこまで凝った編集技術を使うわけではない、お金を取らない前提なのであまり高い質を課していないという条件であっても、それなりの手間数と時間を要します。それでもお金を取らないのは、あくまでも本業が他にあり、片手間で作る個人製作(=趣味)でやっているから。
 但し、そのレベルで「継続的に」「質の高い」コンテンツを作るのは無理です。商業作家さんたちは、兼業している方もいらっしゃるでしょうが、「プロとして」の創作活動の対価を必要とします。他に収入を得るための仕事が無い代わりに、創作に時間と手間数を割けるようにして、より質の高い、もしくは質の安定したコンテンツを継続的に作る。ソレが出来るから「プロ」と言います。
 逆に言えば、プロの創作を維持するには収入が必要であり、漫画村のような存在はその収入を脅かすものだということですね。漫画村に限ったことでもありませんが、本来有料のものを無料で掠め取っていく状態が続けば、じきに創作の質は下がっていくことになるでしょう。そりゃそうです、創作に専念するための収入が減れば、最悪生活自体危うくなりますから、他のことで生計を維持する必要が出てくるわけですし。そうでなくとも、本来と違う形で、無料で盗み取られるという状況が見えてしまうのであれば、創作するという意欲は失われていくでしょう。

 ただ、現状だと音楽ならYoutubeでオフィシャルに一曲無料公開になっている(代わりに画質音質は落としてあるか、再生時間がフルではない)ことも多いし、映像メディアでも個人制作の範囲のものなら無料で動画サイトにいくらでも存在します。ゲームサイトを覗いてみれば、上の方で書いてあるような背景はあるにせよ「基本無料」のゲームに溢れ、TwitterやLINEも導入コストは無料になっている。
 要するに、「サービスの対価」という感覚がすごく薄くなってきているようには感じます。これはあくまで個人的な「感想」程度ですが、ときたま私が話題に出すソシャゲにしても、「ご意見ご要望」スレが公式に設置されており、そこへの書き込みには「おいおい……」というものも多々。的を射たものもたくさんあるのですが、あくまでソシャゲは収入を目当てとしたれっきとした商売だということに気が付いていないようなものもよくあります。
 ああ、そういう時代なんだなぁ……と言えばそれまでなのですが。ただ、提供者側がそういう時代に追いついていないのだということを理由に、本来有料のものを違法手段で無料で入手することがOKだということは全く正当化されません。アカンもんはアカン、サービスなりコンテンツには対価が伴うのが当然のことである、その2つだけ忘れてはいけないかなぁと思う次第。
 ま、一方でもう、出版関連でウチのご両親様が働いていて話としては聞きますが、紙の出版がもうかなり厳しい状況であろうということもまた事実でしょう。音楽CDはもう少し前からもう直面している話でしょうが、書籍もまた、過渡期に来ているのかなとは思います。ぶっちゃけ、私みたいに未だに紙の本を毎月20冊(含漫画)以上買ってるようなのは少ないでしょう。創作者側としては、その辺りどうするかを考えないとやっていけなくなるでしょうね……。


 あ、何かえらく長くなってますね、ここまで長々書くつもりは無かったのですが。後で一日おいてから推敲すればだいぶ量が減るようには思いますが、そこまでするのも面倒なのでこのままで。意外に思われるかも知れませんが、「長く書く」のって結構簡単なんですよ。むしろ難しいのは、「短くまとめる」方の技術だったりします。
 単に「内容が元から無くて(書くことが無くて)短いものになる」というのと、「短くまとめた文章を書く」というのは全く違うものです。当然難しいのは後者で、最初から一発で「短くまとめた文章を書く」というのは結構に難易度が高い。うちはまあ……あとで見直せば下手すると上の長文が半分くらいに圧縮される気もしますが、そこまでやるのもダルーイというだけの理由で圧縮していません。
 ま、個人の気分でやってるブログなんてそんなもんです、はい。

 ではでは、今回の更新はこのくらいで。

お金にするのはやっぱり難しい

2018年03月04日 23時53分10秒 | Weblog
3月4日分。

 毎度。前回の更新からまた間が空いてしまっていますが、ここに限らず、ちょっと動画編集方面も手が止まっているので、今はそういう周期かなといった感。幽霊です。何故か前回の記事が普段より大きく伸びているのが若干アレですが、まあやっぱりお金の話と、ソシャゲとガチャの話は引っ掛かるものがあるのでしょうか。

 あ、前回話題にしていた私のやっているソシャゲは、年度末決算への売上確保なのか、3月頭からちょっと露骨に採用ガチャをさせよう的なキャンペーンを打ってきました。5分間限定で、必ず「レア」以上のキャラクタがガチャ引いただけ出ます、というやつを各プレーヤー1回限定ですがやっていますね。ゲーム内での表記的には、☆3以上が必ず出る(☆1が最低、☆2がいわゆる「コモン」、☆3以上がレア該当で最高が☆5)というもので、これ自体はたまにあるタイプのキャンペーンです。
 ただ、このタイプを「ガチャ確率開示」後にやるのは初めてなので、さてどうなんでしょう。DMMの人気ランキングでは、一応ここ数日結構浮上してきたようですが。あのランキング、正味なんとも内訳の取り方が分からないのですが、多分「課金額」「新規登録数」「ログイン数」辺りが作用はしている気がします。少なくとも、「課金額」が露骨に作用しているのは、「集金イベント」時に順位が上がり、課金要素の薄いときに順位がかなり落ちることから推測はできるんですけれどもね。
 ……まあ、一応やるにはやります。日によって確率アップ対象が違うので、既にどの日にやるかは決まっている状態。予算もハッキリ区切ってあるので、そこでお目当てが出なければ撤退です。ソシャゲのガチャは「現物感」がないので、目当てが出ないと際限なくガチャガチャしがちなのがコワイんですよね。クレカと組み合わせると、現実味が全く無いままに金が飛んでいくという狂気の沙汰です、はい。


