黎明の廃人日記

最近はやや更新が途切れがち、斜めに流し読み。
貴方にも私にも人生の役には立ちません。

風評

2005年06月30日 22時16分07秒 | Weblog
6月30日分の日記という事で。

 今朝方に大雨が一時的に降っていて、朝っぱら午前五時に一回目が覚めた輩です。ここ最近やたらと暑かったので、夜は布団を掛けずに寝ていたのですが、今朝は雨が降ったために気温が下がったらしくて、寒くて目が覚めました。こりゃ~寒いな~と思いながら布団を被り直して、もう一時間ほど眠り足しましたけれどね。ようやっと梅雨らしく雨が降ってきましたが、だからといっていきなりこんなにどっちゃり降らなくても良いのにな~とも思います。涼しいのは良いのですが、傘がイマイチ役に立ちません。本を持ち運ぶにも、雨が当たる所に入れておくとふやけてしまうので、気を遣います。いやまあ、未だに紙媒体なんて古くさいもん使ってるのが悪いのですけれどね。
 それにしても、全然梅雨の情緒が感じられません。紫陽花だけは水色に紫にと咲いているのですが、そこにしとしとと降る雨が来ません。たま~に雨が降ったかと思ったら、いきなりバケツをひっくり返したような土砂降りというのでは、情緒もへったくれもありませんわ。そんな雨では紫陽花にしたたる水滴なんてものを見てるような余裕はなく、取り敢えずこちらは本の入った鞄をいかにしてガードするかに神経を使ってしまいます。ちょうどいい加減ってもんを知らんのか、最近の梅雨は……。もう明日からは七月ですし、今年は空梅雨で終わってしまうのかな~という気もします。既に六月中に大手町でも36.2度なんて馬鹿げた気温になってしまいましたし、真夏が先に回ってきただけという気分です。
 寮に戻ってくるたびに、べっちゃりと汗の染みたワイシャツを脱ぐのは勘弁です……。ついでに、立ち止まっていると自分の汗の臭いが上がってきて、それなりに気になりますし。そこいらは既に諦めていますし、あんまり制汗剤とかを使う気にもなれません。使ってもどうせ、何時間かすれば同じことですから。ついでに言えば、私ならば、そんなもの買うくらいなら、その金で本を一冊買うと間違いなく即答するでしょうから。つまりは、そういうことです。

 茨城県の養鶏場でまた鳥インフルエンザが出てしまいましたが、それ自体よりも、そのことによって鶏肉と卵が売れなくなるのではないか、という不安が養鶏業者の方に広がっているそうです。BSEとはさすがに違うので、万が一感染した肉や卵を食べたとしても、加熱してしまえば何も問題なく食べられるようですし、別段ナマではマズイという話も聞きません。出荷停止になっているのはあくまで念のためであり、もしくは他の養鶏場にまで感染が拡大しないようにということかと思います。既に発症した鶏のいた養鶏場では、二万五千羽が処分されていますし、周辺の養鶏場でも手は打たれているでしょう。特に何も、鶏肉に関しては問題はない筈です。
 が、それでも何かしら風評被害は出てきてしまうのだろうな~とは思います。いつぞやの、所沢でのダイオキシン騒動なんかが良い例ですが、あれはマスコミが無意味に煽り立てて、結果として後で誇張された報道だったというオチがつきました。あれはまあ見事に某テロ朝が笑わせてくれましたが、笑って済ませる訳にもいかないのが実際に風評による被害を受けてしまった方です。特に農作物やら生鮮食品なんかは取っておく、作り置きしておくということがほぼ不可能な品物ですから、一時的にその需要が普段よりも落ちるだけでも、辛い状況に立たされます。まあ、農作物は逆に、取れすぎても潰さないと儲けにならないという状況も出てくる訳ですが……。
 風評やら噂というものは怖いもので、例えその内容が実際とは全くもって遠くかけ離れていたとしても、それがさも本当であるかのように伝わってしまう。そしていざ実際のものを見てみた時には、噂と違うからこれは偽ものなんじゃん? とすら言われてしまう訳です。噂の伝わりは非常に早いために、訂正やらイメージの是正が間に合わなくなるくらいに、迅速に拡大していきます。今はネットという最速の手段があるだけに、ますます手に負えない。これを逆に利用してやれば、マスコミは大ヒット作を簡単に作り出すことができる訳です。これは良いよ、これは凄いよ、と繰り返し繰り返し伝えてやれば良い。後は、その中で良さそうなシーンだけをピックアップして肝心な所をぼかしてやれば、ヒットメーカー一丁上がりという寸法です。ま、現実には、さすがにそこまでほいほいとヒットを作れる訳でもないのですけれど。
 ただ、一定数までの売り上げを狙うならば、マスコミでの宣伝によってそれなりに可能なのではないかな~と思ったり。その分で広告宣伝費がかなりかかるでしょうから、儲けになるのかどうかは正直分かりませんが。マスコミが取り上げたら、小さな出版社が細々と出していた本がいきなり飛ぶように売れるようになって、増版がまるっきり追いつかないということもあったようです。ただ、それもブームはほんの一時で、すぐにその名前など忘れられてしまうのでしょうけれど。マスコミとしては、次から次へと取り上げるものを変えていくことで、ヒットを量産していくのが狙いな訳で。たった一つのものに固執しなきゃイカンという理由は、どこにも無いのでしょうね。

 噂というのとは少し違いますが、ネット上やら雑誌やらで紹介されている本のレビューほど、アテにならないものはありません。……って、そう言っている私自身も随分とレビューを上げている訳ですが、あくまでもあれは私の独断と偏見と主観に充ち満ちた代物であって。結局はもう、自分で読んでみてどう思うかが一番重要なことです。特に小さな個人サイトで細々載せているレビューくらいならまあともかくとして、大手のサイトで載せているようなレビューは、実際には悪く書けないんじゃないかな~とも思ったり。最低でも、そのレビュアーの好みが自分に近いかどうか、というくらいは把握してからでないと、大手サイトのレビューは信用する気にはなれません。
 とまあ上の話にちょいとだけ引っかけておきつつ、やっぱり最後は本の話。昨日に読み始めた『キャラねっと』は、最初の一話だけに多少時間をかけましたが、後はあんまり変化が無さそうと判断してほぼ斜め飛ばし読みをかましておりました。それでも全く問題なく読めてしまうんだから何だかなぁ、と。感想もつまりはそのくらいで、あまり印象に残るものでも無いかな~と。強いて言うなら、イラストがささきむつみさんだったというくらいのことでしょうか。これはまあ、出版元が角川なんだから充分あり得る話なのですけれどね。と言うかむしろ、そのためにだけ買ったような気もするのですが……。やっぱり、文庫本をイラストだけで選ぶのはマズイということでしょうかね。
 何はともあれ、この『キャラねっと』の読破をもって、今月の読破はお終いになります。日記が終わったらそのレビューを一本上げて、お終い。また来月は、と言うか明日からもいつもの通りに本を読みながら通勤するのでしょうけれど。さてはて、来月はまた一ヶ月の内で何冊を読めるのかしら。本を買うお金はあまり不自由しませんが、本を読める速度に関しては有限ですし、本を読める時間と集中力もまた有限です。個人的な優先順位もありますし、面倒くさい仕事もありますし、日によっては気分が乗らずに本も読まんと寝てしまうことだってあります。つーか、今更にこんな古いメディアに拘る私も、何だかな~という気はしますが。改める気はありませんけれど、ね。
 さあ、次はどうしよう。富士ミスに行くか、ハヤカワに行くか、GOTHを読むか。それとも惑星カレスの魔女か、京極夏彦か。ま、どれでも良いかぁ。今積んでいるのが終わったら、今度は筒井康隆にでも行こうかとも思っていますし。先は長い、と言うか終わりが無い。終わる時は、きっと、私が終わる時かな~と思います。案外、すぐにそれが来ても、今ならまるっきり構わないかな~と思いもするのですけれど。

〈今日も独り言〉
あぢ~~~……朝だけかよ、涼しかったの。

それでは。

そういえば選挙

2005年06月29日 22時55分32秒 | Weblog
6月29日分の日記という事で。

 昨日までの死ねそうな暑さは一段落して、今日は多少涼しいと思える一日でした。……んが、よくよく考えたら今日でも普通に日中の最高気温は29度くらいだった筈ですから、別段涼しい日だと言える訳ではないのですよね、これが。「昨日に比べれば涼しい」一日だったとならば間違いなく言えるのですが、どっちにしたって暑いもんは暑い。ただ、そうであっても昨日までに比べればかなり涼しいとすら感じてしまう自分がいる訳で、人間の慣れってのは恐ろしいやら素晴らしいやらどっちなんだろうな~とか考えてみたりします。慣れがあるから耐えられるものもありますし、慣れがたたって失敗してしまう事柄もあります。そこいら辺の折り合いがまた、難しいのですよねぇ。
 慣れると言えば、そろそろいい加減、ここの日記の馬鹿みたいな長さにも慣れてきたのではないでしょうか? 人からよく言われることとしては、「何日か見なかった場合に、読み返すのが大変だこのボケ」というようなことだったり。そりゃそうだ、何せ一日の平均が二千文字ですから、それが仮に三日読まずにいたとしたら、それだけで六千文字になります。四百文字原稿用紙に直して、何とたかが三日分なのに十五枚分にもなる訳で。そんなん読む方の身にもなれという気もしますが、私自身はこの日記はぶっ叩くだけぶっ叩いて読み返しなんぞ一切しませんので、気にしない気にしない♪ だから毎回長くなるのですけれどね。
 個人的には、自分の部屋の光景にあまりに慣れてしまって、それ以外の部屋へ入ると一瞬だけ違和感が生じることがあります。特に他人の部屋に入った時にこの違和感は顕著で、すなわち本棚が目に付く所にないと何か変な感じがするという訳だったり。今の部屋だと、実に三方の壁に本棚を置いているような状態です。大きな本棚は一つだけで、後はコミックス専用のものを二つ並べているか、文庫専用の棚が一つ置いてあるかというだけではありますが、部屋のどの方向を向いても、どこかしら視界の端には本が映ることになる、と。そういう意味で一番落ち着くのは本屋。紀伊国屋とかジュンク堂とか、良いですね……。うっとりします。でも、財布の中身は後で見てげっそり~っと。
 毎月に二万円くらいを本に使っている訳ですが、もっと本を読む人は更に使っていますし、私くらいの読書量ならそんなに多すぎる方では無い筈。単に今となっては本というメディアがあまりに古くなりすぎて、見向きもされなくなりつつあるというだけなんじゃないかな~とは思います。他に娯楽を持たないクチでもあるので、その分を全て本に注ぎ込んで集中的に使っているというだけでもありますし。ついでに、古本もかなり活用していますから、その辺も合わせて二万円です。数を買っても、古本を織り交ぜていけば結構いけるもんです。ただ、そもそもそんなに大量に買うヤツが今は少ない、と言われてしまえばそれまでなのですけれど。本当に、もっと買う人は比較にならないくらいに買うんだけどなぁ。どっかのはぐれメタルな人とか。

