丹波市春日町の美織(みおり)ちゃん、9月22日生まれ。
「健康で素直な子になってほしいです。
お産は相変わらず痛かったです。食事がとても楽しみでした。」
お母さんは3人姉妹なのですよ。
姉妹で何人も産まれています。
また次も、ということでした。
ところで今日はですね、とても疲れました。
というのも、お昼に全看護スタッフ集合で、
新生児蘇生法講習会(NCPR)をタマル産で受けたのです。
以前、私と助産師で他院に受けに行って様子を見てきたのですが、
今回は、講師に来て頂いて、行ったというわけですよ。
写真に写っている職員は今回初めて受けた者ですが、この他にも3人、計10人で。
講師は済生会吹田病院の小児科医、平(ひら)先生とNICUの助産師、村上さんです。
平先生は、皆さんもご存知かもしれません。
というのも、15年前にタマル産が柏原で開業した時に、
柏原日赤の小児科に、研修医として居られたのです。
当時は小児科の部長が足立先生で、2人で頑張っておられ、よくお世話になりました。
今は足立先生も福知山で開業されましたけれど。
そして当時に加えて今回も本当にお世話になりました。
3時間以上に渡って、みっちりとしごかれましたよ。
新生児蘇生法って、どんなものか少し覗いてみましょう。
まず皆さんは赤ちゃんは元気で生まれて当たり前と思われているでしょうが、
そんなことはなくて、世界中では年間に何百万人もの赤ちゃんがお産で亡くなっています。
もちろん世界では、分娩監視装置を付けながら生まれている赤ちゃんの方が少数派でしょうが、
たとえ監視装置を付けていても、水中生活から、この空気世界に
移行する時に適応できない赤ちゃんは時々居るのです。
生まれるほんの一瞬で、胎児循環と呼ばれる胎児の血行動態から、
赤ちゃんのそれへと変わるのです。
肺がそれまで閉じていたのに、突然開くのですよ。
心臓だって、静脈と動脈を混ぜていたのに、心臓の穴は閉まるし、
大動脈と肺動脈が動脈管という血管で結ばれていたのに、
これが数日で閉まって、動脈と静脈を完全に分けるようになるのですよ。
一番の変化は、お母さんからの栄養と酸素を、へその緒からもらっていたのに、
それが途切れてしまうのですからね。
生まれた赤ちゃんを放っておくと、だんだん色が悪くなったり、
いつまでも呼吸をしないことだって有るのです。
最初の呼吸を補助してあげるのが私たちの仕事なのです。
これを読んでいる人にはそんなことは無いでしょうが、
自宅で1人で産み落とす人も居るでしょう?
まずタオルで濡れた身体を拭ってあげます。
水分を取って体温が下がらないようにする、という意味も有りますが、
実際には、これだけで背中が延びて、呼吸の刺激になるのですよ。
弱々しい泣き声の赤ちゃんだったとしたら、
今度は足の裏を軽く叩いてみます。昔の時代の私たちの受けた教育なら、
けっこうパンパンと叩くのですよ。でも今は力は込めないのだそうです。
この時、背中も下から上にこするようにします。
これも弓状に反るようにです。
呼吸があえいでいるようなら、すぐに空気で、人工呼吸を始めます。
ここまでが30秒です。慣れれば簡単です。
でも初めてなら、まずできません。
ここで元気よく泣くならいいのです。
体重なんかを測ってお母さんに再び渡します。
生まれて30秒でも、心拍数が毎秒100以下であったり、呼吸がしんどそうなら、
迷わず人工呼吸です。ここでは酸素も使います。
これって私のように、麻酔科医なら当たり前のことなのですが、
助産師でさえ、また看護師ならあまりする機会がありませんからね。
この練習はすごく皆のためになったようですよ。
さらに次の蘇生法として、心臓マッサージを人工呼吸と併用するのです。
マッサージ3回に、人工呼吸を1回、この2秒を1クールとして、繰り返します。
言うは易し、行うは難し。みな真剣でしたよ。
これからは、年に2回の消防訓練の時にでも、毎回訓練を致しましょう。
いつもやっていないとできないものなのです。
ちなみに仮死で生まれた赤ちゃんには、これらの方法で99%、良好な成績となるのです。
タマル産の職員の皆様、それに講師の先生、NICUの助産師さん、みなさんご苦労さまでした。