哲仙の水墨画

デジカメの風景写真、四季の草花、水墨画、書、短歌などを楽しみます。

鳥鳴いて 子規(書)

2007-11-15 07:37:27 | 
鳥鳴いて赤き木の実をこぼしけり        正岡子規

 この句の鳥は特定できないが、人の住む身近にいる鳥とすればヒヨドリぐらいだろう。多少は季節によって移動するのもいるが、年中いて木の実を食べる。ウメモドキ、ナンテン、ピラカンサスなど木の実を食べる。目ざとく見つけてすぐに食べつくす。乱暴に食べてよくこぼし、落ちたものは目もくれないグルメで、畠の作物も荒らす嫌われ者でもある。

3本立て12鉢組もの菊花(写真)

2007-11-14 06:50:04 | 写真
十二鉢列整ひて厚物の
菊花はつねに大会の華        樋田哲夫

 各地の公園や社寺などで開催される菊花大会は香りを伴う秋の芸術である。中でも3本立て12鉢の組物は大会の重要な位置を占め、なくてはならないものである。緩やかなスロープに手前を低くし、後方につれて高く並べて見やすくする方法はどこの菊花大会でも同じである。人間の頭ほどに咲き競い、白、黄、赤、紫と色も豊富である。

山池に船2艘(水墨画)

2007-11-13 07:03:47 | 水墨画
山池の風澄む秋は遠くまで
白く光りてものよく見ゆる        樋田哲夫

 秋の白い光は、夏のと違って暑くはないが、なぜかまぶしくよく見える。空気の冴えがそうさせるのだろう。都会の建物にしろ、田舎の風景にしろ、山なら遠くまでが鮮明となる。芭蕉の句に石川、那谷寺で詠んだ「石山の石より白し秋の風」がある。秋は風までも白く感じさせるようだ。その秋も木枯らしの季節を迎えようとしている。 にほんブログ村 美術ブログへ

夕紅葉 一茶(書)

2007-11-12 06:15:19 | 
夕紅葉谷残虹の消えかかる       小林一茶

 一面紅葉する谷あいに虹が今消えかかろうとしている光景である。虹が出る条件は雨が降りながら太陽の光が当たらないと出ない。すなわち、人間を挟んで、太陽と虹は直線上に出る。時雨れていれば真っ赤に色づいていても、照り輝く美しさはなく、どこか小寒く秋の寂しさが漂う情景が浮かぶ。

豪華な千輪咲きの菊花(写真)

2007-11-11 07:24:15 | 写真
豪華さの訴えに足り大会に
千輪咲きは美の極まれり        樋田哲夫

 秋のこの時期、各地で行われる菊花大会は日本の秋の美の象徴として季節を彩る。中でも国華園の千輪咲きは大きさといい、数といい圧倒されて、思わず誰もが称賛の声を上げる。一株で百個以上の花を台に飾り付けて菊の芸術品としての風格を備える。香りも馥郁(ふくいく)として他の芸術にない特異なものである。

レンコン(墨彩画)

2007-11-10 07:20:01 | 墨彩画
鍬を振る力仕事も変わりきて
今水圧に蓮根は掘る        樋田哲夫

 レンコンの国内生産15%の茨城・土浦が日本一。米の減反政策で一気にレンコン作付けが急拡大。10月下旬からレンコン掘りが始まり、その掘り方は泥の中に足を埋もれるようにしてクワを振り上げた重労働は昔のこと。現在はホースから強い圧力の水で掘る方法に代わった。茎を押しつぶし、呼吸を止めて10日ほどで掘ると美しいレンコンとなるそうだ。にほんブログ村 美術ブログへ 

あしあとの 召波(書)

2007-11-09 07:36:25 | 
あしあとのそこら数ある落穂かな      黒柳召波

 召波は江戸中期の京都生まれ。明和8年45歳で没。漢詩に長じた詩人であったが、俳諧も始め几圭に学んだ。後に蕪村に学び高弟といわれるまでになった。今日名のあるのは俳諧のためである。稲刈り後の田には落穂が残り、それをも大切に拾い集めて収量の足しにした。昔は米は貴重なものであった。現在はコンバインで刈り取り、落穂ひろいはどうであろうか。

日本最大の菊花展(写真)