 さてはて、一旦話を変えて、選挙の話。もうじき東京都議選が近いということもあって、街頭のあちらこちらで選挙演説を振るう政治家を見かけるようになりました。寮の最寄り駅までも、何故か民主党の菅直人を二回ほど見かけましたし。ただ、その演説をまともに聴いているかどうかと訊かれたら、少なくとも私はまるっきり聞いていません。と言うか、朝の通勤時間中にそんな時間は無い。ただでさえ急いで歩いていますし、日によってはヘッドホンに音を流しながら歩いていますから、むしろ選挙演説の声なんて邪魔なだけです。ついでに言えば、仮に演説の内容を聞いたとしても、それが役に立つとは思えませんし、どのみち基本的な主張はどっかのワイドショーでも見ればテレビ側が勝手にまとめてくれます。そっちの方が話が早い。
 あれだけ演説をして、歩き回ってみても、全体の投票率は、蓋を開けてみればお世辞にも高いとは言えないのが日本の選挙の常です。支持政党無しという意見がかなり多数を占めるようになってきているのが今の日本の傾向ですし、私自身は消極的理由によっての自民党支持者です。消極的理由というか、消去法的理由と言うべきのような気もしますが、要は他に思い当たらないから仕方なく自民という感覚。とまあ、私の支持政党をぐだぐだ述べてみても仕方がないので省略としても、今の時点であまり積極的な理由を持って政党を支持しているという方が、果たしてどのくらいいるのか。積極的理由で政党を「支持しない」というスタンスならかなり多い、のかも知れませんけれど、と。
 基本的に政治には無関心という意見が増えてきているようですし、その無関心を招いたのは政治家とマスコミです。ただ、意図的に無関心を招いているという考え方もできますが。無関心を敢えて招いた場合に何が良いのかと考えてみると、固定票がそれだけ際だってくることになります。無党派層が今や三割を超える状態ですが、その流動票が動かない場合に勝負を分けるのは、結局は固定票ということになる訳で。巨大なる集票マシンを持っている政党が有利になる訳ですが、さてはて今はその集票マシンもちゃんと機能しているのかどうなのか。そこいら辺は与党にせよ野党にせよ、状況は似たようなものでしょう。
 自民は自民で小泉人気が鈍りつつある点と、自民内部でごたごたやっていて結束が今ひとつ悪いような一面が見受けられる点で厄介事を抱えていますし。かと言って、民主は民主でこの間の「飲酒で出席」難癖騒動でかなり評判を落としている筈ですし、民主も微妙に結束には難がある。社民や共産はそもそも議席数が少なすぎて話にならないし、無党派では力を持つことはできません。どこもそれなりに問題を抱えつつ、増えていくのは白票かそもそもの投票棄権か。果たして日本の政治に明日はあるのか!? まあ何はともあれ、投票に行きましょうってことで~。

 で、最後は例によって。今日から清涼院流水の『キャラねっと』を読み始めてはいるのですが、微妙にどうしたもんかこれはと思い始めていたり。つまらない訳ではないのですが、かと言って大当たりしているという程の感じもしない。そろそろ四割近くまで達してはいますが、そして一冊に三話が入っている物であり既に一話読み切って次に入っているのですが、微妙かな~と思う感覚はあんまり変わっていません。そういう気配を感じ取っていたからこそ、買っておいてそのまま積みっぱなしにしていたのかどうなのか。どちらにせよ、このまま感想が最後まで変わらなければ、売却候補に入ってしまいそうな悪寒です。
 その代わりに、最近としては当たりだったのかな~という作品を、レビューとして二つ一気にサイト本体へアップしてみました。月末になってから一挙に数を稼いできているように見えますが、ただ単にシリーズ物の積みが終わったがために速度が上がっただけ、という落ちだったりします。で、アップしてみたのが『工学部・水柿助教授の日常』と『神戸在住』。前者は森博嗣作品で、後者はアフタヌーンのコミックスになります。この辺と更に笹本祐一の『星のダンスを見においで』と立て続けに来ていましたから、ちょっとその辺りに比べると、清涼院は私には合わないのかな~と思ってみたり。悪い訳では無いはずなのですけれどねぇ。
 この『キャラねっと』を読み切った所で、一旦本棚の整理をしようかな~と思い始めていたり。こちらに引っ越してきてから一度もまだ本の整理を……ああ、一回だけしていますが、まだ大々的な選別はしていなかったので、そろそろ良い頃合いかな、と。本棚を増設した所ですし、ここらで一発整理を決めて、その後の更なる増加に対応しようということで……って、やっぱり増えるのかよ。何せ今月だけで数えてみても、明らかに十冊から二十冊という単位で増加しましたからねぇ……。今後もかなりの勢いで増えることは間違いないですし、本棚を増設してしまった以上、やっぱり総保持の絶対数は上がってしまっています。増やすなって方が、難しいのですよね、正直。
 さてはて、来月は一体何冊増えるかな~、何冊読めるかな~。社会人になると金銭的な自由度が上がってきますから、結果的に本に突っ込むお金が増える、と。私の場合は在学中、特に後半の学年からは毎月ほぼ二万近くを本に遣い続けていましたから、あんまり変わっていないと言えば変わっていないのですけれど、ね。ただ、それでも本に二万使ってもまだ余剰が出るのでストックに回せるというのは、ありがたい話。寮費が一万円しかかからないというのが一番大きいのですが、そのお陰で四万とか五万が浮く訳ですから、これはシャレになりません。それでも金銭感覚がほぼ変わっていないのは、学生時代に染み込んだ貧乏性が原因なのかも知れません♪

〈今日も独り言〉
明日で六月も終わりか~。梅雨はどこいった……?

それでは。

時間を買うということ

2005年06月28日 20時54分53秒 | Weblog
6月28日分の日記という事で。

 暑いです……もう、ひたすらにくそ暑いです。何ですか。東京大手町でも最高気温36.2度ですか? 東京での、六月における過去最高気温の記録を塗り替えてしまったそうです。ここまで来るともう暑いと言うのすらメドイと思うくらいですが、他に言うことも思い付かないので暑い暑いと言うしかありません。職場ではもう、あんまり暑いし冷房けちってるしなので、私もネクタイ外してクールビズです。まあ、別にかりゆし着てるとかそういうことではありませんが、ネクタイ一本締めないで仕事をしているだけでも、多少は違うもの。それでも暑いには変わりありませんけれど……ね。勘弁して下さい。
 寮に戻ってきて着替えようとしたら、もうワイシャツもその下のシャツも汗でべったりでした。スーツの上着は今日は持っているだけで最初から袖を通しもしなかったのですが、それでもべっちゃりと。よくもまあこれだけ汗をかいたものだと感心するくらいです。あまり顔には汗をかかない輩なのですが、その代わりに背中と掌と足裏に汗をかきやすいのが難点で。着替える時に汗で貼り付いて引っかかるとは……さすがに気持ち悪いって~に。多分同じような思いをされた方も多かったかとは思いますが、いやはや参ったものです。この状態で満員電車にも乗らないとイカン訳で、しかも電車の冷房で今度はその汗がじっとりと冷える罠。地獄です、ホント。
 まあその代わりに、明日は一応雨が降ってくれそうで、多少は今日より暑さは和らぐ……筈です。今日にしても夕方から夜にかけて、関東でも雨の恐れがあったようなのですが、取り敢えず私が戻ってくるまでは天気が保ってくれたようです。これで後はそろそろ雨が降り出して、寝る頃には気温が程良く下がってくれていると理想的なのですが、まあそこまでうまくは行かないでしょうね。戻ってくるまでに雨が降らずに済んだので、持っていた本がふやけるようなこともなく、そちらの意味合いでも非常に助かりました。全身ぐっしょりになるのはむしろどうでも良いくらいで、本の方が基本的には大事です。万が一に備えて、本だけはカバーしようとビニール袋を一枚鞄の中に放り込んできていたのは秘密♪
 で、昨日から読み始めていた『星のダンスを見においで』は、思いの外にハイペースで進んで読み切りました。ちょっとだけ通勤途中+昼休みでは読み切れなかったので、寮に戻ってきてから三十分ほど時間を追加しての読了。そちらのレビューは後でサイト本体にアップするので省略としまして、さて明日からは何を読んだものか。今の所は、明日からでも読み始めないとしばらく放置してしまうであろうという作品があるので、そいつをまずは潰しておくべきかと判断しています。と言う訳で、明日からは清涼院流水の『キャラねっと』の読破に決定。今日の奉行は伊東に決定……ああ、それはおもいっきり違う。こっちはさすがに『星のダンス~』のようなハイペースとはいかないでしょうから、今週残り三日を使い切って読み切れるかどうかという予測を立てております。

 さて、実は今日の分は、●●考というタイトルにはなっていませんが、何げに考察シリーズです。だからこそ一段目で本の話を出してある訳ですが。んで、今日の思考対象は、「時間をお金で買う」ということ。基本的に時間は有限であり、お金を出しても買えないものの一つとよく言われますが、見方を変えれば「時間をお金で買う」というのはかなり簡単に行えることであるよな~、と何となく思ったりしたのでした。むしろ私達はかなり日常的に、時間をお金で買うという行為を行っています。それを無意識的に行って無為にするよりは、多少の意識を持ってあたることで、もう少しくらい有意義に買った時間を使えるようになるのではないかな~ということで一つ。
 時間をお金で買うという行為の最たるものは、会社です。この場合、時間を買うのは私達の側ではなく企業側であり、会社は賃金を支払うことで私達会社員の労働時間を買っている訳です。人数の少ない会社、もしくは社長一人しかいない会社ではその一生涯を費やしてもできないほどの仕事量が、お金を支払って他の従業員を雇い、彼らの時間を活用することで可能になるのです。単純に考えても、従業員数100人の会社だと仮定して、その平均労働時間を7時間とするならば、7時間×100人で、実に一日だけであっても何と700時間、一日24時間の換算で29.166666666……日。多少の上乗せをしてきりの良い数字に持ち込めば、何と一日で一人の人間にとっては一ヶ月分もの時間が費やされているという訳です。無論、個々人の技量や仕事量、効率には大幅な差がありますが、それにしても企業というのはこれだけの多大な時間をお金で買っているのですねぇ……。今自分で計算してみてもびっくりです、わあびっくり、ああおどろいた、すごいなぁすごいねぇ。
 これは私達の時間が「買われる」方向性での思考ですが、今度は自分達の側が時間を「買っている」事例も結構簡単に解説ができます。今度は、外食の例を取り上げてみましょう。今日はたまたま、私は夕食を松屋で手抜きしました。夕飯を作るのが面倒くさかったというのがその理由ですが、490円を出せば私の好きな豚焼肉定食が食べられます。サラダも付いてきているので、まあ健康への配慮も最低限見込めるという訳で。普段の私の、帰宅後の時間を見てみると、大体最寄り駅に着くのが六時半前くらい。それから買い物をして寮に戻ってくれば七時で、夕飯の支度をして食べ終わる頃には大まかに八時になっています。つまり、食事関係の時間で一時間半ほどを使っているというような計算になります。ちょっとこの辺はトリック数字ですが、単純に思考するためには見逃して下さいませ。
 で、今日の場合も最寄り駅に戻ってきた時間はいつもと同じで、そのまま駅前の松屋へ着いたのが六時半くらい。そこで食事をして帰ってきたのが、七時少し過ぎでした。これで今日の分の食事は終わっている訳ですから、単純に考えれば一時間が節約されたことになるのです。先ほどトリック数字と言ったのは、食事だけに限らず「駅から寮までの移動時間」がその一時間半に含まれていたからなのですが、今回の比較の場合は、そのトリックを無視できます。何せ、「松屋から寮までの移動時間」が加算されるから。差し引きゼロ、むしろ松屋によると数分のロスが生じるので、マイナスなくらいです。それでも、一時間の余剰時間が発生する、と。ああ、何か持ち出した例があんまりに卑近すぎたかなぁ、とっても情けない話になってきました。まあ、良いか。
 外食した場合のコストが、今回だと490円になります。逆に普段に買い物をして軽く自炊した場合には、かかるコストは420円前後。大体私自身の毎日出費は把握しており、そこから経験則で出した数字として420円。計算を単純にするために100円差としますが、つまり「100円で一時間を買った」、と言うことができるでしょう。これを累積させた場合、何と24日の外食を行った場合、ちょうど一日分の余剰、24時間の余剰が発生してくることになるのです。ちょっと24日もの外食は避けたい所ですが、大局的な考えとしてはこういう見方もある、ということで。24時間ということは、一時間100円ですから2400円で一日が買えるということ。問題なのはまとまって一日休日ができる訳ではなく、毎日一時間ずつ分散して存在していることですが。これを安いと見るか高いと見るかは、その人次第だと思います。