 さておきまして。「子どもの3人に1人が憧れる職業「ユーチューバー」が生活できるようになるまでの壁とは?」といった記事を見かけまして、こういう部分からお金を「他人から取る」というのは難しいな、というのを垣間見る感。記事からの抜粋で、その試算が本当に正しいのかは分かりませんが、上位3%で再生回数が月140万回を超える状態でも、年収約180万円とのこと。アメリカの貧困ラインが130万円とのことですから、成功を収めたとしても圧倒的大勝利の額ではない、らしい……。
 話題に出るような「超高額収入」の人というのは、単に上位3%ではなく、更に最上位1%にあたるトップレベルの人でないかぎりは到達出来ないということのようで、それらの人達もYouTubeからの収入だけというよりは、そのほかの「スポンサー契約」の方が収入のメインなのではないでしょうか? 後ろ盾がついて初めてまともな収入になるという感じだと、スポンサーの目にとまるまでの「下積み」が相当キツイ気がしますね。
 元記事内のグラフが凄まじくハッキリと明暗を示すのですが、2016年の時点で、上位3%のユーチューバーが得ている「再生数」が全体における約90%を占めており、それ以外の残る97%の投稿者の再生数が残りの10%くらい。下位側の投稿者の1ヶ月での最大再生回数が「485回」だそうです。最上位の方の人でないかぎり、ほぼほぼ再生数を取ることができない状態、という状況が見えます。まあ、この辺はもうYouTubeに限った話でもなく、私が活動ベースにしているニコ動も同様の状態でしょう。
 もうちょっと突っ込んで、その上位3%の中でも、トップ1%とそれ以外の再生数のバランスを見てみたいところですねコレ。これもまた、相当な明暗ハッキリの構図になっているんじゃなかろうかと、そんな気がするのですけれども。というより、動画云々ではなく、ほぼ全般に世の中こんなもんである、という縮図が結局はここでも見られるということでしょうか。

 ふと思いつきで、日本国内での環境を考えるに、正味「日本語」で動画作るより「英語」で動画作る方が、「伸びしろ」はある程度取りやすいんじゃないかなぁと思ったりしましたが。無論題材にも寄るにせよ、日本国内だけ考えて日本語で作るよりももう、音声は日本語で良いけど、字幕を英語で付けるくらいするだけでも、かなり「見てくれる可能性のある範囲」を拡大出来る、かもしれません。
 但し、英語字幕なりに直す「手間」と、その「拡大出来る可能性」が帳尻として合うかどうかは何とも言いがたいところ。上の記事本体から引っ張っている数字を見る限りは、まあぶっちゃけ徒労にしかならんかなぁというオチまで想像出来て、この時点で頭の中に「チーン」という音が鳴りました。
 それでも、できるだけ見てくれる可能性のある範囲を広く取る、という努力は必須になるでしょう。特に再生数を少しでも取りたいという狙いがあるのなら、です。私自身が今まで作ってきたものは、思いっきりその逆向きをやっていたので、どんどんと元からすら少なかった再生数が下がり続けて行きましたので……。今日の出だしで動画編集の手も止まっていると書いているのは、その辺の事情もあって「さてどーすっかなー」と一旦時間を置いているからだったりします。
 何のかんの120本ちょっと動画を投稿誌続けてきましたが、ぶっちゃけ最初の方の動画ほど再生数が高く、後ろの方になるほど下がります。まあずっと同じゲームを題材にし続けてきたので、見ている側からすれば「飽きてくる」し、新規さんを取り込めるほどの知名度を既に持てないゲームでもありますので、じり貧になるのは見えていたということではありますね……。
 ただ、わざと動画も放送枠も取らない日を少し続けていますが、別段生放送枠を取ることも、動画編集をすることにも、忌避感は無いということをうっすら把握しつつあります。問題は、作ること・取ることへの感覚ではなくて、結局は「手応えが無い」ことによるのでしょう。うちは特にお金を取らない仕組みでやっているので、自己満足に足らない成果では続かないんですよね。「何人かだけでも見てくれればそれでいい」というきれい事では、続けられないですから、ね……。


 余談。ニコ動の割と初期のカオス期に、たくさんの題材と笑いを提供してくれていた、ビリー・ヘリントン兄貴が交通事故にて亡くなったそうです。おいおい、最期が交通事故だなんて、だらしねぇな? ほんと、だらしねぇよ兄貴……。マジかよ、交通事故とか残念すぎんだろオイ。
 仕方ないね、とはちょっと言いがたいですね。どうにもできない話ですから、仕方ないねって言うしか無いんですけども。歪みねぇネタを有り難う。48歳か、思ったより歳いってたんだなぁとは思いつつ、亡くなるにはやっぱり早いよなぁ。

 では、今回の更新はこれにて。少し、黙祷を捧げながら。