2007-11-08 08:08:34 | 写真
原爆のテーマを菊に出展の
吉川さんは広島の方         樋田哲夫

 第24回日本菊花全国大会が大阪・和泉市の国華園で開かれ、秋の楽しみの一つとして出かけることにしている。今年は審査が発表された11月5日(月)に訪ねた。圧巻の総合の部で原爆の平和公園を表現している大作を出展した女性の広島・廿日市市吉川道子さんは17年の菊作り暦で大阪府知事賞に輝き、笑顔がこぼれていた。本日ブログ900回目。

落葉焚き(水墨画)

2007-11-07 07:17:40 | 水墨画
汚染とて法の生まれて秋深き
野焼きの煙たなびくもなし        樋田哲夫

 秋も深まると農家では取入れを済ませて籾(もみ)殻、枯れ枝などを整理するため火をつけて燃やす。どこの畠も田も数日続く。作業後になるので、午後遅く火をつけ、あたりに煙がたなびく情景は秋の風物詩となったものだ。現在は煙にダイオキシンが含まれ、環境汚染になる理由で野焼きも禁じられて燃やす農家もなくなってしまった。にほんブログ村 美術ブログへ 

きくの露 蕪村(書)

2007-11-06 06:52:23 | 
きくの露受けて硯のいのちかな     与謝蕪村

 芋の葉の上に玉となってころころ転がる露を硯に受けて字を書くと上達するとか上手に書けるとの話は昔に聞いた記憶があるが、試したことはない。上達、上手の願望は人一倍強いのだが、そんなことで上手になれるなら苦労はない。この句のように菊の露となると露そのものの量が少なくて集めるのに大変であろう。

東寺・五重塔(写真)

2007-11-05 08:07:16 | 写真
国内に高きを誇る塔を仰ぐ
広き東寺の秋を歩みて        樋田哲夫

 教王護国寺(東寺)の国宝・五重塔は高さ54・8㍍日本最大の塔である。過去4回、落雷、戦乱で焼失したが、現在のものは徳川家光寄進により江戸初期に再建されたものである。遠来の人々には京都駅に列車が滑り込むとまず目に入る。東寺の塔と言うよりも京都のシンボルにも匹敵する感がある。

塀越しの柿(水墨画)

2007-11-04 07:28:24 | 水墨画
散策の寂しき路地に塀越えて
なりたる柿の盗る人もなし      樋田哲夫

 柿にも沢山の種類があるようだが、現在スーパーで見かけるのは種無しの平種である。代表的な富有柿はもう少し先のようである。民家の敷地内の柿の種類はありすぎて分からないが、毎日散歩する路地の塀越しなる柿は誰も盗ることもしない。腕白盛りの子供のころはみんなでスリルを楽しむように失敬したものだ。 にほんブログ村 美術ブログへ 

団栗の 水巴(書)

2007-11-03 07:30:59 | 
団栗の己が落葉に埋もれけり       渡辺水巴

 近くの児童公園にマデバシイの木が数本あり、1ヶ月ほど前からドングリが落ちはじめ、現在も続いている。枝が道路にはみ出して落ちたドングリは自動車につぶされて痛々しい。ドングリを落とす木の仲間でマテバシイは実が大きく子供たちの遊び道具にもなる。マテバシイは実が早く葉が遅く落ちるからこの句のようになる。

「醍醐の花見」の参道(写真)

2007-11-02 07:33:55 | 写真
絢爛の今も聞こえて太閤が
この参道を醍醐の花見        樋田哲夫

 慶長3年(1598)太閤秀吉が秀頼、北政所、淀、諸大名など約1300名を従えて開催した「醍醐の花見」は豪華絢爛(けんらん)たる花見であったという。一代の華美な英雄はその半年後に世を去った。それにちなんで現在、醍醐寺では4月第2日曜日「豊太閤花見行列」を開いている。山門から仁王門までの参道は両側に桜が植わっている。

ムベの実(墨彩画)

2007-11-01 06:31:52 | 墨彩画
不老なる永久の願ひを大君は
民の話にむべなるかなと         樋田哲夫

 第38代天智天皇は近江に約5年間大津京を開いた。あるとき湖東の蒲生野に遊猟されると、8人の男児を持つ元気な老夫婦がいるので、その秘訣を尋ねると、ムベの実を食べているお陰と答えた。天皇は老人に向かって「むべなるかな」(なるほどの意)とおしゃった。以来、時にこの語は使用される。ムベはトキジクノコノミのごときものか。にほんブログ村 美術ブログへ