 さてはて、上の段での「時間を買う」という中身は、つまり「自分の自由に使える時間を増加させる」意味合いでの「買う」ということでした。もしくは、「無駄な時間を短縮させ、その分の余剰を使える時間に回す」という意味合いとも言えます。これはつまり、自分が本来負担すべき箇所の労力を、お金を払うことで外部に委託して省力するということ。外食というのはこの典型例であり、そして会社にしても大体同じ意味合いで労働者の時間を買っている訳ですね。では、今度はちょっと思考の方向性を変えて、時間を増加させる意味合いでの購入ではなく、自分の好きな時間を演出するという意味合いでの購入を考えてみます。こちらもまた、「時間を買う」ということには変わりありません。
 こちらの方向性での時間の購入に該当するのは、まず映画館で観る映画というもの。これは大人なら三千円くらいを払って、一時間半から二時間の映画を観る訳ですが、これはつまり三千円を支払うことによって一時間半から二時間の、「普段とは違う時間を買う」ということになります。勿論、映画そのものへの版権だとか、映画館という施設を占有するという方面への支払も意味しているのですが、それ以上に一時間半から二時間という間だけ「非日常」という時間を買っているのです。まあ、人によっては異性と一緒に共有する時間を買っているのかも知れませんが、どちらにしても「普段とは違う時間」を買うという目的には違いがありません。その方向性だとかか、具体的な中身は異なるのでしょうけれど。
 これと似たようなものとして、またしても外食が出てきます。但し、こちらはファーストフードのような時間短縮の意味合いでの外食ではなくて、フランス料理のレストランやら、もしくは鉄板焼きのお店やら、割烹のお店やら、つまりは食事とお店の雰囲気を楽しむための外食を言っています。こちらでもまた、料理そのものへの支出の意味合いもありますし、やはり店舗内の一定面積を専有するという意味合いでの支出もあります。が、やはり同時に、「普段とは異なる時間」を購入しているのです。こういった時には、時間をかけてゆっくりと食事をするのが常ですから、先に例として出したファーストフードでの「時間短縮」での購入とは、見事に正反対の手法になる訳ですね。ただ、そういったお店で出される凝った料理を作るにはそれこそ何日もかかりますから、そちらの方面を考えると、やはり時間の短縮という意味合いにおいても支出があるのですけれど、と補足しておきます。
 本も一種同じ意味合いで、本を読んでいる間は「現実とは違う時間」を見ることが、読むことができます。そういった時間を買っているという解釈もできますし、知識を求める意味合いであるならば、自分で闇雲に何の手がかりもなく知識を求めるよりも、書籍という形で一定の量を集めた知識を読む方が時間が短縮できると言うこともできます。こうして考えてみると、案外、「時間の短縮」という意味合いと、「普段とは異なる時間」を買う、短く言い換えれば「時間の演出」の意味合いとは表裏一体のものであるのかも知れません。「時間の演出」を行う労力を省くため、「時間の短縮」を行うためにお金を支払うと言うことができるからです。もしくは、「時間の短縮」のために「時間の演出」を外部に委託しそれにお金を支払う、とも言えます。
 今の私自身を考えてみると、どちらかと言えば「時間の短縮」という要素を最重視して日々の生活と支出を行っているという傾向があります。年を取ってくると、今度はこれが「時間の演出」のための支出という意味合いが重視されてくるのではないか、と思うのですが如何でしょうか? そういったことも、自分が齢を重ねれば分かるようになってくるのか、どうなのか。まあ、今の私にしてみた所で、既に書籍を読むということで「時間の演出」のための支出をしていますから、案外その両者の割合は半々であるのかも知れませんね。ということで、これにてまとめに変えて、考察終了。

〈今日も独り言〉
ん。今日も日記に一時間~。

それでは。

暑いということをひたすらネタにしてみる

2005年06月27日 23時18分39秒 | Weblog
6月27日分の日記という事で。

 つい先ほどにようやっと昨日の分のオフレポを叩き上げた所ですが、今度は今日の分の日記を叩いていかねばならんという状況に愕然としている黎明で御座います。オフレポを叩くと毎回長くなるのですが、その後にいつも通りの長さの日記を叩こうとすると死ねますな、ホント。オフレポに関しては、実は四大段中で最初の大段落だけは会社でテキストを叩いて、メールで自分のフリメに放り込んでそれを貼り付けるというちょっとした手抜きをしましたが。会社で日記なんぞ叩くもんじゃありませんね、正直言って落ち着いて打てません。それはつまりは、会社にいる「自分」が寮で日記を叩いている「自分」とは異なる「自分」だからでしょうか、とこの間の人格考に引っかけてみたりしつつ意味は無い、と。
 それにしても、暑いです。暑い、暑い、暑い暑い暑い。今朝なんぞもう、朝起きた時点からしてもう昼間の炎天下の中のような気温で、思わず起き抜けになんじゃこりゃ~と喚いてしまいました。まあ、喚いても気分が晴れる訳でも無し涼しくなる訳でも無し、そしてあまりに暑くて寝起きがかなり今朝は悪く、朝からずっと眠いまま。暑いとただでさえ気分がぼんやりしてくるのですが、今日はもうひたすらに眠たくて寝起きが悪くて眠気がさめなくて、もう視界すらぼんやりとしてきておりました。それでひっくり返らずに済むのは、ひとえに朝飯を一応食べるようにしているからでしょう。暑いと食欲もついつい落ちがちですが、まだまともに食べられる内は大丈夫。味が薄めのものを食べていても、量が少なくても、食べているだけまだマシというものです。そうめんだけ、というのはできる限り止めましょう♪ 以前やってましたけどね、それ、私も……。
 いい加減あんまりに暑いので、とうとう昨日だか一昨日の夜からは扇風機を引っ張り出すことにしました。本当は七月に入るまで粘ろうかと思っていたのですが、さすがにここまで暑いと意地を張ってみても身体の水分がどこかへ行ってしまうだけなので、最低限扇風機くらいは動かすことにしました。本当は部屋に冷房もあることはあるのですが、電気代を食うのが嫌なのと、喘息持ちに乾燥が大敵であるという状況もあって、なるべく冷房は使わないことにしています。まあ、会社にいる時はスーツやらワイシャツやらネクタイやらがあるので、冷房くらいかかっていないと暑苦しくてかなわないのですが。内勤の私ですら暑いと思うくらいですから、現場のサービス部門の社員さん達はさぞかし暑いでしょうね……。ああでも、もしかすると外の涼しい喫茶店に避難しているのかも知れませんが。
 うちの会社でもクールビズを推奨し始めたようで、総務の方からノースーツ、ノーネクタイ推奨のビラが回ってきました。私は日によってネクタイをしていたりしていなかったりしていたのですが、多分明日からしばらくはノーネクタイになりそうです。ネクタイ一本無いだけで結構涼しいのですが、逆に冬場だと今度はネクタイ一本締めているだけでも結構違ってきます。まあそれでも、通勤中だけはネクタイを一応は締めていくつもりなのですが。まあ何といったものか、社会人っぽさを演出してみようみたいな? 新入社員がいきなりノースーツノーネクタイは、ちょっとどうかな~と思ったこともあるのですけれど、ね。ああ、サマースーツが欲しいなぁ……買わないけどね、意地で。

 今年はどうやら、地域によっては水不足を心配する必要が出てきそうです。どうにも梅雨前線が今ひとつ北上してこないため、土砂降りになる所では局地的に降るのですが、降らない所では延々と晴れたままで雨が少なくなってしまう。昔に30%の取水制限をかけた年と傾向が似ているのだそうで、これは確かに雨が足りていないような気がするな~と思います。梅雨時は雨でじとじとして嫌なものですが、かと言っていきなり七月とか八月くらいのくそ暑さが六月から先行されても困る訳で。朝起きた直後からもう二十度代後半の気温というのは勘弁して下さい。まだ六月なのに早速熱帯夜ってのもヤメテ下さい、眠れません。
 毎年夏は試練の時期ですが、この時期が大好きな人達もいます。チューブとかサザンとか、後は松崎しげるとか……。ああいった人達の日に焼けた顔を見ていると、思いっきりべりべりべり~っと皮を剥がしてみたくなります。いつぞやのトリビアで、松崎しげる色って作ってたなぁ、そういえば。あの番組は知識の深さとか意外性を追求するよりは、あの仰々しいまでの無駄な努力と無駄な演出とが売りなんだよな~と毎回思います。まあ、最近はあまり見なくなってしまいましたが。見てませんよ? ドレミファソラティドだとか、見てませんからね? と言う訳で、閑話休題でした。
 ひとまず、私自身は、これまでに取水制限で不自由したという経験がありません。もしかすると覚えていないだけで取水制限はされていたことがあったのかも知れませんが、不便な思いをしたという記憶は無かったり。つまりはそれだけ深刻な水不足による取水制限は無かったということなのですが、水不足が酷い地域では取水制限が長時間に及ぶため、かなりの創意工夫を強いられる所もある筈。水って……大事ですね。日本人にとっては「金を湯水のように使う」といったように、水というのは有限ではなくかなり自由に無駄に使えるものだという認識があります。が、特に欧米では飲み水というのは「買うもの」であって、水とはお金を出して購入するものである、と。最近では日本でも、浄水器を買ったりミネラルウォーターを買ったりで、水を買うという習慣に関してはそれなりに定着しつつあるのかも知れません。
 飲むための水と言えば、震災への備えとしてはやはりどうしても水は必須品になるとか。二リットルのペットボトルが二本くらいあれば、一人が数日保たせるには何とか足りるようです。ただ、それでも相当に節約しての話ですし、勿論その量ではお風呂とかは無理です。水というライフラインの復旧は、震災時には大変なようです……。だからこそ自衛隊が給水活動を行ったりする訳で。ああ、暑いとシャワー浴びたいな~とよく思うものですが、水を思うように使えない状況となってしまえば、そんなことは言っていられなくなるのでしょうね。ううむ、それは辛いなぁ……。

