上の写真は、京都市中京区の慶輔(けいすけ)くん、7月25日生まれ。
「たくましく、人に慶(よろこび)を与えられる人になってください。
思いもかけず、分娩台で産むことになり緊張しましたが、無事会えてほっとしました。
胸が張って痛い日も、マッサージして頂いてリラックスできました。」
誇大広告なんて思われるとイヤなので解説しておきましょう。
できればウォーターベッドで産んでいただきたいのですが、
へその緒が巻いていたりする場合、分娩第2期で怒責がかかる頃になると、
胎児がしんどがることが有るのですよ。
そんな時はやはり、通常の分娩台でイキんだ方が短時間で済みますし、
吸引分娩や帝王切開に変更しやすくなるので、手術もできる部屋でお産していただくことが有ります。
でもね、陣痛の間にウォーターベッドで過ごすことが有効なのであって、
どうしてもそのまま産まないといけない、なんて硬く考えない方が良いと思いますよ。
先日、県立柏原病院の若い小児科の先生の奥さんがタマル産で産まれました。
小児科の先生も立ち会われて、こんなお産は初めてだと仰っていましたよ。
機械に囲まれた部屋で、脚を上げてするお産でなく、
ウォーターベッドの上で、心地よく家族と過ごすお産に感動されていました。
もっとも、私も県立病院で勤務していた頃に、もっと自由なお産がしたいと開業したのですから、
目的を果たせたのだとも言えるのでしょう。
そこでさっそくその小児科の先生は、柏原の部長先生をタマル産に連れて来られて、
これからは一緒に勉強会をしましょう、と提案されたのですよ。
もちろんお引き受けしました。
18年前に柏原で開業した時、
たった1人で、何も無い1からのスタートだったのです。
お産が無い時に人員を24時間配置するだけで、毎月何百万円も飛んでいきます。
結局5年間頑張ったのですが、仮住まいの建物も古くて、
5年で3千万円の借金を抱えて篠山に移転したのですよね。
さらに4億円ほどの借金をして。
でもね、本当にたいへんだったのはそんなことではないのです。
赤ちゃんが生まれたら、時々は小児科の先生に診てもらわないといけないような場面に遭遇するのです。
ですが、当時の県立柏原の小児科の部長が、タマル産で生まれた赤ちゃんは診ない、と宣言されたのですよ。
その後、その先生は県立柏原の副院長になられましたからね。
これにはどうしようも対応できなかったのですね。
それで新生児に心疾患なんかが有ると、お隣の西脇病院などまで搬送したりしていたのです。
日赤の小児科の先生には優しく受け入れていただいていたのですが、福知山で開業されましたしね。
それにしても医療界って、どうしてこんなに意地悪なのでしょうね。
篠山に移転した時もそうですよ。
兵庫医大の小児科の部長が、タマル産からの赤ちゃんには、何かとイチャモンをつけられるのですね。
そうして、いろんな経験を積んで、今では赤ちゃんに異常が有れば、
済生会兵庫県病院やこども病院まで搬送するルートを確保しています。
お母さんに異常が有れば、同じく済生会や、神戸大学、神戸中央市民病院にまでも、救急車で走っているのです。
そしてこのたび、18年目にして、ようやく地元の病院から一緒にやっていこう、というお誘いを受けたということなのです。名ばかりの地域医療連携の終焉です。
本当に長い道のりでした。