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とだ九条の会blog

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新自由主義的構造改革と働く女性(その1)

2006年07月31日 | 国際・政治
新自由主義における小泉「構造改革」がもたらす働く女性への影響などについて、2002年に「『守ろう憲法・働く権利』、男女平等さらに前進を」をスローガンに、新日本婦人の会が開催した「2002年『春の行動』シンポジウム・東京」での神戸大学教授の二宮厚美氏の講演が参考になりますので、転載させていただきます。


ジェンダー論と働く女性の権利
神戸大学教授 二宮 厚美

はじめに
現代のジェンダー論の主流は、「男は仕事ないし社会に出て、女性は家事、あるいは家族の中にとどまる」という性別役割分担が、現在の日本の女性差別の根源にあるという問題意識から出発したものです。
「男が女房子どもを食わせるだけの賃金を獲得する(家族賃金・生活給)。だから、女性は専業主婦で家事をやらなければならない。たとえ事情によって働きに出るにしても、夫や子どもを養うわけではないから、安い賃金でもかまわないし、終身雇用でなくてもいい」ということで、職場の中でも男女差別がもちこまれる、これが現代でも続いている「性別役割分担型のジェンダー論」です。
ここから女性の地位の向上、男女平等の達成にとっての1つの指針がでてきます。男女は平等に働き、家事も分担する。家族、学校、地域で、男女が平等に取り扱われなければいけないという社会的規模での女性の地位向上にジェンダー論が積極的役割を果たしてきたと思います。家庭内暴力の問題、職場でのセクハラの防止、摘発など、歴史を積み重ねてきたとみることができます。
ところが企業は、男女差別を利用しながら女性労働を支配し、酷使しています。働く女性の地位向上、職場の中での男女のエクイティー(=衡平)の達成は、男女関係を変えるだけではなく、企業と闘わなければできません。雇用均等法以降の女性労働者の増大を背景にし、職場における数々の裁判闘争その他において、女性労働者による権利獲得の運動は、旧来のジェンダー論をさらに新しい角度から発展させたと私は評価をしています。
働く女性の地位や権利をジェンダー論に組み入れることによって、女性の地位向上もジェンダー論も発展するという局面に現代の日本は到達しているのではないかと思います。性別役割分担型からいわば女性労働を通じた労資関係型のジェンダー論への発展を見ることも可能です。
働く女性の男女平等を正面からとりあつかうことは、けだし男も老人も、子どもも、すべての国民の権利が前進するというところに大きな意義があります。

1、小泉構造改革のなかの働く女性
(1)働く女性の増大とその背景
働く女性が増大するきっかけは、パート、派遣労働、契約社員という雇用形態にあります。90年代に進行した大企業のグローバリゼーションによって、国内に拠点をおいて、輸出でかせぐという従来の日本経済の構造はくずれました。東アジアに進出する中で国内の高コスト構造の是正が呼ばれ、日本の労働者の賃金は高すぎるとか、社会保険料の企業負担が高すぎるといった見直し論が流行し、その構造転換において女性労働が1つの基準となったのです。
日本企業の多国籍企業化のもとで世界的に一番低い賃金水準の途上国の男女の賃金と日本の男女の賃金が競争させられ、日本の女性はまだしも男の賃金は高すぎる、高すぎる最大の要因は、男が妻子を養うために賃金を獲得することに問題があるという攻撃がかけられました。財界はこれまでの終身雇用にも年功序列にも、給与体系にも総攻撃をかけ、雇用も賃金も、まずは低い女性の水準にあわせて、日本的経営の見直しをはかったのです。
低い賃金の女性をどんどん増やして、女性にもサービス残業、深夜労働をやらせる、労基法改悪で男並みの厳しい労働条件におくと同時に、男性も女性並みの賃金に切り下げられ、競争が平等におこなわれることになったのです。

(2)新自由主義的構造改革と働く女性の地位
小泉構造改革路線は、形式的には、男女平等を促進する形をとっています。妻は夫に従わなければならないとか、子どもや老人の面倒をみなければいけないというのは古い考え方として切り捨てます。そして、介護保険が導入され、雇用均等法が促進されました。しかし、男女差別はなくなったわけではありません。女性たちを苦しめている問題は大きくいって2つあります。
1つは、今なお残っている社会全体での課題です。例えば女性の働く権利を保障するには、保育や学童保育など子育てや、介護にかかわる社会保障が必要になります。
家族や生活領域において、女性をバックアップする社会福祉、年金、保育、医療制度がなければ男女平等は保障されません。
NHKの調査によると、共働きといえども男が家事の分担でやる仕事の筆頭は、「毎朝、新聞を取りに行くこと」です。形式的平等はすすんでも、実際には生活上の諸課題、広い意味での福祉の諸課題は女性の肩にかかっています。
これらを社会保障と福祉国家の権利として、社会制度で実現していかなければ、社会的な男女の平等は確立できません。
もう1つは、企業の中では能力にもとづく差別が露骨になりつつあるということです。この能力主義的差別に対する社会的規制が二つ目の課題です。資本の論理では、儲けのためには男も女も関係ありません。たとえば1000円札を男が使ったら1100円の価値があり、女が使ったら900円の価値しかないということはありません。
人種差別、かつての差別、性差別という属性にもとづく差別は形式上無視するというのが、資本主義の進歩性です。そういう差別はないが、儲ける能力をもっている人は優遇するという形で、能力主義支配と能力主義的差別は残り、拡大していきます。
小泉構造改革は、資本の論理を歴史上もっとも露骨に代表する政策路線です。実質上の不平等は無視して形式的に平等にしておいて、能力主義競争にかりたてるやり方です。その時にみなければならないのは、能力主義的差別の横行と、ねじれあうように性差別が進行するということです。
男女には能力的に差異はありません。ところがコース別人事管理の総合職と一般職の選択で一番使われているのは、転勤が可能かどうかということです。転勤のできない人は一般職におかれます。転勤ができるかどうかは能力には関係ありませんが、企業にとっては、どこにいってもバリバリ働くということで、能力にみえるわけです。これは能力的差別のなかに女性のもっているハンディが組み込まれて、巧妙な形で性差別が再生産されることを意味しています。
能力主義的支配と生活上現実に女性が負わざるをえない諸課題の2つが重なって、現在なおジェンダーギャップがジェンダー不平等をつくりだしているのです。
この両面が前進しなければ日本の働く女性の地位や権利は前進できません。(つづく)


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