 さて、最後はやっぱり本の話。ようやっと今朝の通勤時間で森博嗣の『工学部・水柿助教授の日常』を読み切りました。コミックスで残っていた森博嗣作品も昨日のオフ中に読み切りましたから、これでようやっと森博嗣作品の手持ち分を全て読み切ったことになります。かなりの数だったなぁ。犀川・萌絵シリーズで十冊、ZOKU一冊、四季で四冊、コミックス二冊、そして工学部助教授で一冊。全部合わせたら、何と十八冊になります。ものの見事な絨毯爆撃戦法ですが、さすがにこれだけ連打で同じ人の作品を読み続けてしまうと、飽きます。最後のコミックス二冊と工学部助教授は毛色が随分違っていたので、そちらの方が楽しめたのは幸いでしたが。
 で、今日からは笹本祐一『星のダンスを見においで』の大幅加筆修正版を読み始めています。一気にミステリからは離れたな~とは思いつつ、笹本さんは『ARIEL』を全巻ぶち抜いているので、新しく切り開いた領域という訳ではないのですよねぇ。積み本が減ってきたかな~と思ったらまたこの土日で増やしてしまいましたし、またしばらくは読む本に困ることは無さそうです。残る手持ちだと京極夏彦があったり、富士見ミステリーを足してみたり、それと一冊だけ海外SFが混じっています。そろそろ海外SFにも行ってみても良いかな~ということで、まずは入門的にライトな雰囲気の『惑星カレスの魔女』を買ってきました。んが、読むのは大分先に回されそうな気もします。まず間違いなく読みそうな本は、どうしても後に回しておかないと、他のなかなか読まなさそうな本が更に更に後回しにされてしまいますので……。ヤレヤレ。
 ついでに、今日会社から戻ってきて、一冊買っておいた新刊コミックスを読みました。ちょっと久々の新刊、『低俗霊デイドリーム』の第七巻。相変わらず変です、この話。口寄せするSM女王様っていったい何なんだろう……。まあ、そこいら辺は突っ込んでみても仕方がないのかな~とは思いつつ。昨日には森博嗣原作のコミックスを、その前には『蟲師』の最新刊を。一挙にコミックスを読む数が増えてきていますが、それでもまだ二冊だか三冊だかコミックスが積みで残っています。で、これだけごちゃごちゃと買ってしまったので、ぼちぼちお金をおろさないとマズイ罠。給料は入っていますし、あまり今月は使っていなかったので余裕はあるのですが、変な時間にお金をおろすと手数料を取られるのです。せちがらい時代になったもんだと少しだけ思いつつ……。
 これで一気にレビューしてない作品が三つになってしまったので、さっさと片付けていかねばイカンな~と思いつつ。これで今月中にこの三つを上げてしまえば、一月で何と十五レビュー。ついでに今読んでいる『星のダンスを見においで』も今月中には読み切るでしょうから、これも加えれば十六レビュー。あらら、これだと今年中に三百を達成するというのも夢じゃなくなるなぁ。まあ、あまり無理をして達成してみても意味は無いものですし、適当にその時々のペースで行こうかと思います。今月はどうやらたまたま新しいのが多かったようですし、来月もこのペースで行くとは限りません。でも、やっぱり幾つかは増えるんでしょうね、間違いなく。

〈今日も独り言〉
ねこなべ。

それでは。

オフレポ

2005年06月26日 21時48分07秒 | オフ
6月26日分の日記という事で。

 日記更新は一日遅れになりましたが、まあそこいらは翌日が会社だったということと、寮に戻ってきた時間がちょっと遅かったということで勘弁していただきたいかな~という訳で。どうにも先週今週くらいで何度か日記が遅れるとか短くなるとか出てきましたが、そういうことも今後はちまちま出てくるかとは思います。ぼちぼち仕事が増えてきたという所もありますし、たまには仕事の後にも用件が入ってくることも出てきました。そこいらの事情もあって、今後も時折に日記の定例更新ができないこともあるかとは思いますが、この辺の言い訳ということでご了承いただければ幸いです。ああ、前口上が長いなぁ。
 んで、昨日に大学時代の友人と新宿でうろつき回っていたのですが、今日は今日で今度はオフで池袋を歩き回ることになろうとは。土曜日曜二日連続で動き回るってのもなかなか珍しいことではありますが、そもそも確か金曜日の夜にも過剰稼動していた訳で、何故にこういうときに予定が密集するんだろうかな~とちょいとばかし小首を傾げつつ、それでもやっぱり乗るのが私らしいのかどうなのか。オフの話が回ってきたときに、自分でもう「断ると思ってか」とか言ってしまう時点で、もう最初からあったら行くという状況が自分の中では確定しているということ。そうなってたらまあ、確かにオフ参加回数が二十とか二十いくつとかにもなろうというものです。全部で何回加わったんだか、もう覚えてないのですけれどね。
 それはともかくとして、オフの話。今回は樽様が別件で東京に来ているということで、そのついでに開催されたオフという形になります。どーでも良いですが、合流の手はずを考えるときに、平然と「ああ、今○○○○駅(寮の最寄り駅)のネカフェにいるし」とか言うのはやめて下さいな、樽様。正直びびったですよ。何はともあれそれだけ近くにいるなら、今回は合流に手間取ることは無かろうとまず一安心。合流時間を決めて、オフ当日の午前中に合流に成功しました。樽様とほぼ時間通りに合流できるとは、また珍しい。槍でも降るかと思ったら、出会い頭にドクターペッパー渡しやがってくれましたよ。
 オフの最初はネタがないと、と黒いオーラを発しながらドクターペッパーを渡しやがるはぐれメタルと、それをにっこりとした微笑で受け止めながら飲み干す十叶な魔女の絵図。槍が降らない代わりに、毒々しいかほりのドクターペッパーが降りました。ちょっと前ならまず飲めなかったはずなのですが、あまりに暑くて味覚が死んだのかどうなのか、全部飲み切りましたよ? その後に何かしらの体調不良が急激に発生するといったことも無く、むしろ私ではなくてはぐれメタルな誰かさんが軽くグロッキーに陥るという逆転現象もありましたが、まあそこいら辺りは後になってからのお話なのでした。

 集合は池袋のジュンク堂。一番の不安要素であったはぐれメタルな人は最初から合流していたので良し、二人目の稲月様は毎回時間に正確な方であり今回も例外なし、ここまでは順調に面子が揃っておりました。んが、ここにきて約一名の行方不明者が発生。この約一名がオフの最後のもう一人というか、もう一匹と言うべきか。取り敢えず、もふもふした非常食です。と言うか、はぐれメタルと、十叶な魔女と、非常食……人間と言えそうなのは、稲月様だけですか今回は。メンちゃんがものの見事に池袋で迷ったというのが合流時の顛末で、何故かジュンク堂とは東口を挟んで反対方向、東急ハンズ近辺にある公園にたどり着いていたのでした。普段、池袋でオフをやると大抵ここに一度くらいは避難してくるので、そこだけは覚えていた模様。帰巣本能かしら……?
 まあ何はともあれ、少し予定からは遅れて、ついでに当初の合流予定場所からは離れてしまいましたが、何とか合流に成功。んで、合流したらすぐに「もふもふ~」「非常食~」と例によって例のごとしのいぢくり回しが始まるのはまあ、一種の親愛の表現でしょう。はぐれメタルがいぢくって、非常食が反応して、魔女が突っ込む。もしくは、魔女がおちょくって非常食が喚いて、はぐれメタルが斬る。残る唯一の人間だけは、そうしたほのぼのしたやりとりを眺めやりながら笑う。非常に完成された連携プレイが、そこでしばし展開されていたのでした。ちなみに、はぐれメタル+魔女の非常食に対する攻撃連携は、非常食との初対面となった仙台オフから既に確立されていたのでした、まる。
 出会い頭のスキンシップに一通り飽きた所で、そもそもの集合時間が午後一時だった割には誰もお昼を食べていないという状況も判明して、取り敢えずどこかに落ち着こうということになりました。昨日の新宿でも死ぬほど暑かった訳ですが、今日も今日とてやっぱり池袋も暑い。外で立ち話をしていると、それだけで汗が出てくる始末です。何せ最初にジュンク堂で合流した稲月様が、非常に疲れた顔をしていたので、魔女とはぐれメタルが心配したくらい。ただ、返ってきた答えは「いや、疲れてるんじゃなくて、めっちゃ暑いから」だそうな。まあ、そのくらいにめっちゃ暑かったのです。オフの時に土砂降りの雨を食らってしまうのも困りものなのですが、かと言って真夏のぎんぎらぎんな太陽を食らってしまうのもまた、きっついものです、はい。
 何となく見かけたチェーン定食屋に入って、冷房の効いた店内でようやっと人心地つく一行。あれ、でも人間なのは一人だけだっけ? それは脇に置いておくとして。食事中、ちょっとばかしダイエットの話が出たりしました。非常食ことメンちゃんが最近太った~と言い出したのがきっかけだったような気がしないこともないのですが、その中で無理なダイエットはイカンなぁという話になりました。で、何気なく魔女がぼつっと呟いた一言、「私がダイエットするって言うのと同じくらいヤバイよねぇ」と。魔女本人は何も考えずに言ったのですが、過剰反応したのがはぐれメタルの人。食っていたうどんを思わず吹き出しておりました。その反応で魔女が自滅、更に隣にいた非常食が「後からじわじわきた~」と爆笑し始めて、最後に稲月様も揃って吹き出して全滅。おお、しんでしまうとはなさけない……。
 何も狙うこともなくぼそっと、魔女が自然に呟いたからこそ、これが一番受けたのかも知れません。何せ、言った本人がしばらくしてから自分が何を言ったのやらと把握し直して、自滅の爆笑をしたくらいです。でも、それ以上にうどん吹き出したはぐれメタルのオーバーリアクションが一番笑ったのですけれど、ね♪ 追伸。晩ご飯もまた別のチェーン定食屋で食べたのですが、その時も十叶な魔女が、今度ははぐれメタルを狙い撃ちしてネタを投入、囓っていた氷を吹き出すという一幕も。そしてついでに、更に氷を囓ろうとしてピッチャーから氷をコップに移そうとしたら、全部ぶちまけるというお約束付きでした。中身、水気は全部みんなで飲んでしまっていたので、氷だけだったから被害は少なくて済みましたけれど……。お約束過ぎる、幾ら何でも。

 時間が跳躍したようなので、ちょっと戻して。昼が済んで外へ出た頃には、既に三時近くになっていました。その後はさてどうしようという感じでしたが、ハンズに行きたいと言う非常食がいたので、そのまま近いしということで東急ハンズへ。ぶっちゃけ、表があまりに暑くて、どこかしら中に入っていないと水分が枯渇するという事情もありました。何でこんなに暑いんだ、今は梅雨じゃなかったのか……? まあ異常気象への文句はさておいて、東急ハンズに行ったら、パーティーグッズやらジョークグッズ売り場に行くのがオフの常。他のフロアにも行こうかと思ったのですが、途中で実は丸一日以上寝ていなかったはぐれメタルがグロッキーダウンしかかってきたので、手近にあったベンチに避難しておりました。
 避難したかと思ったら、はぐれメタルな人はその内にこっくりこっくり船を漕ぎだし、非常食な人は携帯でゲームをしてみたりアクセサリーを見に行ったり。唯一の人間な人もいつの間にかふらっと姿を消したりしておりましたが、残った魔女な人はずっとコミックスを読んでおりました。以前に買っておいてちょっと積みっぱなしにしていた、森博嗣原作のコミックスで、『女王の百年密室』と『迷宮百年の睡魔』の二冊。森博嗣が原作のコミックスってどんなんだろうと思って買ったものだったのですが、森博嗣の詩的要素を含みつつ、作者の独特の絵柄もあって、なかなか不思議なコミックスに仕上がっておりました。と言うか、ちと読みにくいかも知れません。小難しいのが好きな人、メンタル系が好きな人には良いかも知れませんが。例えば、ここにいる魔女の人みたいな人なら。
 ハンズで結局ははぐれメタルの人が爆睡してしまって、そのまま六時近くまでベンチで休憩になりました。店内涼しいしベンチは座っていられるから楽だしで、ついでに魔女の人は延々とコミックスを潰してレビュー数を稼げるな~とか思っていましたから、それはそれでオーケー。しかしまあ、これではぐれメタルの人は、オフをやると寝るというのがやっぱり恒例になってしまっているようです。とは言え、三十時間以上寝てないとかいう状態で、しかも前日の夜もネカフェで一晩潰していたようですし、オフの時はくそ暑い炎天下。名古屋から東京まで出てきて、前日に別の用件をこなしてからオフですから、そりゃまあバテもするでしょうけれど……ね。
 ハンズでの長休みの後は、ゲーセン行って魔女の人が調子の悪さに苦笑いしてみたり、その最上階にある大正浪漫喫茶とその周辺グッズ売り場+そのトイレに絶句してみたり。そういった小イベントをこなした後で、最後はやっぱりジュンク堂へ。本当は最初に集まった場所なのですが、迷子になった非常食の人を拾うために完全に後回しになってしまいました。んが、大正浪漫喫茶近辺の解毒が必要でしたから、その意味ではジュンク堂が後回しになったのは良かったのかも知れません。で、前日に新宿の紀伊国屋で本を買っていたのに、また何冊か買ってしまう魔女の人。今月は出費を抑えようかと思っていたのですが、まあ最後にほころびたようです。どうせここまでで結構抑えていたので、最後くらいは多少出て行っても平均値に戻るだけなのですが。
 しばしジュンク堂の内部で上下しつつ、あちこちで「お勧めはどれ?」とか、「これ読んだ?」といった会話が飛び交っておりました。某所チャットの面子だもんなぁ……。しかも、非常食の人はまあ置くとしても、他の面子がはぐれメタルの人に、十叶の魔女で、そして何より稲月様が揃っている時点で、まあそうなるのは仕方のない所です。それぞれに本を買っていましたが、やっぱりはぐれメタルの人がダントツに数を買いすぎでした。ついでに、その日は解散した頃には既に名古屋には戻れないような時間帯になっていて、稲月様の所へしけ込んだ人がいたようでしたが。帰り際に、銃数冊ほど貰って戻っていったそうです。リュックサックがブチ壊れる心配をした方が良いんじゃないかと、つくづく思ったのでした。
 オフレポ、お終い。

〈今日も独り言〉
ああ、しっかし暑かった……。

それでは。

暑い……

2005年06月25日 21時35分37秒 | Weblog
6月25日分の日記という事で。

 ちょいとばかり伸びをしたりすると、腰が「ばきり」とか「べきり」とか不穏当な音を立てて鳴ったりするのですが。いやはや、これはまた見事なまでに筋肉痛+腰痛のコンボアタックをもらってしまったようです。腕の辺りも多少は筋肉痛が回ってきていますが、そちら以上にもう腰の周辺に凄まじいまでの疲労が蓄積していたようです。お陰でもう、今朝に目が覚めて起き上がろうとした時に、腰の辺りが強烈に突っ張った感じがして、「やっぱり来たか~」と思わず爆笑してしまいました。休日の朝は笑顔から。気分の良いものですが、と言っても笑った理由が自分の腰痛+筋肉痛じゃあどうにも一部に不穏で不安な要素がちらほらと。
 今日は昨日の飲み会中に、突然友人からメールが入って、「明日こいやゴルァ」とのことで、新宿まで行って参りました。まあ、単に会おうかという話で、場所を新宿にしたのはこちらなのですけれど。大学時代の友人で、ここの日記でも何度か登場している友人。珍しく学校から出ても交友の続いている相手ですが、本当に学校から出ても付き合いが残った相手って、実はこの一人しかいないんじゃなかろうかと思ったりして。まあ何はともあれ、筋肉痛でちょっと逝ってる腰を抱えつつも、そんなんは気にせんと新宿を歩き回ってきました。途中で電光掲示板を見上げてみたら、一瞬だけ「気温32℃」とかいう馬鹿げた数字が見えたような気がしましたが、まあ気のせいだということで無視しておくことにしたのでした、まる。
 友人曰く、「就職して金稼ぐようになったら、周囲がみんな生活派手になってんのよ。でもさ、うちらだけ地味だな、変わらず」だそうな。悪かったな地味で、とかいつものことだ、とか使い道が無いやんという反応を一通り返しはしましたが……。まあ確かに、社会人になってお給料を頂くようになりましたし、自分の自由にできる金額は一気に上がりました。私に至っては寮費が一万円という破格の値段ですから、住居費に関してはかなり負担が少ない部類です。その分尚更に余裕はあるのですが、と言ってもそれでも毎月に八万円くらいは出て行ってしまいます。貯められる内に、貯めておくのが良いのだろうな~というのが友人と私の共通見解でした。どうやら向こうも寮費一万円なのだそうで、全然違う会社行ったのに、なんでそんな所似てるねんとか思ったり。
 二人して炎天下の新宿を歩き回って、本屋をはしごして、吉野家で昼飯食って、休憩場所を探して彷徨った挙げ句にルノアールに寄ったりで。まあ休日としては良かったのだろうな~とか。ただ、せめてもうちょっと涼しいと良かったのですけれど、ね……。まさか31℃とか32℃とかまで最高気温が上がってくるとは予想外でした。一応は扇子を持って行っていたのですが、もうここまで暑いと焼け石に水、扇いでる労力で余計に暑いだけという始末でした。ああ、それにしても暑い。今は寮に戻ってきて寝転がりながらこの日記を叩いていますが、この部屋風が通らないから、余計に暑い。もう上半身何も着てませんし、下は半パン。それでも暑い。その内ミイラが出来上がるんじゃなかろうか、この分だと。

 まあそれはともかくとして、新宿まで出向いたついでに、ゲーセンへ寄って、ケイブの新作シューティングを一回だけやってみました。鋳薔薇(イバラ)という名前のやつで、実の所、面白そうだからということでやった訳では無かったり。昨日辺りにネットをうろついていたら、その鋳薔薇という名前を初めて目にしたのですが、ついでに「鋳薔薇はハズレっぽいぞ」というような評判を見かけたのです。単にそういう評判だけが出ていたので、何だろうと思いつつ鋳薔薇のホームへ行ってみたら、大体は予測が付きました。でもまあ、実際にやってみないとまだ何とも言えないよな~ということで、今日は新宿まで出たついでにやってみたのでした。
 結果は……うん、確かにこれはちょっと、後一回だけやるかも知れないけれど、それ以上やる気にはならないだろうな~と。ひとまず、ちょっと古い感覚の画面やら背景やらと、あまり今回は難解でない単純なシステムになっていたようです。そこいら辺は特にどうでも良いのですが、一番困ったのが、弾が全然見えないということ。背景がまず暗めというか全般にセピア色っぽい色調になっているのですが、弾がまた暗めの色になっていて、どうにも混じって見えてしまいます。私自身は最近は東方やら、もしくはエスプガルーダといった比較的弾が見やすいタイプのものばかりをやっていたので、全然弾が見えないという状況に陥りました。結局、ステージ2のボスで早々に撃沈。
 な~んとなく、昨日にネットで公式サイトを見た時から、微妙に嫌な予感はしていたのですが。ついでに、他人がプレイしている所を先にビハインドしてからのプレイだったので、こりゃ~弾が見えないだろうな~と予め予測はできていたのですが。実際にやってみたら、思った以上に見えない。これは辛い、正直辛い。これは確かに、ネットでの評判はあまり芳しくない筈です。敵の配置がどうとか、弾がいやらしい飛び方をしてくるとか、難易度が高いとか、そういう所以前の問題。弾が見えない。全く見えない訳では無いですし、むしろちょっと前までのシューティングはこういった弾の見えにくいものも結構あったのですが。今更に、改めてケイブがこういうものを作る必要性があったのかどうか、と言う所はちょっと首を傾げたくなったり。
 まあ、公式サイトを見て、ついでに実際に一回だけやってみて。全般的にケイブ側がこの作品でやってみたかったこと、らしきものは見えたような気がします。少なくとも、ケイブ側が狙った、この作品全体に醸し出したかった雰囲気は、分かります。むしろ、登場キャラのイラストだけを見たり、弾の見えにくさなどを何とか無視すれば、雰囲気としては悪くは無い、筈。私個人としては、敵側キャラはそれなりに良い感じっぽく見えます。ただ、やはりシステムの単純さに比べてとっつきにくい印象ですし、やっぱり弾が見えないのが痛い。入りやすさなら、ここ最近のものの中では、エスプガルーダを超えるものは無かったように思います。虫姫さまもまだ優しい方との評価を聞きはしますが、私はあれ、どーにも苦手なのですよね、と苦笑い。

 最後、もういつも通りに。昨日で取り敢えず『スラムオンライン』を読み切ったので、今日からは『工学部・水柿助教授の日常』を読み始めています。普段なら休日は文庫本を読むのをストップしているのですが、今日明日は移動が入るので、その時間つぶしに本を読むことにしたという次第。何だ、これだと一週間延々と本を読み続けていたことになるじゃないか、まあ良いけれど。会社ではこういう人間は至極珍しいようで、早くも変わり者扱いされております。別に自分が普通だとは思ってないけどさ~、とまたしても苦笑いしてみつつ、ついでに今日も紀伊国屋へ行ってしまったので、本が増えてしまったのでした。今月は出費を少し節約しようかと思ったんだけどなぁ。単に金下ろすのが面倒なので手持ちだけで乗り切ろうとしただけなのですが、後でまた本を買ってしまえば同じこと。出費が先になるか、後になるかというだけですね。
 今日から読み始めている奴は、またしても森博嗣作品です。が、もしかすると、今まで読んだ森博嗣作品では一番これが面白いんじゃないかと思ったりして。ちょっと四季では興ざめした所もあったのですが、こちらを読んで、むしろこっちの方が森博嗣は良いな~と思うくらいです。あまり詩的表現に偏る作品よりも、気楽に書いているんじゃないかな、と。多分、間に『スラムオンライン』を挟んで気分が切り替わったせいもあるのでしょうけれど、ね。で、これが終わったら次はどこへ行こうかな~と考えています。今の所、残っているのが『キャラねっと』、『冷たい校舎の時は止まる』、『星のダンスを見においで』、京極夏彦の一冊、『海を見る人』といった所。いつのまにやら、積み本が残り七冊になっておりました。減るなぁ、随分と。
 今日に買った本は全てコミックスなので、こっちは割とすぐに読み終わることかと思います。が、普段なら休日にコミックスを潰しているので、今週は今日明日とも動きがありますし、ちょっと読み潰しは先送りになりそうですが。ひとまず、コミックスの残りが、今日買ったものも含めれば五冊。その内の一つが『蟲師』最新刊で、三つがまだこれまでに読んでいなかったシリーズ。一つはそのシリーズの続きなので、レビューとして増やせるのは三つということになります。ついでに、まだレビューしていないコミックスシリーズが一つストックとして残っているので、四つ。ああ、そういえばまだ電撃の『ウィザーズ・ブレイン』の新刊を読んでいないから、積みはもう一冊増えるのか。ただ、これは下巻が出てから貫通させようと思っているので、しばらくは残っていそうです。
 さてはて、ここで思うのは、今年中にレビュー数を今の216から300オーバーまで持ち込めるかどうかということ。今が六月末ですから、七月から十二月までで合計84レビューを追加すれば良いということになるのですが。七月から十二月までで六ヶ月、今月中に後レビューを一つ二つは追加できるでしょうから、大まかに見積もって残り82レビューを六ヶ月でこなせるかどうか、ということになります。82を6で割ると、14くらい。正直、さすがに厳しい♪ 今月だとこれまでにレビューした数が10で、後二つ増えるとしても12ですから、ちょっとばかしペースが足りません。あまり急いで読んでも面白くありませんし、まあこんなもんかな~と思います。
 考えてみたら、レビュー数が12だからといって、読んだ冊数は12冊では無いのですよねぇ。既にレビューが終わっている作品の続きを読んでいたりだとか、複数冊を読み切ってからレビューをようやっと一シリーズ分追加したりだとか、そういう状況ですし。結果的に見て、レビュー数の1.5倍から2倍くらいの数を潰しているような気がします。だからどーだということもないのですが、大体二日で一冊は読んでる計算になるのですよね、これだと。そりゃまあ、積み本があってもどんどん減っていくに決まってます。それはそれで良いか、と思いつつ、今夜も暑いな~とぼやくのでした。

〈今日も独り言〉
これで明日も池袋~。やっぱり暑いんだろうなぁ……

それでは。

手抜きの日記

2005年06月24日 01時17分26秒 | Weblog
6月24日分の日記という事で。

 まあ実際には、更新日時は25日になってしまっているのですが、その辺は何せ寮に戻ってきたのがもう日付変更後だった訳でして、そこは見逃して頂けると幸いなのですが如何でしょうかと愚考いたしまする次第で御座いますと言って見つつこれに意味は無い訳で要は単なる行数稼ぎ、と。そういえば日記の更新が日付変更をまたぐのも意外と久々な気がしますが、これも昔は結構よくあることだったように記憶しています。最近は会社員になってしまったせいで、生活時間帯がほぼ強制的に前倒しになっていますから、そのせいで日記の更新も前倒しになったという訳で。単に、以前がだらけすぎて夜型人間になっていただけなのですけれどね。
 それにしてもまあ、今日は微妙に疲れました。職場ではそろそろ仕事がちまっとずつ回ってくるようになりましたし、ついでに今日は紙束の詰まった段ボールを運ばにゃならんということになったりで、多分明日は筋肉痛がほぼ確定。ついでに、先日にハンコをぺったらぺったら押した時の筋肉痛が昨日まで残っていたという驚愕の事実もありましたが、これでまた明日から筋肉痛が別の所から再発することでしょう。グッバイ筋肉痛、ハローハロー筋肉痛。……あれ、これじゃあせっかく筋肉痛とグッバイしたのに、また明日から入れ替わりに筋肉痛にグッモーニンじゃないですか。一難去ってまた一難、ぶっちゃけあり得ない。夜の今のテンションも、正直あり得んなぁこれは。
 で、ついでに仕事でバタバタしたかと思ったら、その後に今度は労組の講座があって、そのまま飲み会に。労組の講座なんて一時間程度で、実際には飲み会が三時間半ほど続いたので、どっちが主だったかと言えばもう、後者に決まってますな。ちなみに、労組の講座の終わり際に、労組での保険加入の話があったのですが、事前に渡されていた記入用紙に名前やら何やらを書くのを忘れていた私がいますよ? 五分ほどで急いで、その場で書き込んだ私がいますよ? 他の新入社員面子はしっかり書いてきてましたよ……。私だけ? 私だけ? まあ、そうだろうな~とは思っていましたし、職場で書いておこうかと考えていたのですが、思いの外今日はやることがあって書くのを忘れておりました。
 ま~さか、あんだけ色々仕事が今日一日だけで出てくるとは思いもしませんでしたが。それはそれでまあ、充実と言って良いのかも知れません。力仕事の代わりに、ジュースとアイスを頂きましたし。時間の経過が今日は速かったように思いますし、ただ飯も食えたし。もうじき給料も入ってきそうだし、ひとまず今日の所はこれで良いかな~と思ってます。本当は今夜にオフが入る予定でしたが、そしてそれは流れてしまいましたが、まあまあそれも仕方がないこと。腹を立てるのにも飽きましたし、満腹してるので不満が起こる前に眠気と脱力感が強烈に出てきます。不満を持ってみてもしょうがないし、ひとまず今日はこの満腹感と共に寝るのですよ。

 で、ネタがありません。何か考えていたような気もするのですが、もう満腹が強すぎて、頭が回ってません。食い過ぎたかな……。まあそんな訳で、仕方がないからネタが無いということをネタにしてしまおうかとも思ったのですが、眠たいので今日はもう文章が続きません♪
 まあこういう時もあるということで、本日これまでで切り上げ。

〈今日も独り言〉
あ~、腹が重いし、空気はぬるいし暑いし。参ったな~

それでは。

人格考再び

2005年06月23日 22時37分12秒 | Weblog
6月23日分の日記という事で。

 本当はまた別のことを日記に書こうかと思っていたのですが、人格考に思いの外コメントがついたようなので、もう少し人格考を進めてみようかということで、予定を変更してみます。こうして議論というか考察を行っている時の「自分」と、普段のように中身のない日記を叩いている時の「自分」とは、やはりまた別々の「自分」のようです。明らかに思考のパターンが違う時がありますし、その時の思考のパターンは正直な所、「自分」には制御が利きません。その時々で表に出てきている「自分」は、かなりランダムに近いか、もしくは逆に純然たる法則に従って出てきているかのどちらかでしょう。どちらの場合であっても、制御ができないという点に置いては同様と判断できます。
 もし高いランダム性によってその時の「自分」が選択されているならば、ランダムに選ばれて出てくる「自分」を予測することはできません。逆に純然たる法則に従って出てきているのならば、それこそその法則が強固であればあるほどに、法則の外における制御は通用しないことになります。ひとまず今この場にいる「自分」と他幾つかの「自分」達の思考としては、基本的に法則に従っての出現であるという説を支持しつつ、但し法則は周囲の環境や状況によって適用されてくるので、その環境や状況がランダム性を持っているならば、結果的には「自分」の選択もランダム性を持たざるを得ないのではないかと思います。まあつまりは、「自分」の出現条件自体は法則に従って限定されてはいるが、出現条件を満たすための環境そのものが常に流動している、という所でしょうか。分かりにくいなぁ。
 また、「自分」達の側にしても、思いの外短期間に「自分」達自身が変容を繰り返していくだけに、尚更にランダム性が高まっているように思えるのではないか、とも。特に「自分」達の入れ替わりや変化が活発に行われている時期の場合、それはすなわち「自分」達の思考スタンスやパターンも安定しないために、全体として統括者たる「私」も不安定を抱えることになります。「私」が不安定になってしまえば、「私」が統括すべき「自分」達の連結が弱くなり、尚更に不安定が強まります。不安定が不安定を呼び、それが更なる不安定を呼び込む。人が不安に落ち込む時期というのは、すなわちこの不安定の連鎖に陥っている時期なのではないか、と考えることができます。
 この不安定の連鎖も、中央演算装置である「私」が不安定になったことによって発生するトップダウン形式のものと、逆に末端装置もしくは実働部隊である「自分」達が不安定になったことによって発生するボトムアップ形式のものとがあるように思います。前者はすなわち、「私」の存在意義そのものを揺るがすほどに大きな変動が周囲で起こった場合。後者は「自分」達の変化が急激に起こっている場合か、もしくは「自分」達の側から「私」に対しての造反を引き起こした場合。実際にどちらが起こりやすいかと言えば恐らくはボトムアップ形式のものであり、そして「自分」達の変化が急であるがために、「私」による統括が追いつかない場合ではないか、と思います。また、「自分」達の変化が慢性症状的に表に顕在化した場合というのも、充分にありえるでしょう。要は、火山と一緒です。急にどかんといったように思えて、実は前々から地下では溶岩流がうごめいていた、とまあそんなイメージで考えて頂ければ良いかと。

 とまあ、ここまでで「自分」に対する考察は一旦ストップしようかと思います。前回の考察では主に「自分」の側、終端装置もしくは末端装置または実働部隊であって下位概念である側に焦点を当てていたようなので、今回は上位概念であり統括者であり中央演算装置である「私」の側を考察してみようかと。前回の考察で「私」について考えたことと言えば、既に述べた通りに、「自分」達の上位概念であり、統括機能であり、中央演算装置であるという所までのような気がします。あくまでも「自分」達と、それから「私」と「自分」とが分離しているという概念の説明で終わったような気がするので、今回ここからは「私」の側に絞っていこうかと思います。
 実際に物事を思考したり、判断したり、感情を推移させたりするのは「自分」達の側の役割ですが。では「私」の役割は何であるかと考えてみると、それはまず先ほどからも述べているように、まず中央演算装置であり統括者であるということ。「自分」達は至極方向性もばらばらで、それこそ「自分」勝手に乱立しているような状態であり、それを一定にまとめるか、そこまでは行かなくとも緩やかに繋いでおくくらいの役回りの存在が何かしら必要になります。むしろ「自分」達はそれぞれに個性的であり、個性的であるが故に同一化せず同時並列的に存在できる訳ですが、それらを強制的に従わせるというのは無理があります。それは暴れ馬にまたがって無理矢理に押さえつけようとするようなものですから、下手をすれば落馬して蹴り飛ばされるか、潰されてしまうでしょう。
 大昔のような、力によって下々を睥睨しつつ統治するような手法では、長持ちはしません。それは今現在の世界に、専制国家がほぼ残っていないという事実からも大まかに推測のできる所です。従って、「私」が「自分」達を連結するための手法も、力によってではなく、緩やかな統制によって行われていると推測することができます。ただ、ここで留意すべきなのは、あくまでも「私」は統治のための装置であって、統治のための意思ではないということ。すなわち、主観によって統治を行うのではなく、基本的には客観によって統治を行っている、ということです。まあ、所詮は人間の内側でのシステムですから、究極的な客観など望むべくもなく、主観によりはしますが、それでもまだ主観の内では客観寄りのスタンスを取るということで。
 言うなれば、意識や感情、判断、思考など表に出る事柄一切を司るのが「自分」達であり、「私」とはすなわち裏方部門のトップである。「私」が積極的に自己主張することはほぼなく、恐らくはそれほど「自分」達の思考に介入することも無い筈です。「私」が介入するのではなく、「自分」達が「私」から一定の影響を受けてしまうという図式であれば成立するとは思いますが。「私」は存在しているだけで周囲の「自分」達に一定の影響を自動的に与え、その自動的に発動する影響力によってこそ緩やかなる統治を行っているという解釈も成り立ちます。地球は、その巨大なる重さによってそこにあるだけで重力を発生し、地上の建造物や生物に多大なる影響を及ぼしています。要は、スケールを大幅にダウンさせた上でこの思考を適用すれば、「私」と「自分」達との関係性は大体イメージができそうに思いますが、さてはて如何でしょう。

 ところで、では「私」とは一体何であるのか。中央演算装置であり、統括者であり、上位概念であり、そして地球の如く巨大なる影響を自動的に及ぼすものである。それはそれで良いとして、それでは「私」は一体どこにあるのか。少なくとも、「自分」達の内側にあるのではないでしょう。人間の内側に地球なんぞを抱え込んだら、重たすぎて人間は圧壊されてしまいます。それと全く同じで、「自分」の中に「私」を内包すると言うことは、あまりに重量が増しすぎます。それは自らの思考や感情の自由を制約し束縛してしまうことであり、自滅と言うよりは「自殺」を招くようなものでしょう。そもそも、「自分」達が独立並行的に存在できているのは、それなりにそれぞれが独特であるからであり、「私」を内包してしまうと言うことは、すなわち統括された平均的な思考や感情を獲得するということになります。つまり、そういった「自分」は、他に統合され、吸収される。存在を維持できなくなる、ということです。
 逆に言うなれば、「私」という極限なる平均値が存在を維持できるのは、その己の持つ重量そのものによってです。「私」と「自分」達が同じ程度の重量しか保持していなければ、あまりに個性としては希薄に過ぎる「私」はあっという間に「自分」達に吸収されるでしょう。それがそうならないということは、「私」の重量比率が明らかに「自分」達より高く、かつ「自分」達とは全く異なる役割を割り振られているからこそ、「自分」達に吸収されない訳です。「私」は「自分」達とは異なる位置におり、そして存在している階層は、「自分」達よりも遙かに深いレベルであろうと思います。ただ、「自分」達全てが浅い階層に存在している訳ではなく、「私」に近い深いレベルに存在する「自分」も恐らくは存在しているのでしょうけれど。この深いレベルにいる「自分」達のことを、前回ではブラックボックスと称したように思います。
 先日の人格考へのレスポンスの中に、「私」は倫理や道徳を司る部分も兼ねるのではというご指摘がありましたが、今の最寄りの「自分」達が考える範疇に置いては、あくまでも倫理や道徳を管轄するのは個々の「自分」ではなかろうかと思っています。「私」が行うのは、判断や何やらではなく、全体の統括と総平均化することそのものであって、己が前に出ることはない筈。それをやればつまり「私」は「自分」達と同じ程度の重量にまで成り下がり、結果「自分」達に吸収されます。あくまでも「私」はデバイスでしかなく、また、スタンスとしてはデバイス的であることが最も望ましい。言うなれば、人間の主観的判断を司るのが「自分」であり、客観的観察を司るか、そこまでは行かなくともその客観性を保持するための補助デバイスとして機能するのが「私」である、と。
 ここまで「私」を上位概念、統括者という、いわゆる「上位」としての書き方をしてきましたが、実際には「私」と「自分」は主従関係としては存在していません。むしろ「私」の存在定義を端的に言い表すならば、「公僕」という所が最も近いように思います。そこに「私」の意識は基本的に存在せず、あくまでも平均値やら一覧表やら、分析ツールの一切合切が詰まったものが、「私」ではないかと思っています。ただ、ここでもう一つ、その思考を一種ぶち壊す思考を開示するならば、人間の器である肉体そのものも、実は「私」の管轄範囲ではないかと思っていたり。「自分」達を暴走させない最も有効な手段は、囲いを作ってしまうことです。囲いの最たるものとはつまり、内部を外部から完全に遮蔽してしまうこと。人間の肉体とは、すなわち最も効果的な囲いであるのです。
 ……さて、ではもし仮に、人間が肉体という器の制約から解放されたなら? さて、その時は一体、どうなるのでしょうねぇ? 興味は尽きない所ですが、そろそろ飽きてきたので、本日これまで~。

〈今日も独り言〉
前回よりは短いけどねぇ(笑)

それでは。

書き物第二段

2005年06月22日 23時25分42秒 | Weblog
6月22日分の日記という事で。

 金曜日の労組がらみですっかりと忘れていたのですが、実は明日に会社の健康診断があったようです。前々から聞いてはいたのですが、労組の方があまりにタイミングが悪くて、そっちに腹が立ったばかりで、他をすっかりと忘れ去っておりました。どうせ健康診断なんて、早々厄介なことにはなりようがありませんし。時間も会社が始まった後、午前中ということで、むしろ業務時間中に公然と多少サボっていられるという良いことずくめだったために、別にどうでもいいや~と思っていた訳で。そりゃまあ、見事に忘れ去ってしまっても、仕方のない所でしょう。そ~いや明日に何かあったような気がするな~と思って確認してみたら、健康診断が明日だったと思い出した次第だったり。いやはや。
 実は入社後に一回健康診断を受けてはいるのですが、あの時は心電図に異常が出ておりました。ただ、これは他の人もあっちこっちに異常ありという診断結果が毎回出るので、まるっきりアテにしていない様子。健康の指標にならない健康診断って、受ける意味があるんだろうか……と正直心底疑問に思わないこともないのですが、まあそこは突っ込んだらアカンのでしょう、多分。恐らくは会社側の建前として健康診断を受けさせている訳であって、それ以上の目的は無いのではないかな~と。最近は色々と労働訴訟も出始めているようですし、企業側としては建前をきっちりと整えておく必要があるのだろうな、と思うことにします。
 労働訴訟と言うと、自殺やら過労死といった所からの訴訟が今後は増えてくる可能性があります。女性に対する待遇差での訴訟はこれまでにも起こっていますし、過労死認定の話も過去に何件も出てきています。恐らくは今後、もっと出てくるようになるでしょう。その意味合いで企業も法律に詳しい人材を求め始めていますし、法曹を増やそうという動きもあります。企業にとっては裁判沙汰になるということそれ自体がマイナスイメージであり、訴訟費用も馬鹿になりません。アメリカでは結構頻繁に裁判が起こっていますが、日本ではまだそこまでは行っていません。しかしながら、ここ最近では企業からも内部告発が出てきたり、談合が発覚したり、裁判に持ち込まれる類の話が多くなってきました。これも時流、なのかも知れません。
 さてはて裁判と言えば、陪審員制度の導入に関する議論がありましたねぇ……。個人的な意見を言うならば、あまり陪審員という制度は日本には馴染まないのではないかな、とも。日本人は基本的に連帯意識が強く、そして自己の発言に重大なる責任を負うことを嫌います。まあ当たり前と言えば当たり前ですし、それは私自身にも適用できること。陪審員として裁判に加わるというのは、裁判を傍聴したり、新聞に出た裁判の結果を云々と井戸端会議するのとは訳が違います。陪審員制度が入ってくるとなると、弁護の仕方すらまるっきり変わってくることでしょう。まあ、アメリカ式そのままの陪審員制度になるとは思いませんが。さてはてどうなりますことやら、ねぇ。

 さて、書き物第二段が珍しく短期に仕上がりました。今回もかなり短めで、ついでに意味のない中身となっております。土曜だか日曜だかにアップした作品の、一応は続きになっている、筈。既にもう一本か二本かのネタは浮かんでいるので、書こうと思えばすぐにでも書けます。が、単純に気分がのるのらないという条件もありますし、時間のこともあります。今日に叩いたものは、一本目に四時間かかったのとは対照的に、一時間少しで仕上がりました。かつ、作品の文字数自体は、一本目より多少増えています。この辺は単に集中力が違っていたことと、それから一本目で大体を把握したからだろうと思います。明らかに書きやすかったのですよね、一本目よりも。
 イメージを掴むことができたと言うこと、ひとまずこれで何を書いたものかが一本目で大まかに見えたと言うこと。今回の場合は、例によって何も無いことを書くのが目的であって、それ以上にはなりません。それ以上のものを書こうとすると、私にはちょっとまだ厳しい。インプットがそもそもまるで足りていないので、その分アウトプットは尚更に足りないことになります。アウトプットできる中身が無い以上、なにがしかをアウトプットするならば、それは中身がないものをアウトプットする他に無い、と。何だか微妙に屁理屈じみていますが、単純に中身が無いものを出すというのが一番楽なのです。何も考えなくて良いから。
 中身が無いという事、ショートであること。この両者が揃ってくれると、私にとっては非常に書きやすいものになります。と言うよりは、今の時点ではそういうもの以外に書けるものがない、というだけなのですが。今は、そのくらいの気楽さで良かろうと思っています。ついでに、恐らくはこの先の将来もそれは変わらないことでしょう。少なくとも、まだもうしばらくの間は。今書いているものが何本か続くでしょうけれど、それもじきに飽きるであろうことは目に見えています。その次があるのかどうかは、まあまたその時になってから考えることにして。どのみちプロになる気はありませんし、その腕も無いし。今くらいの状態が一番です。
 それにしてもまあ、いっぺん勢いに乗れたかどうかというのは、かなり執筆速度に影響を与えます。今回の一本は字数だけなら前より増えているのに、かかった時間は半分未満。これだけ差が出てしまうと思わず苦笑いしたくなりますが、むしろ何故に一本目にあれだけ時間がかかったのかと首を傾げたくなるくらい。逆に言えば、それだけ一本目で掴んだということなのかも知れません。書いてみなければ分からないことも多いし、書いてみたから分かってきたことも多い。アウトプットと言うよりは、書く事によるインプットが多いということなのかも知れません。そういった意味では、書くということもまた良いのかも。

 例によって、今日も『四季』を一冊、秋を読み切りました。これで春夏秋まで読み切って、残るは冬一冊のみ。これも恐らくは明日に読み切るでしょうから、一週間の内に春夏秋冬四季折々を一気に貫通することになるのでしょう。それもまた良し、明日か明後日にはまたレビューが一つ追加されるということになります。読んでいる冊数はいつにも増して多いのですが、シリーズでのレビューをしているだけに、今回の四冊揃ってようやっと一レビューになる訳で。我ながら不便なレビュー方式を採ってるな~とは思うのですが、かと言って一冊一冊やってると、数がシャレにならなくなります。と言うか、書いても書いてもレビューがおっつかないということに。その意味では、今の方式で間違ってないんだろうな~と思います……うげ。
 で、四季・秋ですが、正直ちょっと面白くなかったかな、とも思います。犀川&萌絵シリーズの最終みたいな感覚の巻なので、ちょっとそろそろ食傷気味という所があったのかも知れません。そもそも四季シリーズに入ったのは、あくまでも天才・四季博士を見たかったのであって、それ以外のものでは無かったようです。まあ、それも多分、次の四季・冬で解消されることとは思いますが。解消されなかった場合、壮絶にフラストレーションが溜まってレビューがさんざんになること請け合いですけれどね♪ 後は最後の冬次第、それで私の天才への情熱も、一旦は冷めてくることでしょう。別に冷めてこなくても良いけれどね、と。
 その一方で、またしても本を増やしている私がここにいますよ? ついでに、今日本屋に行ったのに見落としていたようなのですが、『蟲師』の新刊が出たとか。明日もう一回本屋だな、これは。今月は残り二万未満で締めようと思っているのですが、本を買ってもきっちり収まる計算です。残り二万の計画を立てたのが二十日ですから、要は一日に千円以上使わなければ良いだけ。使わずに繰り越した分は翌日、翌々日……と持ち越せますから、本を買ってもまあ結構余裕はあります。どのみち、これ以上はもう文庫を買わなくとも保つでしょうし。後は時折に中古コミックスを買い足せば、それでもーまんたいです。
 うんうん、読む本には相変わらず困らないなぁ、ホント。

〈今日も独り言〉
ちょっとマテ、書き物より日記の方が時間かかってるぞ今日……。

それでは。

顔の無い画

2005年06月21日 21時10分04秒 | Weblog
6月21日分の日記という事で。

 さてはて、まだ今日が今週始まって二日目の火曜日だと言うことが、微妙にシンジラレナイ輩です。何故かもう既に週末近いんじゃあるまいかと思うくらいに、どっぷり疲れてます。体力的にはまだ余裕がある筈なのですが、どうにもメドイメドイという気分がずっと抜けないままで、もはや週末明日から休みにしてぐったりしたい気分です。でも、まだ三日間あるんだよなぁ、水木金と。しかも腹の立つことに、金曜日は業務終了後に労組の講習会とやらがあるらしく、オフに参加しようと思ったらそれに邪魔をされる形となりました。くそめが~、労組なんぞにはまるっきり興味がないというのに。そんなものに妨害されるというのは、正直言って気に食わない所。参加不参加の自由くらい認めて欲しいものですが、強制参加の様子。ああ、腹が立つ、きっと当日は不機嫌きわまりない顔をしているでしょう。
 しかもなめくさったことに、講習会終了後に懇親会とやらをやるんだそうです。ぶっちゃけ、講習会だけ出て帰って良いですか? 私は酒は飲めませんし、あまり宴会的な雰囲気は好みません。オフはオフで宴会とは別ですが、そのまんま宴会というのは大嫌いで。特に懇親会やらコンパやらというのはとかく嫌いな部類に入るのですよ……。うちの会社は、労組は管理職以外強制加入のユニオンショップという形態をとっています。つまり、こちらには入るか入らないかの選択の自由が、最初から無いという事。せめて、講習会だけは出るから、その後の懇親会は参加を任意にしてもらえませんかね、まったく。まるっきり気が進みません。オフのことが無かったとしても、懇親会は参加したくないと思っていましたし。経理部の歓迎会で、もう宴会やら懇親会は充分です、もうヤメテ。
 とまあ、ひとしきり文句を言った所で、と。経理課での仕事は例によって例のごとしで、まあ何やら地味に仕事をもらってやっております。今日は何故かハンコ押しで、社印を書類にぽんぽんと押し続けること一時間ほどという、まあ何枚あるんだかという作業をしてみたりとか。多少力を入れて押さないとちゃんと印が出なかったので、延々と力を入れっぱなし。お陰で帰ってきてみたら、右腕がどうにもちゃんと動きません。さっきから、たま~に右手から力がすっぽ抜けます。おかしいな、文庫本専用本棚を、つい最近に無理矢理持って帰ってきた時でさえ、こんなに腕が笑ったりはしなかったというのに。ハンコ押す方が本棚運ぶより力がいるというのは、どうなんだろう?
 で、今受け持っている仕事はもう一つあって、こちらは明日一杯かければ終わりそうです。その仕事を回してくれた方は木曜日にならないと戻ってこないので、つまりは明日の内に終わらせることができればちょうど良いタイミングになる、と。本当は今日に飛ばしてやれば終わっていた計算なのですが、まああんまり急いでもな~とちと手抜きして減速しておりました。数値入力作業でしたが、数が多くて確認もしなければなりませんし、そういう意味ではどのみち明日に自己チェックを入れないとイカンかった訳ではありますが。地味な仕事をしてるもんだな~と日々思いながら、まあこういう積み重ねが結局は一番必要な事柄なのだろうということで。本当に明日一杯で終わるんだろうな、この仕事……。

 特に意味のない事柄を、今日は思考テーマに選んでみます。顔の無い画というのは何かと言えば、今現在に私が、自宅のノートPCの壁紙にしている画だったりして。多分、何かしらのゲームかアニメかコミックスか、要はそういった方向性の人物の画ではあるのですが。本当に元ネタがある画なのかどうかも分からず、詳細知らず問わずで気に入ったからそのまま壁紙にしてあるのですが、この画、顔がありません。顔の部分が無いと言っても、首チョンぱーになってるとか、首から上が描かれていないとか、そういうことではなく。単に、顔が見えないような構図で描かれているのです。ある意味で、顔が見えないからこそ気に入って、壁紙にしているような所もあるのですが。
 画の全体像としては、雲と空をバックにして、女性の姿を斜め後ろから見ているような構図になります。こちらから見えるのは、その人の後ろ姿と、長く風にそよいでいる髪だけ。顔は、横顔だけは見えますが、表情や目や口元などは一切分からないような構図。顔が全く分からないので、髪が長くて金色であるという以外、後は服装とか背景くらいしか元ネタを探る材料がありません。思うに恐らくは、元ネタの無いオリジナルの画ではないかな、と思っています。まあ、元ネタがあろうがあるまいが、気に入った画はおかまいなしにPCのフォルダに突っ込んでありますけれど。今壁紙にしているその画にしても、そうしてフォルダに突っ込まれていた一枚、というだけ。
 この画を眺めていると、幾通りもの解釈ができます。雲と青空を背景にして、女性は裾を風に流しながら、軽く両手を広げています。その表情は一切窺えないため、その人が笑っているのか、泣いているのか、怒っているのか、嘆いているのか、喜んでいるのか、後悔しているのか、まるっきり分かりません。一見すれば春から初夏の頃に、風を浴びている少女、というような構図ではあるのですが。これから雲がどんどんと広がって嵐が来るのかも知れませんし、その人の足元はほとんど描かれていないので、数歩先へ行けば実は断崖絶壁があるのかも知れません。両手を少し広げているのは、そこへ身を躍らせるためなのかも知れませんし。顔が無い、ただそれだけで、これだけ妄想が広がっていくものなのですね……。
 これと似たような話として、ミロのヴィーナス像の話があります。あのミロのヴィーナスは、両の腕がありません。そのために、彼女が一体どのような構図で作られていたのか、それは分からないままになっています。自分の身体を抱きしめていたのかも知れませんし、ダンスに誘うように差し出されていたのかも知れませんし、林檎を持っていたのかも知れませんし、実はコマネチを……って、さすがにそれはないか。両の腕の不在を、完成していないものと見なすのか、敢えて両の腕は最初から存在させられてはいなかったという考え方すらできます。完成か未完成かはともかく、欠損していること、そこだけが空白であること、「完全ではない」ことの、魅力。それはきっと、見る者の解釈を受け入れるだけの余剰部分、ということなのでしょう。
 全て一切合切を懇切丁寧に、想像の余地もなく、微塵も隙のない代物を見せられたとしたら、きっとそれはそれで感動的なものであるかも知れません。が、それは無味乾燥な風情があるか、でなければあまりに完成されすぎていて呆気ないものであるようにも思えます。そもそも人間が作るものにおいて、そんな完璧なる完全があるとも思えません。ならばいっそ、敢えて不完全を前に出して、見る者に委ねるという考え方もある。まあ基本的に、芸術なんてものは、見る者によってまるっきり解釈も受け止められ方も、感想も違うものです。万人に通用するものを作ろうとすれば、それは個性を失うことになる。個性があるということは、それを多少なりとも理解するなり共感するなりできる人を限定するということ。どこで妥協するのか、妥協しないのか、そこもまた、面白い所であり難しい所であるのかも知れません。

 意外と久々に、最後は本の話。昨日からは、ようやっと森博嗣の『四季』を読み潰しにかかっています。思いの外にペースが上がりやすく、昨日一日で『四季・春』を読破、今日一日でそれに続く『四季・夏』を読み切りました。明日には『四季・秋』を読み始める予定ですが、と言うかそれは既に確定事項ではありますが、恐らくは明日の内にこの『秋』も読み切ることでしょう。そして明後日に『四季・冬』を読み切ることができれば、一週間の内にあっという間に『四季』が一巡することになります。この調子でいけば金曜日は『四季』から抜けてしまうことになりますが、読む本は既に目星も付いています。もう一冊だけ、四季に関わらない森博嗣作品が残っていますし、ハヤカワで買った薄目の一冊もあります。ああ、読むものには困らない……幸福だ……。
 とは言っても、今現在の手持ちだと、恐らく今週は充分に足りますが、来週一杯をしのげるかどうかがちょっと微妙な感じです。大説家こと清涼院流水の一冊と、それから『冷たい校舎の時は止まる』の三冊で、合計四冊ありますから、まあ多分ギリギリで来週も保つとは思うのですが。さてはて、その後に何を読んだものかと考え始めていたり。ぼちぼち一旦は講談社ノベルスやらミステリからは離れるとして、しばらくはハヤカワを漁ってみるのも良いかな~と思っていたり。もしくは新潮から何かを探してみるか。そんなにミステリやら講談社ノベルスから離れることを意識しなくとも、まあ気になったものを買って読めば、それで良いのですけれど。実際に今買ってみようかどうしようかと思っているものは、またしても講談社ノベルスですし。あらあらまあまあ。
 もしくは、ちょっと方向性を変えて、幻冬舎文庫を見てみるのも良いかな~とも思ったり。最後に一冊だけまだ残っている森博嗣作品は、実は幻冬舎文庫のものです。そこからの縁もありますし、ちょっとばかし幻冬舎文庫を探してみるのも良いのではないかな、とか。でなければ、また宮沢賢治に戻ってみるとか、柳田圀男にまた更に回帰してみるとか、選択肢はたくさんあります。どうせ私が生きている内に全ての書物を読むことなど不可能ですから、興味があるもの、目に付いたものから優先的に読んでいくしかない訳で。少なくともまだまだ私にとっては、読み足りないという感覚が無くなりません。もっと、もっと、と内側からの大合唱が続いています。
 幸いなことに、勤務先の最寄り駅周辺には、それなりに大きな書店が入っています。お陰で本を探すに不自由はありませんし、そこならば何か特定の目的を定めずに行っても、財布の制約を課さない限りに置いて、三冊四冊五冊くらいは買ってしまうでしょう。今はそれでも良いだろう、と思っています。本以外のものにお金を使うつもりは一切ありませんし、強いて言うならダブルサスのMTBがちょっと欲しいかな~でもどうしようかな~というくらいのもの。つまり、本に関しては、迷ったら買うというくらいの感覚でいても全く問題がないということ。実際、毎月に本に使っている金額を見ると、普通に二万円以上使ってます。食費が毎月三万円を多少超えるくらいですから、どれだけ本に使ってるんだか、という話。まあ、食費にしても、お昼のお弁当は給料からの天引きなので、計算外なのですが。
 本に使うなら私としては本望、どうせ他に使い道も無いわい、とね♪

〈今日も独り言〉
はい、いつも通りの長さの日記でした♪
……やっぱ、長いね(笑)

それでは。